死刑
処刑場へ連行される死刑囚。中共側の死刑囚は処刑された後、臓器の行方が不明となる(Getty
Images)
“九指狂魔”行刑前
本?? 据《?州都市?》?道,2月20日,遵?市中?人民法院首次使用?院花60余万元?置的全国首?大型死刑?行?,
采用?物注射方式?一名罪犯?行死刑
女性不足の中国でも政治犯ともなれば容赦なく死刑です。冤罪も多いといいます。
彼女たちは何か醒めた目をしていますね。泣き喚くでもなく…
きれいな容姿がいっそう同情を誘うのでしょう。中国の掲示板にたくさん貼られています。
中国では今も公開処刑がおこなわれていて、西安を旅行した日本のビジネス・マンによれば、トラックに乗せられた四〜五人の死刑囚が「市中引き回し」をされるのを見たとのことでした。死刑囚はその後見物客が待つ競技場に運ばれ、銃殺されたのだそうです。リンクの写真では単発のピストルによる執行ではなく自動小銃の連射のため、頭の半分が吹き飛んでいました。中国の法律によれば死刑の執行場所については何の規定もなく、罪状や状況に応じて二審の死刑判決直後に法廷から囚人を連れ出して、競技場、河原、空き地、野原などで適当に処刑するのだそうです。
この写真の死刑囚達は後ろ手錠をはめられ地面に両膝を着き既に処刑される姿勢にありますが、他の役人連中が談笑しているのに対して、カーキ色の半袖シャツを着た右側二人は緊張した顔をしています。彼らは処刑担当者で間もなく中国伝統の方法に従い、後方の至近距離からピストルで後頭部を撃つことにより死刑を執行します。
この銃殺方法によっては恐らく即死には至りませんが、ケネディー大統領の時と同様に意識が無くても、十数分程度は生きているはずで、それには後述する新鮮な臓器売買の「メリット」がありました。検死官が処刑に立ち会い遺体の頭部に生じた弾丸の射入口や前方の射出口に指を入れて、傷の深さを測るのだそうですが、写真の処刑も現場付近や遠くに一般人の姿が見えるので、死刑が公開されていました。
悪名高い死刑大国の中国は国際的批判を意識してか、最高人民法院は2004年3月の全国人民代表大会で、初めて年次ペ−スでの死刑判決確定数を公表しました。それによれば、2003年には百八十二件(?)の死刑判決が確定したとのことですが、刑の執行状況などは不明のままでした。国際人権組織アムネスティー・インターナショナルが毎年発表する死刑に関する報告を引用しますと、中国では2001年には少なくとも4,015人が死刑判決を受け、2,468人が処刑されましたが、公式発表とは大きな違いがあります。中国における死刑判決数は毎年三千〜四千人とする資料がありますが、人口が約十分の一の日本に当てはめるとすると、毎年三百〜四百人が死刑判決を受けることになります。
昔から治安維持の安定した社会を経験したことがない犯罪大国の中国では、他国民と比べて死刑に対する考え方にも大きな差があります。中国科学院が95年に実施した死刑に関する聞き取り調査(5006人を対象)では、現行の死刑執行件数を「多い」と感じた回答は僅か三パーセントで、逆に死刑の適用拡大を求める回答が二十三パーセントに達するなど、圧倒的多数が死刑の現状を肯定していました。
平成17年12月31日付の読売新聞によれば、
2004年、2005年の二年間で百八名の日本人が中国で腎臓や肝臓の移植手術をうけていたが、その背景には日本国内の深刻なドナー(提供者)不足がある。中国では最近の1年間に腎臓移植約6,500件、肝臓移植約3,000件が実施されたが、ドナー(提供者)の約九割を死刑囚が占めるほか、公平な臓器配分制度が確立されておらず、人権、法整備面の不透明さも大きい。費用は腎臓移植が約600万円、肝臓移植が1,300万円であり、米国に比べ大幅に安い(約十分の一以下)といわれている。
とありました。米国に移住した中国人医師の話によれば、砂ホコリの舞う処刑現場で銃殺直後の死刑囚から臓器を取り出し、移植のために病院に運んだことがあったそうです。若くて新鮮な臓器が死刑囚から毎年何千人分も提供されますが、そこには例によって巨額のカネが裏で流れ、司法当局、公安、共産党幹部、地方政府の役人などの「ふところ」が潤う仕組みなのだそうです。
「虐殺派」の人々は中国の文化や習慣について全く知らない、と言っても間違い無い。
例えば日本では「大虐殺」と言うが中国では「大屠殺」と言う、なぜか?
これこそ、日本と中国との文化の違いを端的に物語っている。
処刑一つにしてもその国の文化があるのだ。
例えば世界広しと言えども「腹切り」するのは日本人だけであるし、日本では成るべく痛みが無い処刑方法を取り、身体的に苦痛を避ける手段を取りたがる。
それでは中国人ではどうか?
