国際的派? でしゃばり女
元 亭主
東京都立三田高等学校定時制部を中退後、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」のホステスとなる。1959年に、インドネシアへの政府開発援助に伴い、東日貿易秘書としてスカルノ大統領に送り込まれた。総合商社の日商岩井からスカルノへの夜のプレゼント的な意味があったといわれている。この一件には当時昭和のフィクサーである児玉誉士夫が関わっていたとされ、児玉は巨額の謝礼を得たという。
妾扱いであったうえに、前任者は自殺をしていたが、頭の良さと第1夫人への気配りや立ち回り、また当時の日本外交や資金援助の取り付けをスカルノ大統領は非常に重要視していたこともあり、1962年、スカルノと結婚。4人の夫人の内の第3夫人になる。語学力を活かし、当時既に高齢だった第1夫人に代わり、スカルノ外遊の折には大統領の傍でトップレディとして振舞う姿がみられた。
しかし日本の家族である弟は彼女の立場を理解できず、悩んでそれが一因で自殺したと言われており、それを伝え聞いた彼女は、何時までも心を離れない悲しいトラウマになっていると告白している。
スカルノとの結婚以降、インドネシアへの経済援助(ODA)や、日本への資源輸出などに積極的に関わり、インドネシアと日本の両国の掛け橋的存在となる。しかし、1965年9月30日に起きた軍事クーデター、いわゆる9月30日事件でスカルノは失脚し、かわりにスハルトが大統領となった。デヴィ夫人はインドネシアの日本大使館に亡命を希望したが、国際的立場からして断られてしまった。その後、スカルノ大統領の第二夫人を除いて、皆離婚し逃げ切った。
デヴィ夫人も離婚をしフランスへと亡命した。しかし、そこでも上流階級に属し(スイス銀行に財産を隠していたと噂された所以である)フランス社交界では数々のロマンスを経験、数回の婚約発表が取りざたされたが、結局再婚はなかった。
デヴィ夫人にとって「元大統領夫人という肩書き」は捨てがたいものだったと言われた。なお、長女はスカルノ大統領の子供ですでに外国で結婚している。
スカルノと来日した時には、大映スターであった本郷功次郎とのロマンスが発覚し、それをスカルノが止めたというエピソードがあり、スカルノ亡きあと来日していた当時の津川雅彦とのロマンスは有名である。週刊誌のインタビューに堂々と恋人同士であることを告白している。「津川さんの素敵なところは臭い台詞でも平気で女性を褒めることが出来る日本人ばなれしている点」というような意味の発言をしてもいた。しかしその恋は永続きせず、やがてフランスに帰って行った彼女を津川は追っていったが、簡単に袖にされて即帰ってきた。
クーデターを予期し以前よりインドネシアからスイスへ巨額の資金を確保していたとささやかれる。
インドネシアよりの正式な財産の受け取りはない。つまり、スカルノ死去時にスカルノ家ならびにインドネシア政府から財産の相続の放棄や子供のスカルノ家内の地位などを完全放棄させられているため、第三夫人としての資産は没収されていると思われる。
デヴィ・スカルノの朝鮮総連での挨拶
平成19年7月4日水曜日雨 ○
あのデヴィ・スカルノ元大統領夫人が犯罪組織である朝鮮総連の大会で、以下のように吠えたそうです。
以下引用
▼ 「小泉前首相は金正日総書記と国交正常化することを決めた。小泉首相の後を引き継いだ安倍首相は、本来なら国交正常化を実現するために努力しなければならないのに、正反対のことをやっている。まったく理解できない」。26日に行われた女性同盟定期大会で来ひんとしてあいさつしたデヴィ・スカルノ元大統領夫人の言葉だ
▼デヴィ夫人は、「今後もあらぬ迫害を受けるかもしれないが、決してめげずに、団結してがんばってほしい」と参加者らにエールも送った。会場からは、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
引用終わり
[朝鮮新報 2007.6.27]
