朝鮮語 新解説 雑記帳

[韓国のことわざ]

『一緒に井戸を掘り、一人で飲む』とか、
『梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐ったのは嫁にやる』とか、
『自分の食えない飯なら灰でも入れてやる』などの
“利己的であること”を“合理的であると解釈する”言い回しが
異様に多いのもなんとなく頷ける話である。


女は三日殴らないと狐になる。
他人の牛が逃げ回るのは見ものだ。
他人の家の火事見物をしない君子はいない。
弟の死は肥やし。
倭将は病気にかかるほどよい。
盗みも一人でやれ。
母親を売って友達を買う。
梨を食べて歯を磨く。(一挙両得)
女房を殴った日に女房の母親がくる。
隠れてみたら捕盗庁の建物だ。

耳が落ちたのなら、この次に来て探すさ。
尻から琵琶の音が出る。
三日も飢えた犬は、棒で打たれてもうれしがる。
三日も飢えて塀を越えない者はない。
いとこが田畑を買えば腹が痛い。
音の出ない銃があれば撃ってやる。
鶏糞のような涙。(栃ほどの涙)
鞭も打たれそうで打たれないと名残惜しい。
しゅうとが死ぬようにと合掌して祈った事もあったと、11月12月に素足となって水汲むときに思い出す。
流刑も行きかけて行けぬと名残惜しい。
死んだ息子のちんこに触ってみる。(死んだ子の年勘定)
姑への腹立ち紛れに犬の腹をける。
営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る。
自分の顔が醜くて鏡を壊す。
俺の物は俺の物、お前の物も俺の物。
夜を越した仇はなく、夜を明かした恩もない。
打たれたやつは手足を伸ばして寝て、殴った奴は折れて曲がって寝る。
人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる。
刀を抜けばそのまま鞘にはおさまらぬ。
忍の字が三つあれば殺人も避ける。(堪忍の忍の字が百貫す)
死ぬ女が陰部を隠すものか。

水に溺れても気を落とすな。
金物を食べた大便は消化しない。
あんな奴は生まずにカボチャでも生んでおけば、煮て食べられたものを。
家と女房は手入れ次第。
孫をかわいがれば、鼻汁のついた飯を食う。
外孫をかわいがるより、杵でもかわいがれ。
娘は盗人だ。
主にも会い桑も摘む。
ただの物は苦くても甘い。
ただならロバでも殺して食う。
銭は汚く儲けても、きれいに使えばよい。
瓜を栽培する人はいとこも知らぬ。
おばさんの酒でも、安けりゃこそ買って飲む。
肛門が裂けるくらい貧しい。
野生のまくわ瓜は、最初に独り占めした物が持ち主だ。
ひとつ釜の飯を食べて訴訟を起こす。
盗人は一つの罪、なくした者は十の罪。
虎が犬をくわえて行ったくらいさっぱりした。
姑が死んで初めて。
主人が死んで初めて。
長生きすれば姑の死ぬ日がある。
死んだ子の目を開けて見る。
キムチが飯より多い。(本末転倒)
水車小屋でキムチを探す。(無い物ねだり)


ソウルへ行って見た者と、行かなかった物が口論すれば、ソウルへ行って来た人が勝てない。
ただならロバでも殺して食う。
ハエの数よりキーセンが三つ多い。
3歳の子供も自分の手の中のものは離さない。
うまくいったら自分故、行かなかったら先祖故。
  :成功したら、自分が頑張ったからだと言い、失敗したら、先祖のせいだといって、責任転嫁すること。
お前の病気が直ろうと直るまいと、俺の看病代は出せ。
隠す事は知らずに盗む事だけ知っている。(一を知って二を知らず)。
営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る。
  :怒りを関係のない所へ移し、腹いせする例え。
俺の物は俺の物、お前の物も俺のもの。
  :他人の者までも、なんでも欲張って自分の物を使うようにすることのたとえ。
行く行くと言いながら、子供三人生んでから行く。
三日も飢えて塀を越えない者はない。
  :いくら善良な人でも困窮すると心が変わり、つい夢中になって悪いことでもするようになることの例え。
出て行く女が水を汲み置いて行くものか。(あとは野となれ山となれ)。
水に溺れた奴を引き上げたら、自分の風呂敷包みを出せと言う。
夜を越した仇はなく、夜を明かした恩もない。


