2004年5月16日
博多は天神・中心部のライブハウス
HEARTBEATで開催される
<R&R JUKE BOX VOL17in 博多>
にR&RJUNKIESが初ライブでも<SHAKE ME>をカバーした
元SHADY DOLLSのVOCAL大矢侑史率いる
大矢侑史&THE BALANCEと
我らがTFC Tommy&Ajiが対バンをすることになりました。

このページでは、その夢のイベントを記念し、
今回実現に至った経緯と、私のお互いのバンドへの
想いや関係を綴って行こうと思います。

運命か?現実か?
夢か?幻か? いやこれはまさに生き続けるバンドマン達が
日々の生活の中で、信じ続けた音楽を通し、
それぞれ別の場所で出会ったある男達とまた別の男達のとある物語である。


第一話
SHAKE ME

今回実現したライブが、突拍子ののなく
そして、ただのファンだけでない部分での偶然か必然かを
ここに記しておきたい。

まずトミー&アジに関してはまた触れて行きたいが
今回は新バンド・大矢侑史&THE BALANCEへの思い入れを記す。

VOCAL大矢さん: 一番最初にSHADYDOLLSに触れたのが
私が住む太宰府の大学・第一経済大学<卒業生にチャゲ&飛鳥、アンジー中谷ブースカ氏>の
そばにあったレンタルレコード屋・アップスでセカンドアルバム<BAND ON THE ROOF>を
借りたのが最初。当時中学2〜3年。RC、ブルーハーツやバービーボーイズばっかり最初は聞いていたこの頃
当時入っていた写真部がつぶれた為、バービーやサリー、チェッカーズの影響もあり、
吹奏楽部に入る。そこでSAXを担当する。
ソニーアーティスト全盛時で、ほかにもエコーズ、スライダースなども聞いていたが
特に当時スライダースやレッズのラインで色んなバンドのレコードを借りた。
その中で夜学校が終わってウォークマンで聞いていたのが上記のアルバムに入っている<奴隷>
だけはよく聞いていたような記憶がある。その後は、めんたいロックを中心に聴いていたこともあり
どっぷり浸かっていた記憶はないものの
勿論アルバムが出るたびに<ミュートマ>あたりでPVが流れるたびにチェックしていた。
でもGUI塚本氏脱退を前後に大矢さんの唄のうまさにちょっと深く聴くようになり
当時好きだったSIONとの関係や広島ピースコンサートでの<上を向いて歩こう>
そして、ベスト盤のボーナスCD<上を向いて歩こう>やミニアルバムでのギャートルズのエンディングカバーなど
で再認識し、また吹奏楽出身と言うことで大矢さんがバイオリン弾きと知った時から
なんだか共感を持ったこともあったかと思う。

自分自身大学に落ちて、浪人し大学に入ってバンドをしようと決めて
入ったのが福岡大学フォークソング愛好会。
ここで出会って、一番自分のバックボーンにぴったり来たのが
当時ビーツやモッズもカバーし、話してみるとアンジーも好きな一年上の山口出身・中尾良雄<トミー&アジのアジ>。
当時大学4年で、弾き語りとバンドをやっていて、シオンを敬愛し、弾き語りのライブではKATZE、SHADYをカバーしていた
大牟田出身・冨重貴裕<トミー&アジのトミー>である。
私が1年の時の学園祭で、松葉杖を持ってSION、チューインガムを投げながらSHADYをやったトミー氏。
その次の年、頭にタオルを巻いてSING A SONGを熱唱し、目を黒く塗って水を吹きまくってアンジーをやっていたアジがいた。

この頃トミーさんは現博多DRUM Be-1の裏手に当時あったふとっぱらが
Be-1のツアーできたバンドマンの打ち上げ場所として
定番であったが、トミー氏は当時やっていたLOST&FOUNDのテープを
焼酎にきゅうりを入れながら飲んでいた当時郁史さんに渡して、<負けませよ!>
<おう!おれも負けんよ>と一緒に飲んだらしいと言う話を聞いて
俺もSHADYは大好きだったので、その話に感動し、その次の年
R&RJUNKIESを結成し、一番最初にカバーしたのが
MOJOCLUB<エレベーターブルース>SHADYDOLLS<SHAKE ME>サンハウス<キングスネークブルース>
であった。しかも初ライブとなったとあるイベントでは冨重貴裕氏もいっしょであった。


