Technological Identity
(テクノロジカル・アイデンティティ)
ライナーノーツ

 

 


歌詞を自分で書いて、曲も自分で作ったら、

あとはもう自分で歌っちゃえば『シンガーソングライター』になれる気もする。

だが、あいにく私は(中学時代、3年間合唱部にいたにも関わらず)歌は苦手だ。

 

最初に生まれたのは『グレイミー』。

私の女子高生としてはちょっと特殊な趣味を、

曲にストレートに表した結果がこれである。

 

私は機械が好きだ。

特に兵器、中でも戦闘機と戦車が大好きだ。

彼らは間違いなく「人殺しのために生まれた道具」だが、

何故かその存在は、定義された以上のものを感じさせる。

特に『美しさ』を。

 

幼い頃からゲームとパソコンが好きだった私は、

人より早く機械に慣れ親しんでいた。

Macintoshとは保育園以来の長い付き合いだ。

パソコンに、ゲーム機に、身の回りの電化製品に触れるうちに、

私の中に芽生えた『意識』がある。

それは、機械にも生物と同じように『命』がある、という事だ。

その考えは終曲『Endless Life』、そしてこの中に入っている全ての曲の

根底にあるものとなっている。

 

「命を大切にしない奴なんてだいっきらいだ!」

いつかそんな言葉が流行った事もあるが、

命を大切にする、ということは一体どういう事なのか。

人間の生活を豊かにするため生み出された『彼ら』の命を大切にする、

という事は、彼らに『存在の理由を与える』という事だと私は考えている。

 

今、この世界には、無数の機械があふれている。

夜の闇を消すために、冬の寒さを和らげるために、

人間の生命を長らえさせるために、情報を収集するために、

ひまつぶしと娯楽を与えるために、それぞれ役割の異なった機械が

工場から、機械(あるいは直に人の手)によって生み出されつづけている。

彼らの存在の理由が、人間の生活を豊かにするためならば、

人殺しのために生まれた機械は、一体誰に望まれて造られたのか。

直接命を刈り取る兵器だけではない。『電気』を使う事で

人の世界そのものである地球の寿命を削りとり、

結果的に機械の存在が人間の絶滅を表すならば、

彼らは本当に存在の理由を持っていると言えるのだろうか?

そして、己のために生み出したはずの機械の命を、

その創造主、言い換えれば親自身が否定するなら…

 

彼らは、一体何のためにそこにあるのか。

 

私は機械が好きだ。

特に兵器、中でも戦闘機と戦車が大好きだ。

その美しさのひとつは、『存在の許されない哀れさ』にあるのかもしれない。

 

だからこそ私は、こう主張したい。

人間は彼らから、あらゆるものを得てきた。

だから今度は、彼らに与えるべきだ。

『Technological Identity』を---

機械たちの存在の証明を。

 

それが無理なら、彼らの存在に責任が、愛が持てないのなら、

いっそ機械の生産などやめたほうがいい。