アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』のずさんさ「
アイリス・チャン著書 米誌が叩く
90%のでっち上げ写真でベストセラーとなった 『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』 の著者で在米中国人のアイリス・チャンが新刊
『アメリカにおける中国人』 を著した。
中国人移民の迫害された歴史を物語風に綴り、アメリカの白人に 「いじめっ子」の印象を図ったものだが、
米週刊誌「TIME」最新号 は、カラー写真を駆使、大きなスペースを割いて書評を掲載、
「アイリスの文章は歴史的証拠の裏付けを欠く」 と酷評した。
「TIME」はチャンの中国史における歴史記述は「愛国ナショナリズム」 を獅子吼する大陸中国のそれと同じで
「チベット、ウイグル、モンゴルは5千年前から中国の領土」 とするなど
「浅薄な中華思想、ロマン主義に陥っている」 とした上で
「過去の歴史を矯正し、改訂するというけれど、その目的は本書にこそ 必要だ」
と扱き下ろした。
中国系米国人作家。1997年、南京事件(南京虐殺)を扱った
『レイプ・オブ・南京』を刊行し、記述内容の真偽をめぐって物議を醸した。
その掲載写真が全て捏造だという批判もある。2004年自殺。享年36歳。
『日本のメディアによる南京近郊における、日本陸軍の殺人競争(コンテスト)について
むさぼる様に報告した、数多くの悪名高きものの一つ。
2人の日本軍中尉、向井敏明と野田毅はどちらが先に南京に至るまでに100人殺すことが出来るか浮かれていた。
日本の大胆な広告者の見出しのもとに“2人の兵士が超記録―向井106と野田105人が刀によって100人斬りの競争”と書かれた。
(日本の新聞広告)』
(場所)常州
(撮影時間)昭和12年11月29日(1937年)
(撮影者)佐藤振壽(元毎日新聞記者)
考察
この写真は「南京大虐殺」での当時の兵士が残虐行為を行った根拠としてよく使用されている。
この「100人斬り」の記事は3度、東京日々新聞(現毎日新聞)にて報じられた。
第1報(昭和12年11月30日朝刊、「(見出し)百人斬り競争!両大尉、早くも80人」浅海、光本、安田特派員発)
第2報(昭和12年12月6日朝刊、「(見出し)“百人斬り”大接戦 勇壮!野田、向井少尉」句容にて五日浅海、光本両特派員発)
第3報(昭和12年12月13日朝刊、「(見出し)百人斬り“超記録”向井106―105野田 両少尉さらに延長戦」
(本文)紫金山麓にて12日浅海、鈴木両特派員発) これら3回の報道の内容は上海から南京までの間に戦闘時に白兵戦において日本刀一本で敵兵を何人斬ったかという事について述べている。
つまり兵隊が戦場において戦い、敵兵と勇ましく戦い「100人もの敵兵をやっつけた」という事を述べているだけの内容である。
何ら残虐行為とは関係がない。 兵士が戦場において「戦う」という行為は何ら問題はなく正規の戦闘行為である。
しかも、これらの記事には疑問が数多くある。両少尉は白兵戦などは出来ないはずである。
野田少尉は大隊副官という任務であり、仮に白兵戦が起こっている状況下にいたとしても彼は大隊長を助け、
その命令を各中隊に伝えるという重要な任務についている。
向井少尉にしても砲兵隊の小隊長である彼は歩兵砲の指揮を行わなければいけない立場である。
距離いくら「撃てー」等といった命令を行わなければならないような立場の者がどうやって白兵戦を行ったのであろうか?
