〜わが人生の軌跡〜


クワトロ・ヴァギーナ

たまに間違われるがのんけである。
東京都世田谷区在住〜
映画・音楽・スキー・スノボ・放浪〜
ゴジラ・ガメラ・仮面ライダー・ガンダムが大好きだがオタクではない。
文を書き始めると止まらない病をわずらっている。
飲むとすぐ顔が赤くなるし、医者にも若干止められてるが〜酒は好きである。
名前の由来は、赤い彗星〜シャア・アズナブル(本名
キャスバル・レム・ダイクン)
の別名 クワトロ・ヴァジーナをやや襲名。
いつかはハーレー乗り希望。
バンドやりながら社長になって大金持ちにもなりたいと真剣に思い日々奮闘中。

太く長く生きるがもっとう。
錬武会流空手道二段所持。  

・誕生〜
・7歳〜
・中学時代〜
・高校時代〜
・浪人時代〜

大学生活編
 ・ 体育会空手道部入部
 ・ 壮絶な新歓飲み
 ・ 決意
 ・ ターニング・ポイント
 ・ 学業、、、そして勘当〜

   

・197X年12月22日 
      父:清二 と 母:由利子の長男として横浜で生まれる。

生後数ヶ月で広島に、父の仕事の関係で転勤

4歳

私にはこの頃の記憶はない。
全て母から聞いた話なのだが・・・
ウルトラマンと仮面ライダーが好きだった私は(今でも好きだが)
いつか人は、大人になると空を飛べる様になるもんだと信じていたらしい。

この頃の夢は 「ウルトラマンレオになる事」。

この頃から妄想癖の兆候が見られ始める。
    
いつまでたっても空を飛べる様にならない私は
考え悩んだすえに、


マントを首に巻けば空を飛べる様になる、という結論を出す。

 

親から唐草模様のふろしきを借り、首にまいた私はいざ公園へ。
母が適当に見守る中、ミニすべり台の上から大空に向かって飛びたった。

 


落下。
鎖骨を折る。(これですんだだけ良かったのかもしれないが)

 


母も、まさかその様な奇行に私が出るとは予想してなかったらしく
目の前で、息子がすべり台の上から手を伸ばして飛び出し
そして落ちていく瞬間をスローモーションで見ていたが 固まってしまい、
まったく動く事が出来なかったらしいのである。
臓器が全部口から出るかと思う位に驚いたと、後に語っていた。

この事故により、私の右肩は変形。猫背でもないのに背筋が丸くなる。

貧血でよく倒れる母が、この時は倒れなかったのだ。たいしたものだ。


この直後〜またもや父の仕事の関係で鳥取に転勤

駅前の、五階建ての大丸デパートの屋上に上がれば町中はおろか
地平線まで見渡せるという 大自然の中で幼少時代を過ごす。

この地は子供向け番組の再放送ラッシュがすごく、16時半から20時までの間に毎日
ウルトラマンシリーズ3つにロボット物のアニメ2つ位を毎日放送してるのだ。

だから私はこんな人間になってしまったのだろう。

小1の時、日曜の朝の8時半からやっていた機動戦士ガンダムに夢中になる。

・7歳
(小学2年の時)〜またもや父の仕事の関係で神奈川県の相模原に転勤。

あまりの都会のすごさにカルチャーショックを受けまくる。
一番驚いたのは町田の小田急デパートが9階まであった事だ。


なんせ私の中で、この世で一番高い建物は五階建ての大丸だったのだ から。


そして新しく入学した小学校の先生が女の人で23歳。
皆が言う事を聞かないと、本気で泣きわめきながらチョークやら黒板消 しを投げまくり
あげくの果てには、泣きながら教室を飛び出しどっかへ行っちゃう人で 〜
よく各家庭の親から注意を受けていた。
今、思えばめちゃくちゃな先生だった。

東京ってすげぇ・・・(神奈川だが)
      