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/08/0708j0627-00001.htm
「あらぬ迫害」とは何のことでしょう。
犯罪国家北朝鮮の手先である朝鮮総連の犯罪については過去に何度も書いてきました。
今日の産経新聞で北朝鮮の工作員を竹下派の支配の時は逮捕できなかったわが国の異常さが書かれている。辛光洙という北朝鮮工作員は南朝鮮で逮捕された時に、金正日から直接指示を受け、拉致をおこなっていた事を南朝鮮の取り調べでしゃべっている。その時に逮捕状を検札が出さなかっただけでなく、一九九七年五月の衆議院外務委員会での安部晋三議員の次のような質問までこの事が問題にされる事がなかった。
「韓国の裁判の記録に厳然たる事実があるのに、私は日本の警察はどうしているんだ、強い憤りと疑問を感じる」「辛への取り調べを行いたいという意思を伝えてもらいたい」
一四年後の一九九九年大晦日に辛が赤い大統領の金大中の判断により釈放されたときに、森政権は動かなかった。その時の外務大臣はあの売国奴河野洋平である。売国河野は「私の責任を取る」と大見得をきって国費一一〇〇億円もの巨費で北朝鮮に米を五〇万トン送った。
この売国奴は何も責任を取っていないどころか衆議院議長まで勤めて我が国を危うくしている。
ちなみに、九〇年代は金丸信、渡辺美智雄、加藤紘一、野中宏務、中山正暉、加藤紘一などという北朝鮮族議員が大活躍していた時代でした。
九〇年五月の朝鮮総連への捜査に対しては金丸信が警察庁幹部に圧力をかけたとされる。その後、金丸は友人の田辺誠社会党副委員長と北朝鮮に行き、いわれなき謝罪と戦後の償いをしている。
辛らの釈放に対して、金大中に対しての嘆願書には土井たか子、菅直人、江田五月、千葉景子、山下八州夫、渕上貞男ら一二八人が署名している。
北朝鮮に国民が拉致され、国家の主権が侵害されたのに動こうとしなかった異常な時代。やっと普通の国らしくなってきたのです。これをまたあの異常な時代に戻してはいけないと思います。
犯罪組織である朝鮮総連を追い詰めていくのは法治国家としては当然のことです。
そんな犯罪組織の味方するバカ女デヴィ・スカルノ。
デヴィ夫人の統一教会の集会での発言
週刊新潮の記事では七月三十日、東京のホテルニュ−オータニで開かれた<世界平和と南北統一を願う国際指導者大会>という統一教会の集会の後にひらかれたディナーパーティーで、あのデヴィ夫人が
「ミサイルが七発飛んできたからといって、何を慌てているのでしょう」
「偽札や覚醒剤を作っているからといって北朝鮮を非難するのはやめたほうがいい」
「朝鮮戦争の責任は日本にもあるんです」
と宣わったそうです。
その後、同誌の取材には
「ええいいましたよ」と認め、
「ミサイルはあくまでも実験でしょう。しかも日本領海に飛ばしたわけじゃあない。それなのに大騒ぎするなんてみっともないですよ」
「覚醒剤や偽札も立派な犯罪だけど、何が彼らをそこまで追い詰めたかという見方も必要です。私はアメリカだと思うのです」ときっぱりと言い切り、朝鮮戦争の責任については
「日本にも責任の一端がありますよ。だって日本がずっと支配していて、敗戦後に何も後始末せずに逃げ出したじゃありませんか。だから朝鮮半島は分断されてしまったんです」
週刊新潮平成十八年八月十七・二十四日夏期特大号p五十九〜六十
アホ過ぎます。流石は自分の銅像を建てるのに一生懸命になった金日成と趣味が合ったスカルノの夫人だけあります。
ミサイル発射は「お互いの安全を脅かす行動をしない」「双方は核およびミサイル問題を含む安全保障上の諸問題と関連し、関係国間の対話を促進し問題解決をはかる必要性を確認した。朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に沿ってミサイル発射の保留を2003年以後もさらに延長する意向を表明した。」と明記したあのアホらしい平城宣言にさへも違反しています。(小泉首相はどうしてこのようなアホらしい平城宣言を破棄しないのでしょう)
