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今週のFASCINO・・・Vol.
no.
FASCINO Profile
宮本亜都子さん
1971年、大阪府生まれ。大学卒業後、出版社に編集職として就職。3年で退社。その年の12月、フラメンコを学ぶためスペインに渡る。マドリッドとセビリアに各1年滞在。2000年12月に帰国し、都内のタブラオ(フラメンコを見せるレストラン)でダンサーとして活動をはじめる。フラメンコ教室「スタジオ ロメロ」主宰。
 
大学生のときにフラメンコをはじめ、社会人になってからも趣味として続けていた宮本亜都子さん。仕事を辞め、フラメンコの踊り手として生きていこうと決めたきっかけ、スペインでのこと、これからのことをうかがいました。
on time 「人前で踊る楽しさを知ってから
 どんどんフラメンコが好きになっていきました」

 じめはあまり興味を持っていなかったことでも、ふとした瞬間にのめりこんでしまうことがあります。いまはプロのダンサーとして活躍している宮本亜都子さんにとってのフラメンコも、そうでした。大学のサークルでフラメンコをはじめたばかりのころは、さほどの情熱もなかったのだそう。

「大学を卒業する直前に、はじめてソロで躍らせていただいて。ものすごく楽しかったけど、あとでビデオを見てみると、恥ずかしくなるほどの踊りしかできてなかったんですね。ショックでしたねぇ。就職も決まっていて、一生その仕事をするつもりでいたんだけど、“もうちょっとだけ上手くなってからやめよう”と思って、スクールに通いはじめました」
 編集者という不規則で忙しい仕事のなか、徹夜をしても休日出勤をしても週1回のレッスンだけは欠かさずに通いました。同じ教室の仲間には「フラメンコでプロになろう」という人も少なくありませんでしたが、宮本さん自身は「仕事もあるし、自分にはこれ以上のことはできない」と諦めていたのです。

 しかし、舞台で踊る機会を得るようになると、次第にフラメンコにのめりこんでいきます。いくつかの教室をかけもち、たとえ最後の5分しかレッスンに出られなくても、できるかぎり休まずに通うようになっていました。
「会社でイヤなことがあっても、フラメンコを踊っているときだけは最高に楽しかったんです。仕事のほうも、3年やってこれからどんどん面白くなっていくだろうな、と思ってはいたんですが、仕事もフラメンコも中途半端になってしまうのがわかってたから……。どちらかに絞らなきゃって思ったとき、もっとフラメンコをやりたい、というのと、この先どうなるかわからない未知な状況に興味があったのとで、仕事を辞めることにしました」
off time 「“自分のフラメンコ”を確立しているスペインの人たちと出会って、考え方が変わりました」

 るなら徹底的にやろう。そう思った宮本さんはスペインへにフラメンコ留学を決意します。それまでにも旅行でスペインを訪れ、フラメンコのショーを見たことはありましたが、毎日レッスンに通いライブにも足を運ぶ生活のなかで見たフラメンコは「いままで旅行で見ていたときとまったく印象がちがった」と言います。スペインではひとりひとりが自分の踊りを確立している、と感じたのです。
「とくにセビリアで教えていただいた先生には、わたしのもっていたフラメンコ感みたいなものが根底から覆されるぐらい、技術面でも精神面でも感銘を受けました。フラメンコのいちばんの目的が、視覚的に美しく見せることではなく自分の気持ちを表現することなのだ、と気づいたんです」

 宮本さんは、自分の気持ちを表現する手段としてフラメンコに接するようになってはじめて「自分で踊ってる」と思えたそうです。それからは、美しさだけを追求するのではなく、力強さを持ったフラメンコを、自信を持って踊るようになりました。帰国してからは、すでにプロとして活躍していたフラメンコ仲間といっしょにライブをやったり、自身でも教室を主宰したり……。いまではほとんど休みもないほど、忙しい日々を送っています。
「日本人って、本来はフラメンコとなんの関係もないじゃないですか。でも、なにかの縁で出会ったものだから、それを大切にして、死ぬまで踊っていたいですね。年を取ってからも味のあるフラメンコができたらいいな」
 フラメンコに限らずすべてのことを自分の価値観で選んでいたい、と言う宮本さん。これからも、さまざまな人や物事との出会いを大切にしながら幅広く活動を続けていくにちがいありません。

 
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