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秦淮河
しんわいが




船は離る 洪澤こうたく 岸頭の沙,
人 淮河わい が に到りて  意 佳かならず。
何ぞ必ずしも 桑乾さうかん  方まさに是れ 遠しとせんや,
中流 以北は  即すなはち 天涯。


淮河 (わいが、中華人民共和国 を流れる川の一つで、
長江黄河 に次ぐ第三の大河。長さは1,078km、流域面積は174,000平方kmに及ぶ。

淮河は、黄河と長江の間を東西に流れている。その下流は平坦な低地を通っており、流路が複雑なため洪水を起こしやすく非常に治水が難しい。
このため「壊河」の異名がある。

また、淮河および秦嶺山脈を結ぶ線(秦嶺淮河線)を境に南北で地理や気象条件などが異なる。
秦嶺淮河線は年間降水量750mmの線とほぼ一致する。
たとえば北は小麦中心の畑作農業地帯で、南はコメ 中心の水田地帯となっていたなど、伝統的に華北 と華南の境界線 とみなされている。
また淮河の北は陸路中心の交通、南は河川交通中心で「南船北馬」ともいわれており、こうした農業生産物や交通の違いは政策の差や軍事行動に影響するため、
中国が南北に分裂していた時代は淮河が境界線になったことが多かった。

淮河は河南省 の桐柏山・老鴉叉に源流を発する。河南省、安徽省江蘇省 の3つの省を通り、途中江蘇省で洪沢湖という中国第4位の巨大な淡水湖を形成し、一部はここで分かれて三江営で長江に流入し、残りは黄海 に注いでいる。源流から河口までの落差はわずか200mにすぎない。河南省と安徽省の境の洪河口までが上流で、長さは360km・落差178m・流域面積は30,600平方kmに達する。洪河口から洪沢湖の出口・中渡までが中流で、長さは490km・落差は16m・流域面積は158,000平方kmになる。中渡から三江営の長江流入地点までは150kmで、落差6mとなる。また渦河・沙河・洪河など、華北平野の黄河より南を流れる川は、天井川である黄河に合流することができないため、南へ流れて淮河の支流になっている。これらの川には、むかし黄河本流だった河道を流れる川もある。

淮河の流路は激しく変化してきた。かつては今日の江蘇省北部を通って黄海に注いでいた。しかし1194年、それまで渤海 へ北流していた黄河が南に向きを変え淮河河道へ合流するようになり、淮河は黄河の流れの強さに押しだされた。黄河が堆積した土砂は高く積もったため、淮河は流れをふさがれ、水は逆流してあふれ出し洪沢湖を形成し、多くの土地や町が水没した。洪沢湖に溜まった水は南へ迷走し、いくつかの湖を作ったあと長江へと合流するようになった。1850年代 に黄河は再び北に流れを変えたが、淮河は黄河旧河道の堆積土砂による自然堤防のために元の流れに戻ることができず南に流れるままになり、安徽省・江蘇省境界付近でしばしば氾濫を繰り返した。1950年代 以降、中華人民共和国 によって淮河水系の上流でダム建設や植林、下流で排水路整備が進められた。特に江蘇省北部に設けられた水路・蘇北灌漑総渠などによって、淮河旧河道に沿うかたちで淮河の水を黄海へ流している。








淮河流域の概況:
 淮河流域は長江と黄河の中間の中国東部に位置する。淮河の源は河南省南部で、全長は1000キロ、その流域は東経112〜121度、北緯31〜36度の間に広がり、面積は約27万平方キロメートルに及ぶ。流域の西部、西南部、東北部は山間部または丘陵区に当たるが、その他は広大な平原を流れ、支流、湖沼、湿地が多く分布する。
 淮河流域の年間平均降水量は920ミリ。降水量は年によって変化が大きく、最高を記録した年の降雨量は最低の年の3〜4倍にもなる。降水量も季節によってばらつきがあり、6〜9月の雨季に一年間の50〜80%の雨が降る。雨雲の動きと川の流れが一致しているため、洪水を引き起こしやすい川である。
 淮河流域は河南、安徽、山東、江蘇と湖北の5省に及び、35の都市、189の県(小都市)を貫く。流域の総人口は16043万人、人口密度は1キロ平方当たり594人で、全国平均の122人の4.8倍になる。これは他の大型河川の中でも最も高い数字である。
 流域の耕地面積は18326万ムー、主要な農作物は小麦、米、トウモロコシ、イモ類、大豆、綿花、アブラナで、1997年度の穀類生産量は全国の総生産量の17.3%に当たる8496万トン。流域内は支流が縦横に走り、貯水池や湖沼が多い。水域面積が広く、水産資源が豊富で2000万ムーあまりの水域に100種あまりの魚類が生息している。中国の重要な淡水魚の宝庫である。
 工業は石炭、電力工業、農産物及び副産物を原料とした食品加工業、紡績が盛んで、ここ十数年は石炭化学工業、建材、電力、機械製造業などの工業が迅速な発展を示している