第2話
JUKEとIFF
ちょっと情けないが自分の話を
私は上記の福岡大学卒業後、CDショップやCDの卸を経験し、
その後地元のINDIES会社に入った。そこで色々とCDの売り方や
プロダクションも兼ねていた為アーティストの扱い方など勉強することが出来た。
物流関係は卸で知っていた為、幸いにも一応音楽の色んな一面を知ることが出来た。
残念ながらこのインディーズ会社は倒産という不況の煽りを受けてしまった。そこで、
色んな会社を受けるも中々受からず、そこで何もしないよりかと考え、前々から手伝ってほしい、
もしくは遊びに来てほしいとか、色々話を受けていた団体があった。その名はIFF。
各地でご存知の方も多いと思いますが、フジロックのMCやラジオDJなどお馴染みの元アクシデンツ・スマイリー原島さんと
アンジー中谷ブースカさんらを中心に様々なスタッフが立ち上げた福岡のインディーズシーンをフィーチャーし、
ブロードバウンドで紹介したり、レーベル、イベントを立ち上げている
博多出身のアーティストの映像も見れる。詳しくはhttp://www.if-fukuoka.com/
私の知り合いも多く絡んでいたり、出演していたりするが、何といっても私がやりたいことに凄く近く
何といってもアンジーの中谷さんと会えるだけでも・・・ととりあえず行ってみて、思いの丈を話すことが出来た。
ロックファンにとって、自分が聞き込んだアーティストに思いの丈を話せるだけでもなんて幸せなことであろう。
二つ返事でIFF加入が決まったが、次の日私の足の手術のことや諸事情によりお世話になることはその後なかったが、
後日中谷さんご本人から電話があり、<JUKERECORDS>で信頼の出来るスタッフを探しているどう?との依頼があった。
中谷さんはJUKEでずっと働いてらっしゃった。しかもJUKEといえばサンハウスの事務所を兼ねており、
上記アクシデンツ&アンジーのインディーズ盤を出している。そして入って知ったことであるが、店主松本康は
シーナ&ザ・ロケッツの作詞も多く手がけており、また当時ロッカーズ、モッズ、ルースターズ
らの博多時代ここはほぼ事務所状態になっていたらしく、多くのイベントを立ち上げているし、
ラジオMCも過去多くされている。27年目今年で迎えるJUKEへ訪れるミュージシャン、音楽関係者も
多く、特にめんたいロック関係者は全員と言っていいくらい繋がっている。ルーツロックを聴くならまさにここ。
某外資系に行くより、洋盤の手がかりはここにある。
2003年にはJUKEJOINTというミュージックバーをサンハウス・現UN<ルースターズ大江慎也&ロッカーズ鶴川さんの新バンド>
の鬼平さんと開店し、これまた多くの音楽関係者が来店している。中々このスペースだけでは紹介できないが、
そこで働くことになった私は、今まで得た音楽経験を少しでも生かせればと思った。が、自分の性格上、JUKEの看板を使ってでなく、
当サイトRRJ-CARを使って、やれることから考えた。当サイトはLINKを多く設けているがほとんでがLINKFREEしか貼っておらず、
それ以外はほぼ自分からメールを送り許可を得たもので、中にはアーティストご本人から返事を頂くケースもあり、パーソンズ・ジルさん
VOODOOHAWAIIANS中山加奈子さん・Zi:LiE-YA柴山俊之さんら・・・・
その中で今回の大矢侑史さんもその一つ。ソロになられるということ、HPを作ったなどの噂を聞いたので、即LINK依頼のメールを
自分がレコード店で働いているなどの件も伝え送ったところ、返事が来てJUKEで置くことになり、事前に知っていたが
ライブ時はBASSに岡本雅彦<アンジー>啓介<元ジェリーグース>といった博多を古巣とするアーティストが
絡んでいることも大きく置く意義を持っていた。

実際置く事が決まり、事務所のマネージャーさんとの連絡を密にすることになり、オリジナル特典やサイン色紙を付けて頂いたり
またインストアなどが出来ないならば、インストア模様を収めたビデオを当店でレンタルすることなどを決め
自分も送られてきたフライヤーに自分のコメントを載せ、福岡市内の各音楽スペースに配りまくった。
そして、店頭日前、ちょうど事務所からフライヤーなどを届いた日ミラクルが起きた。
普通に接客していると、なんとSHADYDOLLS高木克氏が来店したのであった。
もうなんの気も使わず、大矢さんの色々な件を伝えたりして、こんないいことはなかった。
その後もヒッピーさんは色んなライブたんびに来店していただき、顔を覚えていただいた。
その後事務所さんからもメールを頂いたり、し続け、トミアジが東京へライブするときも知らせたり・・
2004年12月末JUKEを退社することになりましたが、あけて一月。
今回のライブが決定!!事務所さんからも直にご報告して頂き
今回宣伝を買って出たと言うことになっている。
第3話
偶然か?

