反日教育

反日教育(はんにちきょういく)という言葉は、近年しばしばマスメディアなどに取り上げられているが、その定義自体をまだ定める必要がある。
一般的に、反日教育とは「反日感情」を煽るために行われる教育のことだとされ、現代の反日感情の多くは、この反日教育が原因の一つであると指摘されている。





 「タンタンタンタンタン!!!」

 ブッシュ大統領(?)「1発で33人… これで我が国の銃器技術の優秀性が、また改めて…」

■米FPIF報告書「ブッシュ大統領は韓国のリーダーを信頼しておらず好きではない」

「川に落ちた犬は、棒で叩け。」 (朝鮮の諺)

朝鮮の諺に“多く泣いた子は、お菓子を多く貰える
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  「涙は下にこぼれるけど、スプーンは上にあがってく・・」 (パリの恋人)

   いくら悲しい事に出会っても飢え死にすることは出来ないので、
    ご飯を食べることになるという意の「北朝鮮の諺」

  ★女主人公が、会社を首になり自宅で泣きながらご飯を食べるときの一言です。
    話題のドラマ「パリの恋人」のワンシーンですが、明るい主人公の演技に思わず
    笑ってしまいます。皆さんも真似して覚えましょう。

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韓国・朝鮮の諺に. 「打たれた者は脚を伸ばして眠れるが. 打った者は脚を伸ばしては
眠れない」がある。 老僧はこの半世紀. 脚を伸ばして眠れたことはなく. 心に鉛の塊を
痼り持ったまま. 読経三昧に耽っていた。 罪を犯したとはいえ ...

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朝鮮の諺 ・大便かカボチャ汁か。 ・屁が度重なれば大便がしやすい。 ・金物を食べた
大便は消化しない。 李朝末期の朝鮮を訪れた英国人の旅行記には、大便で遊ぶ庶民の姿
が記録されている。 ググったらザクザク出てきます。日本に伝わらなくて良かったと ...

反対すれば補助金がより多く貰える事も狙い(=「 泣く子は餅を一つ余計にもらえる 」・・・
朝鮮の諺)。 要するに政府にタカっている。 これを教えてくれた友人は、 『これは外国
人参政権問題のモデル・ケースだ!周知すべし!』


Unknown (Unknown). 2006-06-10 22:17:55. 朝鮮の諺 泣く子は飴をひとつ多くもらえる
大声で泣く子は飴を多くもらえる 本当にその通りですね。 Unknown (実況NHK組).
2006-06-10 22:17:57. お 前 に は 失 望 し た みんながんばろーぜ ...


北朝鮮の外交とは、「泣く子は餅を一つ余計もらえる」という朝鮮の諺を地で行く
外交戦略だ。つまり、駄々をこねまくり譲歩を引き出す戦法だ。この6カ国協議再開
にあたって、100%と

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戦後60年に渡る日韓関係は、常に誤解と悪感情の繰り返しだったと言ってよい。
この原因の大半は韓国が建国当初から、政治的目的に端を発する、国家として不健全極まりない「反日」が原因であった。
反日のためであれば、嘘でも何でもとにかく「日帝36年の蛮行」をでっち上げ、日本を非難することで国民の一致団結を図ってきたのである。この60年に渡る韓国の反日政策・反日教育は言うまでもなく、両国関係に多大なる影響を与えてきた。
今の韓国社会では反日は表立ってないと主張する韓国人もいる。
だが、それは表面上のことであって、実際にはほんのちょっとしたきっかけで、日本への憎悪をむき出しにする韓国人が後を絶たない。
例えば、「朝鮮併合において、日本は良いこともやった」というだけで、極右のレッテルを貼り、感情的な発言に終始する韓国人がこの掲示板に何と多いことか。
また、これを国家レベルで、日本の大臣が発言すれば、直ちに日本大使館を取り囲み、白装束の元売春婦が泣き叫び(涙は流していないが)、日本の首相の人形が焼き払われ、日章旗が燃え上がる。
このような異常な行動をとりながら、「今の韓国には反日はない」と言うのだから、韓国人という者は余程の嘘つきか、現状認識能力が欠如しているかのどちらかだろうと推察する。

思うに、韓国での偽りの歴史教育は、もはや後戻りできないところまで来ているのではないかと思う。
先に、「日韓歴史共同研究委員会」について取り上げたが、未だに韓国側の委員の人選が行われないのは何故か?
元々、これは韓国側が、日韓両国で共同の歴史認識を形成しようと馬鹿話をブチあげ、日本に設置を求めたものである。
日本政府もこのような、馬鹿話は一蹴すれば良いものを律儀に応じて、日本側委員の人選を済ませたのである。ところが、その言い出しっぺの韓国側が、委員会で歴史を再検証する委員の選出が出来ないという醜態を晒しているのである。
自分達で言い出しながら、歴史の検証が出来る専門家が韓国にはいないということなのか?
実際は、歴史を公平に客観的に検証すると、当然韓国がこれまで作り上げてきた「日帝36年の大嘘」が白日のものとなるため、韓国側では委員のなり手がいないという話である。

最近、この掲示板にも日韓の過去を冷静に振り返り、そして今の韓国の問題点をしっかりと認識できている若者達が、少しづつではあるが、増えてきている。
何よりも嬉しい限りの状況だが、そのような未来を背負う韓国の若者達に、もう一度この「歴史」を振り返って貰いたい。日韓の齟齬は何をおいても歴史に帰結する。ならば、その歴史を冷静に振り返り、韓国側の虚偽の歴史を暴くことによって、これまで暴虐と搾取の限りとされてきた併合時の日本の統治が、決して悪意だけではなく、朝鮮半島に対して数多くの善意をもってその統治にあたったことが理解出来るだろう。
それは、過去の日本そして今の日本への誤解を解く第一歩となる。

確かに、過去は過去に過ぎない。大切なのは我々が生きている今現在であり、そして未来である。

もし韓国人が過去のことを一切問わない。反日を本当に捨てるというのであれば、日本側は誰も好きこのんで過去を取り上げようとはしないだろう。
戦後60年に渡って、韓国は日本を非難し続けてきた。
それが、正当な非難であれば、致し方のないところだが、上にも述べたとおり、韓国側が故意にねじ曲げた「歴史」をもって日本を非難し、そして「日本は反省が足りない」「謝罪と賠償」と繰り返すのである。
考えて欲しい、こんな状況を60年に渡って受けてきた日本側が、韓国に本当に好意を持つと思うだろうか?
もちろん、一人一人を見ていけば韓国側にも善良な人間は多く存在する。
だが、それが国家という集団となると、そこには偏狭ナショナリズムという化け物が存在し、そして韓国は恐ろしいほどのエゴイズム国家となる。

韓国に言い分があるように、日本にも言い分がある。韓国が守るべき矜持があるように、日本にも守るべき矜持がある。

こんな当たり前のことを、韓国人はきちんと考えたことがあるだろうか?
そして、何より、百歩いや千歩万歩譲って、日本が朝鮮統治時代に暴虐と搾取を繰り返したとしよう。
それについて、今の日本人に反省や謝罪を求める事が本当に正しいと、韓国人は信じるだろうか?
自分達が生まれる遙か以前の事について、謝罪や反省を求める韓国を日本人はどんな目で見つめるか考えたことがあるだろうか?