ここで「通州事件」昭和12(1937)年7月29日の事件について述べてみよう。(通州事件の詳細はこちら)
親日的な方針をとっていた黄東政府が南京のラジオ放送(ウソをつく事で有名だった)の謀略により、突如として日本人を襲い260名もの日本人民間人を虐殺した通州事件を例にしてみよう。
通州にいた通州の日本人居留民に中国保安隊と暴民が襲いかかり、略奪、暴行のあげく、婦人・子供を含む日本人2百余名が虐殺された事件である。
事件は真夜中に起きた。
中国の保安隊はまず日本の特務機関を襲い、応戦した細木中佐と甲斐少佐を銃殺し、喊声をあげて日本人街になだれ込んだ。
日本人住宅を襲い、略奪・暴行をほしいままにして、婦女子を含む260人の日本人を城壁のところに連行し、そこで皆殺しにした。
見るも無惨な殺し方であった。
街の中央にある日本人旅館近水楼を襲った中国兵は、銃声を放って闖入(ちんにゅう)し、数十人の日本人客や女中を惨殺した。
ある者は耳や鼻を削がれ、女性は陰部に丸太を突き刺され、乳房を削がれ、ある者は鉄線で数珠つなぎにされて池に投げ込まれた。
中国人の言う「屠城」による「屠殺」そのままであった(「日本人が虐殺された現代史<新人物往来社刊>参照)。
と言うのを頭において下の写真を見て欲しい。
全て中国人の殺人方法である。
ついでに支那人の 「食人習慣」について述べよう。
「有名な『三国志』の中で、曹操に敗れ、味方にはぐれた玄徳をかくまった若い主人が、新妻を殺して『狼の肉です、召し上がって下さい』と言って歓待し、玄徳は知らずにこれを食べたが、翌朝別れを告げ発つとき妻がいないことに気づき台所へ行くと妻の死体が横たわっていた。『ああ、これほどまでに我を大切にしてくれたか、ありがたい。』という話がある。このくだりは、三国志の中で最高の美談として中国人が愛読し、語り継いでいる。
しかも、昔の中国の城は都市そのものだったから、強敵が攻めてきたときは、軍隊も市民もすべて籠城する。そして、戦争が長引き食糧が無くなると軍隊が市民を食べ始める。
あの、孔子でさえ、人肉の醢(シシビシオ、ただの塩ずけでなく、干して麹を混ぜ上
等の酒に漬けて密封して100日で出来上がり)が好物だったことはあまりにも有名。
とても、日本人の想像の及ぶ所ではない。(「体験的慰安婦の生態」全貌社 鈴木博雄著より)下段2枚の写真はあるHPでは「おつまみとして食べた」なんて解説している。
この支那人(中国人)による食人習慣は文化大革命時の内容を書いた本にも当時の中国(支那)人の「食人」をどうやったか度々良く出てくる。
いかにも、日本兵がやったように錯覚しそうな表現を用いているが以下は全て中国人によるものである。
ついでにこういったニセモノ写真を用いようとする「虐殺派」の中心人物達の本、「南京大虐殺の現場へ」という「洞富雄、藤原彰、本多勝一」著がありそれら写真について述べている。
本著221ページ掲載の呉氏が拾ったという写真7枚について述べると、「呉さんが断定した7点の写真は即「南京事件の証拠」とすることには大きな危険があると言わざるを得ない」と言ったのち、「南京事件の写真であるかどうか「不明」ということが南京事件の写真でないということにはならない、だから南京事件の写真だと言ってもさしつかえないとする論法もなくはないらしい」との事。
つまり、「虐殺派」でさえも写真を証拠として用いることは余りにもずさんだが使ってもいいじゃない。
と言いたいらしい。(笑)
以前、インターネット上で否定論を展開していたNと言う人物が「洞富雄等の本を読む義務があなたにはある」と言ったので読んでみたが、
よく「虐殺派」はこれらで「南京事件はあった」と言い切れるもんだ。(笑)
いや、感心するね。
たしかに、「南京大虐 殺」について全く知識のない者にとっては信じやすいと思うが、われわれ「研究者」にとって「バカにするな」と言いたくなるような資料ばかりである。
先日「南京の真実」講談社が出版されたが、その本の中にも「20万の非戦闘員」(63ページ)と南京の人口を書いているし、
虐殺数は「およそ5〜6万とみています」(317ページ)と書いている。
どこかのHPでは「南京では34万人が虐殺されている」とか主張しながら、一方では、「南京の真実」がその証明だ!なんて主張を行っている。
はっきり言って矛盾している。
「虐殺派」はとにかく矛盾していようが何だろうがとにかく「虐殺」はあったと証明出来そうなものは何でも宣伝し、検証は一切行わない。
「無かった証拠」は無視し、黙殺する。
「ビデオ(平成7年に発見された当時の南京城のドキュメント)」が良い証拠。
以前、田中正明氏が一橋大学に招待されたとき藤原彰は討論会から逃げた。
笠原十九司は藤岡信勝教授との討論日にあえて討論を行う事を避けた。
なぜか?実は以前田中先生と奴らの大ボスである洞富雄が直接討論した時に
洞(「ほら」と読 む)がこてんぱんにやられたのを見ていたのでこれら「虐殺派」は絶対に「否定派」とは直接討論はやらない。
しかも、全然論理的に証明はしない(そりや、そうだ。無かったモノをあったと言っている訳だから)。