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一一辺見庸さんと対談された『反定義』の中で、「近代500年を再総括する必要がある」ということをおっしゃられていますが、今のお話はそれを更にさかのぼるというか・・。
うん、20万年とか500万年とかという話になってしまう(笑)。
一一だんだん人類の歴史をさかのぼっていかれるようになったというのは、アフリカへ行かれて、そこでお感じになられたことが、さらに重ねられていったということですか。
そこには、ある程度の推移があります。というのは、「帝国」の側も日々変わっていますよね。例えば、去年の12月ぐらいの時点では、これは500年ぐらいの時間の流れの一部だと思っていたわけです。だから、僕としては、500年の植民地主義や帝国主義の罪を問うという、良心的な、民主的な気持ちが残っていて、反省しろよという思いがあったけれど、もう反省しろよという気持ちもないぐらいに、あきれてしまっているんです。文句を言っても通じる相手じゃない。とりあえず今は、人間という種だけではなくて、ホモ・サピエンスに至るサルからの、何か間違ってしまった結果なんだろうなと思っています。
だから、かなり絶望的な気持ちにはなってるわけだけど・・。少し話を戻すと、『非戦』を出して、自分の中でちょっと区切りがついたというか。そして思ったのは、ソ連のスターリニズムや、ドイツのナチズムなど、つい何十年か前に、もうやってるわけです。その連続なんですね。その中で、一般市民も芸術家も、弾をかいくぐって、なんとか生きてきたわけですね。
日本の僕たちが、安穏としてこられたのは、一種の第三次世界大戦であった冷戦構造の中での、擬似的な平和のお陰であって、それがたまたま長く続いたから、ほとんど一世代、一世代半ぐらいが、擬似的な平和、核の傘の下での均衡状態の中にいたというだけです。ほんの少し前まで、悲惨な状態はたくさんあったわけです。ショスタコーヴィッチにしても、ものすごい弾圧の中で、権力を欺きながら曲を作っていたんです。
今度は、アメリカがソ連のようになって、世界中を覆う監視の目を光らすとか言っているけれど、ソ連時代のショスタコーヴィッチの立場から考えたら、そんなの屁でもないっていうか。それぐらい考えないと、やっていけないかなと思うんですけどね。

一一以前、「生まれながらにしての、テロリストはいない」ともおっしゃられました。
いや、結局「生まれながらにして、ブッシュ」なんですよ、人間は。だけど、男性原理と女性原理があって、サル族というのは、ずっと男性原理で繋がっているんだろうと思う。ゾウは、女性原理の社会で、それもある地点までは、男性原理があったのかもしれないけれど、進化の過程で女性原理を発達させたんじゃないかと想像してます。それが進化ですね。闘争を回避して、他の生物を殺したりせず、草食主義で。ベジタリアンだから、環境を激変させてしまうと、自分たちも死んでしまうので、環境を大切にして、なおかつ、他の生物を殺さないで、うまくやっている。かなり知的に、そういうシステムを進化させているんでしょうね。ゾウの群は母系社会で、オスは成人すると群から出されてしまう。出されたオスは、あるものは群れ、あるいは群を作らず個体で散らばっていて、発情期だけ群に近づく。それは、ひじょうに繊細で進化した社会の作り方ではないかと。また、それを支える自然条件があったからこそ、出来たわけだけど。
しかし・・サル族はダメだね(笑)。チンパンジーも、隣に住んでるクラン(グループ、血縁集団)と出会うと、皆殺しにしたり、メスを奪ったりするんです。結局、隣に住んでるやつの領土を奪ったり・・同じことですね。
一一すると、クジラとかゾウ的な種の方が、持続可能な条件が揃っている。
ホモ・サピエンスに至る流れというのは、どこから始まってるのか分からないけれど、結局、何かあるんだと思うんです。この種の性質というか、業というのかな(笑)。だって、例外も、あるんですよ。550万年前ぐらいに、ホモ・サピエンスに至る枝と、チンパンジーに至る枝とが分かれたわけですけど、その随分後に、チンパンジーから枝分かれした、ボノボっているでしょ? ボノボは、かなり変わっていて、闘争を回避するためにセックスするんですよ。群と群が出会うと、集団乱交になるんだそうです。完全に、闘争を回避するためにそうするらしいです。これは、本当に面白い。だから、ホモ・サピエンスも、ボノボから進化していたら、かなり面白いホモ・サピエンスになってたと思うんだけど(笑)。残念ながら・・。
でも、これから、突然変異で新しいホモ族が、それも全員がガンジーみたいなホモ族が出てきて、暴力的ではない方法で、ホモ・サピエンスから領土、食糧を奪って、今のホモ・サピエンスは死に絶えて、丸く収まると・・。そういう進化でも起きない限り、このまま環境も壊して、他の生物も皆殺しにして、自分たちの種族内で殺し合って、自分の首さえも絞めることになって終わるんでしょうね。
一一そこまで人の業のようなものを突き詰められたとき、一個人または表現者として、どういう方向へ発言また表現していこうとされるのですか?