我々が生きているのは過去ではない。我々は現在に生きて、そして未来を目指すものである。
過去を振り返り、そのことを反省するのが悪いとは言わないが、過去の呪縛に捕らわれることで、現在ただ他人を非難することだけとなり、未来を放棄している韓国人の姿は、余りにも哀れである。

日本は何時でも韓国に友好の手を差し伸べる用意がある。否、これまで幾度となく友好の手を韓国へ差し伸べてきた。
それを払いのけてきたのは誰であったか?
今一度、韓国人は自分達の所行について省みるべきである。


<今日の言葉>

未来とは、未来を信じる者のために存在する。

http://byama.hp.infoseek.co.jp/tyousen/kaihousya.htm

「在日朝鮮人のための韓国講座」 解法者

この講座は、在日朝鮮人が美化(捏造・妄言)してやまない朝鮮人の特質についてその誤りを正すための講座です。
「在日朝鮮人のための朝鮮史講座」は、同じく在日朝鮮人が美化(捏造・妄言)してやまない朝鮮の歴史についてその誤りを正すための講座です。
「日本人のための韓国講座」は、韓国・北朝鮮の政治・経済の現状についての講座です。
 前にも謝りましたが、長文でわかりずらい文章で申し訳ございません。
「ヤマ」さんの指摘もうなずけるところです。
何か極端なことをあげつらっているように感じるかも知れません。
事実と反しているならば具体的な例を挙げて反論してください。

 (注) 番外編には鶏鳴狗盗さん、白紙のゴドーさん、蒼さん、椿四十郎さんの投稿文も掲載させて頂きました。
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韓国人の人間性の低さは次の朝鮮の諺からもうかがえます。 「他人の牛が逃げ回るのは
見ものだ」 「他人の家の火事見物をしない君子はいない」 韓国人がこれ以上他国に迷惑
をかけないために、韓国政府は一刻も早く韓国人の海外渡航を禁止し、鎖国体制を ...


日韓併合は正統。

日本は朝鮮半島を開発、進歩させたのだ。
政策は国内の政策と基本的に同じ。

1.小学校をつくり、ハングルを広めた。
2.帝国大学を創設し、民主国家の創設に必要な知識人を養成した。
  名古屋大学より早くに設立してますぞ。
3.裸山に植林し、半島を緑化した。
4.発電所を作り、半島に電気をもたらした。
5.鉄道を創設し、道路、橋を作り近代化のインフラを築いた。
6.土地の所有権を確定し、自由主義の基礎を作った。
  日本で言えば、廃藩置県、秩禄処分であろう。
7.米の新品種を広め、半島の生産力を飛躍的に高めた。
8.奴婢という奴隷を解放し、両班の特権を廃止して、封建的身分制度を廃止した。
9.その結果、朝鮮人は35年で人口が2倍に増えた。
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◎日本にもらった莫大な金や設備、技術や人的支援について一切言及しない。
そのため韓国人は「日本は一文も出してない!」と本気で思ってる。 
(本当は文字通り“国が買えるほどの値段”だった)

◎最近まで「日韓基本条約」を隠し続け、日本は一度も謝罪したことがないということにしていた。
(本当はとうの昔に謝罪や賠償などの責任は完全に果たしている)

◎ハングルを禁止されて日本語を強要されたなどという事実無根の嘘をついた。
(本当は日本がハングルを広めた。つまり正反対)

◎日本による略奪で韓民族が飢えたなどという事実と正反対のデタラメを吐いた。
(本当は飛躍的に豊かになった。逆に併合前の朝鮮人が飢えていた)

◎農地を60%奪われたという悪質なデマを流した。
(本当は統治権に付随して権利が移った「国有地」3%を農地にしただけ)


◎日本政府の高利貸しで民衆は苦しめられたと真実の逆を平気で言いふらした。
(本当はインドが月20%の金利だった時代に8%という格安金利を“さらに”6%まで下げて金を貸してやった)
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◎大量に強制徴用されたというフィクションを作った。
(本当は強制などしなくても当時日本国籍だった朝鮮人が豊かな日本で働きたいと思うのは当然で、逆に希望者の競争率が異常に高かったほど)
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◎日本は「人種も土地も劣ってるから優秀で豊かな朝鮮半島を侵略した」などとすぐバレるデマカセの侮日教育をした。
(本当は土地が痩せてたのは朝鮮。日本は朝鮮の4倍の収穫高があった)

http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html

引用元:韓国は何故反日か?

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動物のお好きな皆さん、これでも韓国人を好きになれますか?
豚に「コイズミ」と書き、オノで切り刻む韓国人!

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  上 小泉総理に見立てた鶏の首をひねり、火をつけて虐殺する韓国人!
下 高野元駐韓大使の名札をつけた動物(豚?)を虐殺する韓国人!


反日教育の結果 間違った誇大な妄想を持つ 朝鮮人が増えています。
その児童が描いた絵があります。


詳しくはこちら1部
詳しくはこちら2部

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日本の国旗を燃やす韓国人
反日アピールのために鶏の首を刎ねる韓国人



韓国は、中国での反日デモに便乗して暴れ出す。
何の罪もないニワトリや犬が殺され、血の滴る生首が死体が路上に並べられたりする。
文化の違いといえばそれまでだが、ある種の「お祭り」のような感覚らしい。

中国が戦略的に政府が扇動して日本への嫌がらせをするのに対して、
韓国の場合、純粋な嫌悪感情だけで大騒ぎする。
民間レベルでは同様に低質だが、政府レベルでは中国のほうが狡賢い。


もちろん、このような過激な行動をしない韓国人もいる。
あるテレビ番組のアンケートでは以下の通りである。

韓国人に聞く「日本をどう思うか?」
韓国人に聞く「日本をどう思うか?」
韓国人に聞く「日本をどう思うか?」
ヨン様ファンが見た生の韓国
韓国人に聞く「日本をどう思うか?」


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元寇は元と高麗軍の連合軍によって構成されていた。
したがって、韓国(高麗)は秀吉の朝鮮出兵以前の300年も前に、立派に(?)日本を侵略していたことになる。

さて、この元寇について韓国の教科書はどのように書いているか

元は日本を征伐するために軍艦の建造、兵器の供給、兵士の動員を高麗に強要した。
こうして二次にわたる高麗・元連合軍の日本遠征が断行されたが、すべて失敗した。
元は日本遠征のため、高麗に征東行省という役所を置いた。
征東行省は日本遠征が失敗した後には高麗との公的連絡機関として運営された。

