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1991年10月25日のランドゥーガ・マンスリー・ライブで配付された小冊子
「RANDOOGAR 4 - A MAGAZINE FOR RANDOOGA PRAYERS -」の全文を,
許可を得て転載したものです。
ランドゥーガ初期の佐藤氏の考えを知る貴重な資料となっています。

転載にあたり,明らかな誤字等を修正,改行位置や句読点については適宜変更し,
小見出しを設け,若干の補足を行いました。(大場)

RANDOOGAR 4
- A MAGAZINE FOR RANDOOGA PRAYERS


Special issue
MASAHIKO SATOH Speaking out!
ランドゥーガ・ミュージック・サトウ・マサヒコ


佐藤允彦 「最初は新しい日本土着のインプロヴァイズ・ミュージックを創ろうということでスタートしたのがランドゥーガなわけ。
 で,一応アンサンブルはやらない,みんなひとりひとりが自由である,そんな音楽をはじめようと」


○ランドゥーガの音楽は少なくとも3回,またはそれ以上,意識して人間の脳を通過させた音楽と言えるだろう。
つまり,民謡や民族音楽などの節がまずある。これは,少なくとも人間の脳を一度は通っている。
 そして,この時点で佐藤允彦という人間の脳を通過する。その譜面は,各パートごとに,いくつかの節が並列して存在する。いわゆる西欧音楽のアンサンブル的な譜面とは異なるものだ。
 ライブの瞬間に,演奏者はその譜面に書かれた節を瞬時にチョイスして演奏する。この時点で演奏者の脳を通る。意識した脳連結によって創られた音楽と言っても良いだろう。
 このような方法論でランドゥーガというユニットを続ける佐藤允彦。そんな彼の過去の作品を聴くと,いわゆる「ジャズ」の範疇に入らない音楽性や邦楽への熱い眼差しが感じられるのだが・・・。

邦楽との出会い

佐藤 「ボストンに行く前にね,暫く日本を留守にするんだから,日本のものを色々見たりしておこうかなと思って結構そういうのを聴き回ったりしてた時期があるんですよ,1年間ぐらいね。

 で,そもそもの邦楽との出会いはと言えば,寄席ですね。
ウチはそういうのが好きで,小学生の頃から親父やおふくろと行ったりしたんだけど,正月には必ず寄席に行くっていうのが,どういうわけだかウチの伝統行事でね,正月休みには必ず1回は寄席に行ってるし,ラジオでも落語とか色物やると必ず聴いてたというウチなのね。

 1番最初はね,行ったら,柳家三亀松とか,そういう人の都都逸を聴いてね,『かっこいいな!』と思ったんだよね,ちっちゃい頃。
 子供がさ,一番前で聴いているわけ。そうすると三亀松がこっち見てテケテンなんてやってさ,色っぽい都都逸なんかやるでしょ。
 すると,『ぼっちゃんもいるけど,これはわかんねえだろう。そりゃわからなくて当然だよ。今,これわかって「おかあさんいいねえ」,なんて言ったんじゃ末恐ろしいからね』とか言ってさ,そういうのを聴きに行って家帰ってからそれ真似したりとかね,ガマの油の口上全部覚えたり。
 ピアノの発表会の打ち上げに行くと必ず人気者になっちゃってさ,『三亀松の都都逸やってよ』とか,『ガマの油やってよ』とか言われてね,得意になってやってたっていう,そういう子供だったんですよ。芸人だったんだよね。
 
 これがそもそもの邦楽の出合いっていうか,その頃の子供ってさ,みんなそうでしょ。親父が酒飲めば都都逸うなるだの端唄うなるだのさ,ちょっと田舎の方のお父さんお母さんだったら民謡うなるだの。伊藤多喜雄さんのお父さんじゃないけど,江差追分一発でずっと行ってしまう。
 そういう接点て僕らの年代ではすごくあって,むしろ西洋音楽と接点がある方が珍しい時代だったわけね。だから,血としては生まれた時からあると言っていいんじゃないかな。

 それで,アメリカに行く前に,暫く日本のそういうのを聴けないからまとめて聴いておこうかっていって,落語をいっぱい聴きに行ったりとかね,そういうのがあったんです。
 そういう時に,あれは1964年か1965年だったと思うんだけど,日生劇場でオーケストラル・スペースっていう現代音楽の連続のコンサートみたいなフェスティバルみたいなのがあったの。
 その時に鶴田錦史さんや横山勝也さんなんか,一連のそういうものを聴いて,『これはなんだ。すげえな』ってね,邦楽っていうイメージとは全く違うでしょ。それを聴いて結構ショックを受けて,それのレコードがあったんで,アメリカに持って行ってよく聴いていたっていうわけ。

 ボストンでは,その頃日本人って言えば,渡辺貞夫さんはもう帰っちゃってて,ボストンには荒川康男と僕しかいなかった。
 そうすると日本人珍しいわけでしょ,で『なんで日本人がジャズを勉強しに来てるんだ』というような質問を度々受ける。
 そういう質問を受けるっていうことと,やっぱり日本を外から見ているわけだし,『お前は俺たち西洋人の真似したってそんなものできやしない』って言う奴もいるし,『日本人のくせによくやってるじゃん』ていう奴もいるし,色々いるでしょ。
 たまには邦楽に興味をもってる奴もいて,『俺は尺八を習いたいんだけれども,どうやったら習えるか』とか,『トーナルシステムはどうなってるんだ』とか,音楽学校だからそういうようなことを聞いてくる奴もいてさ,こっちはぜんぜんわからなかったりするわ,で,恥ずかしかったりしてね。
 それで,やっぱりもうちょっとちゃんと知ってないとまずいんじゃないこれ,っていう感じはあったですね。
 それがしっかりしなきゃって思った最初だと思う。

 ジャズっていうのはすごく個人的なもので,自分のスタイルを持っていないと評価されないわけだし,むこうじゃ誰かに似てたらぜんぜん駄目だからね。
 そうすると自分のスタイルっていうのをつきつめて考えていくと,日本の音楽というバックグラウンドを持っているってことは絶対得なことだから,そういうことを自分の中に取り込もうってことはありました。そういうレコードも何枚か持って行ってたしね」


○さんざん言われつくした感はあることだが,国際人,コスモポリタンとは非常にエスニックなものであって,ナショナルなものこそインターナショナルになれる。
 日本のことを知らない日本人というのは海外の人々から見て奇異な存在として映るのかも知れない。

佐藤 「山本邦山さんなんかがね,尺八をもって座ってるだけで人が一目置くのね,僕なんかはさ,ピアノじゃない,
 『あいつは何やるんだ?』『バンブーフルート』『そぉかぁ!』
 『お前は?』『ピアノ』『あっそ』って,そういう感じでね。
 やっぱり邦山さんの方がコスモポリタンなんだよね」


○佐藤允彦のこのような音楽に対する幼児体験や海外での経験がランドゥーガをやっていく上での骨組みのひとつとして機能しているのは間違いないところだろう。
 こんなところをふまえた時に,世界各地の節をいかに感じ,ランドゥーガの曲としてしたためるのだろうか?
 そして,そのような独特の音階などを持つ世界中の音楽に対して,ランドゥーガ以前はどのような感想を持っていたのだろうか?

佐藤 「実は最初は困ったなーどうしようかなーって思ってた。
昔『支〜那〜の町の豚〜の子』っていう歌があったでしょ,そういうドレミソラみたいなやつは軽蔑しちゃうっていうような土壌がジャズを始めた頃はまわりにあって,僕もやっぱり,そうなっちゃうと嫌だなって。

 チェロキーとかいう曲があるじゃない,ああいう節回しって,アメリカ人がインデアンていうとただアワワワっていうのと同じように音階を捉えているんじゃないかと思ってすごく嫌だったんですよ。
 自分でやっててもドレミソラっていうのが出てきちゃうっていうのは,すごく嫌で,そうすると,それが嫌だっていうとゴスペルっぽいものはできなくなっちゃう。それから勿論,東南アジアの節回しはできなくなっちゃう。自分の中で,嫌になっちゃう。暫くずっと嫌だったわけね。
 
 でも民謡とかアレンジしたりして面白いなと思うようになると,逆に今まで嫌だったのが,『あ,これじゃないか』って,急に目が変わっちゃうってことがあった。それは面白かったけどね」


○佐藤允彦という人物をもってしても,いわゆるアメリカ音楽としての『ジャズ』を勉強してきた人間にとっては,いわゆる西洋音楽のスケールにのっとったもの以外には嫌悪感が走った。これはそういう時代だったからかも知れない。
 しかし,今,佐藤允彦がランドゥーガでやっていることは,ある意味で光速で西洋音楽の呪縛から解き放たれようとする,一種の改革運動とも呼べるのではないか。様々な世界の音楽を素材にしたインプロヴァイズミュージックの実験を通して。
 それでは,佐藤允彦が世界の様々な音楽を素材とする時のキーポイントはどこにあるのか?メロディー・音階・節の違和感が気持ち良いのか?それともリズムなのか? 