自分という個体とか、自分の子孫という個体のことを考えると、「帝国」の動向というのが、直接生存に影響してきますから、「帝国ウォッチ」は続けてるいるんですけれど、種という全体をみると、やっぱり、あまり希望的なことは望めないんじゃないかと思うんです。
理不尽なことに対しては発言したり、止められることは止めたりということはしていかないと、日々の生活というレベルでは、影響を被るわけです。例えば、有事法制が通って、憲法が改正されて、徴兵が始まって・・となってしまったら、日本の近くで戦争が起きれば、自分の息子が徴兵されて兵隊にならなきゃいけないかもしれない、というような大きな影響を被るわけです。そういったことは、個別に止めていく方がいいわけで、それを諦める気はないです。日々、安穏な暮らしをした方がいいわけだから。それは、環境問題と同じで、水でも食べ物でも空気でも、少しでもいい方がいいわけだから。
でも、やっぱり・・人類って言うのは、そんな高級なもんじゃないなという気持ちはありますね。

一一「人類には音楽がある、ということを音楽自身が訴えるような音楽を作りたい」ともおっしゃられていますが、その後、お考えに変化はありますか。
特に変化はないんですけれど、なんていうのかな、まぁ、その程度のことだという感じもありますね(笑)。
だから、シェイクスピアでも何でもいいんだけれど、「だから?」という感じも同時にあるんです。それは、音楽とか、シェイクスピアとか、国連とか、日本国憲法とか、何でもいいんですけれど、それらは人類の貴重な宝だという言い方もあるし、そんなもんだねという部分もあるし。
僕たちのよって立つ基盤というのは、とても脆弱ですよね。力の論理で、いくらでも踏みにじれるじゃないですか。力の論理で踏みにじってきた歴史でもあるし、今もまさにそういうことが行われているわけだし。だから、それはコインの裏と表みたいなものだということと、それでも人類は音楽を失わなかったと言うこともできますけど・・。
人類の歴史の中には、大虐殺だっていっぱいあるわけです。最近だと、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アフリカでボーア戦争というのがあって、イギリスがボーア人を大虐殺している。大虐殺した上に、何万人ものボーア人達を強制連行して、収容所に入れたんです。それが、ナチのホロコーストの原型になってます。イギリスが最初にやっているんです。同じようなことを、イギリス人はアメリカでもやっている。それでも、人類は音楽を失わない、とも言えるし、同時に、とても脆弱とも言える。難しいですよね。
一一そこで、今、何をするのかということでは、目の前にあること一つ一つに、口を出していくということですか。
今日、別の取材を受けて、「エコはエゴだ」と言ったんです。結局、僕は、自分が生き残りたいから、助かりたいから、いい思いしたいから、「エコ」と言ってるんですよ。それで何が悪いって思う。だって、人間は「生まれながらにブッシュ」なんだから、自分がいい思いしたいわけですね。
「環境」って身の回りのことですからね。大気とか言うから、わかりにくくなるけれど、ただ身の回りのことであって、自分が食べているものや、吸っている空気、飲んでいる水、住んでいる土地とか家のことなんだから。‘身土不二’ではないけれど、食べてるものが、自分の庭で採れて、すぐそばの川の水を飲んでいる時は、環境=身の回りだったわけですよね。けれども、知らないうちに、食べてる魚が南太平洋からきたり、飲んでいる水がフランスからきてたりして、地球大に広がってるから、「環境」となるわけだけれど、本来は、身の回りのことなんですよ。