通常の戦闘では、敵兵に接近する事はほとんどない。日本刀をふるって
中国兵を斬ることができるのは希に白兵戦が起きる時のみであろう。
しかも彼ら2人の写真を撮影した佐藤振壽氏も偕行社「南京戦史資料集」の中で「どうやって、
中国兵を斬ることができるのか、大きな疑問が残っていた。」と、述べている。
ただ、なぜこのような記事が書かれたのか?それを知る手がかりと言えるものに鈴木明著「南京事件のまぼろし」
文藝春秋の中に当時の「南京法廷」において向井少尉の弁護人が提出した上申書が参考となるだろう。
(1) 被告向井ノ中支ニ於ケル行動
向井は富山部隊の砲兵中隊に所属。丹陽に向かって前進中、12月2日迫撃砲弾によって
脚及び右手に盲貫弾片創を受けたため、後続の看護班に収容され、12月15日まで加療した。
向井が、富山部隊に担架に乗って帰隊したのは15、6日だが、それからも治療を続けていたので、
東京日々新聞にあるように十日紫金山で野田少尉とも新聞記者とも会っているはずがない。
(2) 特派員浅海ガ創作記事ヲナシタル端緒(原因)を開明スル処、次ノ如ク解セラル
記者は「行軍ばかりで、さっぱり面白い記事がない。特派員の面目がない」とこぼしていた。
たまたま向井が「花嫁を世話してくれないか」と冗談を言ったところ、記者は「貴方が天晴れ勇士として報道されれば、
花嫁候補はいくらでも集まる」といい、如何にも記者たちが第一線の弾雨下で活躍しているように
新聞本社に対して面子を保つために、あの記事は作られたのである。
向井は、自分がどんな記事を書かれて勇士に祭り上げられたのかは、全然知らなかったので、
半年後にあの記事を見て、大変驚き、且つ恥ずかしかった。
浅海記者がこの記事を創作したのは、当時の日本国内の軍国熱を高揚しようとしたためで、
また、記者の内容が第一線の白兵戦戦闘中の行動であるから、誰からも文句が来ないと思い書いたものと思われる。
中略
(4) 犯罪の事実ノ無根ナル証拠、新聞記事ノ事実無根ナル証拠左ノ如シ
1、向井は白許浦に上陸し、丹陽迄歩いて行き、丹陽から湯水まで担架で運ばれたので、その他の場所へは行ったことがない。
2、向井は浅海記者と無錫以外で会った事がない
3、向井は無錫と丹陽の砲撃戦に参加したのみで、他の戦闘には参加してない。
4、向井は無錫と丹陽で双眼鏡で中国軍を見た以外、翌年1月8日まで、一人の中国人も見ていない。
5、向井は砲撃の指揮官だったから、第一線の白兵戦に参加しているはずがない。
6、向井は野田と丹陽で別れて以来12月16日まで会っていない。
7、記者達は無錫より自動車で行動しているのだから、向井たちを見つけたはずがない。
結 論
この「100人斬り」報道は、当時の日本兵は残虐行為を行っていたという根拠としてよく使われる。
だが、新聞報道には戦闘行為中に敵兵と戦い銃を使わず「刀で斬った」と述べているだけで正当な戦闘行為を述べているのみである。
しかも、この写真撮影を行った佐藤振寿カメラマンは「疑問が残る」と、
述べており、しかも彼らの所属部隊の職務を考えても不自然と言わざるを得ない。
極東軍事裁判、南京法廷には先の上申書が提出されたにも関わらず彼らは死刑となった。
それは、当時の単純な報道姿勢による不幸な犠牲としか言いようがない。
この報道写真が「南京事件」における軍記の弛緩とは直接どころか間接的にも関係は全くない。
したがって
この報道写真が「南京事件」における虐殺がおこなわれたという証拠には全くならない。
『南京では刀による首斬りがもっとも人気があった。
これは犠牲者の首が斬られる瞬間をカメラが捕らえたものである。』(新華社通信)
(撮影場所) 不明
(撮影時間) 不明
(撮影者) 不明
考察
犠牲者とされている男性の服装は中国の一般市民が当時着るような平服ではなく戦闘服である。
つまり、南京市民という訳では無さそうである。敗残兵、もしくは国際法に乗っ取った処刑とも考えられる。
詳細は、上の解説のみで分からない。
見物している日本兵らしき人達の中には色が白いシャツを着ている者もおり、犠牲者の前には青々と茂った雑草が生えている。
(撮影場所) 不明
(撮影時間) 不明
(撮影者) 不明
考察
犠牲者とされている男性の服装は中国の一般市民が当時着るような平服ではなく戦闘服である。
つまり、南京市民という訳では無さそうである。敗残兵、もしくは国際法に乗っ取った処刑とも考えられる。
詳細は、上の解説のみで分からない。
見物している日本兵らしき人達の中には色が白いシャツを着ている者もおり、犠牲者の前には青々と茂った雑草が生えている。
12月 | 1月 | 2月 | |
気温 | 4.4C | 2.2C | 3.9C |
「南京事件」は東京裁判の中で「南京陥落(昭和12年12月13日)から6、7週間の間において行われた・・・・」とある。
当時の南京の温度は詳細には分からないがこれを推察する一つの資料がある。ダイヤモンド社刊『地球の歩き方』95−96年度版の中には左の様な温度条件が書かれてある。以上のように「南京事件」当時、下着のシャツを着て見物を行う等とは常識的に考えられない。
結 論
この写真を「南京事件」における残虐行為と言うには少々無理がある。犠牲者は平服でなく、戦闘服であるし、当時の中国兵はゲリラ活動などを行っており日本軍は悩まされた。だが、ゲリラは国際法において交戦資格をもっておらず捕らえられたのち、即時処刑は合法行為である。仮に南京において行われた処刑としてもこの写真撮影時期は間違いなく「南京事件」当時の「冬」とは異なる。
それに、当時の「南京事件」が起こったとされる時期に首を斬った処刑の記録は一切無い。すべて銃殺、又は銃剣による刺殺のみである。結果、この写真は解説にある様な「南京事件」の証拠写真ではない。
中国系アメリカ人、アイリス・チャン著「The Rape of Nanking」には数多くの南京事件当時のモノされる写真が掲載されているがほとんどの写真は偽写真かもしくはキャプション(解説)の偽造だが、これはチョットひどいのではなかろうか?