節が気持ちいい

佐藤「うん,僕の場合は『節』が気持ちいいって感じですよね。
『節』のネタはディレクターがくれたり,高田みどりさんがくれたりするんだけどね。
 リズムの方は,過去に結構いろんなもので出会ってると思うんだ。日本の盆踊りみたいなものとか,阿波踊りとか,そういうものもあるでしょ。根本的に違うっていうものじゃないから。

 むしろメロディーっていうのはオクターブある中のごく一部分しか使ってないのが多いでしょ。このへんしか使ってないのとか,こっちのちょっと上の方だけしか使ってないのとかね。そういうので組が違ってきちゃったりとか。
 同じドレミファソラシドでもどこを中心にしてどのへんしか使わないっていうのが『これは雲南省みたいだな』とか『これはシッキムみたいだな』とかね。
 そういう感じ方が見えてくると,シンプルな中での差別化みたいなものが出てきて面白い」


○もしかしたら,五線譜で世界地図ができるかも知れない。
確かに佐藤允彦が言うようにアフリカのダンスミュージックのリズムなど初めて聴いたときでもどこかで聴いたような気がした。

佐藤「アフリカのリズムでもね,ジャズなんかを通して,1回アメリカ経由だけど入ってきてる。
 確かにダンスミュージックというより本当にプリミティブなアフリカのリズム,ああいうふうに3つと4つが重なり合っているとか,2つと5つを結びつけていって違うふうにになっちゃうとか,そういうのを目の当たりに見ると,うーんやっぱり今まで聴いていたのはただの石だったんじゃないかという感じはするんだけれども,でも,あまりの別世界でぶっとんじゃうっていうことはないもんね。
 
 だからぼくの場合にはむしろ,音階と,あとは平均律ではない音程関係。『節』の回し方」


○『節』の回し方ということで言えば,ここ数年『こぶし』の復権というような言葉を多く耳にしてきた。
 しかし,こぶし,と言ってもアラブのこぶし,民謡のこぶしは違う。これは個体差もあるし民族的な違いもあると考えられる。

佐藤「結局,そういう『こぶし』みたいなのって,つきつめていくと宗教性に結びついちゃったりなんかするでしょ。
 そうするとね,そこいら調べたら面白いかな。そんなこというのは日本だけなのかな。坂田(明)さんがよく言ってるんだけど,『笙』の音の組み合わせ。 この時はこうじゃなきゃいけない,この場合にはこうじゃなきゃいけないとか。
 で,絶対出しちゃいけない組み合わせがあったり,出るんだけど出しちゃいけないっていう組み合わせがあったりとか,こういう音をだすと神が怒るとかさ。なんかそういうところまで行っちゃうのかな。
 もしも時間があったらそっちを詳しく調べたら面白いかも知れない。
 
 アフリカなんか完全にそうでしょ。リズムでもって部族ごとのものがあって,こっちから聴いてみるとどこが違うのっていうようなのだけれども,ここがこう違うからこれはあそこの部族だとかね。
 たぶん例えば日本語でも『卵』を『たまご↑』って言うのと『たまご↓』って言うのとで,『あなたのお父さん出身どこでしょ』って言っちゃう人いるじゃない。そういう部族のところまで行き着いちゃう。

 リズムでもあるんだから,絶対こぶしでもあるね。僕らはもうただ単にさ,日本音階って簡単に言ってるけど,『オラごの村じゃ,ああは歌わねえぞ』とかって。江差追分にしても人によって違うし。ああいう歌を歌っている人は下北の方から渡ってきた人だとかね,こういう風に歌う人は津軽の人じゃないかとか,いうのは絶対あると思う」


○ 話はランドゥーガのように光速で飛び回る。
確かにそのような節回しやこぶしというのは宗教的な一種のタブーと密接に関わっている可能性はある。
 そして逆にそれは,同じ社会通念を持つ共同体や民族,部族内の暗号や隠喩であったり,異なる共同体の人間を区別するサインであったりもするだろう。
その場所にいる人の『節』があるのだろう。

佐藤「僕らは初めはひとつのものにこだわって聴いちゃうけども,だんだん聴いてくると,そのようなところが気になってくる。
 それで,民謡で疑問に思ってるのは,『江差』を『えさし↑』ってしか言わないような人が小原節歌っちゃっていいのかって思うんだけど,たぶん伊藤多喜雄さんなんかは,そのへんでなんか反発してるんじゃないかとおもうんだけどね。
 民謡って師範になるのは何十曲って,日本全国のこの歌とこの歌を歌わなきゃいけないってあって,それらを全部歌えて初めて教授とか助教授になれたりするでしょ。
 伴奏も全国平均化でしかないじゃない。同じマニュアルで弾くのは間違いだと思うんだよね。だってその中には沖縄の人も入ってるかも知れないしさ,そしたらおかしいじゃない。

 民謡ってやっぱりその地方のその近辺の村の人しか歌う権利がないっていうと言い過ぎかも知れないけれど,正当性ってそういうところでしか主張しちゃいけないんじゃないかな。
 どれとどれが歌えて位を授けるってなんか気持ち悪いな。
 僕のかみさんの実家っていうのが郡上八幡なんだけどね,郡上節『ぐじょのなぁーはちまぁん』ていうのあるでしょ,あれ聴いてるとね,やっぱりあの土地のひとが言ってるようなイントネーションなの。すごくね,べたっとしてるんだよね。『でてゆくとぉきぃにゃ』って全部有声音なの。
 僕たちだったら『出て』って,無声音からビシっと入るでしょ。それがね,あのへんの岐阜の界隈の日常の言葉で,ああ訛ってるよなーこれって思うでしょ,だけど,そういうふうに歌わないと,たぶんね本当の郡上節じゃない。

 それで今度はその人たちが津軽に行って『やさぶらえー』って歌った時に,『えー』の音が訛ってるんだよね,母音の構成が違うわけよ,色合いが,僕らがそれを聴くと。
 それはやっぱり,岐阜の人がさ,弥三郎節歌ったって気分出ないと思う,逆のことがおきてて,津軽弁の人が郡上節歌ったら,土地の人はおかしいと思うよ。しっくりこないね,やっぱり。

 でもさ,一種の共通語,NHKで『全国のみなさん民謡の時間です』っていうレベルだったら,むしろなくなってきちゃってるんじゃないのって。
 逆に例えば深川の木遣りとかさ,江戸っ子の薄っぺらい『ヒィィィィ』という。鼻に抜けたように唄ってるじゃない。で,粋でしょ。その粋なところに津軽の人が乗りこんできて『兄貴ゃにかぁいで』とか言って。
 やっぱり『きやりのけぇぇいこ』って言えば,『おお江戸っ子』って思うけど『きやりのけいこだべさ』なんて言われたら『なんだこんにゃろ』って思うじゃない」


○ 諏訪の御柱の木遣りは勇壮だ。縄文時代からの脈々とした流れの中で歌い継がれてきた同じ木遣りであっても江戸のものとは違う。まさに山の斜面から転げ落ちたり,急流を下ったり,太くて長い材木を相手にする男達の心意気が伝わって来そうだ。
 しかし,江戸だったら死にゃしない。危ないといっても,せいぜい木場で材木の間に挟まれるだけ。帰ってひとっ風呂浴びて,一杯ひっかけて吉原へでも行こうや。そんな小粋な風情がある。
 土地ならではの粋。土地ならではの音楽。唄。節。そのような感受性のようなものが人間のDNAの中にセットされているのかも知れない。

 そう考えると,たとえばランドゥーガの昨年の最初のライブである。セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイの時,観衆はランドゥーガの演奏については面食らっていた感がある。踊っていたのは外国人だけ。
 ところが,ついこの8月の末に行われた本牧ジャズ祭の時は,多くの観衆が,いわゆる民謡的なリズムにも体を揺すりながら手拍子をしていたのだ。
 民謡的なリズムが日本人のDNAのどこかにセットされていて,そのリズムに感応することがエンドルフィンの分泌というものと関わっているのだろうか。

佐藤「去年から今年にかけて,そういうのって色んな人がやるようになったじゃない。だから,ここ1年で音楽を受け取る側がものすごく変わったみたい。
 例えば,河内音頭にしろ,上々颱風とか,矢継ぎ早に表面に出たものね。 だから,そのへんの民謡って聴いて首筋かゆくなっちゃうっていう受け取り方が一切なくなっちゃったみたいなんです。
 それに,やっぱり1年てでかいですからね,ポップ・ミュージックの中の1年てね。だから,この間の民族ものの,蔓延の仕方が手にとるようにわかるって感じなんじゃないだろうか」


○ やはり,この数年の聴き手の変化は大きいと言えるだろう。
 今までは音頭的なリズムには嫌悪感さえあったのに,それがふっしょくされ,憑き物でも落ちたかのように,歓喜のリズムへと変化したように思える。
 音を切ることでリズムを現出させるのではなく,音を引きつけるようにため込み引き延ばし,最後に爆発させる。邦楽用語ではリズムのことをメリヤスというそうだが,まさに,言い得て妙。
 いわゆるワールドミュージックの氾濫とともに,西洋音楽のリズムは『節』とは違うものがすんなり聴き手の脳を歓喜へと導くものへと変わってきた。というより,日本列島の人間が本来持っていたものが,再び浮上してきたと言えるのかも知れない。
 先にもふれた「こぶし」にしてもそうだ。それは日本だけのものではなく,アラブの音楽からも感じられる。そのあたりについて佐藤允彦はこう答える。