掲示板における韓国人の特徴

特徴その1『居丈高』。
特徴その2『質問返し』。自分が知らなかったり都合の悪い質問されると、逆に質問し返して誤魔化す。
特徴その3『話題逸らしの誤魔化し』、そして
特徴その4『根拠のない決め付け』。自分が討論で負けそうになると、その話題から飛躍しつづけて、最後は砂漠の砂粒を一粒残らず数えさせるような泥沼にして、討論自体を腐らせるのが狙い。
特徴その5『罵倒』 自分の主張が破綻し、誤魔化しも出来なくなると、相手を罵倒するだけになる。
特に頻繁に使用される罵倒用語が『捏造』『歪曲』『勉強不足』であるが、どこがどう捏造で歪曲で勉強不足なのかはいっさい説明しない。
一方的に決め付けて、論理的な会話はここに終結する。
特徴その6『一人で勝手に勝利宣言』、そして『逃亡』。


日本を仮想敵国


韓国は国防白書に日本を仮想敵国と書いている。
潜水艦で日本のシーレーンを襲撃する計画も。
韓国はドイツから潜水艦を購入したがドイツ人は
操縦を教えたけれど戦術は教えなかった。
韓国はアメリカにも教えてもらおうとしたが教えて
もらえず、海上自衛隊に教えてもらいにきた。
海上自衛隊の連中は、こいつらアホかと思いながら、
教科書みたら書いているようなことだけ教えた。

韓国はアメリカに、空中給油機の購入を打診。
北朝鮮は奥行きがそんなにないから、いらないだろうと
言われたが、東京を爆撃するのに必要だと説明したという。


はくちょう《はくちやう》
【白丁】
○(1)[歴]律令制で公の資格を持たない無位無冠の一般男子。
 口分田を班給されて租を納める農民で、庸・調・雑徭などの
課役をも負担する。
 「はくてい(白丁)」とも呼ぶ。
○(2)[歴]成人しても兵籍にはいらない者。
○(3)[歴]まだ訓練を終えていない兵丁(ヘイテイ)。転じて、まだ
事になれていない者。
○(4)[歴]朝鮮の被差別階級。
 ⇒ぺくちょん(白丁)
 参照⇒はくちょう(白張)

ぺくちょん
【ペクチョン】
【白丁】
○[歴]朝鮮の被差別階級。
 1894(明治27)甲午改革で科挙とともに身分制度も廃止された。
 「はくちょう(白丁)」とも読む。
 参考⇒やんばん(両班)




http://rkrc5w2q.dyndns.org/korea_refuge_old/999728528.html

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週刊 オヴィエクト
http://obiekt.seesaa.net/article/8508365.html

チョッパリは朝鮮語の単語。

本来は「豚の足」を意味する言葉であるが、豚の蹄は先が二つに割れていることから、
転じて下駄の鼻緒や足袋のつま先が分かれている様子になぞらえて、
日本人を侮蔑する言葉となっている。また、在日韓国・朝鮮人を指す侮蔑語として、
半分日本人であるという意味合いを表すために「パンチョッパリ」
(パン=半)と言うことがある。

ウリナラマンセー
ウリを売りながら漫歩したという意味
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病身舞(ピョンシンチム)

韓国には 、けんかの時に相手をののしるための豊富な罵倒語や、
身体障害者の身振りを舞踊にした病身舞(ピョンシンチム)など、
豊かな表現がある。

病身舞とは、身体障害者の仕草を忠実に真似た踊りで、笑いをとる、
韓国の伝統芸能。

ただし、あまりにも身体障害者に対し差別的だということで
日韓併合後に朝鮮総督府によりき禁止された。

しかし日本敗戦後の独立ひより、再び復活して現在に至る。

現在でも、韓国では街頭パフォーマンスなどで
よく演じられる。


チョッパリとか倭奴(ウェノム)

浅田真央ちゃんすげーかわいい。
それを、金真央! だと!!
絶対許せない。
汚物を塗りつけられたような気分だ。反吐が出る、朝鮮人は本気で消えて欲しい。


韓国サムスン電子
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/sansei.html

attoko12345さんのご意見
声討

朝鮮人と論争するには

1.相手より大きい声と尊大な態度を取れ、
2.大げさな形容詞と身振りで非難せよ
3.相手の言うことを聞いてはいけない
4.一方的に自分の言いたいことだけ喋り捲り
5.論理的整合性や証拠のあるなしは関係ない

・・・・謙虚な日本人にこのようなことができるだろうか?