たった、これだけである。


秀吉の朝鮮出兵については何ページも費やす韓国の教科書が、
自ら日本を侵略した行為については僅か数行の記述で済ませている。

元寇については、小学校教科書では完全に無視し、
中学校教科書では僅か5行、高校教科書でさえ僅かに6行ほどだけ!
さらに、ベトナム戦争への派兵については、僅か1行のみだ。

それに引き替え、朝鮮出兵(壬申倭乱)については、
小学校でも丸々4ページ、中学校では本文3ページ半に
「学習の手引き」として2ページ、高校教科書でも5ページにわたって延々と、受けた被害を書き連ねる。

そして、韓国の歴史教科書は、自ら手を下した加害事実については教科書では殆ど教えない。
しかも、なんと高麗は元に「強要」されて、仕方なく日本に「遠征」したのだそうである。

これも大嘘である。
『高麗史』に拠れば、元寇の発端は高麗の忠烈王が、
元の世祖にしきりに働きかけ、執拗に東征を勧めた事が解る。

1280年 日本遠征方略を定め、征東行省を創設。
忠烈王、元に入朝し、参戦を主張。兵船を作る。

しかも高麗軍は日本で何をしたか?
最初に侵略を受けた壱岐・対馬の二島では、
住民は男はことごとく殺され、女は手に穴をあけられて数珠(じゅず)つなぎの捕虜にされた。

二百人の童男童女は高麗軍に連れ去られ、忠烈王に献上された。
今も泣く子を黙らせるため、
母親が子に「モッコ(蒙古の訛り)来るぞ」とあやす言い方が全国各地に残っている。
元寇から七百年を経過した今なお、日本人の蒙古・高麗に対する潜在的な恐怖心は消えていないのである。
当時の日本人の恐怖は、想像するだに余りある。



実は後年の倭寇も、秀吉の出兵も、この元寇と無関係ではない。
李朝後期に安鼎福が書いた『東史綱目』では、倭寇の原因が元寇にあったとしている。
李翼(リヨク)の書いた「星湖塞説」でも、秀吉の朝鮮出兵も究極の原因は元寇にあったとしている。
(下條正男『日韓・歴史克服への道』)


倭寇や「壬辰倭乱」は大々的に書き立てる韓国の教科書が、
元寇については他人事のように頬被りして責任逃れをし、たった数行で片づけている。
(しかも巻末の年表では、元寇を完全に省いている)
これは歴史事実の隠蔽というべきである。

韓国教科書の前文にある記述
過去が暗いからと隠したり...してはいけない。
歴史の記述は、偏ることなく厳格でなければならない
という自戒の言葉を、韓国の教科書は自ら破る結果になっている。


韓国の教科書に要求する。
元寇は、高麗が自ら蒙古に進言して実現した日本侵略であると明記せよ!

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なぜか、日本と。

ここまでくると意味不明である。
このように韓国では「何でも無理矢理日本に絡めて」考える。

日本人には意外かもしれないが、誇張でも何でもなく、本当に何でも日本と絡める。
韓国の新聞も「日本」の字が載らない日はない。(誇張ではなく本当に毎日載る)

太陽政策(簡単にいえば「韓国が北朝鮮と対立せずに共存しようとする政策」)で、
南北朝鮮が“同じ朝鮮民族”という意識を再び持つこと自体は構わないのだが、
上の写真のようにアメリカを含む外敵は全て日本と同一という見方は理解に苦しむ。

この様子ではそう遠くない将来、日本と韓国は戦争になるかもしれない。





政府レベルだけの話ではない。
「民間人の素行」についても韓国は世界的に有名だ。

アルゼンチンでは韓国人犯罪が多すぎて『追放したい民族1位』に選ばれ、
メキシコでは現地の法律を無視することから『共存できない民族』と呼ばれ、
タイのマスコミは『韓国には絶対に行くな』と、その危険性を再三に渡り警告し、
フィリピンでは人身売買が酷すぎて“政府に”訴えられるという前代未聞の恥を晒した。
(最近フィリピン人女性にフィリピン当局が『韓国人警戒令』まで出していた

韓国人の性犯罪をに注意を促しているのはフィリピン当局だけではない。
アメリカ外務省も1999年10月29日には、
『世界中の国々で韓国に対してのみレイプ警告』を出している。

日本でも、日本国内の外国人犯罪の1位と2位は16年連続で
中国人と韓国人である。(警察庁調べ)

だが、それでもお人よしな日本は日韓友好を唱え、2006年3月1日から
韓国人のビザを恒久的に免除し、消えかけの韓流ブームを盛りたてようとしている。

中国人と韓国人に最もレイプされているのは日本人女性だというのに。


余談になるが、日本の総人口に対する外国人比率は1%程度である。
それに対して、刑務所・拘置所の中に限った比率では約7%以上に増える。

つまり塀の外より中のほうが比率が高い……これをイメージしやすく言い換えれば、
『外を歩いていて100人に出会ったら、そのうち1人が外国人』という国において、
『刑務所・拘置所の中で100人の犯罪者に会うと、そのうち7人が外国人』なのである。

その刑務所・拘置所の中の外国人割合では中国人が約34%、韓国・朝鮮人が約29%である。

ちなみに日本に定住する外国人の比率では、40%以上が韓国・朝鮮人である。(2003年)



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そこで韓国政府は、
まず、政府自ら作った教科書以外を教科書と認めないことにした。

そして「日本が朝鮮を独立させてやったこと」を隠蔽した。
具体的には日清講和条約(下関条約)の第一条の内容を削除したのである。

日本と中国の間で締結されたこの下関条約第一条の本当の内容は、
日本が清国に朝鮮の独立を承認させた』というもの。

これを韓国の国民に知られると、
半万年(5000年)独立していたという政府が作った嘘の朝鮮国史
に反してしまうので教えられないのである。


ちなみに前述の『迎恩門』は、朝鮮が独立した時に
『独立門』という“中国からの独立を記念する門”に建て替えられていたが、
現在の反日教育ではこの門を“中国からの独立”を記念した門、ではなく
“日本からの独立”を記念した門、と意味を勝手に変えて教えている

そもそも迎恩門は日清戦争が終わって朝鮮が独立した時に、
清(中国)への屈辱的隷属の象徴だったことを理由に開化派の
独立協会に取り壊されたもの。そして1897年(明治30年)に自主独立の
決意を込めて“わざわざ同じ場所”に建てられたのが独立門である。

米国GHQの軍政から朝鮮が独立したのは日本の敗戦から3年後、
独立門が建てられて『51年後』の1948年(昭和23年)なので、
建設の年代を見るだけで独立門と日本が全く無関係なのは明白なのである。


このように簡単に暴くことができる嘘でも韓国では疑われることなく
中学校の教師レベルまでもが信じ込んでいるほど反日教育浸透している。

この門に関してそんな嘘を教え込んでいる理由は簡単、
『1000年間の長きに渡る清(中国)の支配からの悲願の独立が、
 日清戦争に勝利した日本のおかげ』だからである。