こぶし

佐藤「うん,『こぶし』は日本独特じゃないですよ。
 でね,西洋音楽というものが主流になって,変わっちゃった。
 何ていうのかな,西ヨーロッパ音楽が特殊な例で,本当はそのへんのものっていうのは延ばした音を最後まで,命をながられ,最後にパッとだす。たぶん,むしろ民族音楽の中からみればそのほうが普通なんだけど。
 だから,西ヨーロッパの,いわゆるゲルマン民族とアングロサクソン,ラテン民族,あのあたりの人たちが正統だって思っちゃうような歴史的及び社会的及び政治的,軍事的ものっていうのが妙なものだったんじゃないですか,音楽の世界にとってはね。

 で,それを最初から刷り込みされちゃった我々のような中途半端な種族はもの珍しがってそんなこと言っているけども,民族音楽の中ではそういうことは当然のことで,何を今更って感じなんじゃないかな。
 一流のジャズボーカリストは節回しこぶしまわしがあるでしょ。
 伸びている音の中のいろんな色の変化とかね。そういうのはちゃんと持っているんだよね」


○もしかするとジャズも,ジャズという名目の中で,もともと自由度の高い音楽だったはずのジャズがステロタイプ化しているというような,そんな気がしないでもない。

節とリズムの分化

佐藤「ステロタイプ化することによって,より商業的な強さみたいなものをもってきたっていう側面がありますよね。特にビッグバンドなんかはそうだったと思う。
 西洋音楽でもシンフォニー・オーケストラみたいなものになって来たっていうようなところあたりから,みんなで合わせなきゃいけないとか,そういうことが発生してくるわけじゃないですか。
 そうするとマニュアルも必要になってくるだろうし,みんなが合わせるっていうことが目的になっちゃう,アンサンブルが目的になっちゃうっていうことがあるでしょ。
 そうするとタイムなんかも揃えなきゃならないし,っていうのがあってね,リズムなんかでも,たとえば16分音符でかいてあったら,ちゃんとパカパカって16分音符でやらないと合わないっていうのがあるでしょ。
 ところが,16分音符をブラジルの奴らに叩かせてみると均等にタカタカってなりませんよね,タカタカッ,タカタカッ,ああいうことだったんでしょうね,昔はね。

 本来音楽というのは,そういう個人や民族によって違うもの。
 リズムなんかでも,間宮芳生さん(まみやみちお=作曲家)も言ってるけど,リズムっていうのは加速と減速というのがあって,小節の頭のほうでは加速していって終わりの方になったら減速してくるっていう民族もあるし,小節の終わりの方で一番加速するとか,聞けば平均に聞こえるんだけれども,その中を見てみる,常にプラスマイナスの間,プラスいくつからマイナスいくつまでの間をずっと揺れ動いているっていうのがリズムなんだってね。
 例えば,ポピュラーピアノとかをやる時に,リズムを弾かせるじゃない,そうすると機械みたいに,均等にやるのが良いリズムって教えちゃったりするんだけれども。
 僕はそうじゃなくてね,リズムっていうのは4小節なり8小節なりの間の真ん中へんだったら速くなって終わりの方なら遅くなるとか,そういうようなサイクルを繰り返してて,そうしないとリズムが浮き立ってこないという経験をしている。
 本来リズムっていうのはそうだったものを,西洋的な記譜法と人数が多くなっち ゃったのが原因で変わってきた。
 
 オーケストラとかって,リズムをやる人とメロディーやる人の機能分化みたいな構造にしちゃうでしょ。そうすると今迄リズムと『節』っていうのが一体化してメロディーがリズムに乗っていたのが,リズムはリズムで分かれちゃってそれは正確にやらなきゃいけない。
 で,メロディーの方だけがたゆたってて,リズムの方がちゃんとなってなきゃいけない,そういうようなことになって,おかしくなっちゃったんじゃないかな。
 『節』イコール『リズム』だったのに,『節』をやるときだけ頭のほうはゆっくりやって真ん中は速くなって終わりの方は遅くするみたいになってきた。
 それが『節』がそうだから,リズムも一緒になって節と同じように,『節がこうなんだからリズムもこうなった』みたいな。
 やたらテンポが動くっていうのが西洋音楽になっちゃったでしょ。本来そういうものじゃなくて,音楽というかとくに民族音楽なんかだと,あまりテンポって動くものじゃないんじゃないかと思う。人間の生体としてやたらテンポが速くなったり遅くなったりって不自然。

 でね,テンポっていうのは『時間の流れる速さ』で,リズムっていうのはそれをどういう風に『切っていくか』っていうものなんじゃないかと思う」



○ハウスなど打ち込みやサンプリング主体の世界ではBPM(ビート・パー・ミニッツ)というとらえ方をする。
 佐藤允彦の言う事を当てはめれば,その世界で言うBPMっていうのは結局テンポになるのではないか。
 それはすごく正確なものだからそれを機械的に全部均等割りして『だいたいこれなら128』とか均等割りに主体に流しておいて上では24分の1で割っておけば3がきても6がきても倍数だからいいと。そういう考え方でやっているように思える。
 テンポとリズムっていうのを意識はしていないけれども,『リズムはジャストで』というような言い方をする。

佐藤「たぶん,僕が感じてるのっていうのは,例えば,4分の4拍子でいくと,8小節単位とか4小節とか,もっとすごく大きいの。
 その間をいくつに割るか,均等に割るのか不均等に割るのか。そういう『うねり』かな,サイクルかな」


○スネアの音に合わせてリズムをとるとか,バスドラのリズムでとか言う人は多いが,体で聞いてて気持ち良さを感じるのは,もっとおおきな腰のうねりみたいなものでとらえているように思うのだ。
 いわゆるジャズ用語のスイングという言葉が意味しているのもそのあたりのことなのかも。

佐藤「たとえば,その間を機械ぽくすると均等割りしちゃう。
 でも均等割りで12なら12に割るとするでしょ,その徐々に速くなったものがガクッと落ちるような波形。
 一定の割合で増減するサインカーブのやり方なのか,あるいは三角波みたいなのか,色々な波形があるけれども,そういうある程度の波形が,僕が遂にわからずじまいだった『f分の1ゆらぎ』なのかも。それってそういうことなのかなって。
 音楽的にいうと,段々に外れていって段々に戻ってきてっていう,そういうことを繰り返すと,均等割りにしても大きいうねりが出てくるじゃないですか,自然に。
 ランドゥーガでも,もちろん,そういう考え方はしていますよ。
 というより,ランドゥーガに限らずジャズのセットでもね。始まった時になにか考えています。選曲するのでも何でもね。演奏してたら,ちょっと気持ちいいから続けてみようとかね。それをあまり理詰めで考えていなくて,気分で考えている。
 本当は何も決めないでステージに上がって,『次,何やりたいな』って思ってやるのが一番楽しいんだよね」


○これは,「時間」の問題。
たとえばライブにおける大きな50分をワンセットとして考える時でも,数小節,一小節の中で考えるときでも,数秒の時間単位でもいい。時間単位の引き延ばしはどうやってもできる。
 そのあらかじめ予想されるテンポの枠の中で高速化するなり減速するなり。それがリズムや節の回し方なのだろうか。その中でいかにやるか。あるテンポ内においてどうやるか。
 節回し,こぶし,リズム。これは構成だ。しかも,気分で考える構成。
 ひとつのライブがあれば,選曲,構成によってライブ全体のリズムが生まれ,そのリズムは曲単位,小節単位,一音,と微分されて行き,一音は小節,曲,ライブ全体と積分され,演奏者自身と観衆の脳と視床下部に作用する。
 そういう意味で言えば,今の多くの音楽に感じる,パターンを踏んだリズムやメロディーライン。

一割五分と八割五分

佐藤「あのですね,どんなジャンルにも,それは音楽に限った事ではないんだけど,一割五分の面白いものと八割五分のつまらないものがあると思うのね。
 たとえば,欧米のターム以外の音楽が,面白いって言われたりするでしょう?たとえば,ナイジェリアの音楽は良いとか,インドネシアの音楽は楽しいとか。
 でもね,結局,そこにも,当然うまい,へたがあるしね。いいものはやっぱり一割五分ぐらいだと思うんだよね。多少の増減はあるかも知れないけれど。
 で,それは聴き手にも言えるんじゃないかと。つまり,一割五分の面白いものに反応する聴き手と八割五分のつまらないものに反応する聴き手がいるってこと。これは,世界共通の黄金率かもね」


○たとえば,おおまかに,いわゆる民族音楽のようなピュアミュージックとポップミュージックという風にふたつに分けたとしよう。
 そしてその間に入って来るような音楽もあると設定してみよう。そこにはいわゆるワールドミュージックも入ってくるのかも知れない。
 沖縄ポップスやハウスと合体した河内音頭のようなものも入ってくるだろう。
 そして,どれが面白いか,と言えば,面白いものもありつまらないものもあるはずである。同じミュージシャンであっても,アルバムやライブごとに面白いものもあればつまらないものもあるだろう。それは聴き手,個々のエンドルフィン分泌量と身体感覚で判断されるだけのことだ。