朝鮮人はこれを「声討」という。
討議して意見の一致を探すというんじゃないんです。
要するに、相手を声で打ち負かす。

朝鮮の伝統的な論争の流儀だそうです。
李王朝の両班の儒教論争もみなこれ。

で、負けると本人だけでなく一族郎党は皆死刑になる。
命をかけた論争ですから、正しいか正しくないか、論理性があろうがなかろうが、勝たないといけない。
そのために上記1−5になるそうです。

朝鮮人相手に論理を説くのは無用。
感情的に強烈に罵倒すればよろしい、それが朝鮮人の流儀ですから。
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>創氏改名なんてその典型でしょう
創氏改名を語るには、当時の朝鮮人の「姓」と、日本人の「氏(苗字)」は違うということを頭に入れておかなければいけません。
朝鮮人の「姓」は男系の血統を表す名であるため、夫婦別姓でした。

これに対して、日本の「氏(苗字)」は家族の名なので、夫婦は「同じ氏」(同苗字)です。

しかも、朝鮮総督府では、三橋警務局長が朝鮮人に日本名を名乗らせると日本人か朝鮮人か分からなくなるから困ると言って大反対し、
南次郎総督から「創氏改名」は強制しない、警察も協力しなくともよいという言質をとっていました。


このように「姓」と「氏」は違うものなので、日本式の「氏」を新たに作ったからと言って、「姓」
を廃止しなければならないというものではありませんでした。

したがって、「創氏」というのは朝鮮人の「姓」を奪ったのではなくて、
それとは別に、新たに日本式の「氏」を持たせたに過ぎません。
つまり、創氏とは朝鮮人は「姓」と「氏」の両方を持たなければならないことにした政策に過ぎません。
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shoukikaina_to

>江戸時代の8割の農民の民度
そんなに大して朝鮮農民と変わらない
かえって朝鮮人が高かっただろう<


当時の朝鮮を訪問した欧米人は、日本と比較しつつ、朝鮮の未開度、民度の恐ろしいほどの低さを、いやというほど証言し、
写真を残し、くまなく報告している。
その不潔さ、おぞましさ、未開ぶり、残酷さ、まるで獣の世界のような朝鮮の絶望的な遅れを、本に著している。

ごまかしようがないから、耐えられないほどの劣等感に襲われていることがよく分かるぞ!

信じたくない、ごまかしたい、でも、動かない現実(大笑い


>現代韓国人が知らない日本統治以前の奴隷社会 

金完燮(2003年2月、雑誌SAPIOに寄稿)
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[ハン)

韓国以外の他のアジアの旧植民地支配国は、自らの抵抗・闘争によって解放・独立を勝ち取っている

 韓国の執拗な謝罪要求は、自力で独立出来なかった恨

韓国人にとっては、
自らの力で「小癪な」日本から独立できなかったことは、相当に大きな鬱憤のようです。

ここでは、黒田勝弘著『日韓大変』、
古田博司著『東アジア「反日」トライアングル』を引用します。

韓国人は執拗に歴史問題を蒸し返してくるのかは、
「自力で独立できなかった」ことが大きく作用しているのでしょうが
またそれだけではない何かがありそうです。

そして日韓の政府間で「和解の儀式」が、これからも行なわれるでしょうが、
双方が納得するような真の「和解の儀式」は、これからも行なわれないだろうということ。

そんな日韓関係なのだから、
これからも歴史問題が繰り返されることを覚悟して、
付き合っていくべきなのだろうと言うことで書いてみました。

まさに「さまよいつづける韓国人」という感じです。

そうならば、
贖罪に対して底なしの中国や韓国に同調するよりも、
「それは無駄なこと」として、あきらめさせる方向で語りつづけることが最善ということですかね
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強制された創氏改名」の大嘘
韓国人が日本の朝鮮併合に伴う統治内容で、最も非難する事の一つが、この創氏改名である。
今更説明する必要もないだろうが、この創氏改名とは、日本が併合に伴い、
内鮮一体の原則を掲げ、朝鮮人達に日本名を「選択」する機会を与えたことに端を発する問題だ。
韓国人の多くが、この創氏改名を強制的に行われたと主張するが、先日の討論でも、
少なくともこの創氏改名が「法的強制」を持っていなかったことを韓国人は認めている。