民族の独立を日本に頼ったことがカッコ悪かったので、
手柄を横取りしたかったのである。



これらが次々と膨れ上がる朝鮮の歴史捏造の序曲であった。



併合の真実、それは考えてみれば単純だ。

そもそも朝鮮半島には資源などなかったのだから富の搾取など初めから
期待できないし、その程度の小さな富など望んでもいない。
日本側にとって併合の目的は「ロシア・中国の侵攻から日本を守ること」である。


だから朝鮮という国には「増長する共産圏勢力が日本に攻め入らないように
するための防波堤」へと早く成長・自立してもらわなければ意味がない。

つまり朝鮮から搾取するなど、日本にとって逆効果なのである。

それゆえ日本は朝鮮に莫大な資金と技術と人的支援を行ってまで育てた。
韓国人の言う「悪逆非道な日帝の搾取・略奪・虐殺する植民地支配」などという
妄想は筋が通らないのである。


“百歩譲って”悪逆非道だったとして、結果はどうだ。
朝鮮は糞にまみれた土人の国から先進国になったではないか。

国際的にも日本の併合は、「最も良い統治の一例」として評価されている。

もちろんここまで原住民の繁栄を考えた併合が、韓国と北朝鮮以外の外国から
非難されたことなど一度も無いのは言うまでもない。


そして日本が敗戦し、併合が終わる。

すると日本領として共に戦った「戦友」だったはずの朝鮮は
「日本と連帯で敗戦責任を取らされること」を恐れて突然態度を豹変させた。

「我が国は最初から反日で、韓民族は日本に強制的に従わされていただけだ!」

と大声で叫び始めたのだ。
韓国のことわざでいう『川に落ちた犬は、棒で叩け』というところだろうか。
(とんでもないことわざだが実在する)

朝鮮民族は千年属国として『強い者に媚びへつらう習性』が抜けて
いなかったので、昨日までの友だった日本人を裏切って仇敵と呼び、
長年の敵としていたアメリカ人を兄弟と一方的に擦り寄るようになった。

そのころ南北朝鮮は互いに自分側を正当政府と呼び、相手側を偽の政府だと
貶し合っていたので、敗戦責任がないことを強く主張した政府、つまり
『より日本を嫌悪し攻撃した方が正当政府』という
“日本叩き合戦”が始まったのである。


その後朝鮮はアメリカの圧力と日本に手助けによって独立する。
だが、設備や金だけで上手くいくほど国の統治は簡単ではない。

それまで日本からの莫大な投資と交易で成り立ってきた国が独立すれば
悲惨である。日本が去った後の朝鮮政府の幼い統治力のレベルでは
生活水準がドン底まで落ちるまでに時間はかからなかった。

先進国である日本がいかに優れた統治力によって半島を発展させたか、
そして金や設備を貰ったところで朝鮮の統治力など日本に遠く及ばないことに
独立してから気付くことになるのである。


そして日本に繁栄させてもらっていた朝鮮半島はすぐに再び貧乏で
騒乱の続く廃墟ばかりの国に逆戻りし、しかも独立後すぐに同族での
殺し合いである朝鮮戦争が勃発し、半島内は困窮を極めた。


ここで朝鮮政府が恐れたこと。それは国民に、


 「日本統治時代の方が良かった…」


と言われてしまうこと。


当時はまだ日本人として生きてきた朝鮮人たちがたくさんいたので、
親日派が現行政府を否定しないとも限らなかったのだ。

それを言われては新しい政府の面子が潰れるだけでは済まない。
反政府勢力が拡大して「国家が転覆してしまう恐れ」があるのである。

そのような尻に火がついた状況においては、本来なら政府が必死の努力で
国力を回復しなければならないはずであるが、本来怠け者の朝鮮政府は
もっと簡単な方法を思いついてしまった。

それが『日本は韓国をボロボロにした悪逆非道の悪魔』という嘘をついて
日本を貶めて韓国国民を洗脳するという方法なのである。


朝鮮人日本兵だった老人たちはやがて寿命で死ぬ。
新しい世代に向けて韓国政府を支持しながら日本を憎むように
少しずつ国民を新しく作り変えればいい。
そうすれば全ての問題は日本のせいにする楽な政治ができるわけである。


・日本にもらった莫大な金や設備、技術や人的支援について一切言及しない。
 そのため韓国人は「日本は一文も出してない!」と本気で思ってる。 
(本当は文字通り“国が買えるほどの値段”だった)


・最近まで「日韓基本条約」を隠し続け、日本は一度も謝罪したことがない
 ということにしていた。
(本当はとうの昔に謝罪や賠償などの責任は完全に果たしている)


・ハングルを禁止されて日本語を強要されたなどという事実無根の嘘をついた。
(本当は日本がハングルを広めた。つまり正反対)


・日本による略奪で韓民族が飢えたなどという事実と正反対のデタラメを吐いた。
(本当は飛躍的に豊かになった。逆に併合前の朝鮮人が飢えていた)


・農地を60%奪われたという悪質なデマを流した。
(本当は統治権に付随して権利が移った「国有地」3%を農地にしただけ)


・日本政府の高利貸しで民衆は苦しめられたと真実の逆を平気で言いふらした。
(本当はインドが月20%の金利だった時代に8%という格安金利を
 “さらに”6%まで下げて金を貸してやった)


・大量に強制徴用されたというフィクションを作った。
(本当は強制などしなくても当時日本国籍だった朝鮮人が豊かな日本で
 働きたいと思うのは当然で、逆に希望者の競争率が異常に高かったほど)


・日本は「人種も土地も劣ってるから優秀で豊かな朝鮮半島を侵略した」などと
 すぐバレるデマカセの侮日教育をした。
(本当は土地が痩せてたのは朝鮮。日本は朝鮮の4倍の収穫高があった)



こんな話がある。

かつて、本田技研(ホンダ)の創業者、本田宗一郎氏が、作家で経済評論家の邱永漢に、
ホンダの海外の工場で一番うまくいっているところと一番具合が悪かったところを問われた時、
良いほうを「台湾」、悪いほうを「韓国」と答えた。

その理由を問うと、

  「台湾に行くと、台湾の人がみんな、私に
   『こうやって自分たちが仕事をやれるのは、本田さんのお陰です』と言って、
   ものすごく丁重に扱うのです」

と答えた。
自動車やオートバイの技術を持っていなかった台湾に技術を伝えた本田氏に対して
“台湾人は”ちゃんと相応の感謝をしていた、というエピソードである。

一方、韓国の工場が具合悪かった理由を問うと、


  「向こうへ行って、オートバイを作るのを教えた。
   それで、一通りできるようになったら、『株を全部買いますから、帰ってくれ』と言われた」


と答えた。
つまり韓国人の言い分は、技術を盗み終わったら師は「用済み」ということである。


これはまるで『併合で散々援助されたのに、身勝手な独立をした韓国』という
韓国という国そのものの歴史に酷似したエピソードではないだろうか。

そして、このような事態に、部下が本田に『どうしましょうか?』と問うと、


  「『そんなことをいわれるところでやることはねえよ』と言って、金を返してもらった」


と答えたという。
(邱永漢 渡部昇一『アジア共円圏の時代』P86-87より)