そう思った。
数年後、この先生は教職をやめエジプトに行ってしまった。

9歳

ガンダムに没頭しつつも、この頃から野球に興味を持つ。

小4の時から近所の野球チームに所属。練習しまくる。
小5の終わり頃に左股関節がおかしくなり病院通いが始まる。

この頃の夢は「プロ野球選手になる事」。

小6の時にとうとう左股関節炎でドクターストップがかかる。
そして中森明菜に夢中になる。邦楽ばかり聞く。


・中1

自慢ではないが、うちの中学はすさまじいスパルタ教育の学校で
先生達が非常に恐くて生徒が何も出来ない学校だったのだ。
      
始業のベルが鳴り終わった時に席についてないだけで
男女構わずとても痛い目にあわされてしまったり〜
授業中に不用意に会話をしただけで、とても痛い目に合うなんて事はざらで・・・
あそこまで暴力をされると何もする気がなくなる位に
徹底して暴力で 片付ける学校だったのだ。

もちろん太いズボンも無理。
不良と呼ばれる集団もいなかった。
  
しかし、他校の生徒が特攻服で乗り込んで来ても
先生が追い払ってくれるというありがたい一面もあった。

そして俺は・・・  
足の調子も良くなったと判断し、野球部に入部。 
入部して三ヶ月程たった頃、部内でいじめが始まる。
いじめられっこ、顧問にちくる。
ちくるのはいいが、犯人グループの名前になぜかオレの名があがる。
心あたりはまったくなし。

退部。 
      
夢が砕けた瞬間。
始めての挫折。


そしてwham!
、a-ha、DEAD OR ALIVEなどをきっかけにビルボードの世界へ。

中2

日々だらだら過ごす。やりたい事もなく、ただ・・・だらだらと。
しかし、音楽の成績が悪すぎた為に、クラッシック・ギターを習い始め る。

中3

クラスの友人の家に両親があまり帰ってこない家があり、
当然そこがたまり場になり始める。
麻雀と酒と煙草とハードロックの日々。

このあたりからアメリカという国に興味を持ち始める。
イージーライダーとハーレーダビッドソンに憧れ、
いつかアメリカへ一人旅をしに行く!と誓ったのもこの辺りだったはず。

それにしてもこの時、新任でやってきた担任がおもしろい先生だった。

いきなりアメリカンバイクで登校。

暴力で全てを解決するのは間違ってる!!と
たった独りで学校と戦い始める。

日に日に暴力教師達が人間になり始め、
半年たらずで学校は住みよい学校に変わっていった。

  
毎日目標もなく生きていた学校生活に、光をくれたのもこの先生だった。

文化祭のクラス委員長に俺を指名。
責任者、脚本を担当し〜みんなで協力して作った人形劇は
学校中で大反響を呼び、学校創立以来の最高興行成績を収める。

こんな俺でもやれば出来るんだな〜と少し世界が明るくなった瞬間だっ た。

人生のレールが音をたてて切り替わったのも、この時期だったかもしれない。

卒業時、中学時代を振り返り〜やっぱ部活やっときゃ良かったと後悔。
高校行ったら今度こそ部活にはまってやる!と心に誓う。

ちなみにこの時の担任とはまだよく遊んでいる。
こないだ一緒に映画を観に行った。

・高1

県立高校に入学。部活を探す。
野球、サッカー、バレー、バスケ等どこの中学にもある部に入っては
入部した時点で、ハンデがあると判断。
中学にはない部を探すと・・・アメフト、フェンシング、空手部・・・

空手道部に入部。そしてコアな音楽に目覚める。

毎日、部活漬けの日々が始まる。練習練習また練習。
タバコもギター教室も辞める。
       
自由時間がなさすぎて、いらいらが募り爆発。
天井が低いのをいい事に、校舎の天井に穴を素手で空けまくる。
職員会議になるが、なぜか穏便にすむ。
成績もどんどん下降。あっというまにクラスで最下位をゲット。

夏合宿に鬼の様なOBが集まる。
限界と言うモノ
は,自分が勝手に作ってるものと、教えてくれたのは・・・

当時はただの同じ流派の鬼OB・・・現在は横浜市長の中田宏先輩だ。

もう動けない・・・と倒れた生徒を竹刀でばんばん叩くと、恐怖で体は自然に動く・・・
荒いが確かに正解。骨身に染みた。
この人の口ぐせが「妥協するな!自分に負けるな!」であった。