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中国:淮河の水質汚染、10年で193億元を投入

 国家環境保護総局の潘岳・副局長は、最近、深刻さが増していると指摘される淮河の水質汚染について、中国は過去10年間で193億元を投入、
淮河の水質汚染が効果的に抑えられてきており、段階的な成果を得つつあるとの見解を示した。
淮河は北の黄河と南の長江の間、中国のど真ん中を横断している大河の一つ。中国新聞社が伝えた。

  5月28日から6月11日まで、国家環境保護総局では3組の専門家グループを淮河沿岸の四つの省の21の市級行政区、91の県級行政区の重点工業汚染源、都市生活汚水処理場などに対して、秘密裏に調査を実施したことを明らかにした。潘・副局長によれば、淮河の汚染はまだまだ深刻な面もあるが、客観的な成果を評価しなければならないと指摘。

  潘・副局長は、淮河の汚染防止活動に対しては、中央政府のサポートもあって、また当地の地方政府の協力のもと、
工業汚染や生活汚染に対しても効果的に抑制されつつあると語っている。
四つの省において、1996年から2003年まで、GDP(域内総生産)は134%の成長を遂げているが、水中のCOD(化学的酸素要求量)は、この期間で半減しているとのデータを示した。

  ここ10年、淮河の流域における汚染防止のための資金投入額は193億元に達しており、汚染防止活動初期において1カ所もなかった汚水処理施設は、
現在までに57カ所に増えており、1日の処理規模は335万トンに達し、年間25万トンのCOD削減能力を形成しているという。(編集担当:鈴木義純)



淮河とその水利施設

編集者の言葉  淮河の環境整備に注がれた費用は過去十年間で600億元に達する。しかし、その結果は芳しくなく、今もなお汚染された水がたまり、淮河は有史以来の惨状を呈している。淮河の水質汚染に中国国民は関心を寄せているが、とりわけこの川を「母なる川」として親しんできた地元の人々は、かつての黄金水道の荒廃ぶりに心を痛めている。新中国の初代国家主席である毛沢東は、「淮河の治水は必ずやり遂げる」と言ったが、現在も淮河は「最も整備が困難な河川」のままである。淮河は人間の意思ではどうにもならない、人間の力の及ばない川なのか?淮河流域の四つの省、河南、山東、安徽,江蘇を発展させることで中国全体の持続的発展を支えると同時に、地球の生態環境を守るため、私たちは淮河の汚染原因を追究し、この川を蘇らせなくてはならない。