掲載されている写真(1)では解説にこう書かれている。
『12月12日、日本海軍は南京近くの揚子江に浮かぶ米砲艦パネイ号を撃沈した。同号は、西洋諸国の外交官、ジャーナリスト、実業家、避難民で一杯だった。(国立公文書館)』
とのことですが、この写真に写っている写真の軍艦はパネイ号では有りません。
真っ赤なニセ写真です。
こんな所を見てもいかにいいかげんな書であるか判断出来るのです。
この写真のアイリス・チャンへの提供者は、同じ中国系アメリカ人の史詠(シ・ヨン)、尹集欽(ジエームズ・ユン)の2人が発刊しているチャンの著書と同名のタイトル本(写真(2))に掲載している写真を提供した様子です。(※現在絶版です。余りにも杜撰な内容のため)
「THE RAPE OF NANKING」という南京事件に関する(一見してウソと分かる)インチキ写真480枚掲載のこの本から転載されています。この本の内容を見たい人は下記へどうぞ。
http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/03.htm
これらの中にもチャンの写真と全く同じ写真が掲載されてますが、
軍艦全体を写してます。(写真(3))
しかも、チャンの本は一見してこの軍艦が判別しづらくするためにわざとぼやかしています。
これは完全に意図的に行われているとしか言いようがありません。
本当のパネイ号の写真は写真(4)のように煙突が2つですし、まるで遊覧船のような船影をしています。
この写真はPHP出版「私が見た南京事件」奥宮正武。22ページに掲載されています。
一見しただけで全く別の軍艦と分かります。
ところで、アイリス・チャンの写真に使われている軍艦を一体なんだろう?と、思われる方も多いのではないでしょうか?
このアイリス・チャンのパネー号とされる写真は実は少数ですが、国民党(蒋介石軍)が保有していた中国海軍の2隻の軽巡洋艦のうちの1隻「寧海」だったのです。
(写真(5)参照)
この写真(5)が掲載されているのは、
光人社「わかりやすい日中戦争」三野正洋。
227ページに載っています。
この本の中で、こう書かれています。
「しかしこの2隻(中国軍軽巡洋艦)は、第2次上海事変が勃発した直後の昭和12(1937)年9月23日、日本海軍機の攻撃によって揚子江岸で撃沈された。
沈んだ場所の水深が浅かったので日本海軍はこれを引き揚げ、寧海を五百島(いおじま)、平海を八十島と改名して戦力に加えている。この2隻は日本海軍の輸送・海防艦として活躍したが、いずれも第二次大戦末期、アメリカ軍によって再度撃沈された」と、書かれている。ところで、アイリス・チャンの写真と全く同じで鮮明な写真をお見せしましょう。写真(6)
この写真はインターネット上で鮮明な画像を見る事ができます。掲載されているHPは下記のアドレスです。
http://www.intacc.ne.jp/HP/atsushin/page09.html
ところでこの写真(6)
横には写真横に解説が書かれています。
「我ら爆撃に依り 寧海撃沈の瞬間」
と・・・、どちらにしろ、アイリス・チャンは明白な、そして確実に歴史の偽造を行ってしまった訳です。このように写真においてもアイリス・チャンの著作のいいかげんさが証明出来ている訳です。
(※98年秋に「The Rape of Nanking」がペーパー・バック化した時に写真を反日映画「The
Battle of China」の1シーンと差し替えました。)
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「ニューズウィーク」(NEWSWEEK)英語版1998年7月20日号に、南京「大虐殺」事件について扱いアメリカで大いに売れた
「ザ・レイプ・オブ・南京」(The Rape of Nanking)の著者・アイリス・チャン氏の記事が掲載された。
「It`s History, Not a"lie"」(「これは嘘ではない、歴史である」)と題した同記事の中で、チャン氏は、改めて自身の主張を確認した上で、
小山和伸神奈川大学教授や中村粲獨協大学教授、更に「右翼運動家」藤岡信勝東京大学教授らを引き合いに出し、
日本が、日中戦争を侵略戦争ではなく欧米帝国主義を排除するための聖戦であったという考え
(=大東亜戦争肯定史観)に基づいて南京「大虐殺」事件を否定しようとしている、と主張している。
さて、私はまだ「ザ・レイプ・オブ・南京」を通読していない上に、所謂南京「大虐殺」事件の問題に関してそう多くの知識を持ち合わせていないので、
事件そのものについて詳述するのはここでは避けたいと思う(もっとも、30万人虐殺説に対しては、やはり疑問を持たざるを得ない。