佐藤「この一年間の変わりようってすごいなって思う。民謡の受け入れられ方が尋常じゃない。
 もしかしたら東京周辺だけかも知れないけれど,地方へ行ったらどうなるかわからないし,いまさら感もあるのかも知れないけれど。
 でも,今の沖縄音楽や民謡の流布の仕方って言うのは非常にナチュラルな気がするよね。
 やっぱり,そこにはアングロサクソン系の音楽がつまらなくなっているというのもあるだろうし,それをトレースした日本のポップスもつまらないものが多いし,音楽番組も見るべきものはないからってこともあるのかも。
 やっぱり何か聴きたいものね。『もっと他にもあるんじゃない?』って言った時に,『あ,こういうのあったな』ってものをね。
 でも,きっと,そういう位置にいるミュージシャンであっても,自分の中に現代ポップス指向っていうのがあったら逆に詰まらなくなっちゃうんでしょうね。
 日本のミュージシャンをアメリカ人が聴いてつまらないっていうのは,それと同じ目で見てると思うんだ。『何であいつらが今更俺たちが今までやってたことを上塗りしてやらなきゃならないんだ』みたいなそういうのがあって,そのへんがポップスにしてもジャズにしてもそうなんだけれども,やる人のアイデンティティーみたいなものが出ていないと,結局はつまらなくなっちゃうっていうことなんじゃないかな。
 そう考えると,世界のどこでも演る方も聴く方も行き着くところは自分にとって素直に気持ち良いってところだよね。そこが一割五分なのかも知れない」


○しかしながら,日本やアングロサクソン系の音楽でも気持ち良いというのがステロタイプ化している感はある。こうすれば,気持ち良いという様な,気持ち良い決まりがあるかのような方向に向かっているような気がする。
 起承転結にこだわって8小節という定型をふまえなくても良いはずである。起承転転でもいいし。転転転転でも気持ちいいものは気持ちいいはずである。
 それは聴く人間の脳と身体感覚が判断することであり,昔からの気持ち良さのパターンを繰り返す必要はない。
 しかし,絶対数としてそのような音楽が大量に生産される現状において,自分の身体感覚で善し悪しを判断する事はむずかしいのかも知れない。
 そしてなによりも,ミュージシャンなら面白いものを作りたい,と言うクリエイティビティへの欲があるはずだ。
 確かに経済法則はあるが,経済のために音楽や音楽評論があるわけではないはずなのだが・・・。

佐藤「結局,全部がそういうシステムになっているから。
 雑誌だって売れなきゃしょうがないし,評論だって売れなきゃ食えないし。
 だから何故今更ソビエトがそういう世界に踏み込もうとしているのかね,可哀相だなって。あれはエリツィンとブッシュの出来レースだったのかもね。
 今までのソビエトの体制っていうのも気に入らないけれども,変わるならば,別の方向を模索すればいいのになって。
 だからもっとうんとさ,一個ずつ小さく,村とかになっちゃってさ。日本なんか昔の藩になってやった方がいいんじゃないかなって。
 全国ネットって気持ち悪いよ。フォッサマグナのところで分かれたらいいんじゃないかと。あるいは中央アルプスと北上山地」


○日本は外貨預金高ともGNPも突出している。こういう国があるということが異常だから割った方がいいという意見もある。
 もともと,文化的には分かれていたわけだから。4つか5つに。そうするとGNP的にも平均化するだろうし,各地の特徴も際立つ。
 北海道は独立国になってカラフト・シベリアと,九州は韓国と経済圏作って,沖縄は台湾や香港,中国の華南地方と。
 東京・関東地方は太平洋,環太平洋,ハワイとかグァムとかカリフォルニアあたりまでを含めたところと経済圏を作る。
 日本海側は沿海州・中国東北地方と,というように。

違いが面白い

佐藤「例えば,そういう意味で,本当に大阪の人たちはもっと違いを明確にすべきだと思う。
 だって大阪のミュージシャンて全然違うもの。同じジャズの中でも,あれっ?て思って,『ああ,この人,大阪なんだ』って思いますよ。
 リズムひとつにしても加速減速の仕方が違う。うねりが違うの。これは不思議ですよ。
 だから一緒に合わせようって言うのじゃなく,その違いを見つめようっていう方が絶対クリエイティブだと思う。当然,外国ミュージシャンとやるときも違うわけで,その違いがとにかく面白いんだよね。
 今,こういうことを言っている人はクリエイティブなことをやっている人の中に多い。
 問題は,一般というか,音楽を聴く側,状況の受け手に,未だ排他性のようなものがあるからじゃないですか。そのへんがこれからの問題点かなって思う。
 これからもっと加速度的に外国人も入ってくると思うし,混血も進むだろうし,その時に,エリツィンみたいなこだわりやつっぱりがあると危ないと思う。
 違うものを認める,例えばアングロサクソン系のポップスとかいうのは弦楽器なら100人いたらその頭をぴっと合わなきゃいけないとか,クレッシェンドは同じようにしなきゃいけないとか。

 だいたいオーケストラで100人の弓が一斉にぴっと上がる下がるっていうの,すごく気持ち悪いんだよね,あれ。
 滅茶苦茶に,こっちの人は上がったように弾いてこっちの人は下がったように弾く方が面白いと思うんだけどな。
 それと,オーケストラで,アラブ人が50人,中国人が50人いるようなストリングスのセクションと,こっちは日本人と韓国人だけのセクションだったらリズムや歌い方が全然違ってこなきゃおかしいんだよね。
 絶対に合わないっていうのが面白いのに『作曲者の意図はこうでした』とか言って指揮者に権限を委ねちゃうと,違っている人はつまはじきされちゃう。
 そのごちゃごちゃになった中で,みんながなんとなく向こうに行きたいなっていう時に向こうに行こうっていうのが,いいなと。
 だから,僕,ガムランを聴いていても気持ち悪いことがある。怖い音楽だなって」


○近年できあがったケチャッなどの場合も,村によっては合わせようという意識が強すぎ,一糸乱れぬ音の洪水に恐怖を感じることもないわけではない。
 一方で人間が各自思い通りに自分の気持ち良いように,演奏することで,それが一瞬合ったときの計り知れぬパワー,自由の力。その方が確実にナチュラルだろう。それがランドゥーガの目指すところでもあるはずだ。

佐藤「アフリカから日本にくるあるパーカッショングループなんだけど,スイス人がプロデューサーになってる。で,違う部族から人を集めてきて,そうして作っちゃったっていうパーカッショングループ。日本やヨーロッパを回っているのってそういうの多いんですよね。
 聴いていると,こういう音の合い方するものじゃないって思うんだけど,『これがアフリカのドラムだ』なんてお題目,聞かされちゃうと,そういうものなのかなって思うじゃない。
 こないだみどりさんとアフリカに行った時に,ある村の,その村の人だけで演ってくれたものと全然違うんだよ」


○多くの人々は,何か変だなっという違和感に不正直な聞き方をしているのかも知れない。多くの情報から知ったことを,まず頭において,何かを聴く。
 まるで絵はがきの風景を確認するためにその場所へ行き写真をとるように。今,はやっているからという理由で。

佐藤「経済の原則はある程度軍隊の拘束じゃないですか。どこかに攻めて行く時にひとりひとりばらばらに攻めて行くよりは全員が作戦行動をとって,連携プレーもあって,攻めれば簡単に破れるみたいなの。
 そうしないとお金がもらえないとかあって,何か形にしよう形にしないと商売にならないっていうのがあって。それがポップスの原則でしょ。生のままじゃ食えないけれどもちゃんと料理すればっていう。

 それでね,複数の人間が集まったら決まりごとっていうのはどうしてもできて来ちゃうじゃない。その決まりごとを,決まりごとだと感じなくなるようなことってあるわけね。
 それにはふたつあってさ,決まりごとを決まりごとと感じなくなるまで,無意識になるまで,練習するっていうの。そっちは自発的にやっているならいいのね。
 けれども,一方で,そうすることが飯の種だとか,売れるもとだ,とか言ってほとんどやっているじゃない。
 そうするとアンサンブルは敵だなって。アンサンブルはすごく胡散臭いものだなと。

 例えば,拍手をもらうには,垂れ流しで終わるよりはバシっと終わった方がわぁっと拍手が来るでしょ。
 姜泰煥(カン・テーファン)さんなんかとやってて反省するのは,フリーインプロヴィゼーションで演ってて,ここで終わったらすごく受けるだろうなっていうのがいっぱいあるのね,そうすると,『ここだっ』なんて無意識に思っちゃうわけですよ。でも姜さんはそういう組立型にはまったく無頓着で。
 状況をここからこういう風に変化させようとか,こっちへ持って行こうとか,こっちへ行ったらいいんじゃないかとか,道の分岐点に立った時のチョイスの仕方というのはもの凄く鋭いんだけれども,ここで終わったら拍手が来るだろうとかってことは,あの人,一切考えない人なんです。
 そうすると,例えばみどりさんと姜さんと僕でやってて偶然に,ここから先なにもやらなかったら最高ですごく受けるなって思う時でも,あの人は悠然と次の2節くらい吹いちゃう。そういう時,『ああこれでなきゃだめなんだ』って,普段商売ものの音楽に毒されているなって思うね。