簡単に説明すると、創氏改名の発端となったのは、勅令第19号「朝鮮民事改正令」によって、
「朝鮮民事令」第11条中に記されている「内地民法の「氏」の規定から、朝鮮の戸籍に氏を新設(創氏)する。
また、制令第20号「朝鮮人の氏名に関する件」によって日本風の名前に変更(改名)する」というものである。
しかし、この民事令を見れば分かるが、強制的に実施されたものではない。
あくまで、朝鮮人達の任意による創氏改名である。この民事令自体、自己届出制に基づくものであり、
勅令第19号附則第2項にも「氏設定届」が定められているし、第20号には、
裁判所の許可による「氏名変更」制度であることが記載されていることからも「任意制」であったことは明らかである。

本来強制というのは、全ての者を対象に行われるものだが、この創氏改名については、
当時20%の朝鮮人達が、創氏改名を拒否して、朝鮮名のままとなっている。
また、日本では洪思翔中将や、朝鮮人でありながら、日本軍将校として西安で中国軍を撃退し、
勲章を受章した金錫源少佐や、満州建国の立て役者ともなった白洪錫少将など、
日本軍内部でも朝鮮名のまま活躍した将校達も大勢いた。
もちろん、朝鮮名での差別が無かったというわけではないが、少なくとも、
日本は彼ら朝鮮人達の想いをきちんとうけとめ、朝鮮名を受け入れている。
このことを見ても、強制された創氏改名というのが大嘘であることは明らかだ。
もし国策として、朝鮮名を強制的に創氏改名したのなら、
天皇の忠実なる臣下たる軍人に朝鮮名など認める訳がない。

また、この創氏改名は、朝鮮社会から抹殺されていた女性達を救っている。
朝鮮の氏名研究者である鮎貝房之進氏はその著書「姓氏攷及族制攷」(1937年刊行)で
、「朝鮮では女子に名をつけることを三国時代の昔から忌み嫌っていた」と指摘している。
過去から李朝に至るまでの、女子への名忌避を次のようにも指摘している。
「(中国の)漢民族に倣って、姓をつけるようになって以来、
上流階級の婦女子の名前は、李朝同様、姓だけで呼ばれていた。
本来の名前や、氏名の「名」が書かれている例を(古文献から)発見することは出来なかった」(原文より、現代語に即して訳し抜粋)
朝鮮の女子に名前が付けられるようになったこと、そして、女性の再婚が法的に認められるようになったのは、
「日帝36年」の間に施行された民法によるものである。
それまで、完全に「モノ」扱いだった朝鮮の女性に権利と人権を認めたのは、韓国人が忌み嫌う日帝だったのである。

付け加えておくが、よく韓国人が自分たちの氏名は命より重要であり、日帝が強制したからこそ、
創氏改名に泣く泣く当時の朝鮮人達は従ったのだと妄言を言う。
その命より大事なはずの韓国人の氏名は、そもそも中国式であり、本来の朝鮮名ではない。
李光洙氏もこの件で次のように喝破している。
「我々(朝鮮)在来の姓名は、支那を崇拝していた祖先の遺物であり、古代朝鮮人の名は
、【永郎】【述郎】【初郎】【伊宗】【黒歯】が多かった。昔の地名も【徐羅伐】【達久火】【斉次巴衣】
などであった。こういった朝鮮古来の名前を、支那風に統一したのは600〜700年ほど前である」
また、中華帝国として元が君臨すれば、朝鮮ではこぞってモンゴル風の氏名へ名前を変えている史実がある。
少なくとも、今の韓国人達が思うほど、朝鮮人達は名前に執着していなかったようである。



旧朝鮮総督府


こういった朝鮮の歴史的事情を見ても、名前を変えることにそれほど固執していなかった朝鮮人達の姿が浮かび上がってくる。
もちろん、創氏改名に反対した朝鮮人もいたことだろう。
実際、創氏改名で当時の朝鮮総督であった南総督に抗議の意味で、南太郎と創氏改名した強者の朝鮮人もいる。
だが、これまで見てきたとおり、創氏改名は強制ではなく、「任意制」であり、
朝鮮人達自身が進んで創氏改名した事実を、韓国人達は認めなければならない。

閔妃

死亡当時、すべての朝鮮人にとって呪いの対象だった閔妃が、今になって自主独立の殉教者として華麗に復活した現象は、
韓国人が直面しているアイデンティティーの混乱を端的に示すものだ。

韓国人が朝鮮王朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したならもっと今日良くなっていると考えるのは、
当時の朝鮮の実態についてきちんと分かっていないためだ。

