●Spirit of Soy Souls 2001
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squeezing kojisqueezing kojisqueezing koji
顔で弾きます!ブルースは顔が命です。

  
第1回 2001/2/26 Greetings from Soy Souls
第2回 2001/2/27 One and Only Soy Souls
第3回 2001/3/7 ブルースは暗い音楽か? −A Blues Is A Love Love Beam
第4回 2001/7/13 Thrill in session? - 東京セッションざくざくツアー
第5回 2001/8/7 from Chicago to delta-弾き語りもバンドも一緒や!?
第6回 2001/12/25 farewell Dog year - 来年もよろしく!!

第1回 2001/2/26
Greetings from Soy Souls

 3年前にブルース好きな、または単に暇なおっさん達が集まって出来た、地道なコテコテブルースバンドが、今や大所帯になって、ちょっとファンキー、ちょっとお笑い、ちょっとお色気になってきたことに、創始者は感涙の毎日を送っています。思えば22年前の雨降る朝、俺の枕元に立ったロバート・ジョンソン氏は、結局のところこういうバンドをやれ、と言っていたような気がします。

 まじめな話、このバンドを通じて多くの人や音楽との出会いに恵まれ、俺は村一番の幸せものだと思っている。例えば、あんまりこういう音楽になじみがない人が、付き合いでライブに来てくれて、へえ、結構いいね、とか言いながらブルースにはまっていくのが楽しくてしょうがない。例えば、こういう音楽だけが共通点で、そうでなければあかの他人だった人が、いつのまにかサウナで汗をだらだらかいて話合うようになるのが嬉しくてしょうがない。

   そんな訳でこれからもブルース、ファンク、R&B、ソウル、その他そんなような音楽を通して汗をかき、唾を飛ばしながら熱く愛を語っていく所存なので暖かく見守って下され。

 第1回なので、とりあえずご挨拶から始まる、イエーィ、次回からは数多いレパートリーをその内容、オリジナルなどについて俺の果てしない思い込み(妄想)による解説でもってご紹介します。よろしく。


第2回 2001/2/27
One and Only Soy Souls

 次回から曲紹介と書いたが、これは別リンクになったので、曲紹介の紹介でもしてみよう。こうして書いていると、どの曲にもなかなかの思い入れがあり感慨深くもあるが、結局メンバーの奴らに読んで欲しくて書いているような気もしてきます。って言うか、おんだま練習もしろよ(♭気味にたのむわ)。

   ちょっと前までのブルースマンは、大抵ワンアンドオンリーで、どの曲聞いても似たような感じ、エルモアはこう、マディはこう、みたいのがありました。だから本当は、頑固一徹しかも練習嫌い型ブルースマンの僕的にはSoy Soulsはこう、という風がよいのだ、あれもこれも、というのはかっこよくないと思っていたのです。しかし時代のニーズはそれを許さず、っていうかこれではやってるほうが飽きてしまいます。で、練習の少ないこのバンドにとって難しい曲が増え、新曲少ない、なんて指摘を受けることになってますが、最近では3コード以外のブルースもしくはジャンル的には全く違った選曲も出てきました。ギャル達の加入もその一因でしょうが、何にしろsoulfulな音楽を発掘し、皆に紹介していければいいなと思っています。逆にこんなんどうや、やってくれや、みたいなリクエストもお待ちしてますよ。


第3回 2001/3/7
ブルースは暗い音楽か? −A Blues Is A Love Love Beam

 音楽屋とか、小説稼業の人ってのは、全くの創造の人もいるにはいるけど、ある程度自分の私生活をさらけ出してしまうことになる。素人の僕でも、コラムニスト気取りでここで書いていると、段々ぼろぼろととんでもない事を話始めてしまうんではなかろうか、と心配にもなってくるがフィクションってことで…。

 songs reviewを見てみると、確かに女々しい曲が多い。でもこれ、決して悲しい、つらい、って泣くばかりの曲ではないのだ。
 ブルースの源流は、奴隷時代の名残で綿花畑に朝から晩まで働く黒人達のワークソングだったという。"朝から晩まで、身を粉にして働けど我が暮らし楽にならず。だけど楽しくやっていこうや"と、逆境にも負けずに強く図太く生きて行こうって意気込みがこもっていた。しかし今の時代、彼らほどタフな生活をしている奴はそういないだろう。

