ACOの諸作品で見せた、オーロラのようなシーケンスと、居合いのように張り詰めたキックとスネアが織り成すデジタル・ヒップホップ。
静寂の中に端座する木霊の吐息か、剣山に起立する鬼神の怒号か。背筋が凍るようなエレクトロが寂然の境地へと覚醒を促す。卓球とは正反対の方法論で、目指すべき高みへと向かう砂原の尋常ではない一音一音へのこだわりが、ミニマルとも呼べる最小限の音数に圧倒的な強度を与えている。そう、これは完成されたアルバムだ。少なくとも同じジャンル(という言い方は失礼だけど)にこれ以上の可能性は残されていないと思う。それほど削ぎ落とされている。いらない音は、ない。
選び抜かれたリズムとループは、聴き手に緊張を強いる。薄笑いを浮かべて接するものには、相応の報いを与えるだろう。『LOVEBEAT』だなんてタチの悪い冗談みたいだ。でも、これは冗談じゃない。真剣なのだ。あらゆる意味を離れて、音に“すべて”を見い出そうとしている。
テクノの反復が呼び起こす快楽に対峙する、ゆたっりとしたリズムのファンクネス。今更ながら、まりん電気グルーヴ脱退の必然を知る。それは手法の違いである前に、恐らくは意識の違いなのだ。
M10“the center of gravity”の曲中でリズムが消えた瞬間、そこで揺らめく無色透明の音像に、あなたは何を見るだろう?それは、あなたの意識の辺境で絶えず鳴り続ける音と、同じ顔をしているかもしれない。そして、砂原良徳は「そこ」へ向かっている。