 僕ら普段商売でやってる時はどうやったら受けるか,どうやったら盛り上がるか,そんなことしか考えてないんだもの。
 だから,それは良くないなと思うんだけれども。ランドゥーガでも,拍手がいっぱい来た方が楽しいから,そういう風に持って行っちゃったりしてるけど。
 確かに拍手が自分にとって気持ち良ければってこともあるけどね。でも,それで売れてお金がたくさん入ったら気持ち良いとか,そうなってくると危ないわけでしょう?ほら,グルメの店とかって紹介されると急に客が来ちゃったり。
 ではなくて,『人知れずああいうのがあったよ』とか『昔ああいうのがあったんだよ』っていう伝説のバンドになっちゃうっていうのが面白いかなって。
 ホンダなんて商売うまいじゃない。昔ステップバンていうのがあってさ,それがすごく人気が出てきたら生産しなくなっちゃって,そうするとあとからプレミアムついたりなんかして。そういうの,いいな。格好いいでしょ。
 僕そういうのいくつかあって,ランドゥーガの前身のがらん堂っていうのがあって,『レコードないですか?』って今ごろ聞かれたりとか,『レコード欲しいんですけど』って今になって言われたりするんだよね。
 ちょっと,気持ちいいんだよね。そういうの」


○ランドゥーガのやっていることは,もっと多くの人に知って欲しい気がしないではない。
しかし,伝説化する気持ち良さというのは,多くのクリエーターにとって,もっとも快感を感じるものだというのはわかる。また,佐藤允彦はこうも言っている。

佐藤「みんなが知ってるっていうのはつまらないし,今,聴いてくれている人たちを大事にしたいし。
 昔コロンビアにディレクターがいて,その人とやたら売れないレコードばかりを10枚くらいこしらえた時期があったの。高橋悠治とピアノのデュオのレコードとか,変なのばかりこしらえて。
 1000枚以上売れるようなレコードは危ないって言われて,それはちょっとないんじゃないって。
 『危ないというオーダーを1000じゃなくて1万枚以上売れたら危険ていう風にしてくれないか』って言ったんだけど,『いやいやそうじゃない』とか言われてね。かたくなに800枚とかそういうレコードを作った時期があるんですよね。
 そうしたら最近になって,復刻版なんかでたりして,何考えてるんだろうなってね。
 まあ,そんなことで,いつまでたっても昇進しない人なんだけれども,考え方はすごく面白いなと思って。
 今は,僕も1000で線ひいちゃうっていうのは,ちょっとヲタクすぎるんじゃないかなって思うけどね」


○自分にとって気持ち良いもの,欲しいものは買う。あとで話を聞いたら500枚しか出ていないものだったりすることもある。しかし,それがベストセラーであっても,なくてもかまわないと思うのだが,多くの場合,数の論理で作られたアルバムは輝いていないことが多い。
クリエイティビティを十二分に発揮し,売れるというのが理想なのだろうが,現実としてどこかで妥協を強いられるミュージシャンの現実があるのかも知れない。

佐藤「で,ね,今度は自分でテープを作って,これはって思う人だけにカセットかなんかにしてあげるっていうのもやろうかと思ったりしてね。
 すごく良くできててさ,でもどこにも売ってないの。どうやったら手に入るのって聞かれて『いやーこれは限定版にもならない』って言う」


○今や自宅でCDを作れる時代だ。数百万円もあれば,デジタル・レコーディングの設備は揃う。
 シーケンサー代わりのコンピューターに,サンプラー,ハードディスク・レコーディング・システム。
 プロがマス以外にパーソナルな作品を作る動きは,インディーズ・シーンとは別に確かにある。

佐藤「オランダにハン・ベニンクっていうフリーのドラマーがいて,前,会った時に彼が,LPなんですけど,くれたんですよ。一枚ずつ全部,自分でジャケット・デザインしているの。
 で,僕のはね,白いジャケットの上にオランダの国旗の色の紙が切ってあって,マッチの軸にそれが挟んであって,鳥の絵が色鉛筆で書いてあるの。
 何枚作ったのって聞いたら,150枚だって。これはいいぞって。そういうオーダーでいいんじゃないかな。
 だって,それ聴いていいなって思った人はどうせ今コピー文化だから,どんどんコピーすればいいじゃないですか。そのかわり売らない。売ってあげない。あげるだけ。音楽って本来そういうものじゃないですか」


○音楽の始源を考えれば,まさに,非常にパーソナル,またはごく小さな共同体内で楽しまれるものだったはずだ。音楽というものを,快感の装置としてはっきり認識するなら,そのようなレベルまで立ち戻って考えてみる必要もあるのかも知れない。

佐藤「本当は聴きたくなったらそこへ行かなきゃ聴けない。そこへ行ってもその人が風邪ひいて寝ていたら聴けないって,そういうものでさ。それが本来の民謡じゃないですか。本来の音楽のあり方ってそういうものだったんだろうなって思うのね。
 今は民謡のポップス化という感じがしてるけども,そのうちにポップスの民謡化っていうのかな,ジャズでもいいんだけども,ものすごくローカルの極致になっちゃうていうのかな。そういうこと考えている人いるんじゃない?
 フォークではそういう人いるでしょ,加藤登紀子さんが出前で出張コンサートに行っちゃうとか,小室さんが23区コンサートって区の中でしかやらないとかね。
 それを逆手にとって宣伝に使ったりすると嫌らしいけれども,そういうのじゃなくて,本当にそういうところだけの音楽。
 そうすると必然的にでっかいPAとか使えなくなるから,PAさん困るだろうけど。でも,本当はそういうものなんだろうなって。
 音楽って1万人で聴いたり2万人で聴いたりするようなものじゃない。せいぜい200人とかね」


○佐藤允彦という人間の脳の根底にある音楽観が聞けたような気がする。
 佐藤允彦という名前を聴いただけで,高度な表現をするピアノ奏者。気難しく近づき難いクールなミュージシャン。という印象を持つ人も多いようだが,彼の脳には,ある意味で素朴な音楽への愛情と純粋なクリエイティブへの情熱が宿っている。
 そして,音楽の官能をいかに,自分と聴き手の脳に感応させるか。彼の音楽が目指しているのは,ただそれだけなのかも知れない。
 音楽の求道者というより,音楽の遊び人と言った方が正しいのではないだろうか。
 そういう意味で言えば,ランドゥーガについても「民謡のジャズ解釈である」とか「民謡ジャズだ」というような一種の誤解を含んだ言い方をする人間もいるのだが,佐藤允彦はこう答えている。

民謡ジャズ

佐藤「まず言えば,ジャズ解釈じゃないと思うな。ジャズって言うと変に色がついちゃうでしょ。インプロヴァイズ・ミュージックだから,ランドゥーガは。
 インプロヴァイズしている人が,括弧付きのジャズつまり『アメリカのジャズ』の人であれば,つまり,アメリカのジャズの方法でインプロヴァイズする人がインプロヴァイズすればそうなるだろうし,アラビックな人がやればアラビックになっちゃう。
 で,今たまたま,そういうイディオムの人が多いから,そういう風にとられてるんだろうと思うんだけれども。

 でも,例えばアメリカのジャズのミュージシャンが聴いたら絶対ジャズって言わないですよ。
 確かに参加しているミュージシャンはジャズ畑の人は多いですけども,たまたま僕がそういう出身だから,そういう人がまわりに集まっちゃっただけの話で,意識としてはジャズをやっているなんてことは全く無いですよね。
 でも,そういう風にとられちゃうっていうのは,恐らくインプロヴァイズという言葉から,ジャズの一部のインプロヴィゼーションだっていう捉え方をされるんでしょうね。
 『インプロヴァイズする』っていうことがイコール,ジャズ,って思う人がそういうことを言うんじゃないのかな。
 だから,ジャズをあまり知らない人がそういうことを言うんでしょ。
 ジャズを知って来たならば『あれはジャズじゃねえよ』って言うと思うよ。知れば知るほど」


○ここで,ひとつはっきりさせておこう。「ジャズ」という言葉についてだ。佐藤允彦が「括弧付きジャズ」と言うのは「アメリカ音楽としてのジャズ」という意味である。これが,いわゆる巷では「ジャズ」という音楽ジャンルとほぼ同義として認識されている,と考えていいだろう。
そして,話を複雑にしてしまうのが,いままで佐藤允彦はいわゆるその「括弧付きのジャズ」畑のミュージシャンとして認知されてきたという事実だ。それはひとつに,経済原則にのっとり,人に伝えるために便宜上ジャンル分けを行ったという意味もあるだろうし,佐藤允彦自身,「括弧付きのジャズ」ピアニストとしての位置も占めてきたという事実もある。
佐藤允彦は今まで「括弧付きのジャズ」畑で語られることが多い人間だったから,ジャズの人だと。

佐藤「そのへんについていえば,ゴルバチョフは共産党だからゴルバチョフのやることはみんな共産党だろうっていうみたいなさ。
 でもゴルバチョフは共産党じゃなくなっちゃった。そしたらどうするんですかってね。
 でもあのひとの考え方は基本的に共産主義だから,その意味では僕も基本はジャズ的な考え方から抜け出ていないのかも知れないけど。その意味ではジャズかも知れないね。
 民謡ジャズっていうけど,今,レパートリー的には民謡の方が少ない。外国の民謡の方が多い。だから外国を含めた広い意味での民謡ジャズと言ってくれているなら,それは当たりでしょうね」


○思うに,ジャズの民謡解釈でも,民謡ジャズでもどちらでもいいのだが,そういう捉え方をする多くの人間は一枚目のCDだけを聴いた人の感想ではないだろうか?今や,ランドゥーガの音楽は世界を光速で駆けめぐり始めているのだから。
 たとえば,ここに,今年7月,8月のマンスリー・ライブで披露された新曲についての佐藤允彦自身によるコメントがある。