 そういう僕らにとって一番分かりやすい逆境とは、例えばやはり失恋、なんじゃないか。愛する人との死別は更に強烈だが、あまりにも日常性に欠ける。朝起きたら彼女がいなくなってた、大好きだった彼女が知らないうちに引越してどこにいるかも分からない、俺が愛するあの娘はいつも他の男と…、などなどこれ、言葉にしてみればそうでもなさそうだが実体験してみればかなりの強烈的喪失体験。しかもこればっかりはいかな金持ちだろうと、万人が共有し得る魂の揺さぶりなのだ。神様、あの娘を返して、と泣きながら本気で祈ったことがあるかい?こういうことになってしまえば、やはり(形式の意味でなくその精神としての)ブルースを歌うしかなくなる。きれいな言葉と技巧で飾られた曲ではなく、ガツンと生々しく血や涙の匂いがするブルースなのだ。よく昔のカントリーブルースを表現するとき泥臭い、土臭い、という。ならばブルース全体を概念化すると、いろいろひっくるめて"体液臭い"というのが適当だ。

 だけど、よくよく感じてみよう。彼らは決して俺はこんなにかわいそうだ、同情してくれ、と歌っているのではない。不遇の奴隷時代から綿々と伝わってきたのは愚痴っぽい弱さではなく、痛みにしびれる繊細さとそれを跳ね返す強さなのだ。

 ブルースはネガティブな音楽ではない。ネガティブな感情をホットな情熱に変える音楽なのだ。


第4回 2001/7/13
Thrill in session? - 東京セッションざくざくツアー

 行こうと思えばいつでも行けたはずだ。それなりにパワーの要ることではあったが、なぜ今までやらなかったんだろう。最近のハイテンションゆえか、あるいはやはり何かが降りてきているのか、このごろは各地のセッションにも楽しく参加、ついには地元でセッションをプロデュースするまでになってしまった。それにさきがけ、先週末の東京レポート。

 中野Bright Brown;さすがにメジャー所ライブハウス主催、週一回の開催にもかかわらず50人くらいか、あふれんばかりの入りだった。19才の女の子がJames Cottonまんまのハープ吹いていたり、ちょっとドスの効いた素敵なお姉さんがしっかりしたベース弾いてたり、外で会えば完全にそこらのおじさんって感じの人(エンドーさん失礼!)がこの上なくエロいサックスブロウしてたり、まさに老若男女、まずは層の厚さに驚かされた。

   高円寺T's saloon;うって変わって、うらぶれたビルの非常階段を登った場末した所にある場末のブルースバー。靴を脱いで上がりこみ、クロスの破れたソファに座る。こちらはホームページもなく大々的に告知もしてないため、参加者も少なかったがその分平均的にはかなり熱い、あんたも好きやねほんま、って感じの人が多かったな。時間も制限はほとんどなく、音量的にも十分出せるし、なにより店の雰囲気がいい感じで、とりあえずの東京進出の足がかりはここからかな、という感触を持てた。(Bright Brownは唯一にして最大の弱点が音量制限。ま、個人的にはあまり音量にこだわるのはかっこ悪いと思うのだが、リズムセクションの場合は違ったこだわりがあるのだろう)

 どちらの店でもとても人のいいマスターに大変良くしてもらった。本当にこういう音楽を好きでやってるって感じで、好感ももてたな。この場を借りて感謝します。

 個々の演奏に関しては、とくにギター(やはりギター弾きなのでこれにはうるさくなってしまう)は、Bright Brownハウスバンドの飯村氏はいい感じに押しつけがましくもなく、しかし存在感のあるプレイをしていたが全体としてはうおっ、と唸らされる事は少なかった。

 結局のところしかしi modeページで書いている様に、ブルースは顔が命。俺の顔がどうこうってことではなく(何も言うな!)、演奏するならやはり聞き手や一緒に演奏する仲間にアピールしなければその価値は半減ってことだ。

 "上手"に弾く人には沢山会ってきた。だけど下向いて自分の指だけを見て、じっと立って、上手に弾く人には真似もできんが真似したいな、とも思わない。反対に多少外そうがお構いなしで"熱い"音を出す人には素直に恐れ入ってしまう(最近では名古屋のマドモアゼル山本氏だな、あの人もそうとう助平な音を出すと思ったが実際結構なおスケベさんらしい、これまた失礼)。その両方が充分にできるプレイヤーこそ俺から見たいいプレイヤーだ。

 殊にセッションなんだから初対面の人との音のやりとり、その緊張感を楽しむ姿勢がなければもったいないじゃないか。誤解を覚悟で例えればバンドでの演奏はツボを知り尽くし合った最愛のパートナーとの営み、であればセッションは逢ったその日のなだれ込み、一体どんな子なんだろうと思いながらスリルにぞくぞくしながらのオコナイと言っていいだろう。初対面の相手にマスターベーションを見せびらかしても喜ぶ人は少ないはずだ。

 というわけで明日は、マガジン亡きあとの岐阜では初の定期的ブルースセッションの立ち上げの日だ。一体充分の人が集まってくれるのかも分からないし、不安だらけだけど定着してどんどん盛り上がっていく事を期待したい。場を提供してくれたマスターが長い目で見てくれるといいが・…。


第5回 2001/8/7
from Chicago to delta-弾き語りもバンドも一緒や!?