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1950年代に行われた水利工事の現場

淮河は、流域が人口の密集地であることに加え、その気候条件と地理環境のために、古来「問題視される河」であり続けてきた。
淮河の氾濫を防ぐことは数千年来、中国の水利事業の大きな課題であったのだ。しかし、今日、水害のほかに憂慮すべき問題が加わった。水質汚染である。
 2004年7月20日から27日にかけて降った大雨のために流域では大水が発生し、淮河に有史以来最大量の汚水が流れ込んだ。
押し寄せた汚水層は実に5億トン、上流域から下流域へ距離にして133キロも広がり、沿岸の湖や沢を濁流に飲み込んで、一帯に生息する川魚や川エビ、カニを殺した。
 突然の災害は中国政府に淮河の治水問題を再認識させ、世論はこれまでにない盛り上がりを見せる。
災害
 2004年7月20日。
 午前、江蘇省??県河橋鎮猫湖村に住む劉傑くん(7)は、いつも通りに家を出て、近くの七里湖に水遊びに出かけた。その数分後、彼の叫び声を聞いて湖に駆けつけたお母さんは、あまりの光景に呆然となる。昨日まで清く澄んでいた湖水は一夜にして黄褐色に濁り、泡だった水面からは悪臭が漂っている。劉くんはすでに水から這い出し岸辺に立ちすくんでいたが、しばらくして全身に焼けるような痛みを覚えた。お母さんは慌ててバケツで真水を運び劉くんの体を洗ったが、彼の体には赤い発疹ができていた。激しい痒みを伴う発疹は今も消えず、掻きむしるたびに肌は破れかさぶたになった。彼以外にも犠牲者はいる。魚、スッポン、エビ、カニなどの水生生物も活路を求めて汚水の中を泳ぎまわり、ついには陸地で息絶えていた。汚水の先鋒隊は光を帯びた薄墨色の水で、川底に沈殿して有害物質を出す。これに続いて黄緑色の水が表層部分を流れ、最後に茶褐色の汚水が流れ込んでくる。こうした汚染水が、2日にわたって淮河を移動し、いたるところを汚染しつくし、生物を死に至らしめた。
 7月29日、国家環境総局のスポークスマンを務める潘岳副局長は、今回の大汚染について中国の首都・北京で講演をし、「淮河の水資源の開発利用率は、内陸河川の開発利用率の世界平均である30%をはるかに上回って、50%に達している。淮河の生態系が失われることは、単にこの川だけの問題ではない。渇水期には汚水が留まり、洪水のシーズンには汚水が溢れて近隣の水域に害を及ぼす。建設された膨大な数の堰堤は淮河を寸断し、地下水位は降下し、川底の砂の流失も激しく、生態系は悪化の一途をたどっている。淮河の自然機能は徹底的に破壊され、浄水能力を基本的に失っている」と、淮河の状態を語った。




