Q 1994.7月号掲載
A Diary Of A Rock'n'Roll Star Part Two

イアン・ハンターが、94年4月にロンドンで行われた、 ミック・ロンソン追悼コンサートに参加した際の日記が、 Qという雑誌に掲載されたのですが、その中にミックの事を 思い出して書かれた個所があります。これはその一部です。
口語体で書かれたものなので、私の英語力ではかなり難しく、 あいまいな個所が多々ありますが、ご了承下さい。

1992年11月10日(水曜日)

ロンドン、ハスカー・ストリート(ロンソンの家のある場所)。
今朝のロンソンは調子が良く、鎮痛剤も消炎剤も飲まずにすんでいる。 そんな状態が今日で2日目。今も癌回復プログラムには通っていて、 奴の中では何か変化が起きている。
ロンソンが家にガスストーブを欲しいと言うので、“ Kenny ” ハイ・ストリート(ケンジントンの事か?) のガスオフィスに行く事になった。
俺が思うに、英国から多くの人々が国外に移住していくのは、 この国のガス、電気、電話のシステムのせいじゃないだろうか。 奴らは国民の健康を危険にさらしている。奴らのやり方に、 皆心臓(とサイフ)がひっくり返り、泣かされるはめになるんだ。
「ご注文いただければお取り付けいたしますが、他の方が 先にお買い求めになってしまいますと、次の入荷までお待ち いただきます。その場合でも、料金は全額先払いでお願い致します。 皆様ご不満をおっしゃいますが、決まりですので、私どもには 何ともいたしかねます...。」
オフィスの男は言い終わるとにっこり微笑んだが、ロンソンは 鼻を膨らませていた。奴が怒ったときはいつも鼻を膨らませる。 こうなると俺もどうしようもない。
疲れ果てて外に出た。ロンソンには、マギー(妹)に電話する ように言った。明日だって間に合うだろう。
ジョン・プライスに会いに行くつもりだったが、ガスの一件で すっかり疲れてしまった。
この件に関しては、実は半分も書いていない。「暖炉の形が 合いません。あれはできません。これはできません。」
ハスカー・ストリートの住人達は右往左往。まるでチャリング・ クロスだ。
ロンソンは全く痛みを感じず、珍しく夜中まで起きていた。

チャリング・クロスの意味は分かりませんが、ウエスト・エンド (ロンドンの繁華街)の中心地の事なので、いつも多くの 人が行き交っている様子を、比喩に用いたのか?と思います。