そして、全国大会出場を目指し〜さらに部活漬けとなる。
この時の夢は「全国大会出場」。

高2

夏に空手道部五代目主将になる。 

翌年の春の選抜をかけた県大会でベスト8で負ける。
しかし、県の指定強化選手に選ばれる。
(県立にしては快挙・
私立は、幼小の頃から道場で始めてた生徒を推薦で入学させてたから)
 
錬武会流防具付き空手道選手権大会の東京都大会で優勝

中森明菜自殺未遂を起こす。絶望感を知る。

高3

剥離骨折、疲労骨折、椎間板ヘルニア、靭帯損傷、等のドクターストッ プ5ヶ所にもめげず
市大会で優勝、県大会ベスト8等、賞状とトロフィーに囲まれる。
体育の授業は見学しても、部活は休まなかった。

団体戦では関東大会に出場。
しかし全国大会出場は無理だった。

またしても夢破れる。 

それにしても部活の顧問の先生には本当にお世話になった。
今の自分がいるのはこの先生のお蔭だと本当に思っている。
何度怒鳴られ怒られた事か。
この先生だけには学校内で敬語使ってました。

授業中にほとんど寝ているのはいいが、寝息といびきのうるさい自分を起こす為
先生方は自分の名前を呼ぶのだが、微動だにしない為・・・

わざわざ他の教室で授業をしているうちの部の顧問を呼びに行くのである。

この先生に名前を呼ばれただけで、自分は一発でびびって起きてしまうのだ。
そんな事がよくあった高校時代であった。

そして部活引退。

頭を切り替えて受験生になる。
しかし成績は学年でビリ。

なぜか地球の環境問題に着眼。

某大学の資源工学科に入り
研究者になり地球を救うと皆に宣言。

しかし全教科の先生に進学の見直しを命じられる。
しかもどう考えても自分は文型の人間なのだが、
地球を救う為に理系を選ぶ。

年明けの代ゼミの模試の成績・・・

  偏差値:30.01


第一志望校受験。
問題の意味すらわからなかった。


卒業式。
クラス中のみんなに退出時のシャンパン撒きを勧める。
人数分を用意し決行。

クラス全員で体育館にシャンパンをぶち撒く。

翌日、担任は職員会議でつるしあげ
シャンパンを浴びた下級生、父兄はクリーニング代を学校に請求、
そして、体育館の床のワックスがはがれ、全面塗り直し&一ヶ月使用禁止となり・・・

首謀者として我が家に数百万の請求が学校から来る。
  

卒業旅行で野沢温泉で酔ってたとこに、学校から、親から、担任から、部活の顧問からと
つぎつぎと電話があり、卒業後〜再び制服登校を命じられる。

全校生徒及び父兄に、国語の先生数人に囲まれながら謝罪文を書かされる。
この後、幾度かの職員会議の結果、
うちに請求された金額は県の教育委員会がなぜか負担。
我が家は救われる。

・一浪

小6の勉強から始める。かなり勉強した。一年後に偏差値25上がるがそれでも55。
翌年の春に第一志望校のみ受験。

手ごたえなし。
翌日からもう一年目に備え始める。

その数日後・・・・
憧れの中森明菜さんと御対面する。

 二浪

勉強のみ。
しかも親友を亡くす。人生観が大きく変わる。
精神に異変がおき始めてるのを自分で自覚。

第一志望以外にもすべり止めを何校か受けたが
第一志望はおろか、けっこうスベル。そしてすべり止めのT大に入学 ・・
この時点で資源工学博士になるという夢が破れた。
地球の滅亡が決まった瞬間でもある。

またしても挫折・・・

しばらく悶々と生活する。
そして大学生活が始まる・・・

・大学生活の始まり〜体育会系空手道部入部

地球の未来に興味がなくなった俺は、自分の未来にのみ興味をもつ。
地球が滅びるまで楽しみつくしてやると誓う。
しかし、ちゃらちゃらした大学生ではなく授業をまともに受け〜
そして遊び、高校の時に出来なかったバンドをやろうといざ大学へ・・・