僕がギャアギャア言ってるのは、自分が助かりたいから言ってるだけなんです。それを批判されようが、僕はどうでもいいんです。
一一それは・・
それ以外に根拠はなくて、結局、僕の個体としての生とか、僕の子孫達の幸せが、どうでもいいんだったら、別に地球が滅びようが、僕はどうでもいいですから。僕は、まぎれもなく、生物の一個体として、過酷な環境よりも、安穏とした環境の方がいいし、極端に言うと、人が死んでも、自分は生き残りたいんですよ。
だけど、おそらく人が死ぬ時は、僕も死ぬ時なんです。だから、結果的には、人を生かすことが、自分を生かすことだという理屈が成り立つ。環境とか政治の問題というのは、個体だけで存在している問題ではないでしょう。こういう地球環境の状態で、自分だけいい空気吸ってますということは、ありえないから。自分がいい空気吸いたかったら、人にもいい空気吸って貰わないといけないし、空気を汚す人がいたら注意しないといけないし、個人主義は成り立たないんです。
僕がもともと環境運動やエコロジストが嫌いだったのは、全体主義だからなんです。環境問題は、一人じゃ解決できないから、絶対に全体主義に行きつくんです。だから、結果的には、自分が生き残りたい、自分の子供達にも生き残って欲しい、ということは、どうしても、世界全体が・・ということに帰着するんですよ。
一一それは、坂本さんにとって、将来に向けての希望が、見えるものなのでしょうか。
悲惨な状況に追い込まれると、どうしても僕らは、進化したいと思うわけですけど、でもそれは、生物的な進化を待っていたら、手遅れですよね。今回の『ELEPHANTISM』でもあつかった問題なんですが、倫理的な進化というのは、生物学的な進化ではないですよね。生物学的な進化というのは、10万年とか20万年とかの時間の流れですから、ゆっくりなんです。
それで、一つ言えるのは、現れてはすぐに絶滅してしまう種というのもあるけれど、これは僕は素人ですから、勘で言うんですが、一つの種というのは、平均するとおそらく100万年ぐらい生存すると思うんです。生物の誕生から38億年ぐらい経つわけです。人間が誕生して、まだ10万年ぐらいですから、100歳が寿命と考えると、10歳ですから、まだ子供なんです。それを裏付けるかのように、僕らが与えられた、この肥大化した脳は、まだ10%ぐらいしか使われていないと言われてます。ということは、進化の途上で与えられた、生得的な能力の10%ぐらいしか、まだ使っていないわけですよね。まだ開発の余地がかなりある。生物学的な突然変異で、ホモ・サピエンスの次の段階へいくというようなことではなくても、ホモ・サピエンスの段階でも、脳の可能性みたいなものが90%ぐらい残されていて、それが、いつどのような形でくるかわからないけれど、形が変わらなくても、全員がガンジーになるというようなことが、たぶんありうると思うんです。ホモ・サピエンスは、原爆作ったり、月へ行ったりと、それなりに、いろいろなことをやってきました。それは、10%ぐらいの能力でやってきたわけですから、あと90%残っているとすると、かなりのことが出来るはずじゃないかと。そのかなりなことを、より多くの人を殺すということではなくて、よりよく生きようよという方向にシフト出来れば、ちょっといいかなと(笑)。
(2002年4月26日収録 text : 江坂 健 / Text Only Version)
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