screaming at bagus

   今までもちょくちょく飛び入りとして大垣バグースさんでは弾き語りブルースをやらせていただく機会があったが、昨夜は始めてレギュラー陣と同じ扱いで30分コッテリと時間をもらった。10年ほど前にはニューオーリンズやミシシッピ,時には東京や京都のストリートでこんな事をやってみたことがあったがとにかく独りでステージに上がる事自体が久しぶりで,この何とも頼りないこと・…。咳をしても独り(啄木)ブルースなのである。

 しかし段々自分のペースをつかむにつれ、なんとなく分かって来たような気がする。
 独りでやることの難しさ。ありゃ、と思った時にも誰にも頼れない。自分がつまずけば演奏は終りなのだ。まるで裸でやっているような気恥ずかしさ。しかし反面、曲調はその場の気分で全くどうとでもなる、長さも歌詞もソロを取ろうがブレイクを入れようが、唄だけにしてもいいし全くの自由だ。つまりその瞬間に表現したいと思った事を全くルールなしにどんな方法であろうと表現してもいい。その責任は全て自分でかぶればいい。

 バンドやセッションのアンサンブルは何物にも代え難い魅力だ。熱い魂のせめぎ合いでありコールすればレスポンスがあるのである。相方を煽れば煽っただけの反応がある。正直言うとそれに対して弾き語りはどちらかというとマスターベーション的な先入観を持っていた。しかしちょっと違っていた様だ。客席へのまともなコール直撃にはレスポンスが存在する。あ、終った?ハイ拍手ね。というレベルでなくて。
 実際には、昨日の場合は目の前に凄く興味を持って見てくれていたお客さんがいて、おごって言えば彼を惹き付けたのは自分の力なのかもしれないけど逆に俺を引き出してくれたのは彼だった,と言った方が正しい気がする。
 弾き語りはもちろん、バンドであっても客席のレスポンスは演奏にもろに影響して来るけど、客席のせいやおかげにしているうちはやはりホンモノとは言えないんだろう。

 塩次さんたちが演奏を始めて三分も経たないうちに席をたった6人連れの客がいた。もちろん彼らは演奏を聞きにきたのではなく,ただの飲み客だったのだろうが,そのあまりにも失礼と言えば失礼な振る舞いにバンドもがくっと来ていたがその後の極めて自然な盛り上げ方はやっぱりホンモノ。客席に変えられるのではなく、客席を変える、のだ。
 OK.PAPAがしきりに言うらしさ、とか伝わるもの、とか、自分じゃ言葉にできるほど解っちゃないけども答えはその辺にありそうな気がする。

 幸いにも昨日はまずまずの好評を頂いて、これからちょくちょくレギュラー扱いの出演をさせてくれるとのこと。ここでの肥やしがバンドにも活かされ、バンドでの肥やしがここでも活かされていければいいな、と願って頑張ることにする。


第6回 2001/12/25
farewell Dog year - 来年もよろしく!!

 ブルースなんて嫌いだ。どうかもうブルースよ、俺のことは放っておいてくれ。なんて唄があったな。始めた頃は楽しいだけだったはずのブルースに苦しめられ、そしてブルースに癒され。思えばそんな一年間だったな。
 バンドのページだからバンドについて書こう。せっかくこのホームページの深い奥底のこの場所まで来てくださった方のために、他では言えないようなことも含めてがっちり書く。

 劇的な変化の一年だった。ライブ14本、セッション主催6本は前年3本とは質、量とも比較にならない変化だ。このホームページ開設もその変化に大きな役割を果たしている。
 以前から岐阜の中で、たまに練習しては身内に披露してよいよいと拍手してもらうだけの活動に行き詰まりを感じていたリーダーという名のマネージャーは、急激に増えた外との交流を通してえらく刺激を受け、突然に「暴走」し始めることになった。
 まず、大して興味ももてないのに毎回義理でチケット買わされて来るお客さんに支えられることから脱却し、この種の音楽が好きであったり普段聴かなくてもソイのライブを楽しいと思ってもらえる人たちに来て欲しい。更には友人知人だから、という理由以外でただ聴きたいから来てくれる人たちをつかみたい。よそで似たような音楽をやっている人達はどんな方法で、どんな思いで続けているのかを知りたい。岐阜にもブルースがあるんだ、と外にも知らしめたい。岐阜にいるミュージシャンたちを発掘して交流を持ちたい。
 そしてバンド内にも、お友達が集まってただ自分たちが楽しいからやってるだけの同好会ではなく、本数をこなしある種のプロ意識をもち常に上昇志向と問題意識をもって練習にもライブにも臨める集団になることを求めた。外のミュージシャンに対して俺らは岐阜で一番のブルースバンドじゃ、と堂々と名乗れるためにも。