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韓国の歴史教科書


[1、歴史を道具に使用すること]

アメリカの歴史学者で、マサチューセッツ工科大学 ( M I T ) 教授、ジョン、ダワーに依れば、
注意すべきことは 歴史とは何かよりも、人々が歴史をどう 政治的に 使うかだ。
と述べています。中国や韓国は国交開始以来何十年間も日本の侵略戦争や植民地支配の歴史を、日本人の贖罪意識を掻き立てる為の道具として最大限に利用し、外交戦略上優位に立ち経済的利益獲得を図ってきました。そして1980年代には戦術を更にエスカレートし、教科書の記述の内容にまでも口を出し訂正を要求するようになりました。

残念なことに日本は教科書の記述に関して韓国や中国から抗議を受けると、国家主権に対する明らかな侵害であるにもかかわらず、それを断固拒否するどころか直ぐにお詫びをしたり、教科書の編集に際しては「近隣諸国の人々の感情に配慮する」旨の規則をわざわざ設ける、という愚かな行為をしました。つまり事実関係の有無はさておき、歴史の解釈を彼等と同じにせよということなのです。

その結果中学校の教科書にまで従軍慰安婦のことが記載される事態になりましたが、援助交際をする女子中学生や高校生が増えたのは、そのせいではないか(?)と思う次第です。

独立国とは到底思えない日本政府や外務省の事なかれ主義や無責任な対応に疑問を感じていましたが、それでは相手の国の教科書には、歴史が正しく記述されているのでしょうか?。入門韓国の歴史「 国定韓国中学校、国史教科書 ( 1996年制定 )」の日本語訳 ( 明石書店 )を読んでみました。

その結果分かったのは以下の事柄でしたが、皆さんも一緒に考えてみて下さい。

[2、反日思想の刷り込み]

韓国の国定、歴史教科書についての編集方針をひとことで言えば、民族主義や愛国心を育成する為なら、そして反日教育の為なら、どんな ウソ をつくことも許されるとする考え方や、歪曲した愛国心でした。

なぜ学校で歴史を学ばせるのかの一つの答えは、自虐史観とは逆に、生徒に愛国心を植え付け育てるためです。朝鮮(半島の国)が昔から如何にすばらしい国であり、日帝(日本の帝国主義者、つまり日本人の意味)がそれを如何にダメにしたのか、それに対して人々がどれほど抵抗してきたかが、針小棒大に ウソ を交えて書いてありました。

動物行動学では本能とは別に、 In-Printing ( 刷り込み )という言葉があります。皆さんがお馴染みの カル鴨の例を挙げると子ガモが母鴨の後を常に追うのは、孵化後の十二時間以内に身近にいた動くものを親として頭脳に刷り込み、その後を追うという習性からです。動くものならば親でなくても、玩具でも後を追うようになります。「 刷り込み 」 は生まれてから一定の時間内におこなうことが必要で、それを過ぎると困難になります。韓国の生徒はまさに国定の歴史教科書により、子供の頃から歪曲された歴史観と愛国心で、反日思想の「刷り込み」をされていました。

それでは具体的に何を刷り込んでいるのか、数え切れないほどの ウソ や事実の歪曲の中から、以下の実例を選んでみました。なお頁とあるのは「入門韓国の歴史」、韓国中学校、国史教科書の日本語訳本の頁を示します。

[3、皇紀の韓国版、古代朝鮮の建国年代について]

[なんでも韓国が一番と教え込む]
現在七十才以上の方であれば皇紀という言葉をご存じのはずですが、知らない方は ここをクリックして下さい。韓国の歴史教科書の記述によれば、
満州遼寧 ( りょうねい ) 地方と韓半島 ( 朝鮮半島のこと ) 西北地方に、君長が治めるたくさんの部族が現れた。檀君 ( だんくん ) はこうした部族を統合して古朝鮮を建国した。檀君王倹の古朝鮮建国(紀元前2,333年)に関しては、三国遺事にその内容が記されている。(32頁)
と書いてありました。そこで 三国遺事とは何か、日本の大辞林という辞書で調べてみると、
朝鮮の史書で高麗 ( こうらい ) の僧、一然( 1206〜1289年 )の撰( 編集したもの )。三国史記に漏れた新羅、百済、高句麗の遺聞を集める仏教関係の記述が多い。
とありました。参考までに「 三国史記 」とは朝鮮半島における最古の歴史書のことで、高麗の金富軾が1,145年に編纂したものでした。つまりここで重要な点は 古事記、日本書紀ができてから 四百年後に、韓国最古の歴史書ができたという事実です。後で触れますから、このことを記憶しておいてください。

僧の一然が生きた時代とは日本でいえば鎌倉時代後期に相当します。その時代に書かれた本に、それよりも三千五百年も昔の檀君王倹のことが書いてあるから、それを古代朝鮮建国の根拠にして、我が民族は五千年以上の輝かしい歴史を展開している(17頁)と教科書に書き、教えていたのでした。

中国の歴史家、司馬遷が紀元前91年に書いた史記によれば、中国で最も古い まぼろしの王国である夏( か )は、紀元前二十一世紀から前十六世紀に存在したとされますが、伝承のみに頼る先史時代のことなのでその存在は確認できません。しかし韓国は中国よりも建国が古いと、自国の歴史(?)の古さをねつ造して自慢にしたいのです。ここで前に読んだことを思い出してください、韓国の最古の歴史書は日本の古事記、日本書紀よりも四百年後にできたことを。

中国の殷(いん)の廃墟から発掘された甲骨(こうこつ)文字を刻んだ亀甲(きっこう)や獣骨の存在から、紀元前十四世紀〜前十一世紀に文字を持つ殷(いん)の国が存在が判明しましたが、それよりも古くから国が存在したとする韓国では古代朝鮮の歴史をどのような文字で書き、何に記録したというのでしょうか?。もちろん何の根拠もない 大ウソに決まっています

敗戦になるまで日本の歴史教科書は全て皇紀の年号で書かれ、歴史と神話を混同して教えていましたが、戦後の教育では両者を明確に区別するようになりました。しかし韓国の歴史教科書では、依然として檀君神話が真実の歴史として今も扱われ健在なのです。つまり歴史を扱う方法が日本よりも、六十年近く遅れている証拠です。

そればかりではありません、檀君が建国した(?)紀元前 2,333年を元年とする檀君紀年が、韓国独立から昭和三十六年(1961年)まで実際に韓国で使用されていました。紀元前 2,333年 当時は、前述のように中国でさえも未だ歴史を記録する文字がありませんでしたが、その時代のことを韓国ではどのように記録し、檀君紀年を算定したのでしょうか?。もちろんデタラメに決まっています。