また、国家が覚醒剤や偽札を作っている事を擁護などできる要素は皆無です。追い詰めるとはどういうことでしょう。国家経営に失敗したのはバカ独裁者である金日成、金正日の責任です。アメリカは関係ありません。もちろん我が国も関係ありません。まあ、我が国が関係があるとしたら、戦後の土地の略奪、言論に対する弾圧などの朝鮮人の横暴を許し、パチンコという賭博を取り締まらずに、肥え太った在日朝鮮人の送金によりその腐れ国家を延命させたことでしょうか。そして、工作員ともいえる土井たか子、美濃部亮吉などの売国奴政治家、そしてそんな北朝鮮を理想国家と夢想した朝日新聞、岩波書店などの腐れマスコミが責められるべきことです。
「朝鮮戦争も日本の責任」「敗戦後に何も後始末せずに逃げ出したじゃありませんか」という発言にはも驚かされます。多少なりとも歴史を知っているものであったなら、こんなアホなことは言わないでしょう。ソ連は日ソ不可侵条約を一方的に破棄し朝鮮半島、満州になだれ込んできて、あの国らしく略奪の限りを尽くしました。
まあ、そんなソ連の姿を見抜けずに最後まで当てにして仲介を頼んでいた状況判断のできない無能な政治家の責任といえばそうなるでしょうが、「敗戦後に何も後始末せずに逃げ出したじゃありませんか」と言っているこのデヴィ夫人という御仁はそういう考えで言っていないようです。ただ我が国が統べてを放りだして逃げ出しただけと思っているようです。
現実はアメリカ軍が朝鮮半島に進駐してきた時に、朝鮮人ではなく日本人に施政をとらせました。北朝鮮を蹂躙していたソ連も日本人がいなくなると何も出来なくなるので、相当数が止め置かれました。日本人はその生来の律儀過ぎるほどの律儀さにより引き継ぎを行ったのです。
デヴィ夫人の腐った脳みそではそういった事が判らないようです。こんなバカ女が国際指導者・・・・ブラックジョーク
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国交正常化が打開の道
金日成主席が1965年4月にインドネシアを訪問し、インドネシア総合大学の名誉博士号を授与された後にスカルノ・インドネシア大統領らと写した写真2点が、朝鮮から送られてきた。写真を受け取るため、7月31日に朝鮮会館(東京都千代田区)を訪れた故大統領の未亡人、デヴィ・スカルノ夫人に、ミサイル問題をはじめとする最近の朝鮮半島情勢に対する見解を聞いた。夫人は一昨年2月を皮切りに、これまで3回訪朝している。
ミサイル発射
朝鮮のミサイル発射に関して、日本がなぜあんなに騒ぐのか、とても不思議だった。
世界47カ国がミサイルを所有し実験を行っているのに、なぜ朝鮮だけがミサイル実験をしてはならないのか。しかも今回は、ロシア近海に落ちた一発を除いて全て朝鮮の近海に落ちている。もちろん、日本に事前通告しなかった問題はあるが、朝鮮海域を通る漁船や民間の船舶には通報したと聞いている。
米国はもちろんイギリスやフランス、ドイツなどもテストをしている。ミサイルだけでなく、米国はインドネシア近海のマーシャル群島で過去何十年にもわたって核実験を行っている。
にもかかわらず、米国は世界のポリスのようにふる舞い、実験をして良い国と悪い国を振り分けている。
私がここ数年言い続けているのは、なぜ朝鮮だけが(核やミサイルを)持ってはいけないかということ。世界の全ての国が持っておらず、その中で朝鮮だけが持ったのなら、それはいけない。しかし、200近い世界の国の4分の1が持っていて、朝鮮だけが持ってはいけない理由はどこにあるのか。
朝鮮は破壊的な国で、「ならず者」国家だからと言うなら、「ならず者」国家と言われるまで追い込んでしまったことに目を向けるべきだ。朝鮮側からしてみれば、朝鮮戦争停戦後50年以上も経済制裁を受けてきた。生きる道を閉ざされてきたも同然だ。その点について考えるべきで、ただ非難すべきではないと思う。