 具体的にどんなことをしてきたかはbiographyでも見て頂くこととして、ともあれこんな理想(人呼んで妄想、もしくは野望)は結果的にバンド内外の多くのミュージシャンからお店やお客さんをもどんどん巻き込むことになり、多くの素晴らしい出会いや刺激、心に残るライブをもたらした反面BBSからは想像もつかないようないろいろなところでの軋轢も生んだ。
 本数を増やすことで積極的な活動は辛いと去るメンバーもいたし、音楽的志向の先鋭化を巡り僕はオリジナルメンバーとも一時激しく対立し、結果袂を分かつこともあった。この辺から何でも思うようにばかりはいかない、僕の理想が他人の理想と一致するとは限らない、と思い知ることが増えてきた。9月に予定した某超大物シンガーとの競演がポシャッたのもいい例だ。立て続けに起こったこの2つの出来事はバンドや音楽に対する「温度差」について激しく僕を悩ませることになった。T氏のバンドがレコーディング直前にして空中分解したエピソードはそれを知って以来ずっと僕の脳裏に焼きついている(もうひとつ、別の次元の話だがDelany, Bonnie and Friendsが主導カップルの不仲でつぶれたことも)。

 ともあれ本当に多くの人との出会いがあった。発端はインターネットの場合がほとんどだったが、大抵の場合ネット上では知りえない強烈な個性の持ち主が多い。自分だけがブルースを理解していると信じているブルース原理主義者から何も考えず好きなことを自然にやってるだけという人までそれぞれのスタンスで、みんながそれぞれ本当にかっこいいと思ったものだ。そういう人たちとの出会いを通して僕ももちろんいろいろな意味で影響を受けた。ブルースは15年、バンドに至っては20年やってきてそれなりに自分のスタイルは持っていたつもりであっても、いいと思えるものにはたくさん遭遇したし自分の無知さを実感もした。そして技術面にとどまらず音楽やバンドへの考え方、話し方(笑)に至るまで影響され(パクっ)た人物さえいる。

 この世界では若いといわれることも多いが僕の場合はそれなりに今までの経験もあり頑固さもある。頭も硬化症が始まっている。その僕でさえこうなのだ。本人たちが何と言うか知らないが、例えばこのバンドがこういう世界の入り口だったソウ娘達にとってはこのことはより大きなショックだったはずだ。純真無垢だった(はず)の彼女らはいまやそれぞれが独自の価値観を持って音楽に向き合っている。もはやこのバンドはワンマンバンドでもブルース専門バンドでもなくなった。きっと今ならもしこのバンドが突然消滅しても音楽と縁を切るメンバーはいないだろう。そしてきっとそれぞれが、例えば僕が苦しいときには今までどおり支えにもなってくれるだろう。バンドは続いていても、遠からず僕は彼女たちがメインのステージのバックで演奏したり(使ってもらえればの話)、あるいは客としてその姿を見ることもあるかもしれない。それを思うのは頼もしくもあり、淋しくもある。

 そして超多忙にもかかわらず、常にバンドのことを考え時には僕の暴走にブレーキをかけ、時には後押ししてくれる大切な女房役おんだま、自身がどんな状況であっても周囲を気遣い和ませ、しかしプレイは確実マイペースな大矢、本来その演奏にはギャラが発生するような人なのに損得勘定抜きに付き合ってくれるKUROちゃんや則さん、彼らには演奏はもちろん個人的にもいろいろなところで教えられ、支えられてきた。彼らなしには今のこのバンドも僕自身もありえない(もっと平穏無事な人生を安穏と送ってただろうに・・・)。

 また、遠かったり忙しかったりしても全くの好意で僕らの演奏に参加してくれた山ちゃん、コアラ、ちあ先生、ウッチー、ココカヨ嬢、まなぶさん、ストーミーかよこさん、小野木けんちゃん、チャンプ山田氏達。強烈なインパクトをもって勉強させてくれた対バンの面々、あるときは人が足りず墜落寸前のセッションを救ってくれた個性豊かなミュージシャン達に惜しみない感謝と拍手を送りたい。それに数々のお店のスタッフ、特に営業形態を変えてまで一緒に夢を見てくれるサウスサイドの中道さんと小木曽さんの協力がなかったら今でも岐阜にはぺんぺん草も生えていなかっただろう。

 そしていつも来てくれるお客さんたち。彼らがいなければここまで続かなかったことはいうまでもない。やればやるほど課題が出てくる未完のステージを人によってはほとんど毎回見に来てくれて・・・。彼らを裏切らないステージ作りで感謝を表現したい。

 最後に。
 個人的には大好きだけどいつまでたっても自分でうまいと思えずコンプレックスを持っている歌のことをほめられると嬉しいものだ。バンドもうまいことも大切だし課題も山積みだ。しかしこれからもまずこう言われ続けられるバンドでありたい。


「ええバンドやな」


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