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Billy Sheehan


TALAS時代 中学2年の時、ジミヘンドリックスのコンサートを見てた瞬間
「自分はコレしか考えられない」と音楽の道を目指す。

その後、高校へ進学するものの、勉強をしている時間が勿体ないという理由から
  高校を辞め、 音楽1本の生活となる、、

1967年 初めて「オパスワン」という11人編成のジャズバンドで初めてステージに立つ。

1971年 TALASの前身バンドである「トゥイーズ」に参加した後
デイヴコンスタンティノ(Gt)マイクピッコロ(Ds)とTALAS結成!
この時点では、毎晩 飲み屋のステージでヒットソングをカバーしていたようです。
(いわゆるハコバンってヤツですね)

1979年
ビリー・シーンはTALASを一度脱退したものの、自主制作としてファーストアルバム「TALAS」をリリース! この時点ではは、ドラムがポールヴァルガにメンバーチェンジしている。

TALASでのスーパープレイに目をつけたマイケル・シェンカーより
マイケルシェンカーグループにサポートとして参加依頼があり、LAでリハーサルが開始される!
ギターにマイケル、ヴォーカルにゲイリーバーテン、そしてドラムスにはデニーカーマッシーというメンツだったが 当時のマイケルシェンカーグループは、アルコール・ドラッグと精神的に破滅の道まっしぐらだった為 リハーサルの最中にゲイリーの声は潰れてしまい、クラブで酔いつぶれるマイケルの肩をビリー・シーンが抱きながら夢のプロジェクトは消滅してしまった、、、、

結局MSGのデビューアルバムはマイケルとゲイリーの2人でレコーディングされた。


1980年 VAN HALENのオープニングアクトとしてTALASが起用される!
「ベース版 エディ・ヴァンヘイレンだ〜!」とオーディエンスに称えられ
ビリー・シーンの名前は一躍 有名となる!

1983年 TALASはセカンドアルバム「SINK YOUR TEETH INTO THAT」をリリース!
ビリー・シーンのソロをフューチャーした「NV43345」を収録され
世界的にレコードが発売される切っ掛けとなる。
(ちなみに、逆さにするとSHEEHANと読める、、、という話も有名です)

シェンカー兄弟によほど気に入られたのか ビリーに、UFOのヨーロッパツアーに参加オファーが来る。
しかし、、UFOはヘロインでひどい状態だったらしく、見切りをつけたビリーは再びTALASへと戻る。

1984年 ライヴアルバム「LIVE HIGH SPEED ON ICE」をリリース!
フィルナーロ(Vo)、ミッチペリー(Gt)、マークミラー(Ds)という4人編成で
TALASオリジナルメンバーはビリー・シーンだけとなっていた。

同年TALAS 解散状態に、、、同時期にVAN HALENのライブへ遊びに行ったときに
バンド内の険悪なムードを目撃! ライヴ終了後、エディ・ヴァンヘイレンとデイブ・リー・ロースから


「ベースのマイケルをクビにするつもりなんだ!そこで、ビリーVAN HALENに加入しないか?」


ビリーはVAN HALENの大ファンだったので、即OK!
「でも、この話は まだマイケルに言ってないから内緒だよ」 そう言われて、ビリーは誰にも話さず
ひたすらエディーからの連絡を待っていたようです。

しかし、6ヶ月待っても返事が来なかった為、確認の連絡をいれると、
「気が変わった。やっぱりメンバーを変えたくないんだ」
素っ気無くバンド加入の話を白紙に戻され 失意のどん底へと落とされたようです、、、

告知を受けた日、このショックな出来事を誰にも言えないまま TALASのステージに立ったそうですが
不思議と人生の中で一番素晴らしいプレイが出来たとビリー・シーン自身が語っていました、、、

1985年 VAN HALEN を脱退したデイヴ・リー・ロスから ニューバンド結成の際に
  ベースはビリー・シーンに参加してもらいたいと
大抜擢され、世界的なベーシストの仲間入りを果たす事となる、、、


この文章を書いているときに改めて思ったのですが ビリー・シーンにとって
「TALAS」というのは する事が無いときに音を出す、便利な場所だったのでしょう、、、