■鹿鳴館■
ぺぺの呟き〔過去ログ〕
★2009/2月分

訃報
20年前ここ鹿鳴館でも精力的にLIVEを行い。
メジャーにも進出。
このバンドがいなければ現在の音楽シーンも変わっていたであろうと思われる
バンドREACTIONのギタリスト斉藤‘YASU‘康之さんが急逝されました。
ここからは、REACTIONのべーシストYUKIさんのコメントです。
『とても悲しいお知らせをしなければなりません。
我がREACTIONのギタリストであり、1983年のREACTION結成以来、
メンバーとして仲間として友人として一緒に過ごしてきたYASUが、
昨年12月6日、急逝いたしました。
御親族の御要望により、本日までお知らせするのを控えさせて頂きましたが、
今回、四十九日の御法要も済まされ、御親族の許可を得まして
お知らせする事となりました。
皆様方には、こうしてご報告が遅くなった事について
心よりお詫び申し上げます。
新生REACTIONの再始動を目前にしてYASUを失うという、
あまりに大きな出来事が起こってしまった事で、
未だ成すべき最良の手段の判断を付きかねています。
もうしばらくはこの事実をお知らせするに留め、
来たるべき時期に私達残されたメンバー、スタッフで
YASUへの思いを改めて形にしたいと思っています。
またご報告致します。 ギタリスト斉藤‘YASU‘康之、永遠なれ…。 』

自分の鹿鳴館での初仕事はREACTIONの5DAYS LIVEの警備でした。
雑誌でしか見た事のないメンバーにミーハーっ気を抑えながら
一生懸命仕事に取り組みました。
何故かREACTIONとDEAD ENDのメンバーさんは僕の事を覚えてくれたので、
YASUさんがセッションなんかでやる時にリハーサルで遅刻してくると
あの茶目っ気のある大きな声で
『ぺぺ〜〜〜〜!シ〜ルドォ〜〜〜!!』と叫びながらホールに飛び込んで来たもんです。
遅刻したのはぺぺのせいですと言わんばかりに。
最近では仕事の事で電話で話す機会も多少あったのですが、
まさか、こんな事になるとは思ってもみなかったです。
12月6日というと、僕はその少し前に電話で話している。
話の内容からか、低いトーンの時もあれば、
冗談言って笑わせてくれたりしてました。
なんだか、整理がつかないけど
YASUさん、ゆっくり休んでください。
お疲れ様です....。
そして、いろいろありがとうございました。
(2009.2.12)


こんばんは。
毎度ながらお久し振りの更新です。
つっても、何度か更新しかけたんだけど、書いた後で読み返してみて
あまりのくだらなさにUPするの止めましたの(苦笑)
まぁ、常々高尚な内容を書いているわけでもないのだけどね。
さてさて、なんとなく自分でハードル上げちまった感じだけど
相変わらずくだらない事も書いて行きますよぉ。
それはそうと、不景気不景気とうるさいねぇ。
まぁ、景気は良くないんだけど、騒ぎ方が間違えてねーか?
火事だ火事だ!って騒いでるだけで誰も消火活動せんのよね。
テレビも阿呆みたいなコメントばっか並べてさ、
専門家が言うならまだしも、なんの勉強もしていない文化人気取りのタレント連中のコメント聞いてもどうにもなるか!
と、怒ったところで、俺様が見なければいいわけですな。おほほ。
情報が早いとか手軽なんていうのは、ありがたい事だけど
デメリットもあるからなぁ。
全然話しは変わるけど、俺がガキの頃なんかは、
現在みたいにネットもないし携帯もない、DVDどころかVIDEOの普及も大した事のない時代。
好きなバンドのライブなんかも、月刊誌に掲載された写真から想像してたのね。
あとはライブレポートなんかも隈無く読んだなぁ。
現在はありがたい事に、DVDでLIVEの模様は観れるし、
テレビやネットでも観る事が出来る。
でも、人間にとって大切な何か (まぁ、ここでは「想像力」とするが)が退化して行く気がするんだ。
バンドなんかも、スゲ−バンドがなかなか出て来ないのにも関係があると思う。
一度、外の世界をシャットアウトしてみればいい。
でも、こんな時代だ、不安ですぐに外部と接触をするだろうね。
そして、周りと同じ事をしていれば安心する。
なんだかなぁ。
(2009.2.9)


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