今回の大矢侑史さんのメンバーには、ちょっとした偶然が重なり
ただならぬ親近感さえ覚える。2話でもあるように、JUKE関連で
BASSは、岡本さん。何度かJUKEにもソロ発売以降も来て頂き、
挨拶までしていただいた。そして意外なのはドラムの啓介さんである。
経歴にライフレコーダーズ&ジェリーグースとある。
ライフレコーダースは、僕もかなり入れ込んだバンドで、
ライブさえ見る事は出来なかったが
パブロックでもあり、ガッツロックでもあった。
こんなにも直線的はピュアなロックが続けばと思っていたが
残念ながら解散した。どうやら解散に近い時期のドラムとして
加入してらっしゃったようだ。問題はジェリーグース。
博多には色々なめんたいロックを象徴的なものとして
上げれるがムーブメントみたいなものがある。
分かりやすく言えば、メディアも取上げるぐらいライブ告知がINDIESながらCMがあったりする。
アンジーらが東京に出て行って以来、あまり大きなそれはなかった。
挙げるとすれば、ジャグブギ、ギルカバー、
ムーンビームと言ったとこか。そんな中われら
R&RJUNKIESの同期バンドにブッタと言うバンドがあった。
今では解散し、それぞれバンドをやっているが、このバンドは各種のイベントで賞を獲得し、
長崎アトムレコードから<バランス>というこれまた繋がっているような曲をリリースし、
福岡の人気深夜番組KBCドォーモのエンディングテーマにも起用され、
テレビ出演もした。その後ソニーからデビューの手前まで言っていたようだが、
その当時同じソニーからデビューを久々博多からしたのが
ジェリーグースであった。有名バンドマンが結成したこのバンド。
元ギルカバーの辻さんが中心になって組まれたようだが、
あっという間にデビューを果たすもこちらも解散している。
その後そのジェリーグースの辻さんとブッタの羽原がバンド
THIRBEを結成し、今も活動している。だから今色んな宣伝も少ししているが、
啓介さんの博多時代を知っている知り合いも少なくないし、俺個人的にも、
東京でもドラムサポートしてらっしゃるHERMITはthepillowsのINDIESレーベルアーティストで、
一度LOGOSでpillowsのOPENINGACTで見ている。そして、これだけでなく
今回ギター参加の元SHADYの木村さんの今やってらっしゃるバンド監獄ロックは、
ムーンビームとも交流深く、全て繋がっているような
感じもあるのであった。


第4話
いよいよ発売!

話は前後しますがニューアルバム<さすらいの唄>の
ミニレポを・・・・
今回の大矢侑史&THEBALANCEとしての初のアルバム。
フラミンゴクラシックス以来の大矢さんの言葉。
凄い色んな気持ちを一旦フラットにして、そして敢えてか普遍的な言葉でもあるが
すべてにおいてのアンサーソングのような言葉が並んでいることにまずびっくり。
そして音。プロデュースは岡本雅彦。言わずと知れたアンジーでありますが、
アンジーのファンならご存知の通り、後期の唄ものの特に<マグマの人よ>などを手がけ
また解散後も水戸さんとのGOO、エレカマニア、GDの再スタートでもあったアルバム<セカンドステージ>
ストラマーズなど意外な線もあったが、最近では仲野茂&JOEを中心に
行われたアルバム&イベント<THECOVER
※過去にもこのイベントに大矢氏は参加してます。
では仲野茂と共に共同プロデュースも勤め、また音源でもPANTA&大槻ケンジを
VOCALにフォーリーブスとプレスリーを
ダムドでやるという鬼才を放っているが、まさしく一曲目からこのアルバム
でも大矢さんのバックでまさしくロックアレンジを
見事に実現させている。そして、歌詞が凄くダイレクトに来る要因の一つに全7曲中4曲が大矢侑史作詞作曲であること。
間違ってなければ作詞作曲を勤めた音源は、SHADY時代でいうと
これまた再スタートを切ったアルバム<SHADYDOLLS>
の<G.B TIME>以来かとも思える。最後にクレジットにSHADYファン
にはうれしい文字が<KEY 川村ケン>。
新バンドになったからといって迷っているあなた!!!このアルバムの歌詞と
思い切ったロックアレンジに耳を傾けてみないか?
特に新しい可能性を見せる@、Fはぜひライブで見てみたい。