注:)
中学校の教科書だけでなく、1997年版の高校用の国史(下)の「 植民地の文化政策 」の記述にも、

我が民族史も日帝の植民地統治を合理化するために変造された。とりわけ民族史の根源とも言うべき古代史の歪曲が最もひどく、檀君朝鮮は否定され−−−−。
とあるように、いまだに五千年前(?)の檀君神話を、建国の歴史の根拠にすることに懸命でした。

[4、民族の抹殺]

日帝はわが民族と、民族文化を抹殺する政策を実施した(162頁)
とありましたが韓国の生徒がこれを読めば、あたかも ナチス・ドイツが六百万人の ユダヤ人を抹殺した如く、日本が朝鮮民族を抹殺しようとしたと思うはずです。日本人からみれば明らかなウソが堂々と記述されていました。恐らく強制連行や従軍慰安婦のことを念頭にしたと思われますが、朝鮮半島住民を抹殺する意図など全くなかったことは、日韓併合以来、日本がもたらした文明開化、人口増加の事実や、インフラの整備、植民地住民に世界でも希な義務教育を含む教育を施し、大学教育の機会まで与えた教育制度を見れば明らかでした。

[5、元寇について]

元寇(げんこう)の寇(こう)とは、仇 ( あだ )という意味です。元寇について知らない若い人もいるので説明しますと、中国大陸を征服した チンギス・ハン ( ジンギス・カン ) の孫に当たる元 ( げん ) の皇帝 フビライ が、大都 ( 北京 ) に都を定め日本に入貢 ( にゅうこう )、つまり外交使節が貢ぎ物を持ってご機嫌伺いに来ること、を求めて拒否されると、日本侵略を計画しました。

鎌倉時代の文永11年(1274年)と弘安4年(1281年)に高麗 ( こうらい、朝鮮 ) と連合して日本を侵略し、壱岐、対馬の島民を虐殺し、九州の博多に上陸しましたが日本側の奮戦に遭い、台風が襲ったこともあって撤退しました。韓国の教科書によれば、

高麗は元 ( げん ) と講和を結び、開京へ還都したが、すぐ新しい試練にぶつかることとなった。元は日本を征伐するために軍艦の建造、兵糧の供給、兵士の動員を高麗に強要した。こうして二次にわたる高麗・元(げん)連合軍の日本遠征が断行されたが、すべて失敗した。(138頁)
この国定教科書では日帝の侵略という語を、これでもか、これでもかと頻繁に使用しておきながら、元寇については自国 ( 高麗 )が日本を侵略した事実を隠ぺいするために、意図的に侵略という言葉を使用しませんでした。しかも韓国の歴史教科書であるにもかかわらず、自国に都合が悪い箇所では元を主語にして記述するという、ごまかしの手法を採っていました。

この教科書が意図するところは、あくまでも元に強要されて、つまり自らの意志に反して日本を攻めさせられた、いわば戦争に協力させられた被害者の立場であって、侵略者ではないと暗に主張しているのです。しかしそれは、全くのデタラメであることを次項で立証します。

さらに征伐という言葉は、悪者を攻め平らげるという意味です。かつて韓国は日本の教科書の記述にあった豊臣秀吉の朝鮮征伐に対して、征伐という言葉を使うのはけしからんと日本に抗議をしました。しかし自国の日本に対する侵略を今も公然と征伐と表現し、教科書で使用しているのです。

[6、高麗が日本侵略に積極的に荷担した証拠]

高麗国王 元宗 、( 在位1260〜1274年 ) に 世継ぎの子のェ ( しん、後の忠烈王 )がいましたが、ェ ( しん ) は元 ( げん、モンゴル人の帝国 )の皇帝 フビライ ( 1215〜1294年 ) の下で長く元に住み、フビライの娘と結婚して高麗に帰国し、即位して忠烈王 ( 1236〜1308年 )となりました。忠烈の名前は元から貰ったもので、忠とは元に対する忠誠を尽くす意味ですが、元寇当時の高麗の国王は、忠烈王であったことを覚えておいて下さい。

(1)、高麗の歴史書の記述

高麗史の元宗十三年(1272年)三月の条 ( 元寇における、文永の役の二年前 )の記述によれば、世子のェ ( しん、後の忠烈王 )が フビライ に述べた言葉として、

惟彼日本、未蒙聖化。故発詔、使継糴軍容。戦艦兵糧、方在所須。儻以此事委臣、勉尽心力、小助王師

その読み方
惟 ( おも )んみるに彼 ( か ) の日本、未だに聖化を蒙 ( こうむ ) らず。故に詔 ( みことのり ) を発して軍容を継糴 ( けいてき ) せしめんとせば、戦艦兵糧まさに須 ( す ) いる所あらん。もし此事 ( このこと ) を以て臣に委 ( ゆだ ) ねなば、心力を尽し勉 ( はげみ )、 王師 ( おう し)を小助せん。

その意味
思いますに、かの日本、未だ皇帝陛下 ( フビライ ) の徳による導きを受けていません。いまこそ陛下の命令を出して軍容を整え戦艦兵糧を用いるべきです。もしも私にお任せくださるのであれば、心力を尽くし、陛下の軍隊を微力ながらお助け申し上げたいと願っております。

と書かれていましたが、これを読めば 元に強要されたのではなく、明らかに高麗の忠烈王自身が フビライ に日本への 遠征をそそのかし、その際には 自分も協力する と明言していました。

自国の歴史記録 にあることさえも 偽って書く 韓国の歴史教科書が、如何に欺瞞に満ちたものであるかが、これで分かります。

(2)、元の歴史書の記述

更に「 弘安の役 」が起こる二年前の元 ( げん ) 王朝側の記録を引用しますと、元の歴史書の 世祖 ( フビライ )本紀至元十九年( 1279年 )七月の条に、

高麗国王請、自造船百五十艘、助征日本。

その意味
高麗の国王 ( 忠烈王 ) が 百五十艘の船を自国で作り、( 元の )日本遠征を助けることを願い出た。

と記録されていますが、教科書の 大 ウソ の記述に対する反証は、この二例で十分過ぎると思います。
蒙古平原に国を興し造船技術、操船技術を持たなかった元の為に、高麗は文永の役(1274年)では大小の軍船九百隻を建造し、高麗軍八千、その他高麗水軍の水夫など六千を参加させ、元軍一万五千と共に合計三万の大軍で日本を侵略しました。まづ壱岐、対馬の島民を皆殺しにし、次に博多を襲いました。

さらに大規模な侵略である弘安の役(1281年)では、兵10万、軍船三千五百隻の江南軍と共に、兵四万、軍船九百隻が東路軍として、前回同様に元と高麗の連合軍それに水軍の水夫が日本侵略に参加しましたが、これが元と共に高麗による日本侵略でなければ、何を侵略と言うのでしょうか。

さらに付け加えると教科書巻末の年表には、高麗による日本侵略の証拠である元寇の件が完全に抜け落ちていましたが、韓国の得意わざである、歴史事実の意図的な隠蔽 ( いんぺい ) でした。