特に子供と青少年は、きれいな道ときれいな家、整った身なり、上品な言葉遣いのテレビの歴史ドラマを観ながら、
朝鮮もそれなりに立派な社会で、外勢の侵略がなかったならば静かで平和な国家を保てたろうと錯覚する。

しかし、日本が来る前の朝鮮は、あまりに未開で悲惨だったという事実を知らねばならない。

朝鮮は典型的な奴婢社会であった。全人口の30パーセント以上が奴婢であり、首都漢城の場合は人口の70%以上にも及んだ。
奴隷は物のように売買され、主人のために生涯奉仕しなければならなかった。

平民や中人階級は奴婢に比べて若干自由があったが、貴族や官吏たちに略奪される立場にあるのは同じだった。
両班とも呼ばれる貴族たちは無為徒食しながら、下の階級に対し無慈悲に権力をふるった。

ある学者はこのような朝鮮を、20%のヒルが残りの80%の血を吸う社会構造だと喩えた。
朝鮮は当時、世界中で最も未開で残酷な社会であり、このような社会が自力で改革を行って近代化するということは到底考えられなかった。

だから、日本が朝鮮に進出しなかったら、朝鮮は文明の恩恵を受けられないまま世界で一番遅れた地域として残ったことだろう。

したがって、今日韓国がある程度、民主主義の実現と経済開発に成功し、他の開発途上国から羨望される水準に発展したことは、
全面的に、朝鮮のために働いた日本人のお陰である。

当時の朝鮮人はこのような事実を熟知していたために、独立以降も朝鮮王朝に対しては何の郷愁も恋しさも持たなかった。

だから今日朝鮮の王室を再建することによって自分たちのアイデンティティーを獲得しようとする一部の韓国人の試みは、
まったくもって間違ったことなのである。

このような行動の背景には、韓国と日本を離間させることで利益を得ようとする集団の意図も存在しているのだろう
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乙未事変

親露に傾いていく閔妃に不満を持つ大院君や開化派勢力、日本などの諸外国に警戒され、1895年10月8日
日本軍を中心に大院君を担ぎ出そうとした勢力により景福宮にて殺害され、遺体も焼却された。

この事件では朝鮮が親露化によって日本の影響力が低下することを恐れた日本公使・三浦梧楼が暗殺を首謀したという嫌疑がかけられた。
外交官が王族を殺害することに関与するという行為に、日本は国際的な非難を恐れ三浦を含む容疑者を召還し裁判にかけたが、
首謀と殺害に関して[1]は証拠不十分で免訴となり、釈放した[2]

また、後に与謝野晶子の夫となる与謝野鉄幹も加わっていたとされたが、当日の木浦で釣りをしていたアリバイがあり広島地裁検事局は免訴とした。
なお、朝鮮政府はこれとは別に李周会(自首)、朴銃、尹錫禹[3] 3人とその家族を三浦らの公判中の同年10月19日に犯人およびその家族として処刑している[4]

閔妃は、微妙なバランス感覚による外交政策を得意にしていたとも言われるが、具体的には大院君への怨念ともいえる確執の政治姿勢で貫かれていた。
これらの政策が逆に仇となり大院君に代表される反対派勢力による暗殺を呼び込むことになった。閔妃暗殺後、日本は朝鮮の保護国化政策を進めていくようになる。

実際の暗殺の真の首謀者、実行者は誰であったかについては、日韓外交資料、梅泉野録、アジア歴史資料センターによる公文書、ロシア参謀本部中佐の
「朝鮮旅行記」による記述の検討がなされているが、真相はいまだに明確[5]ではない。

首謀に関しては、国立国会図書館憲政資料室 憲政史編纂会収集文書の整理番号 546 「朝鮮王妃事件関係資料」によれば、
当時の日本政府による計画的な策謀でないことは判明している。加えて 殺害の実行犯に関しても様々な説はあるが、
アジア歴史資料センターの往電第31号によると、殺害現場にいた純宗の言で『乙未事件ニ際シ、現ニ朕ガ目撃セシ国母ノ仇、
禹範善』となっているだけでなく、『禹ハ旧年王妃ヲ弑セシハ自己ナリトノ意ヲ漏セリ』と自ら犯人であることを漏らしている。
この禹範善は(アジア歴史資料センター『在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件』)、純宗が放った刺客、
高永根と魯允明によって広島県呉市において1903年(明治36年)11月24日暗殺された[6]
これに関して1907年2月4日、広島控訴院で高永根に無期、魯允明に12年の刑が言い渡され、判決が確定している。