『●7月の新曲:今月は今まで付き合ってくれたベーシストの面々が多忙で,ついにベースレスになってしまった。
 どんなプレーヤーも拒まないのがランドゥーガの方針だから,ベーシストは誰だって良いようなものだが,本音を言えば私自身かなり人見知りなので,知らないベーシストといきなりライブのステージで顔を合わせるのは避けたい。
 で,パネ君(ファビアン・レザ・パネ,Keyboard)にベース・パートをお願いしてしまったというわけだ。
 それやこれやで,リズム・パターンをシーケンサーで自動的にやらせておいて,ベースともども遊べる曲を作ってみた。
【飽楽むかえ節】(あくらむかえぶし)”あくら”とはガーナの首都ACCRAである。以前,《高田みどりアフリカ・コンサート・ツアー》 でガーナに行った時に訪れた音楽学校で,我々を歓迎するために,生徒と思われる若者が弾いてくれた最初の曲のイメージ。
【飽楽おくり節】同じく,最後の曲のイメージ。

●8月の新曲:ランドゥーガは,初めて東欧に足を踏み入れた。今月はルーマニアのメロディーを味わってみようと思う。
 アラブ,東洋,西ヨーロッパの文明の交錯する地域では,当然のことながら,音楽もそれらの要素をすべて含んでいる。
 ちょっとした手加減で完全にどこかの文化圏に重心が移ってしまうという危うさがなかなか魅力である。
【ティルナヴァ1】TIRNAVAはルーマニア北部を流れる河の名。比較的アラブの色彩の強いメロディーなので,演奏もおそらくそちらに向いたものになると読んでアレンジしたのだが。
【ティルナヴァ2】和音をつけた部分はちょっと聴くとかなり西ヨーロッパ的だが,なんとなく東洋の匂いもするから不思議だ。
 東欧には,まだまだバルトークも知らなかったような音楽が隠れているのだろうか』



○いまや,ランドゥーガでチョイスされたメロディーラインはミャンマー,エジプト,シッキム,バリ等,世界へと広がっているのだから。

佐藤「そそ,ランドゥーガは確かに日本から出発したわけだけどね。
 だから二枚目を聴いてくれればね。二枚目はたぶん『なんだこれは?』なんだか,わけわかんない。二枚目は色んなものが出てきますよ,当然。とにかくニューアルバムのレコーディングは,今まで今月の新曲として出してきたやつをやるしかないんですからね。
 一枚目ではライブを録音して,それをスタジオでミックスして整えてという作業をしたわけだけれど,二枚目ではそれはできないから。
 もちろんマンスリー・ライブの音はすべてDATで記録としてとってますけど,それはそれで,まったく別ですから。
 やはりスタジオ入って演奏していくということになりますね。たぶん,レコーディングは12月くらいの予定です。

 ソロの曲が少しあったりするんだけれども,そういうのは後で聴いて足すかも知れないですね。
 それよりも,曲がたくさんあって,あれも入れたいこれも入れたいっていう話になって。これカットすると惜しいなって結構あるんだよね。ちょっと短めにして沢山入れるかな。
 時間は70分でも,『たーくさん曲が入ってて,百科事典みたいなカンジ』って言う話も出てるんだけど,うん,そういうのもいいな,って思ってるしね。むしろそのほうが楽しいかも知れない。いろんなものがいっぱい入っていて。幕の内・松花堂弁当のようにね。

 また『コンパクトでポップな部分もあっていい』って話も出てるしね。欲張って言えばヴァージョン違いとかも入れたりとかね。なるべく沢山入れたいね。一年の集大成って意味もあるから。
 ただ,ひとつだけ困るのは,一枚目だったら,レコ発のコンサートできるのね。二枚目はできないと思うんだ。そこで既に経済学の法則から離れちゃってると思う。これやったら大変。とても採算合わない。とんでもないミュージシャンたくさん呼んでこなきゃならないし。だから,二枚目について言えば,これ,レコ発コンサートなし」



○12月のレコーディングならば来年3月あたりの発売になるだろうランドゥーガの二枚目。タイトルも中身のコンセプトも未定だが,おそらく,そのアルバムを聴けば,これまでのランドゥーガに対する固定観念が変わる人が出てくることだろう。

佐藤「そういう意味で,一枚目聴いたら,民謡ジャズだって思っちゃうのはしょうがないですよ。
 でもやっぱり,あれについて『ジャズ』の『ジャ』の字でも入ったら怒る人いっぱいいるでしょうね。
 ジャズの雑誌で賞をもらっちゃったっていうこともあったしね。まあ,いただくものはいただいて,ということですけどね。
 僕なんか,長年売れずにやってきたせいか,売れない心地良さっていうのがあるのね。ざまあみろ,とか言ってさ。
 昔なんかね,4ビートの評論家とかからすごく嫌がられてね。『佐藤君はフリーだから』みたいに言われて。
 その後は,フュージョン・バンドみたいなものもやってたし,ジャズの人からはジャズとは思われてなかった。
 ライブハウスなんかで4ビートものやったりすると『佐藤さんって4ビートもやるんですか?』なんて言われたりね」



○佐藤允彦の演ってきた音楽は常にその時代の中で,高い質のものである。 このことについては誰も異論がないだろう。しかし,やはりメディアを賑わすものではなかった。

佐藤「それでいいんじゃないですか。江戸時代みたいでいいじゃないですか。せいぜい瓦版てな世界でね」



○良いものが売れるとは確かに限らない。逆に言えば,売れないから良いものだということもない。
 しかし,いかに個々人の脳を快感の海で満たしてくれるか,というのがエンタテイメントの使命だとすれば,今,メディアで語られる多くのモノ,コトは,名声や自分の周りと協調することによる快感。このようなところを基準にして判断されているように思える。

らっきょ

佐藤「さっき言った一割五分と八割五分っていうのだけどね,もしかしたら,かなり好意的な見方かも知れない。シビアに言っちゃえば,五分と九割五分かも知れないね。95%くらいって言っていいのかも知れない。

 でね。クリエイティブってさ,何かを自分の中に取り込んでそこから絞り出していかなければブツにはならないわけでしょ?
 そういうことをしている人と,そうじゃなくてただ情報をかき集めて行動を決定するだけって人では,長い間にものすごい差ができると思うんだ。いわゆるクリエイティビティっていう面から見るとね。
 そうするといかに感性の優れた人であっても,クリエイトすることなしに,プロデュースみたいなことばかりやっていたら,必ずどこかで壁にぶちあたる。不断に『らっきょ』,つまり自分の皮剥きやっていないと落ちこぼれちゃうわけですよね。

 ずっと新しいものをやってくってことは常に『らっきょ』やってるってわけじゃない。でも,多くは一回『らっきょ』やるとそれでもって,あるところまで行けるでしょ。時代にあった企画みたいなものを一個思いつくと,その同じ鋳型でもってあるところまで行って,それが同じ鋳型でできてるっていうことがいいプロデューサーの条件だったりするでしょ。そうするとね,その期間進歩が止まっている。
 そういう人が何人かいてね,ものすごく売れたレコードを作り続けていたプロデューサーだから信頼してレコードを作るでしょ。すると全然違うんだよね。
 僕らなんかだと,去年の8月から今年の8月,1年間のお客の反応がこんな風に変わってこれだけのこういう受け取り方をされるようになってきた。
 それは何故かなんてことを考えたり,それを演ってるものに反映させたり,不断に血みどろでやってるわけでしょ。そうやって見ていると1年間の音楽の状況がどのように変わってきたかがよく見えるんだけれども,彼らは見えてなくて,自分が一回うまくいった方法でずっと来てて,それがまだ通用すると思っている。『佐藤さん,こういう風にやらなきゃだめだよ』みたいなね。わかってないんだよね。
 だから,たとえば多くの一流と言われる編集者でも昔ある時期は良かったんですよ。時代とぴったりリンクしてね,びしっと雑誌も売れたっていう。
でもそこで,『らっきょ』していると売れなくなっちゃうから。『俺はこれで行くんだ』ってある程度突き進むことがいい編集者の条件でしょ。それはトンネルをずっと行くってことで,ある程度は正しいわけよ。でもその間に変わってるんだよね。
 ゴルバチョフの限界っていうのがみんなにあるわけ。マイルスみたいな人っていないんだよね。
 昔すごいって言われたプロデューサーだって,やってみてもどうしようもないこともあるし。ある程度行ってるってことが,進歩止まるってことだと思うんですよ」


○佐藤允彦のクリエイティブ,何かを作り続ける行為に対する姿勢は,ピュアすぎるという意見もあるかもしれない。
 しかし,常にその姿勢をくずさずに,自分の快感に忠実にやってきたからこそ,ランドゥーガというような,新しいユニットの発想も生まれたのかも知れない。

佐藤「経済効率とクリエイティブの狭間で我々は揺れ動いているわけですよね。
 たとえば,CFなんかの仕事があるでしょ。そんな時に顕著なんだけど,自分の過去の作品があって,『あんなカンジでやってよ』って言われるとねえ。
 テープからレコ選してプレゼンして『スポンサーがOK出しているのがあるんですけど』って言われたらそれしかできないですものね。で,この手は前に使ったからやめようとか思うんだけど,それだとダメみたいね。
 山本直純さんなんかは,シーンにおける音楽の譜面のストックを大量に持っているわけ。『若い女で悲しくて?』なんていうとストックから出してくるわけ。
 僕もそれやったことあるのね。前やったのをひっぱりだしてきて見るわけ。『これなんか,ここまでは合うんだけどここからがなあ』って考えてさ。
 でもね,そうやって考えていると『ええい,書いちゃった方が早い』ってね。その方が,ナチュラルってことになるんだよね」