これは、例えば第2次世界大戦のアメリカの人的損害が軍人29万人、民間人1万人の合計30万人だったことと比較すれば、
単一都市での虐殺数としてあまりにも多いように思えるからである)。
ただし、「ニューズウィーク」誌に掲載されたチャン氏の記事については、納得できない部分がいくつかあったので、それらについて述べてゆきたい。
まず、チャン氏が指摘するような「大東亜戦争肯定史観」が果して我が国で過半数の支持を得ているかどうか、
についてであるが、これはもう今更言及する必要もあるまい。
しかも、チャン氏のこの主張は、単に映画「プライド〜運命の瞬間」が今年公開された邦画の中で最も高い収益を挙げたことを基にしているに過ぎない。
その他には格別な根拠も無く、恐らくはチャン氏の個人的な反日感情が、「一部」を「全部」に拡張させてしまったのだろう。
果して映画「プライド」が今年の終わりまで第一位の座を守り切れるかどうかは別として、これでは、
私のように映画「プライド」や東條英機を評価しない観客までもが、
大東亜戦争肯定史観を支持していることになってしまうのではないか。
映画「プライド」公開は一つの大事件であり、恐らくは右翼だけでなく左翼や東條英機を評価しない人々も相当数足を運んだであろうから、
チャン氏の思惑と我が国の実際の世論との間には大きな乖離があるといわなければなるまい。
次に、「ザ・レイプ・オブ・南京」に使用された写真類について、チャン氏は「これらの写真はこの本で掲載するまでに既に長い間公開されていた写真ばかりであって、
その真実性は現物との比較で確認することができる」としているが、
それがそうではないことは「諸君!」1998年4月号の秦郁彦・日本大学教授の記事「『南京大虐殺』"証拠写真"を鑑定する」
で明らかにされている。なお、この秦氏の記事では、その他「ザ・レイプ・オブ・南京」中に出てくる滑稽な記事をいくつか紹介しており、
例えば、「前憲兵司令官」を「前秘密警察長官」と記述してみたり
(注:戦前の我が国には秘密警察組織はそもそも存在しない(特別高等警察の職員であっても、職員録に氏名が記載されその存在が公表されていた)。
「憲兵」は軍隊内の規律維持及び占領地域の治安警察を担当する陸軍の職種の一つであって、
秘密警察ではない)、果ては「受験戦争下の現代日本では子どもたちは午後9時から午前6時まで勉強させられる」
(!それだけ出来ていれば今頃全員東大に合格しているだろう)等といった事まで書かれているそうである。
これらの奇怪な内容は南京「大虐殺」事件に直接関係しないことであるからこれ以上は挙げないが、
しかしこの様な意味不明なことを本の一部で書いていれば、その他の内容についても信憑性を疑われてしまうのもやむを得ないであろう。
ところで、この記事を掲載した「ニューズウィーク」誌のあり方にも、問題があった。この記事に添付されている写真である。
ジョン・スタンメイヤー(John Stanmeyer)氏が撮影したというこの写真は、恐らくは中国の南京大虐殺記念館内だろうが
(遭難者30万人と書いてある記念碑が映っている)、そこには「Obsession:Japanese in Nanking(強迫観念:南京の日本人)」という解説と共に、
なんと髪を整えた浴衣姿の日本人女性が映っているのである。
如何に日本人にとって海外旅行が一般化したからといって、外国の博物館に浴衣姿でいくような酔狂な人物は日本にいないだろう。
おそらく、この写真はヤラセだろうが、こういった日本人を滑稽に風刺するような写真を南京「大虐殺」事件の記事と共に掲載するのは、良識的ではない。
そもそもチャン氏は、記事の表題を「これは歴史であって、嘘ではない」とつけているが、これは疑問が残る表現である。
確かに、南京「大虐殺」事件が指し示す事件そのものは歴史であって、その実在に関しては私も同意している
(但し、その事件を我が国軍隊による組織的・計画的虐殺であるとする主張には与しないので、
「大虐殺」と括弧をつけている)。しかし、だからといって「チャン氏の著書」が「歴史であって、嘘ではない」と直ちに断言できる訳では無いはずである。
南京「大虐殺」事件に関して一級の資料とされるジョン・ラーベの所謂「ラーベの日記」の記述からも飛躍した
25万人虐殺説を唱え、「日本人の獰猛な仕打ちを証拠として映像化すべきである」
と日本に対する敵意を剥き出しにするチャン氏は、自身の言葉を流用するなら、ごくありふれた「反日運動家」ということになるだろう。
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