土曜日の夜は誰もがフィーバーだった!
The Bee Gees
Saturday Night Fever
(1977)
1.ステイン・アライヴ(ビー・ジーズ)
2.愛はきらめきの中に(同)
3.恋のナイト・フィーヴァー(同)
4.モア・ザン・ア・ウーマン(同)
5.アイ・キャント・ハヴ・ユー(イヴォンヌ・エリマン)
6.運命’76(ウォルター・マーフィー)
7.モア・ザン・ア・ウーマン(タヴァレス)
8.マンハッタン・スカイライン
9.カリプソ・ブレイクダウン(ラルフ・マクドナルド)
10.禿山の一夜’77
11.開けゴマ(クールamp;ギャング)
12.ジャイヴ・トーキン(ビー・ジーズ)
13.ユー・シュッド・ビー・ダンシング(同)
14.ブギー・シューズ(K.C.amp;サンシャイン・バンド)
15.サルセイション(デヴィッド・シャイアー)
16.噂の女ケイジー(M.F.S.B.)
17.ディスコ・インフェルノ(トランプス)
◆2003年早々、悲しい事にビージーズのモーリス・ギブが53歳の若さで亡くなりました。The Bee Geesは、Gibbと双子の兄弟のRobin、そして兄のBarryによって結成され、'70年代ディスコ・ムーブメントを始め、長い間にわたり最も成功しているグループでディスコ・ブームの引き金となった映画「Saturday Night Fever」のサウンド・トラックではグラミー賞に輝いたほか、ロックンロールの名誉の殿堂入りを果たしました。
映画「小さな恋のメロディ」のテーマ曲」「メロディフェア」を始め、「ステイン・アライヴ」、「恋のナイト・フィーヴァー」、「愛はきらめきの中に」など、映画に使われたヒット曲を数多く持つビージーズは、日本でも長い間愛されていますね。
兄弟が歌う絶妙な裏声のハーモニーは長いキャリアを誇るビージーズですがGibb兄弟の弟Andyは'88年に胸の感染症のため30歳で亡くなっています。そんなビージーズと私との音楽の出会いはなんと言っても映画「小さな恋のメロディ」でした。1971年の作品のこの映画は主演のマーク・レスターとトレイシー・ハイドのあどけない初々しい演技が日本で大ヒットしました。当時の主演のマーク・レスターはブロンド髪で天使のようにかわいいルックスで日本中のティーンを虜にしていたいまして…今風に言えば、ハリーポッター役のダニエル君と言えばおわかりになるでしょう♪そのときの「MELODY FAIR」が初めてビージーズを知った曲目なのでした。当時は月刊誌「明星」「平凡」は芸能雑誌として少しオマセな私は友人と毎月この本を買いあさっては付録のポスターや歌本も大事なお宝でした。まだ耳コピで覚えたてのをMELODY FAIRを歌本の英語の上にカタカナをふってあるのを必死になって読みながら歌ったあのころが懐かしいおます♪
MELODY FAIRの出だしはそういう訳で、今でもすんなりと(^_^)歌い出すことできるって、小さい時に覚えた暗記力って凄いものだと驚いてしまいますぅ!現在じゃ、何度よんでも横文字のタイトル及び曲目名すらええぇ〜っと…になってしまうぐらいなのですから^^;
その映画「小さな恋のメロディ」から6年後の1977年に世界中がディスコブームになった「Saturday Night Fever」でビージーズの名曲の数々とともに映画も大ヒット。公開当時ダンスブームを巻き起こし「フィーバー」という流行語も生まれました。 『Saturday Night Fever』から「Stayin' Alive」「Night Fever」「How Deep Is Your Love」などのナンバーが生まれています。
この映画のあらすじは…ニューヨーク・ブルックリンの塗装店で働くトニー(ジョン・トラヴォルタ)は、土曜の夜になると一転してさっそうとした身なりでディスコに繰り出し、その花形として君臨。そんな若者の日常を描き、世界中にディスコ・ブームを巻き起こした、ジョン・バダム監督による音楽青春映画の大ヒット作。nbsp;この1作でトラヴォルタは一気にスターダムへとのしあがることになった。時の人気グループ“ビージーズ”によるナンバーの数々も、今なお不変の魅力に満ちあふれている。映像と音楽の融合性という意味でも、その後の映画&音楽業界に多大な影響を与えた作品。1970年代後半のアメリカを舞台に、ディスコダンスに情熱を捧げた若者たちの姿を描いた青春グラフティー。…(アマゾンより引用)
この映画のヒットのおかげで、大阪市内のあちらこちらのディスコでジョン・トラヴォルタのダンスを真似したなりきり男女がわんさか出現したものでございます♪もちろんディスコでかかるオサラが「Stayin' Alive」「Night Fever」ならばその盛り上がりは凄い!すごい!すご〜いぃ!!ディスコ場ののフロアーが抜けてしまうんじゃないかと思うぐらいのエキサイトが繰り広げられるのでありました♪
と言ってもまだ「Saturday Night Fever」の全盛期は私は高校生と言うこともあり、まさに友人達と土曜の夜はフィーバーしたかったのですが当時のディスコは入場は18歳禁止だったのをいつわり踊った事も、警察の抜き打ちの操作にディスコ場を後にした思い出も全てSaturday Night Feverのサウンドトラックを聴きながら当時のステップを思い出しながらこっそり、密かに踊っています(笑) しかしビージーズって映画のサウンドトラックが多いんですね。
「ステイン・アライヴ」「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」もビージーズが担当しましたがやはりサタディー・ナイト・フィーバーが何十年たってもずっとお気に入りっていうことは…名曲って事ですよね♪モーリス・ギブが腸閉塞で命を落とすなんて…ご冥福をお祈りします。
●ビージーズ(BEE GEES) ●起死回生の方向転換――によって、グループの寿命が飛躍的に延びた例が、ポップ・シーンには多々ある。なかなか勇気の要る行為だが、ビージーズもこれにチャレンジすることによって、グループ生命を延ばすことに成功したのである。
UK出身のバリー、ロビン、モーリス・ギブからなる兄弟グループは、3人の美しく哀愁のあるコーラスを売りに、イギリスでの「マサチューセッツ」の大ヒットによりティーン・ポップ・アイドルとして成功。しかし若くしてスターになった3人は、互いのエゴによる不協和音が絶えず響き、69年、ロビンが脱退してしまう。普通のグループなら崩壊という憂き目をみるところだが、しかし、ここからが血のつながりの強さ。話し合いにより71年、ロビンは見事にグループに復帰する。
そして、『ミスター・ナチュラル』では、名プロデュサー、アリフ・マーディンを迎え、ブラック・ミュージック・テイストを大胆に導入――見事な方向転換を果たした。さらに、70年代後半ともなると、折からのディスコ・ブームに乗り製作された映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンド・トラックに参加し、「ステイン・アライヴ」、「恋のナイト・フィーヴァー」が大ヒット。リズムを全面に押し出しながらも、格調高いハーモニーと美メロが同居するこれらの曲は、トラボルタ症候群に陥った若者たちのハートをわしづけみにし、全世界のダンス・フロアを席捲したのだった。
以後もグループの勢いは止まらず、ヒットを連発。また、他アーティトへの楽曲提供やプロデュースなどでも活躍し、現在に至っている。
最近では、ヒップ・ホップのサンプリング・ソースとして再認識することが多いビージーズだが、彼らが世に送り出した名曲の数々は、不老不死の生命を保つかのごとく、今でもその鮮度を失っていない。●BEEGEES ユニバーサルのサイト