入学式の日、スーツで学校に向かう。
入学式は皆、スーツなのだ。
駅から学校に行く間の道で、サークル勧誘のビラを山の様にたくさんもらう。
キレイな女の先輩がたくさんいた。花の大学生活の予感・・・

二日目、私服で登校。
あいかわらずサークルの勧誘はすさまじい勢いで行われているのに〜
俺にはまったく声がかからなくなる。

新入生に見えないのか?俺は・・・。
まぁ確かに二浪だし。普通なら3年生だし。
ふ〜ん、サークルってそんなもんかいと、相当いじける。

三日目、ふと大学の体育会の空手道部のレベルってどんなもんか気になり始める。
ふらふらと演武会を見に行く。
空手の血が強烈に騒ぎ出す。
授業に出るが、あまりのひどさにすさまじく幻滅。

四日目。空手道部へ見学に行く。
そしてジャージで練習に参加してしまう。
おだてられて、ついつい調子に乗ってしまう。
しかしブランクで体がまったく動かない自分に強烈に苛立つ。

そして翌日から道着を持って格技場へ。
体が動かないのが一番腹立たしく、真剣に練習に参加。
練習後、先輩のおごりで飲みにつれてってもらう。
なんて良い部なんだ〜と感激す。

その頃、自分の母校の高校の空手道部には自分がお世話になった先生は
他校に移られ た為に技術指導者がいないという事で、
県の嘱託員として自分が育った高校の空手道部の監督となる。

しかし自分を空手道部の監督にして良いかどうかで(卒業式の件で)
母校では数回の職員会議が行われていたのだが・・・
(反対する先生もたくさんいたらしい)

そして大学の空手道部にも入部する。
入部届を出した瞬間に先輩達が別人になる。

技術力向上の為の練習ではなく、先輩達のストレス発散の為
毎日サンドバックになる日々が続く。
下唇から、下顎の前歯が殴られた拍子に貫通し突きでる。
それでも、平然と休憩もさせてもらえない位に殴られまくる。
もちろん一年生に反撃は許されない。
練習後にジュースを飲んだら、貫通した所からジュースが出てきて自分で笑ってしま う。

しかも復帰早々、勘もほとんど戻ってないのに東京都の大会に強制出場。

三回戦まで奇跡的に勝ち進むも、試合中に変則的な蹴りをさばきそこね・・・
左手薬指を真っ二つに骨折。しかし翌日・・・普通に練習に強制参加。
ギブスをつけたまんまサンドバックの日々。
本当はもっと色々訳のわからん事をさせられたのだが、
あまりに常識外れの為、ここに書いても誰も理解不能な恐れがある為に割愛。

この骨折により靭帯を激しく損傷。ギターがほとんど弾けなくなる。


・壮絶なる体育会系式新歓飲み会


新入生歓迎会は悲惨極まりないものだった。
いまだかってあんな飲み会は経験した事がないし経験したくもない。

唯一の規則:一年は先輩につがれた物は一気に飲み干す事。

会場には自分の背よりも高く積み上げられたビールケースがあった。
一年は椅子にすわり並ぶ。
その前に先輩・OBが30人程並ぶ。
和やかな雰囲気の中で酒をどんどんつがれる。
当然一年は飲まなければならない。
ひたすら。全てを。一気で。

つまり吐くまで一気させられるのである。
俺も10分程でトイレへ。
開始20分もしないうちに酒が弱い者はグロッキーになる。

トイレで休憩してると先輩がやってきて無理やり会場につれていかれる。

そしてまたず〜っとビールを一気。

森の熊さんどこの話ではない。

今でも覚えている。
一次会、一時間半で五回吐いた。
しかし、まだ自分はましな方だった。
吐き方、限界をわきまえていたから。
酒の飲み方を知らない同期の者でひどい奴になると
便器に顔を突っ込んで潰れていた者もいた。