[7、独立運動が日本の敗戦につながった]

我々が光復 ( 植民地支配からの解放 ) を迎えられるようになったのは、連合軍の勝利がもたらした結果ともいえるが、その間我が民族が日帝に抵抗し、たゆまず展開してきた独立運動の結果であるといえる(166頁)。
日帝支配下で独立の為に人々が如何に抵抗したかが、針小棒大に書かれていました。ソ連崩壊後に公開された資料によれば、朝鮮の反日抵抗運動の英雄とされ、北朝鮮の偉大な首領様となった金日成でさえも、終戦まで ロシア軍の大尉として ロシア領内に居住していました。

平成十六年初めに放映された日本のテレビ番組でも、テレビ局のカメラ取材に対して ロシアの村人が金日成の住居の跡や、幼くして死んだ彼の息子の墓の位置まで教えていました。つまり家族共々 ロシア領内で平穏に暮らしていた証拠でした。

金日成でさえもその程度でしたから、その他の抗日運動の英雄と記述された連中などは推して知るべしです。教科書では如何にも ヨーロッパ並みの抵抗運動を、朝鮮半島や日本国内で展開してきたような書き方をしていますが、戦時中のことを知る日本人で朝鮮人の抵抗運動が日本の敗戦につながった、などとする 大ウソ を信じる人は誰もいません。しかし韓国では国定の教科書で ウソ を教え、それが信じられているのです。

韓国史上最大の英雄として亀甲船で有名だった李舜臣と共に教科書で採り上げたのは、日韓併合(1910年)の前年に伊藤博文(1841〜1909年)をハルビン駅構内でピストルで暗殺した、テロリストの安重根 ( あんじゅうこん )のことでした。日韓併合以前に起きた、しかも敗戦の三十六年も前の テロ事件を、日本の敗戦に関連付けた記述には呆れ果てましたが、裏を返せば教科書に述べたたゆまず展開してきた独立運動と称するものの、めぼしい成果が、彼と昭和7年(1932年)4月に上海における爆弾 テロで白河大将を暗殺した、尹奉吉による単独 テロ の犯行しか無かった証拠でした。

テロリズムを悪だとする国際社会の考え方からすれば、安重根の テロ行為を国史教科書で褒めたたえてきた韓国政府や韓国人の歴史に対する見方は、国際的に間違いであることは明らかです。なぜなら「 安重根 」のテロ行為を正当化すれば、パレスチナ、イラク、スペイン、チェチェン、ロシアなど世界中で起きている、全ての テロ を正当化しなければならず、逆に テロリズム を否定するのであれば、安重根の行為も当然否定しなければならないからです。

[8、園田外相の発言]

昭和五十年代に外務大臣を三度務めた園田直(すなお)という人がいました。昭和五十六年(1981年)八月の日韓外相会談の席上、韓国側が安全保障問題 ( 韓国が共産主義に対する盾になり、日本を守っているとする主張 ) も絡めて、日本に五年間で六十億ドル( 当時、 二兆一千六百億円)という法外な政府借款 ( カネを貸せ )や技術移転を執拗に要求しました。それに対して園田外相は、

韓国では嫌いな相手からカネを借りたり、技術を教えてもらう社会習慣でもあるのか?。
と公式の席で発言しました。韓国ではその当時から反日教育や反日宣伝を盛んにしながら、その一方で日本に大量の資金援助、技術援助を求めてきましたが、園田外相の発言は韓国の非常識で国際儀礼を失した態度を痛烈に批判したものでした。これに対して韓国外相は歯がみして悔しがったものの、まともな反論もできなかったことが当時話題になりました。

世界の常識では常に悪口を言う相手にはカネを貸さず、技術を教えないのが常識ですが、韓国人にはそういう常識や礼儀が通用しないのです。悪口を言いながらも平気でカネを借りに来たり、技術を教えろとを要求するのです。更にカネを借りたり、技術を教えて貰った場合でも、相手に感謝することを知らないのです。良いことは全て自分(自国)の手柄、悪いことは全て他人(他国)のせいにするのです。ウソだと思ったら続けてお読み下さい。

[9、浦項 ( ほこう )製鉄所]

韓国の東海岸の浦項 ( ほこう、韓国語でポハン )には、韓国産業開発の象徴的存在である P O S C O ( 浦項総合製鉄所 )がありますが、現在では世界で五本の指に入り、新日鉄に次ぐ生産規模を誇っています。その建設に際して全面的な資金協力、技術協力をしたのは当時の日本であり、日本の協力なくしては絶対に不可能な事業でした。

浦項製鉄所建設に際して、韓国は最初から日本を相手に選んだのではありませんでした。まずドイツの D K G グループを契約相手に選び、ドイツからの製鉄技術の移転を当てにし、アメリカから資金を調達する計画でした。ところが国際 コンサルティング会社の調査によって、韓国の生産性が低く日本との製品競争に勝てる見込みが無いと判断された結果、西ドイツ政府、イギリス政府からも資金調達、技術協力を拒否され、アメリカ輸出入銀行からも最終的に借款不可能を宣告されました。

そこで当時の朴政権はやむなく日本政府に、資金と技術援助を求めて 泣きついて来ました。種々の問題があったものの建設に必要な資金一億六千万ドルのうち、日本が一億ドルつまり六十二パーセントを提供することにより製鉄所建設工事が開始されました。第一期工事は昭和四十五年(1970年)に始まり昭和四十八年に完成しましたが、日本の資金協力、技術協力がなければ製鉄所の工事、施設は到底完成できませんでした。

製鉄製鋼部門に限らず、自動車、家電製品、紡績、電子など韓国における産業の半分以上は、日本からの技術移転によるものです。昭和五十年代に毎週金曜日の夜に成田や大阪からソウルに向かう飛行機は、日本人のパソコン関係の技術者で常時満席の状態でした。韓国の会社で土曜、日曜と パソコンの ハード・ソフト作りの技術を指導し、日曜日の最終便で日本に帰国したからでした。

更に韓国が昭和五十一年(1976年)に、鳴り物入りで初めて輸出した小型乗用車の ポニーに搭載したのは、韓国製のエンジンではなく、三菱自動車製の エンジンだったことは、当時車に興味のある者なら誰もが知っていることでした。韓国の現代自動車(株)が作った エンジンでは、すぐに故障して使い物にならず、やむなく三菱から小型 エンジンの提供を受け、技術支援を受けたからです。

ある資料によれば、昭和三十七年(1962年)から昭和五十八年(1983年)までの二十一年間に韓国が技術導入した件数のうち、五十六.三パーセントは日本からのものでした。

[10、日本の経済援助、技術援助の存在を無視]