淮河の支流は多い。支流は汚染物質の重要な排出ルートになる。

河川整備
 突きつけられた現実から、われわれは逃げることはできない。たとえ、これまでにも採れる限りの方策を尽くしてきたといっても…。
 早くは1951年、「大雨の年は大水害が起こり、雨が少なくても小さな災害は絶えず、雨が降らなければ旱魃に見舞われる」という淮河流域の治水問題を解決するために、当時の国家主席である毛沢東は、「淮河の治水は必ずやり遂げる」と大号令をかけ、中国政府も淮河の治水のために相応の措置を提出する。これにより中国では「淮河治水」の機運が巻き起こり、多くの水利施設が建設され、洪水予防、灌漑、給水、発電などの基礎的総合水利システムが形成された。
 1980年代後半にはいると、水質汚染が淮河の治水問題の重点になる。
 1994年、国務院は率先して、淮河流域の水質汚染改善の大規模なプロジェクトを展開させる。こうした動きの影には、全国規模で日増しに深刻化する河川の水質汚染に対し、その解決法を探るという希望があった。これに伴い、中国で最初の河川とその流域の汚染に関する法律『淮河流域水汚染防治暫行条例』が発布され、汚染源となる企業に対して汚染予防のための改造を促し、4000以上の改善の見込めない企業を廃業させた。1995年、国務院は中国で最初の水質汚染ガイドラインであるである『淮河流域水汚染防治“九五”ガイドライン』を制定し、256の行政単位に汚水処理システムを確立することを要求する。特筆すべきは、すべての工業企業の工業用水排出に制限時間を定めた1997年の「零点行動」、水質汚染の根治を目的とした2000年の「淮河水体変清」が淮河流域で大々的に展開されたことである。この運動で、沙頴河の主要な汚染源であった蓮花味精は1億5千万元をかけて汚水処理施設を建設している。安徽、山東、江蘇の各省でも約5千社の町村企業が廃業した。
 起こされた行動は決して少なくなく、淮河の治水プロジェクトの役割も世に広く認識されたが、淮河の氾濫はより多くの現実を語っている。十年の間に投入された費用は600億元にも上るというのに、10年に一度、100年に一度といわれる規模の水害がこの10年に5回も起こっている。淮河の治水は人間の力では不可能なことなのであろうか?
根源
 一般に淮河の水害の元凶は、一に洪水予防施設が少なく、貯水・排水のコントロール量が少ない。二に淮河の水質汚染問題は企業の基準量を超える汚水の排出と、都市の生活汚水であり、これに対する処理が追いつかない。の二点にあると認識されているが、これは表面的な要因に過ぎない。淮河の治水が困難である深層要因は、生態系が破壊され、生態系による浄化作用が悪循環に陥っていることにある。
 流域にあるダム、貯水池は表面的には淮河の安全を守るに十分なように見える。しかし、こうした公共施設は地元の安全を守るもので、地域的な保護主義の温床になっている。全体的に見れば、淮河の洪水予防施設の貯水量は標準値には達していないのである。
 企業の工業排水について例を挙げよう。安徽省の豊原集団有限公司は華夏文明の発祥の地である塗山の麓、淮河流域の真珠といわれる蚌埠にある。豊原生物化学は自社が開発した「トウモロコシのエキスを発行させて生成するクエン酸」の特許技術を用いて、農産物を重加工し、低コストの高品質製品を生産し、迅速に中国最大規模の生物化学工業の生産基地に発展した。しかし、この製品の製造から生じる大量の排水の処理は難問である。豊原生物化学の成功は人々の知るところだが、工場から伸びる配水管はそれ以上に人々の印象に深い。
 地方企業の利益と国家、民族の利益との衝突である。利益のために河川を犠牲にしてよいのか?淮河流域に住む人々の安全を脅かしてよいものなのだろうか?全国の生態環境に原子爆弾を埋めるような行為が許されるのだろうか?
 この原子爆弾の威力は凄まじい。
 1989年、1.1億立方メートルの汚水が蚌埠の水門から流出し、60キロに及ぶ汚水の流れを作り、淮陰市に1250万経済損失をもたらす。
 1994年、全国を震撼させた「7.23」汚染事故が発生、55日間にわたって5000ムー(1ムーは6.67アール)あまりの農地を汚染し、1.7億元の経済損失をもたらす。
 2001年、淮河上流で1.44億立方メートルの汚水が20キロあまりの流れを作り、水利部門が駱馬湖から8億立方メートルの水を放出して処理に当たる。
 2002年、1.3億立方メートルの汚水が流出し、??県だけで5.3万ムーの水域を汚染…。
 今回の汚染は有史以来最大のものである。
 環境保護と経済発展の間の軋轢は発展しつつあるすべての国が抱える問題であり、水質汚染のほかに大気汚染、砂漠化などの諸問題も含まれている。このような状況に直面し、地方政府は新たな選択を迫られている。あくまでも発展戦略を貫徹するのか?それとも敢えて苦しい選択をするのか?つまり、生態とのバランスを考えた方策に切り替えるかである。
 われわれが淮河の環境改善のために重ねてきた努力を否定する者はいない。しかし、まだ完了したわけではない。淮河の環境改善にいまだ明らかな効果が見られないのは、生態循環の悪化、地域の保身、企業の深刻な規定違反であり、これらの要因のために改善努力が環境破壊の速度に追いついていないのが現状である。



地域的な保護主義が淮河の汚染問題解決の最大のネックになっている。ある企業は規定量を超えた排水を放出したため、営業を停止された。
この企業の責任者は地元の有力者との合撮写真を示し、その馴れ合い体質を説明した。


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十分な汚水処理施設を持たない小さな製紙工場




流域の湖沼に流れ込んだ汚染物質




洪水で決壊した堤防


社会的関心

 淮河監測ステーションの王余柿所長は、「10年たっても、淮河はまだ泣いています。我々は淮河流域に住む人々にまでこの嘆きが及ぶことを座して見ていることはできません。この悲劇を子孫にまで及ばせるわけにはいかないのです」と、私たちに訴えた。
 淮河の汚染問題は中国政府も重視しており、社会各層も関心を寄せている。国家の関係部門の官僚もこぞって談話を発表し、社会各層からも意見が出され、生態バランスの整った淮河の再建に人々は取り組んでいる。
 淮河の現状を正確に把握し、汚染を防止するため、国家環境総局、水利部、淮河水資源管理局はそれぞれ個別に淮河沿岸の江蘇、山東、安徽、河南の主要31か所に水質監測ステーションを建設し、国内外の先進技術を導入して、淮河監測のオートマチック化を実現した。
 前出の国家環境総局の潘岳副局長は「淮河流域の経済状況、人口密度、汚染状況を冷静に観察すると、水質汚染の解決には未曾有の困難が待ち受けていると言わねばならない。現在挙がっている成果も相当に脆弱なものである。社会各界、とりわけ淮河流域の各省、都市は、淮河の環境問題を再度強硬に成し遂げるべき任務として行政スケジュールに、最優先課題として加えるべきである」と表明している。
 淮河流域水流域水資源保護局の姜永生局長と程緒水副局長は中国メディアの取材でも、その強硬姿勢を堅持し、厳格な表情で政府各部門の決意を表示しただけでなく、メディアがこの問題を引き続き取り上げることを望んだ。
 淮河の汚染対策を編集、制定した科学者の夏青氏は現状に対し、二足歩行で行くべきという意見を持っている。つまり片方は排水量を制限し、これに成功した後、水質の改善に目標を移し、長期的な努力を続けるというものである。
  また、夏氏は地域的な保護主義の弊害を除くため、淮河流域の各省の領域を超えた上級専門機関―淮河流域水務管理局を立ち上げ、「淮河流域水務管理法」を公布するという意見も提出している