さらに閔妃暗殺の現場にいたと考えられる高宗は、露館播遷後、ロシア公使館から閔妃暗殺事件の容疑で特赦になった
趙義淵(当時軍部大臣) 禹範善(訓練隊第二大隊長) 李斗?(訓練隊第一大隊長[7]) 李軫鎬(親衛第二大隊長) 李範来(訓錬隊副隊長[8]) 権?鎮
(当時警務使)の6名の処刑を勅命で命じている[9]。従って、これで朝鮮人で閔妃暗殺事件で関連した全員が処刑、
暗殺等で死亡または処刑命令を受けたこととなった。

閔妃(ミンビ)

清水書院の高校日本史教科書に掲載されたが、
本人でない可能性の高い「閔妃」の写真
(2007/04/05)

この写真はニセモノと判明



これは再現劇 やはりニセモノ



閔妃(ミンビ)王妃を焼いた場所

両班ヤンバン

兩班(りょうはん、(ヤンバン・大韓民国)(リャンバン・朝鮮民主主義人民共和国))は、高麗、朝鮮王朝時代の官僚機構・
支配機構を担った身分階級のこと。
士大夫と言われる階層とこの身分とはほぼ同一である。なお、朝鮮半島の身分制度は韓国併合後に廃止された。

朝鮮王朝時代には、良民(両班、中人、常人)と賤民(奴婢、白丁)に分けられる身分階級の最上位に位置していた貴族階級に相当する。
現在の韓国においても李氏朝鮮の両班のような労働を忌み嫌う精神構造の事を両班精神、両班意識などと呼んだりする。

しかしながら、高麗時代に両班が作られた時は身分階級では無く官僚制度を差す言葉であった。

なお、両班の家系を自称する韓国人は多い。

李朝では、国王が立法、司法、行政、軍事などの全権を独占していた。

そして実際には、
党派抗争に勝った士大夫や両班達が、
国王の名において、限りない虐政を行った。

社会構造は、国王を権力の頂点として、
王族、
両班(ヤンバン=上級官僚)、
中人(チュイン=技術系の中・下級官僚)
常民(サンミン=一般人民)
賤民(チョンミン=下層民)
の順序になっていた。

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李承晩



李承晩って実はとんでもない悪党じゃないのか?
呂運亨も金九も殺して、南半分だけで勝手に国をつくり既成事実化させたりある意味独立の際に
関しては金日成あ朴憲永の方がかわいく見える

南北分断を固定化させたのは休戦協定だけど、分断の原因は金日成と教えられてると思うが
本当はこいつの方がひどいんじゃないの?権力闘争の行動を見てるとそう思う

1948年(昭和23年)8月13日 大韓民国成立 初代大統領に就任。

1952年(昭和27年)1月18日 海洋主権宣言。いわゆる李承晩ラインを設定

竹島不当占拠の始まり


1952年(昭和27年)5月26日 戒厳令を施行し、反対派議員を監禁・憲法改正を強行(五・二六政治波動)。
1956年(昭和31年)5月15日 大統領に3選。副大統領には野党の張勉が当選。
1958年(昭和33年)進歩党党首の゙奉岩をスパイ容疑で逮捕。1959年7月に処刑。
1960年(昭和35年)3月15日 大統領選挙。不正選挙が問題となり野党や国民の批判が公然化。
1960年(昭和35年)4月19日 不正選挙を糾弾するデモ隊と警官隊が衝突。死者186人。
4月26日に下野を表明し、5月29日にハワイへ亡命(四月革命)。

嘘吐きの人生を送った男
最後は祖国を追い出された。


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嘗糞 指切り
これは書きかけ こちら

まったくまとまりがありません。
これらを眺めてある日 気が向いたら 詳しく記事にします。
要は記事予備軍 在庫帳です。



性を売る女奴隷の待遇は他の奴隷に比べるとまだまだましであった。

売春は韓国の重要な産業である。

女子中学生監禁、800人との売春強要した容疑者ら逮捕

 家出した女子中学生を6カ月にわたり旅館に監禁し、大学教授や医師など男性客800人との売春を強要した疑いで、
警察は4日、全羅南道羅州市のチン容疑者(20)=女性=ら3人を逮捕した。

