LONELY INNOVATIONAL FREESTYLE ESSAY 10.....................2002.10.14

<体は西へ、心は北へ /ばーちーリフォーム大計画(V)>

北海道に戻ってくるだろうと、企んでいた父の計画は潰れた。
ボクは岩手県での半年の研修後、兵庫県姫路市に配属された
地図を見ると生まれた町は、遥か遠かった
流浪の旅はいったい何時まで、ボクは何処まで行くのだろう

知る人がひとりも居ない、関西という名の異国の地
始めて北海道を離れ、上京した時とはまるで気分が違ってた
ボクは、4年間使った東京言葉がスキになってしまっていた
しかも自分は東京人気取り、もう田舎者ではないと勘違いしていた
勿論大学の4年間は、今までの人生の中で最も自由で最も楽しかった
本当はそんな街でもっと暮らしたかった、、、

関西弁を使うのは、絶対イヤだった、特に、関西弁を話す女がキライだった
日本の首都は東京で、ボクはそこからやって来たと言いたかった
たった4年間、学生として過ごしただけなのに

けど、会社の先輩、同僚は、皆いい人達だった
関西人を否定してる訳ではない、
只、自分はどうしても、言葉や文化の違いに馴染めないでいた
意思が通じないのだ、ニュアンスが違うのだ、誤解が生まれるのだ
完全に外国だ、海外なのだ

元々、素顔を人に容易く見せたがらない、へそ曲がりだ
気の許せる少ない友人と深く付き合うタイプの人間だ
TVの漫才で見たり聞いたりしている、関西弁は愉快だったのに
それが生活の中にあると、うんざりしてしまう

半年後、ボクは結婚した、学生時代から付き合っていた彼女だ
異国の地での淋しさに、とても独りで立ち向かう勇気が持てなかったし
関西弁を話す女と、心を通わせる術は知り得なかった

同期や先輩達夫婦によくしてもらい、楽しい毎日だった
けど、将来自分の子供が関西弁を話すのだけは、どうしてもイヤだった
「おとうちゃん!」とは、呼ばれたくなかった
一年後、会社を辞めた
勿論、それだけが理由ではない
設計という名の仕事に幻滅していた、二年で、生意気にも、愚かだが

あんなに悩み、一生で一番悩んで決めた筈だったのに
たった二年で、17年間勉強した時間と失った青春の末選んだ筈の会社を
あっさり捨てた

辞職と引越しを決心した23歳の頃、外は風が吹いていた
10月の風が吹いていた、、、つづく ^_^

<謝り・・・>

そして、足は、また憧れの街札幌へ向かうのだった
札幌での事は、あまり書きたくない、思い出したくもない
ちっともいい事がなかったから
あの3年間は、生きていたとは言い難い
ボクが80年生きたとしたら、77で死んだと言ってもいいだろう
全く無意味な時間だった
スキーのコーナーで、少し触れているので
良かったら、見てください

ばーちーリフォーム大計画パート3(札幌編)は欠番とし
パート4へと行くのであった、、、つづく ^_^

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