今の状況を見ると、要するにホワイトハウスの意思に背く国家元首は国ともども経済制裁を科して、無理やり米国に振り向かせようとする政策だ。それに日本が加担している。日本はアジアのリーダー格として、もっとできることがあるはずだ。
コメ支援
私は、日本の政治家がもっと徳のある政治を行うべきだと思う。主義主張が違っても、朝鮮をもっと尊敬すべきだ。
たとえば、隣国が食糧不足にあえぎ、それによって死者まで出ているときに、条件をつけて、その条件をのまなければ援助しないというやり方は納得できない。私の正義感が許せない。だから昨年、私が名誉会長を努める「金日成花金正日花普及後援会」を通じて朝鮮に120トンの精米を届けた。支援米の袋には「with LOVE デヴィ・スカルノ」と書いた。中国の瀋陽から貨物列車で平壌まで運んだ。列車が駅に到着する際、朝鮮赤十字社の方とともに駅で出迎え、一緒に荷物を降ろした。
国交正常化
私はこれまで3回訪朝し、そのつど、いろいろな方にお会いしたが、その方たちに、小泉さんは約束を破ったではないかと言われ続けてきた。小泉首相は訪朝し、国交正常化すると約束して帰ってきた。その約束がいまだに実現されていないというわけだ。
今でも少なからぬ日本人観光客が朝鮮を訪れているが、国交が正常化されれば、より多くの日本の人が訪れるだろう。逆に朝鮮の人も日本に来ることができる。韓国の観光客数も日本をはるかにしのぐが、南北が統一されれば、すべての離散家族の再会が可能だ。
日本人観光客が増えれば増えるほど、ホテルや観光関係者も潤う。経済的にも非常に良い方向に進むだろう。朝鮮に投資しようとする企業が出てくるかもしれない。
横田めぐみさんのご両親も、孫娘に会いに平壌に行った方が良い。何度でも会いにいけば、通訳を介してでもそのうち事実を打ち明けてくれるのではないか。めぐみさんの友人に会えるかもしれない。夫にも会って詳しく話を聞けば真実もわかってくると思う。
現状打開
今、日朝関係は最悪の状態にあるが、それを打開するには、やはり国交正常化しかない。
それとともに、在日の人たちはもっと発言すべきだ。その発言がマスコミで取り上げられ日本人の目にとまれば、日本人も違う見方があることに気がつくだろう。日本の人たちも十分わかると思う。今はマスコミを通して一方的な情報しか与えられていない。
日本でも反ブッシュ、反イラク戦争、反自衛隊海外派兵を主張する人たちがいる。朝鮮の問題にしても、違った見方をする人たちが声を大にして、それがマスコミに取り上げられれば、また違った反応も出てくるはずだ。
少なくとも米国では、ある意見に対する反対意見も必ず載せる。日本では一方的な意見だけが目立つ。ハイエナのごとく弱い者いじめをしている感じがして、とても嫌な気持ちになる。
とにかく、人の行き来が活発になり、互いに話し合ってわかり合えるようになることが大切だ。(まとめ=文聖姫記者)
ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ 1959年、インドネシア共和国のスカルノ大統領と訪日中に出会い、同年11月にジャカルタで結婚。70年、スカルノ大統領が逝去。その後、パリに亡命。社交界の華として賛美され、“東洋の真珠”と称される。80年よりパリからインドネシアに戻り、実業家として、石油、ガスの分野でプラントを設立するなど、各事業を展開。91年、ニューヨークへ移住。環境問題や先住民の生活保護、コンサート・ピアニストとオペラ歌手への支援など、さまざまな活動に携わってきた。現在日本で数々のテレビ番組に出演。全国各地で国際的視野の形成、人生観の確立などをテーマに講演会などを行うなど、多岐にわたり活躍。主な著書に「パリからの手紙」(光文社)、「デヴィ・スカルノ自伝」(文芸春秋社)など。
[朝鮮新報 2006.8.8]
海外まで出稼ぎに行き 男を探すくらいだかでしゃばりは得意だね。
ところで今 おくつ? 亭主 食い殺したの?もう80歳かね?
靴は3000足だってね。アンタ ムカデかい?