エイコ

chapter 02


新宿発のこの電車はもう日付が変わろうとしているのにやっぱり満員だった。勤め人やOL等といった人達はともかく、夏でも黒い、それこそ頭のてっぺんから足の先まで真っ黒な衣裳を着ているエイコとミクにはいくら冷房が利いているとはいえ、我慢しがたいものだった。いや、彼女達より回りの方が彼女達に対してそう思っていたに違いない。なにしろ真っ黒なカラダのてっぺんの髪の毛はエイコは緑、ミクは金赤なのだから。なおかつ満員とはいえ、彼女達の半径一メートルはなぜか隙間が空いていた。その隙間が車内の熱気を閉じこめたかのようにユラユラと陽炎を作り、彼女達を包んでいるのだ。まるでカプセルのように。
30分ほどの拷問の後、彼女達はやっと解放された。
「明日、どうしてる?」
「部屋にいるよ。カネ乏しいから。ミクは?」
「バイト。カネ乏しいから」
笑いながら手を振りミクは踏切を渡った。
エイコは肩に掛けた布のバックの中の洗面器と石鹸、シャンプーの感覚を手のひらで確かめると緩やかな坂道を降りていった。坂道を降りきると左右に細い路地。左に5分ほど歩くとエイコの部屋。右手の路地を曲がると銭湯。エイコは右へ曲がった。後20分で終い湯なのだ。
もうこの街に住んで3年になる。エイコは都下の女子高校に通っていたが、アイドルにうつつを抜かす同級生の偏差値の低さに入学後1年でイヤになり、登校拒否を行う前にさっさと辞めた。退学届けはその辺の便箋で「止めます」と書き、親の留守にタンスから見つけ出した印鑑で捺印し、担任に「はい、これ」と手渡した。それが退学届けだと思いもしなかった担任は彼女の家にあわててやってきた。親と担任を前にした脅しとも説得ともつかない話し合いは深夜にまで及んだが、幼少時からの頑固者である彼女にはなんの効果もなかった。とりたてて、学校を辞めて何をしたいという事はなかった。ただ耐えきれなかったのだ。都内とはいえ、畑と山、街灯の少ない一本道、最寄りの駅から歩いて小1時間。しかしエイコの両親からすれば、娘を育てるには絶好の環境だったはずの土地だった。自然はそこそこだが存在し、なおかつ都心に通うのなら駅から1時間ほどで着く。駅から多少遠かったにしても、庭付き一戸建てがどれほど娘に対しての愛情の現れだったかしれない。勿論エイコにしてもその事は痛いほど分かっていた。が、彼女の持って生まれた頑固な性格はやはりそれを潔いとは思わせなかったのだ。学校を辞める前に密かにかき集めていた美容学校のパンフレットを親に見せ、有無を言わさず承諾させ、エイコはかの愛情溢れる家を飛び出した。
美容学校はさすがに最後まで在籍し、とある美容室でインターンを始めた彼女だったが、経営者がある新興宗教の信者である事がわかった。熱心に入信を繰り返すにつれ、エイコの頭の中で中学時代にラジオで聞いたイギリスのバンドの曲が頭にくり返し鳴り響いていた。
「オレはキリストなんて信じやしねえ! そうさオレはアナキスト!」
経営者に中指を立てるまでそんなに時間はかからなかった。その足で彼女は店の寮、といっても築40年は経っているであろう幽霊の出そうな木造のアパートの一室を引き払い、築30年は経っているであろう、この街の魑魅魍魎が出そうな木造のアパートの一室を探し当てた。中指を立てられた経営者は彼女にそれぐらいの貯えしかできない給料しか与えていなかったのだ。
なにはともあれ、魑魅魍魎が出そうな一室で彼女はとりあえず人心地をついた。そして、何か展望が開けたような気がした。といってもさしあたって何が、というわけでもなく、とにかく開けたような気がしたのだ。

ある朝、美容学校で使っていたカツラをかぶり、駅の改札を強行突破して乗り込んだ電車で、エイコの目に金赤の固まりが目に飛び込んできた。それがミクだった。あまりにも勢い良く乗り込んだ為に、カツラの下から緑の髪が数束はみ出しているのをめざとく見つけたミクはエイコに
「アタマ、ヘン」
と囁いた。
エイコはずっこけたカツラを車窓に映しながら直すとミクを見て微笑みながら言った。
「アンタ、何者?」
「私? 私は……」
ミクは小脇にレコードを抱えていた。店の袋に入っていたが、半分ほど透けて中身が見えた。それには
「ヒーローはいらねえ!」
と書いてあった。
その日の夕方、エイコとミクは連れだって新宿にいた。朝の電車で約束したのだ。ミクの顔見知りのバンドがライブハウスに出るから見に行かないかと誘われたのだ。エイコは即座に承諾した。このところ、なんの活路も見いだせないでいたからだ。
夕刻、待ち合わせの店の前で、彼女はバイトのためにかぶっていたカツラと風呂道具とが一緒くたになったバッグを抱えて待っていた。程なくミクは息を弾ませながら現れた。
「前から何度か見かけてたのよ。電車やあの駅で。でもアンタ、目つき悪いから話しかけれなかったの」
「私、目が悪いからね」
エイコはミクにそう言うと、今日はどんなバンドのライブなのかを尋ねた。
「うーん、オリジナルをやってんだけど……、パンクよパンク」
店はその筋では有名な店だ。メジャーではないが、そこそこのバンドも出演している所だった。
「出演できるのって難しいんじゃないの?」
「今は違うの。ノルマよ、ノルマ。客20人分さえ払えればいいのよ。ほとんどがバンドの持ち出し」
ミクはこともなげに答えた。
店の前では赤や黄色、青、紫、緑、色とりどり髪の色をしたバンド連中が、今日のチケットを売っていた。店のカウンターで買うと当日券のため200円ほど高くなる。前売り券を迷わず買った。それが彼等のノルマなのだ。
「こんなものなの?」
「そう、こんなものなの」
ミクは知り合いのバンドメンバーからチケットを受け取りながらエイコに答えた。
「だって、お客さん入らないもの。よっぽどバンドが有名じゃなけりゃね」
「ふーん」
この日は5バンド、各30分。ノルマは各バンド20枚と言っていたから客は100人はいてしかるべきなのに、実質30人ほど。演奏はヘタだったが、エイコの中に何かが残った。少しだけだが充足感があった。
それからエイコとミクは連れだって行動するようになるのにさほど時間はかからなかった。と言ってもライブハウスに足を運ぶだけだったが。




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