ところで以上述べた経済産業開発に関する日本の多大な援助や技術協力について、韓国の国定歴史教科書には、どのように記述されていると思いますか?。
政府は1962年(昭和37年)から経済開発五ヶ年計画をたびたび推し進め、輸出のために積極的に努力した。経済開発計画の推進は貧困から解放され、立ち後れた経済社会分野を発展させ、自立経済を達成できる基盤を整えるためのものだった。こうして外国の資本を導入し、多くの工場を建設して−−−。(387頁)
経済、産業開発に関しては日本という言葉を決して使わずに意図的に外国と書き、しかも、あれ程日本に技術移転をせがみ、日本から技術を導入した件は、一字も書いてありませんでした。つまり資金は外国(日本)から借りたが、自前の技術で開発したと生徒に虚偽の教育をしているのです。

最初に書いたように韓国人とは、良いことは全て自分の手柄にし、悪いことはすべて外国や他人のせいにするという民族的悪癖を持つ国民なのです。浦項製鉄所を ゼロ から立ち上げて韓国人に高炉の建設や、製鉄の技術指導を長期間おこなった新日鉄の技術者達も、韓国人から感謝の言葉を言われたことは、唯の一度もなかったと述べました。

それだけではありません、事実を歪曲しウソで塗り固めた教科書で教育を受けた韓国の若者達は浦項製鉄所の自慢をしても、それが日本の経済、技術援助によって作られたことを全く知らず、事実の指摘に対しては妄言(でたらめ)と答えたそうです。

一方日本では、この頁の [1:歴史を道具に使用すること]で述べた如く、従軍慰安婦の ウソ を教科書で教えても、日本が韓国の戦後の産業経済の発展に大きく貢献した事実を、日本の教科書では全く教えていないのです。このことに皆さんは疑問を感じませんか?。

[11、朝鮮民族としての反省の欠落]

韓国の歴史教科書を読み終わって感じたことは、日本の功を無視してひたすら冷酷無慈悲な「 加害者 」に仕立て、その反面自分たちを日帝支配に抵抗し、懸命に国の独立を図り、国家を発展に導いた健気な「 被害者 」と位置付けて、歴史を ウソと歪んだ愛国心 で脚色したものでした。

教科書の記述にある如く、もし朝鮮が昔から立派な国であり、多数の英雄、義士が出現し、優れた文化を持つ国民で成り立つていたのであれば、なぜ四百年間も中国の属国の地位に甘んじ、時代錯誤の中華思想を信奉し、国の近代化を怠り、周辺諸国からは世界における最貧弱国と蔑視され、ついには日本の植民地支配を受けるに至ったのでしょうか?。

そのような事態を招き、屈辱をもたらした原因の究明と、それに対する朝鮮民族としての反省が、この教科書では完全に欠落していました。

これこそ彼等が日本に対してよく口にした、過去の歴史から学ぼうとせず、過去を直視しない行為の、またとない見本そのものでした。

[12:韓国の歴史教科書がウソを教える理由 ]

はっきり言えば古代史において唐と戦って敗れた高句麗の悲劇の栄光以外に、朝鮮半島には国民が誇るべき歴史が存在しなかったからです。歴史書についても十二世紀以前には歴史書が存在せず、日本に仏教文化などをもたらしたことも韓国人は、日本書紀(720年成立)の記述から知り得たことであり、源氏物語のように十世紀末の民族の文化伝統に基づく、古典文学もありませんでした。

古くから中国に屈服し、豊臣秀吉の侵略を受け、その後は四百年間も明、清朝の属国の地位に甘んじ、自力では国の近代化をなし得なかった為に帝政ロシアの侵略を受け、自力では独立を維持できなかったが為に国際的承認のもとに日韓併合された歴史の事実。日本の敗戦により自力によってではなく棚からぼた餅式に独立が与えられた 真実の歴史は、韓国人にとって屈辱の歴史でしかありませんでした。

その為に自らの 自尊心を満足させ青少年に希望を与える為に、真実とは大きく異なり韓国にとって都合が良いようにねつ造し歪曲した歴史を、国定の教科書で生徒に教えているのです。

[13:教科書問題についての今後の対応策]

二つの選択肢がありますが、その内の一つの方法とは、歴史をどのように教科書で教えるのかは、その国の内政問題( Question of Internal Affairs )であり、韓国の抗議、訂正要求に対しては内政不干渉の原則を盾に、断固とした態度で拒否することです。

注:)内政不干渉の原則
一国の内政問題はそれぞれの国家の自由に委ねられており、他国はこれに干渉してはならないとする国際法上の原則のことです。

参考までに歴史認識の件についても、国が違えば歴史に対する考え方が異なるのは至極当然のことで、例えば朝鮮戦争に対する認識ひとつ採り上げてみても、中国の教科書ではアメリカ帝国主義に対する正義の戦いであり、一方韓国では侵略戦争とみなし、完全に食い違っています。韓国や中国が主張する歴史認識とは前述の如く、彼等の歴史観を日本に押しつけようとするものに他なりません。ヨーロッパの格言に

正義は国の数だけ存在する。また 一国の英雄は他国の侵略者である。
というのがありましたが、マケドニアの アレキサンダー大王( Aleksandros、B C 356〜B C 323 )や、フランスの ナポレオン一世( 1769〜1821 )の例を見ればうなずけます。

日本でも大阪の天王寺区に住んでいた日本人の原敕晁 ( ただあき ) さん当時四十三才を、宮崎の海岸から拉致した後で本人になりすまし、北朝鮮の スパイとして日本、韓国で スパイ活動に長年従事して韓国で逮捕され、死刑の判決を受けた辛光洙 ( シン・ガンス ) がいました。彼は スパイの相互交換で北朝鮮に帰国後は 英雄として表彰され 、国旗勲章一級を授与されました。しかし彼によって拉致された原さんは、未だに行方不明です。ところで北朝鮮との国交正常化後には北朝鮮の国民感情に配慮して、拉致犯人の辛光洙 ( シン・ガンス ) を、北朝鮮と同様に英雄扱いにするのでしょうか?。

二つ目の方法としては日本も攻撃に転じ、韓国の歴史教科書の ウソ や間違いを洗いざらい指摘し、外交交渉の場で正式に訂正を要求することです。

日本が断固たる態度で訂正を要求し、しかも執拗に繰り返すことにより、不毛の訂正要求と非難の応酬合戦を互いに延々と続けることになりますが、韓国をして、国際間になぜ内政不干渉の原則が存在するのか、その存在理由を思い知らせると共に、相手の国内問題に干渉することの愚かさを悟らせることです。

日本の教科書作りについて、今後は韓国のような大ウソは教えなくても、日本なりの方針に従い普通の国のように堂々と愛国心を育てる方針で、教科書を作るべきであると思います。

その為には日本が朝鮮半島で果たした文明開化の役割や、文盲だった朝鮮人一般大衆の為に近代的な学校教育制度を導入したこと、数百年間支配階級により拒否されてきたハングル ( 朝鮮文字 ) を広めたのは日本であったこと、韓国における戦後の経済産業開発に大きく日本が貢献した事実を、日本の生徒に教科書で是非教えなければならないと考えます。