ちなみに和式でである。

そして半分以上の者が意識なく先輩にかつがれ(こういう事には優しい先輩)
自分もふらっふらで二次会会場のスナックへ。

無礼講だ〜と監督が言い、飲めや歌えやになるのだが〜
今度は飲む物がビールからウイスキーになる。
監督や4年生は水割りなどを好きかってに飲んでるのだが
一年には水と氷が与えられない
つまり飲む事を許されているのはぬるいウイスキーストレートのみ。
しかもビールグラスなみなみで。


唯一の規則:一年は先輩につがれた物は一気に飲み干す事。


ビールグラスなみなみに注がれたウイスキーを一気させられる一年。
こんなの飲んだら数杯でアウトである。

すかさず開けられるトイレへの花道。

ほとんどの者が数分で店の外にぶんなげられて〜
店の裏の砂利で寝ゲロしながら潰れていた。
最後の方はふざけた先輩がウイスキーに醤油やら七味を入れて
気にいらない一年に飲ませていた。

自分も二次会で6回吐いた。胃液なんかとうに出ない。
血と涙しか出なかった。胃に何もないと吐けない為にトイレの水を飲み吐く。

そしてこの日、11回目を吐いて自分も砂利で潰れた。


唯一の規則:一年は先輩につがれた物は一気に飲み干す事。


よく死人がでなかったものだ。
上級生は自分が一年の時にやられているから
新入生にやり返すの原理が何年も受け継がれこんな悲惨な事が起きるのである。
・・・愚の骨頂だ。


・そして退部を決意


そして先輩達ははこれだけの事を下級生にしていながら
試合に出ると反則負けばかりしていたのだ。

うちらが殴られている意味がまったくないのである。

ものごとを途中で投げ出すのは大嫌いであるが、限度がある。

試合会場に行けば高校時代のライバルはみんな推薦をとって
各大学で主将になってい るのだ。
俺はここで何をしてるんだ?

練習がきつくても強くなる為ならば我慢もするが・・・
あまりの無意味さに馬鹿らしくなる。

早い方がいいと思い夏に退部を決意。
退部届を出すが、まったく受理されず。
練習にいかないと、先輩達から次々と時間関係なしに(真夜中でも)
嫌がらせの電話がうちにかかってくる。

様々な嘘をつき〜一年時の後期より退部は受理されなかったが部とは縁を切る。
ただし、毎日主将の家に1日一回は電話をするという条件がついたのだが。

しかし、縁を切る代償として我が大学内のいかなる部、
サークルにも入る事が出来ないようにされる。

それから1日一回必ず、主将が家を留守な時間を見計らって電話をし、
留守電にメッセージを残さねばならないと
いう作業はあったが〜
ようやく、普通の生活を取り戻す。


・静かに訪れた人生のターニングポイント


そして、和風ファミレスでバイトを始める。
このバイト先に音楽の好きな人間が多く、コピーバンドを始める。
とうとうやりたかったバンドが出来たのである!

しかも学内における悲惨な状況をメンバーに話すと、
メンバーが所属する渋谷にあるA学院大の音楽サークルに入らないかと勧めてくれる。

他大学のサークルに単身で入部。始めはかなり勇気がいった。
自分以外は、全員自分の大学よりも偏差値が上のA学院大生。
しかし自分の大学の音楽サークルに入れないのだから仕方がなかった。

今思えば、このサークルに入って自分の人生は大きく変わったと思う。

数多くの人間に出会い影響されつつ、
しかも我が大学の空手道部にばれる事なく音楽生活を静かに派手に始める事に成功。

ただし、人種の違いに最初はめちゃめちゃ戸惑った。
軍隊の様な上下の接し方しか知らなかった自分には、
音楽サークルの気楽な上下関係がとても難しかったのだ。

そしてコピバンとサークル活動に明け暮れる。

車の免許もとったが〜すぐに飲酒運転で電信柱に激突、
スピード違反でオービスに激写され罰金10万、
原チャリを飲酒でノーヘル一通逆走、
おねーちゃんに見とれてカマを掘る×2等、