 調べによると、チン容疑者らは昨年11月20日から先月22日までの間、
光州広域市西区一帯の旅館10カ所余りに中学2年の女子(14)を監禁し、
売春を強要した疑いがある。チン容疑者らは「家に帰して」と訴える被害者に対し、2‐3日に1回、
ハンガーなどで殴打したり、手にたばこの火を押し付けるなどの暴行を加えていた。

 被害者の売春相手800人の中には、
大学教員、医師、薬剤師など専門職従事者や公務員も含まれていた。
被害者は「ある医師は全身のあざを見ても、10回以上やって来た。
また、ある薬剤師は性行為の途中で薬を塗ってくれた」などと具体的に話している。

 チン容疑者らはインターネットのチャットで売春を暗示する内容の書き込みを行い、男性客を募集。被害者に1日5回以上も売春を強要し、
1回当たり10万‐20万ウォン(1万3000‐2万6000円)を客から受け取り、総額1億2000万ウォン(1570万円)を稼ぎ出していた。

 被害者は監視のすきを見て、先月22日に全羅北道全州市の親せき宅に逃げ込み、
チン容疑者らは被害者を追って同市にやって来たところを待ち伏せていた警察官に逮捕された。

 警察は、被害者が監禁され暴行されていた事実を知りながら性関係を持った10人余りについても、逮捕状を請求する方針。

全州=キム・チャンゴン記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS



「試し腹」
「女は子を産む道具でしかない」朝鮮では、「道具(女)が不良品(不妊症等)であってはならない。
故に、『これこの通り、妊娠できる体でございます』ということを証明するために、
「種男」という男に娘を犯させ、妊娠した状態で輿入れさせる」。生まれてくる子の相続権が
問題になるため朝鮮総督府が禁止した。

「嘗糞」
人間の糞を舐めて、その味が苦ければその人物の体調は良くなっており、甘ければ体調が悪化している
と判断する民間療法。不衛生なため日韓併合後に禁止された。

「路上での脱糞」
李朝末期の朝鮮を訪れた英国人の旅行記に、大便で遊ぶ庶民の姿が記録されている。
朝鮮総督府は路上での脱糞を禁止する命令を何度も出したが効果は無かった。

「病身舞」
大げさに身体障害者や病人の振りをして、身体障害者や病人を笑いものにし、
それを見た人々の笑いを誘う伝統芸能。日本人の感覚では好ましく無かった為、
日韓併合とともに直ちに禁止されたが、独立後復活した。

「乳出しチョゴリ」
その名の通り、胸を露出させたチマチョゴリのこと。
後継ぎである長男を出産した女性のみに着用が許されたため、
日本併合以前の朝鮮人女性にとって誇りであった。







何故乳を出しているのかというと、民族衣装チョゴリさんによれば、

・少なくとも1951年までは、男児経産婦で授乳期間中の母親のみ乳を出していた。
・男子を出産すると、予め用意された隙間から、乳を出すのだ・・・。
それは朝鮮女性にとって、「至福」の瞬間なのである。
・乳を出して往来を歩けるのは「男児を生んだ女性のみ」でしたから、
朝鮮人女で男児を生んだヤツは誇らしげに「乳出し」してました。

ということらしいです。


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【韓国のある学校での風景】

教師 「日本という国はどういう国でしょうか?」
生徒 「かつて、我が祖国を併合した史上最悪最低の国家です!」
教師 「では、我が国の目標は?」
生徒 「日本に追いつき追い越せです!」


【世界で一番ページ数の少ない本のタイトル】

「韓国人のための礼儀作法」


【ある韓国人】

ある韓国人が語学留学で日本にに渡った。
売店で飲み物を買おうと覚え立ての日本語で話しかけると、その店の店員が彼に聞いた。
「あんたは韓国人かい?訛りがあるから直ぐに分かるよ。」
そこで、その韓国人は懸命に日本語を勉強しネイティブに話せるようになった。
これで韓国人だとは絶対に分からないだろうと韓国人は自信を持って買い物に出た。
「すまないが、人参2本、タマネギ2個、じゃがいも一山くれないか?」
非常に流ちょうな日本語で店員に話しかけると、その店員はこう言った。
「あなた、ひょっとして韓国人じゃありませんか?」
驚いた韓国人は「僕の日本語の発音がおかしいのかい?」と店員に聞いた。
店員「いや、あなたの日本語は完璧ですよ。ただここは金物屋なので・・・。」



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