前途
淮河の環境対策の成果については評価も様々だが、客観的に見て汚染事件は関係部門の努力と成績を無効にするものではない。淮河の水利問題は複雑であり、解決は困難で、その成果も非常に脆弱で懸念要因を含んでいることは人々も理解している。科学的見地でこの十年の成果を評価するなら、淮河の過去と現在の姿を比較するだけでなく、汚染対策を社会経済発展という背景の中で捉えなければならないだろう。この十年、淮河流域の経済性は3倍に成長したが、汚染の負荷は60%以上も下がっている。経済発展に加え、都市化率が30〜40%の伸びを示す中、淮河の水質は目立った改善は見られないにせよ、1994年当時を下回ることはなく、淮河流域の住民の生活水準は向上している。これは事実であり、この10年の取り組みの最も重要な成果である。
中国政府は淮河流域の人民を災害の脅威の下で生活させはしない。中国は周辺国家をはじめ世界の国々を憂慮させるようなことはない。中国は淮河と関わるすべての生命に対して責任を持ち、世界の生態環境にも責任を負う。目下、環境保護は政府の業績の主要な評価基準となっており、キーポイントでもある。環境保護で成果を挙げられなければ、他の項目でどのような成果を挙げようと、評価はゼロになる。
国家環境保護総局の汪紀戒副局長は、「淮河流域の汚染問題を根本解決するためには、各級政府が科学を発展させるという観念に立ち、産業構造の調整に力を注いで、環境のエネルギー容量に適合した地域経済活動を組織し、汚水の排出の許可制度を厳格に執行して、科学的に、合理的に水資源を利用していかなければならない。このほか、法律法規を改正して“法律を遵守するにはコストがかかるが、違法行為は安上がり”という問題を解決しなければならない」と、強調した。
「素早く行動を起こして、母なる河を救う」。我々は汚染問題の解決を急ぎ、淮河を再び風光明媚な清流に戻さなければならない。「5月、6月に暑い日はなく、夜明け前には漁の歌が聞こえてくる」というのどかな風景を蘇らせるには、まだ長い道のりを行くことになるだろう。しかし、我々は期待し、そして確信している。いつか、一幅の絵のように美しい淮河を眺める日が来ることを。





汚染された川で水遊びをする子供たち




汚染物質のために死んだ養殖魚

淮河:漁民「魚を食べる勇気ない」、深刻度増す

中国中部を東西に流れる淮河で、水質汚染がますます深刻になっている。
地元の漁民でさえ、「捕った魚を食べる勇気はない」と敬遠するほどだ。5日付で新華網が伝えた。

  淮河は北の黄河と南の長江の間を西から東に流れている。
中国有数の大河の一つだ。1970年代には年間130トン以上の漁獲高を記録するなど、有数の淡水漁場だった。また、「養殖基地」としても重要な水系だ。

  しかし近年、工場汚水の排出量が急増している。
03年の汚水排出量は123万トンだった。このことが生態系に大きなダメージを与えている。

  昔を知る人々は、「水がきれいだった頃、川には魚があふれていたものだ。
生活も川に頼っていた。しかし、今は水も飲めない、魚一匹を見るのも難しい」と嘆き顔だ。

  漁業の不振により、漁師の「商売替え」も目立つ。
「魚が捕れないから食べていけない」「養殖をやるために池を掘っても、汚水がしみこんでくるから駄目」などの理由から、出稼ぎに行く人が多い。