○佐藤允彦と話をすることは非常に楽しい。それは,ここまでの話を振り返ればわかるだろうと思う。
 まさに話はランドゥーガのライブの様にスリリングでどこへ行くか分からない。まったく予想がつかない。予定調和がない。その意外性の快楽はランドゥーガそのものかも知れない。まさに佐藤允彦イコール,ランドゥーガなのかも知れない。
 が,もちろんランドゥーガは佐藤允彦ひとりでは成り立たない。名うてのミュージシャン達がいてこそランドゥーガがある。

佐藤「高田みどりさんにと初めて会ったのって,僕はよく覚えていないんだけど,みどりさんに言わせるとロマーニッシェス・カフェっていうのがあって,そこでやったのが最初だってことですね。
 それからその後,伊藤多喜雄さんのレコーディング。だから4,5年前になりますかね。
 まあ,その後はご承知の通り。一緒に演ることも多いし,《ルナ・クルーズ》ってアルバムも作ったしね。
 マンスリーライブ始める時の予測はね。役割分担がみどりさん=コア,(木津)茂理ちゃん=周辺つまり色彩,だったわけ。
 みどりさんがドラマーの代わりになっちゃうと,みどりさんの方の色彩が限定されることになるんで困っていたんだ。
 ところが茂理ちゃんもビシッとコアを来るじゃない。邦楽器のパワーに対する認識を新たにしたね。
 もっともあの茂理ちゃんのあのコアの作り方は単に邦楽畑だけを歩いてきただけの人からは絶対出てこないものなんじゃないかな。西洋的なノリ,いわゆるドラムセットで叩き出すようなやつね。
 ヤヒロ(トモヒロ)君なんかは,ほんと,すごーく読んでくれるようになってね。本牧の時なんかも『うわあ,いいなあ』っていう感じで入ってくるんだよね。
 パネ君はさ,あの人は最初からプッツンしている人ですからね。なんでもどうにでもなっちゃう。あの人の7月にやったベースソロすごかったなって今でも思ってる。かなり来たなってカンジがする。シレっとしてとんでもないことやってるしね。
 梅津(和時)さんや峰(厚介)さんや土岐(英史)さんなんかサックス連にしてもさ,彼ら自分なりの音を持ってるからね。アメリカにヒョイっと放り出されても十分にやっていける人たちだしね。
 それは岡沢(章)さんやYAS-KAZさんなんかについても同じ。やっぱりすごいよね。
 それと,わりあいこっちにドンドン染まり易い人と,自分の殻を頑なに守って踏み出してこない人がいて,面白い」



○超一流のミュージシャン達が参加しているランドゥーガ。しかし,その方法論の新しさから,ミュージシャン達の中にも最初のうちに戸惑いはなかっただろうか?

何をやってもいい

佐藤「最初の頃は,例えばサックスにチョイス出来る段が書いてあると,とにかくどんどん出てきたの。
 だから,僕が時々キュー出したりしてたんだけど,最近は僕がそういうことに関して一切キューだす必要ないわけ。
 サックス連にしても,今どこにいったら面白いっていうのが完璧に選んでくれているの。
 パーカッションの譜面なんかでもリストリクション(制限)が書いてあるんだけれども,最近はそれにぜんぜん従ってないんだけれども,すごくいいんだよね。お互いにそういうことが出来るいう,みんなが自立しているって感じがするね。

 一番ペースに慣れるのに時間がかかったのは茂理ちゃんかな。一番若いしね。でも,このところどんどんすごくなってきた。
 最初は戸惑っていたもの。『どうしたらいいんでしょう』って。
 で,『とにかくやりたければやればいいし,休みたければ休んでいていいし,何やってもいいんだから』って言ったらね,だんだん自由になってきてね,彼女の能力だね。

 『何をやってもいい』って言うと困る人もいるけど,変だよね。
 本当はやりたいようにやりたいはずなんだよね,音楽やってる人は。そうじゃなきゃいけないのに,『何してもいいよ』って言われて困っちゃうっていう風な育ち方をしているんですよね,最近の多くの人は。
 ほら,動物で生まれた時に見たものを親と思っちゃうインプリンティング(刷り込み),あれね。
 でも,ここ何年かはそういういわゆる音楽のシステムみたいなものがどんどん崩壊しているので,聴く方も皮が落ちてきて素直に聴けるんじゃないかな」



○解放感。音楽のシステムからの解放。これがランドゥーガの気持ち良さなのだろう。それは演奏するミュージシャンにとっても,それを楽しむ私たちについてもだ。
 そのランドゥーガのマンスリー・ライブも,この原稿を書いている時点であと4回。

佐藤「12月にレコーディングをする予定でしょ。
 で,12月の最後のランドゥーガの時には,今まで参加してくれた人を出来れば全員呼んできて,ゲストで出てくれた人もね,それで,お客さんに一度にいろんなものを聴いてもらおうと。
 合同演奏みたいなのじゃなくて,出たり入ったりって感じで。
 そうすると2日仕立てぐらいになるかもしれないけど,その2日間に来てくれれば全部見られるという感じで。

 それと,9月23日に高野山でお坊さん50人の聲明と一緒に演奏するっていうのもある。楽しみにしてるんだ,これは。
 で,9月は高野山でやったまま,聲明なしで姜泰煥さんがスペシャルゲスト。これはどうなるかわからない。かなりフリー・インプロヴィゼーションに触れちゃうんじゃないかなって思うんだけど。それもまた面白いかなって。
 10月は,またストリングスなんだけど,バイオリンとチェロ。
 11月は,まだ考えてないんですけど,出来れば茂理ちゃんの曲をもうふたつくらい作りたいんだけども,歌入りで,また口説きみたいなのを同じ節でもってどんどんいろんなことを言っちゃうっていうのを入れようかなって思うんだけど,歌詞を作るのが大変だから,谷川俊太郎さんの『ことばあそびうた』っていうのがあるんだけれども,あの系統で何か面白くしたら,何とかづくしとかね」



○次々と新しいアイデアで音楽する佐藤允彦ランドゥーガ。
 「日本独自のインプロヴァイズ・ミュージックを」という目標はすでにひとつの成功を収めたように見える。
 佐藤允彦が世界各地の『節』からスコアを書き,それをミュージシャンがライブで瞬時に選択して行く。それは,まるで歌会における「連歌」のように,上の句を受けて下の句が作られ次の歌がそれを受けて。そう,まさにランドゥーガのライブは歌会のように,続いていく。
 上の句からは予想もされなかった下の句がつき面白さを醸し出し,それが,いくつも連なって行く。
 もしかしたら,ランドゥーガの方法論は日本という土壌だから,日本人だから発想されたものなのかもしれない。西洋音楽の世界の発想ではないのではないか。
 やはり,欧米の人間と日本人は快楽の海の生成過程が違うのだろうか?それは幼児期の環境など後天的な理由だろうか?民族的なものだろうか?
 まあ,答えは出なくてもいい。それはこれから先,永遠に続く問いかもしれないのだから。

佐藤「もちろん,そういうことを考えると民族的な違いもあるかもしれませんよね。
 でもね,同じ民族であっても,たとえばカトリックの家に生まれて,ちっちゃい時に教会へ通ってたりしたら,ステンドグラス越しの光を見てるわけだから,ずいぶんと違うと思いますよ。
 僕らはそういうの見てないもん。せいぜい障子に映る柿の木の影とか鳥が飛んでるとか,そういうのでしょ。
 ステンドグラスを通して向こうから光が来てるってのを見た体験ていうのはすごくでかいと思う。すごくカラフルなものだと思いますよ。
 僕らは順光しか見ていないでしょ。今ああいう透過光を見るとものすごくエキゾチックだもん。たぶん小さい時に見てるとそうは思わないと思うんだ。僕らと絶対覚え方違うと思う。
 僕らは普段そういうのを全然見てなくて,日本てそういうの見る機会少ないでしょ。
 初めて意識してそういうのを見たのは,パリへ行った時。近郊にシャルトルってとこがあるんだけど,そこの大聖堂に入ったら,やたらでかいのがいっぱいあって,光がわぁーっと入ってきてる。これを見て『あ,そうか,こいつらこういう所で育ってるんだな』って初めて得心いったのね。カルチャーショックだよね,そういうのって。
 音楽でも,こういうメンタリティーでこういう風になって,キリスト教のプロパガンダっていうかね,ああいう光ってないじゃない?僕らの環境では。
 だって僕らが唐招提寺とか行って,お堂の上からくる光っていうのは,どこかで一回屈折してきて,薄暗いものがふわっとくるでしょ。あれはね,すごいものだなーって感じだね」


○考えてみると,同じ土地であっても,たとえば時代が違えば,また,全く違う感性を持ってしまうこともあるだろう。
 たとえば,今はくるんでいる大仏にしても,出来た当時はキンキラキンだったというし,古墳から出土された土偶の表面をじっくり見ていると,かなり彩色がなされていたことがわかる。
 その昔,日本人はかなりカラフルな色彩感覚を持っていて,今とは違った光を見ていたかもしれない。
 音楽も江戸時代以前などは非常にダイナミックなものだったのではないだろうか?

佐藤「秀吉の頃の日本人て,そういう日本人だったんじゃないですか。
 熱海のMOA美術館に,金の茶室っていうのがあって,安土城の頃はこうだったとか。すげーなーって。それと日光東照宮とか。
 あのあたりの日本人て,東南アジアの仏さんしてたなって感じ。あれがだんだんくすんできちゃったっていうのは徳川時代じゃない?
 歌舞伎みたいなものも最初は殆ど瓦版。今のテレビの芸能ゴシップ番組みたいなさ,ああいうノリだったんじゃないかと思うんだよね。
 それが芸でございますなんて言って,だんだん固まってきたからああいう風になっちゃったんでしょ」


○歌舞伎の世界で,あるところでは伝統破壊と呼ばれる市川猿之介だが,彼の方法論は,時代とともに変化してきた歌舞伎のダイナミズムに戻そうというもの。それが歌舞伎だと。
 それを言えば,ジャズにも時代を映すダイナミズムが必要なのではないか。

W・マルサリス病

佐藤「なんかね,ビ・バップが今伝統芸能保存会みたいになってね,ビ・バップあぶないでしょ。俺たちは伝統芸能保持者,無形文化財。まさにそういう感じだもん。だってウイントン・マルサリスなんかがさぁそういう風になっちゃってるし。
 クリフォード・ブラウンがいた頃のビ・バップっていうのは,まさにあの頃の『現代』だったわけでしょ。

 それはきっとすごく短いサイクルでビ・バップがもうクラッシックになっちゃって,モーツァルト・ベートーベンの世界になっちゃってるから。
 ポップスの世界では今や5年でクラッシックでしょ。テクノは大昔。YMOは伝説。レッド・ツェッペリンは太古の化石。ビートルズはバッハかな?
 今,若い人たちがビ・バップやりたがってるのね。それは僕らが文楽って面白そうだねちょっとやってみようかっていうのと同じだよ」


○温故知新や昔を懐かしむということなら,まだわかる。
 が,今や,もしかしたらCDを聴いて,化石探し。考古学の世界になっているのかも知れない。ロックの世界に限らずジャズの世界も,そうなりつつあるのが現状だ。
 とくに,ジャズの聴き手は頑ななところがある。雑誌が良いと言ったら名盤をよしとして聴く人。アナログに固執する人。ジャンルの差異にこだわる人。それはそれで楽しいことなのかも知れないけれど,音楽を聴く楽しみなのだろうか?

佐藤「一種,人の知らないものを聴いているとか,人の持っていない物を持っているとか,例えばカメラだとライカの2A持ってるよとか,そういうノリなんじゃないの。だから悪かろうが良かろうが,関係ないんじゃないのかな?
 ランドゥーガについて言えば,別にジャズの人に聴いて欲しいとは思わないしね。僕がずっとジャズやって来たからそういう発想で聴く人もいるだろうけどね,そういうのは全然こだわってないですよ。こっちはあまりジャズとは思っていないから。
 だからね,作り手の側の方はジャンルなんて考えてないんですよ。だって,ひとつの曲の中でさ,ある時はすごくジャズに踏み込んだような語り方してる時もあるし,ある時はミニマルぽくなっちゃってることもあるし,色々,その時その時で移り変わってるしね。
 その音楽の流れ自体もあっち振れたりこっち振れたりしてるわけだから。結局ジャンルから漏れてくる音楽,僕はそういうもののほうが好きだな」


○おそらく,ジャンルに関係なく一割五分と八割五分。
 佐藤允彦ならこれからも一割五分の部分の音楽を作り続けてくれるだろうと思う。

佐藤「僕は一割五分ばかり集めて全然別の一割五分作りたいなって感じしますよね。その素になる発酵させる為の材料を極上のものを選んで作りたいな。
 そうだなあ,あと一年ぐらいしたら,自分でもよくわからないんだけれども,こういう音楽に関してあまりピアノは弾かなくなっちゃってるかも知れないなっていう感じはする。ピアノを弾く時は伝統芸能保持者としてのピアノを弾いていたりとかはあるかも知れない。

 あと,ランドゥーガではないのだけど,ちょっと別のソロの企画もあって,僕がやりたいのはソングブックみたいなのを作りたいと思ってるわけ。それは実際の演奏では少しはインプロヴァイズ混ぜて弾いたりしてるんだけれども,その骨格のところはちゃんと印刷されたものがあってね,それを弾くとクラッシックやってる人でもある程度,僕がやりたいなと思う色は出せる。
 そういう風な曲集になってて,それは,あるものはランドゥーガの成果であるかも知れないし,あるものは『ジャズ』の伝統芸能保持者としての成果であるかも知れない。
 そんないろんなのがあって,譜面だけ持ってても楽しい。そういうのが出来ればいいなあと。僕は面白いかなと思うんだけどね。

まあ,12月でマンスリーはやめようと思ってるんだけど,ランドゥーガの方はちょっと寝かせて,また何かこしらえて,時々集まってやってみたいなって思ってるんです。

 そう,やっぱりね,純粋に自分が面白いってことを追究していくっていうのが正しいと思いますけどね,僕がそれでやってきたから。
 だからね,インプロヴァイズしている時はね,純粋にそれになったときは一番面白い。後から聴くと。
 変に囚われてコード進行がこうなってるからこう行かなきゃいけないとかすると,その時はうまくいって面白くても後でつまらない。
 こっち行くと気持ちいいって純粋に頭の隅でコード進行の枠組みを踏まえて,その上にどれだけ気持ちいいものを乗せられるかっていうことをビシっと出来た時は,後から聴いても面白い。その時も勿論面白いし。
 音楽だけじゃなく世の中すべてそれで回ってるんだろうな。
 歴史って全部それだろうな」


INTERVIEW & TEXT BY MAKOTO YOSHIMURA


◎【From Editor's Voice】
400字詰め原稿用紙にして70枚強。今月は可読限界に挑戦し詰め込めるだけ文字を詰め込んでみた。ほとんど短編小説一冊分という膨大な原稿量である。というのも延々7時間にわたった佐藤允彦氏のインタビューが非常に面白かったためである。
秋の香りが漂い始めた八月の終わり,佐藤允彦氏の事務所で二日にわけて行われたインタビュー。それはランドゥーガのことから始まり,民謡やリズム,世界情勢,ジャズ,現状の音楽に対する思いまで。
佐藤允彦の音楽に対する深い愛情と知識と感性が,言霊となって現れた。
おそらく,古くからの佐藤允彦そしてランドゥーガのファンはもちろん,初体験の方々にも面白く読んでいただけたのではないだろうか。
実は今回入りきらなかった話も多々あるのだけれど,それはまたの機会にでも。
しかし,いくら活字で佐藤允彦という人物を伝えようとしても,現段階ではランドゥーガのライブ以上に佐藤允彦を雄弁に物語るものはない。そう思うのだ。


◎【RANDOOGA LIVE DATE】
《よみうりランドEAST セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ '90》'90年7月28日(土)・29日(日)。
《仙台・イズミティ21 セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ '90》'90年8月1日(火)。
《バドワイザースペシャル UMKフェニックス・ジャズ・イン フェニックス野球場特設野外ステージ》'91年7月27日(土)・28日(日)。
《中央アルプス・ジャズ・フェスティバル・イン・駒ケ根 '91》'91年8月24日(土)。
《YOKOHAMA本牧ジャズ祭 横浜本牧市民公園野球場》 '91年8月25日(日)。
《「山の音・山の声」 〜ランドゥーガ at 壇上伽藍〜高野山金堂前大広場》 '91年9月23日(月)。

【六本木PIT INN ランドゥーガ・マンスリー・ライブ】
■'91年1月18日(金)■2月22日(金)■3月22日(金)■4月19日(金)■5月24日(金)■6月28日(金)■7月19日(金)■8月29日(金)■9月27日(金):佐藤允彦(comp/arr/key),土岐英史(sax),高田みどり(per),木津茂理(per/vo),フェビアン・レザ・パネ(key),スペシャルゲスト姜泰煥(sax),
■10月25日(金):佐藤允彦(comp/arr/key),峰厚介(sax),高田みどり(per),木津茂理(per/vo),吉野弘志(b),フェビアン・レザ・パネ(key),後藤龍伸(vln),宮田浩久(cello)。

◎【RANDOOGA CD DATE】
●全佐藤快感音楽第一號
《佐藤允彦/ランドゥーガ・セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ'90 スペシャルゲスト:ウェイン・ショーター》1990年7月28日・29日よみうりランドEASTにてライブ録音 EPIC・ソニーレコードESCA 5171 税込定価3000円(税抜定価2913円)
●天上の響き,月下の宴《ルナ・クルーズ/高田みどり・佐藤允彦》ゲスト・ミュージシャン:細野晴臣・梅津和時 EPIC・ソニーレコードESCA 5073 税込定価2800円(税抜定価2713円)

◎【STAFF】
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○designer:*****
○production co-ordinators:*****
○producers:*****
○PA:****
○management:*****
○publisher:*****
○禁無断転載

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最終更新04/01/01
ランドゥーガ研究会 http://sound.jp/randooga/index.html