  流域沿いの家庭の食卓も変化を見せている。多くの人が淮河産の魚を嫌い、他地方で捕れたものを利用している。
また、医者も「重金属や鉛などに汚染された魚はガンを引き起こす。決して食べてはいけない」と警告を発している。

  阜陽市水環境監督管理センターの王揮・技師は、「淮河の水質は、五段階で表示される数値のさらに下を行くレベルだ。
工業用水や灌漑用水にも利用できない。残念ながら、自己浄化能力をすでに失っている」と語った。(編集担当:黒川真吾)

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赤錆色に染まった河川 市民は不安 南京・外秦淮河






  江蘇省南京市の双橋門から水西門を流れる外秦淮河は、水質汚染が深刻だ。
河水はあちこちが錆び付いたように黄色から赤に変色している。
関係部門の分析によれば、汚染の原因は流域で進んでいる大規模な土木工事や、流域の工場からの違法排水とみられる。(編集MM)

  写真は、深刻な汚染により、濁った赤錆色をした外秦淮河。市内長干橋付近で11日撮影。

  「人民網日本語版」2004年7月12日



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秦淮河
しんわいが
と言えば、言うまでもなく私とかなりご縁があります。秦淮河は昔淮水と称されて
いました。聞くところによれば、秦始皇帝時代に、方山を切り崩して淮水を引き、市内を
貫いて流れているため、秦淮河と称されたそうです。秦淮河は内河と外河に分かれ、内河は
南京市内で流れ、十里の秦淮で一番賑やかな場所となっています。祖母が住んでいた先祖の
家はかつて夫子廟の烏衣巷の入り口にある牌楼(門)の裏に場所を占め、門を出て右に曲がり、
近くに出遭う小川は秦淮河でした。毎日朝から晩まで、市街は絶え間なく賑わっていました。
早点(軽い朝食)売りや、小商人や、演歌師やそして猿回しなどの
出入りはひっきりなしに続いていました。私の幼少時代に最も
深く印象に残ったのは、やはり騾馬車を御して壺を運んでいた
老人でした。終始リズムの変わらない彼の呼び声を聞くたびに、
ため息をつくほどに感心していました。


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中国の「南水北調プロジェクト」
(http://www.cjw.com.cn/Work/Sum.htm)

南水北調プロジェクトの概要

 中国の水資源総量は約28000億立米であり、世界の第6位を占める。しかし国民一人平均の水資源量は僅か世界平均の1/4しかなく、世界では第88位を占め、水資源の欠乏国に属する。そして中国の水土資源の分布はバランスしていない。長江流域、長江以南の各河川の徑流量が全国の80%以上、耕地面積が全国の40%を占め、中国においては豊水地区に属する。それに対して黄河、淮河、海河の三大流域と西北の内陸地域は面積が全国の50%、人口が全国の36%を占めるが水資源量が全国の12%しか占めず、中国においては渇水地区に属する。西北地区と華北地区の鉱産物資源が豊富で中国のエネルギー、穀物、綿、食油の生産基地であり、国民経済において重要な戦略的地位を占めている。黄河平原、淮河平原、海河平原及び膠東半島は中国の人口密集地であり、耕地化率が高く、経済の発達地区に属する。現在水資源の欠乏は経済発展の制約要因となり、生態環境の悪化をもたらしたので、引水は解決しなければならない課題となっている。

 1950年代に「南水北調」という構想を出されてからすでに数十年間に亘って研究を重ねてきた。
南水北調の全体構想としては、長江の上流、中流、下流からそれぞれ取水し、西北地区と華北地区の各地に引水する南水北調西線、
南水北調中央線、南水北調東線の三つの引水線路である。

写真: 南水北調プロジェクト引水各線

 中国大陸の地勢は3段に分かれている。西線は最上段の青海・チベット高原にあり、地形上、西北と華北全体を制御することができる。長江上流の水量が限られており、黄河の上、中流の西北地区と華北の一部地区で水量を補充しなければならない。中央線は黄河、淮河、海河平原の3段目の西側を通過し、長江の中流とその支流の漢江から取水し、自然流下法によって黄河、淮河、海河平原の大部の地区に供水する。東線は、第3段の東部に位置し、地勢が低いため、ポンプによって水を引き上げて北へ輸水する。