様々な事をして免停も二回。支払った罰金もうん十万を越す。
おかげで運転には慎重になる。

ちなみにそんな音楽生活をしながらも高校の空手部の監督を続けてた。
自分の流派の師範のいる道場に通い、錬武会流空手道二段も所得。
監督業もなんとか生徒ががんばってついてきてくれたおかげで
公約だった関東大会まで連れて行く事が出来る。

そして・・・三年になった時に無事に大学の空手道部の退部を認められる。

監督任期の二年を終えた自分に、別の高校から監督の依頼が来る。
川崎にある、某工業高校の空手道部の監督になる。

バイトも和風ファミレスで不祥事を起こしクビになったが〜
次に始めたバーテンをやりつつ人材派遣会社二社に登録。

そして様々なバイトをしつつ、気がついた事が一つあったのだ。
それは、一つの職場には一つの社会があり、
そして、
この世の中には色んな職業があり、その職業の種類だけ、
いやそれ以上に色んな種類の人がいるという事だ。

人を知る為に、そして社会を知る為に!
あえてさまざまな種類の仕事を渡り歩く。


引越し屋、看板持ち、脳波提供バイト、工場作業、アンケート回収、訪問販売等・・・
様々なバイトをし沢山のものを得るが、収入のほとんどは酒になっていた。

学業そっちのけで、バイト、バンド、空手、酒の毎日・・・

流派の防具付き空手道の全国大会に団体で出場、ベスト8まで行く。

 

・強さとは?その答えを見つけた時〜
         ・・・・・そして空手との別れ


大学四年時・・・強さとは何か?と常に自分に問いながら空手をしていたのだが・・
その答えがかすかに見えた為に空手を辞める決意をする。

強さとは・・・確かに腕っぷしの強さでもある。
それを通じて自分と戦い、心を鍛え・・その終わりなき道を進むのが武道であり、
何事にも負けない心の強さを養う為に武道をしていたのだが・・・

今の時代では、自分と戦う為に武道を続けるのならば、
自分の意志を貫いて生きる事の方が、よっぽど自分と戦う事になるし
強さを必要とされるのではないか?と。
だから、大学卒業と共にわが道を進み、そして空手を辞める決意をする。


・そして学業・・・


実際はクラスの仲間に全面的に助けられた。
レポート、宿題は4年間、全部〜人のを移し、試験は・・・

4年間、全教科・全科目・全てのテストをカンニングペーパーで乗りきった。

一回だけカンニングペーパーが膨大になってしまい、
カンニングペーパーの目次を作って試験に臨んだ事があったのだが・・・
その目次が試験監督に見つかった事があったが〜
嘘八百全部口からデマカセで逃げ切った事もあった。
カンニングが見つかると留年決定だから、あの瞬間は正直びびった。

他にも色々あった。
が、ここには書けない。


4年時は・・・

5時起きでキャピトル東急ホテルもしくは墓作りのバイトを夕方までして、
19時からバーテンを0時までして〜それから飲みに行く生活をほぼ毎日していた。

卒業研究は二人一組で行うのだが、まったく何も自分がしなっかった為に
当時の相方は一人で研究を一年間する羽目に。
そして、発表は二人でした為に卒業研究は見事合格。
卒論も相方が書いた物を少しいじって提出して合格。

そしてまったく就職活動をせぬまま大学4年の冬。
サークルの先輩が経営する長野のペンションでバイトしつつスキー・スノボにはまる。

ペンションバイト中に空手を辞めた記念で髪を金にする。
そして上手く染まらなかった為にモヒカンにする。

卒業式の前日に長野より帰宅。

進路に関して親とまっこうから対立していた時期、
何も言わずに長野に向かい二ヶ月後に
金色のモヒカンで帰宅した自分を見た親と激しく衝突。

しかも卒業式の日も親に何も教えず、私服で卒業式へ。
何千人という人間がスーツ姿の中、
タイダイの7色トレーナーと金のモヒカンで卒業式に参加。

卒業式の日、卒業研究&卒論の相方は口を聞いてくれなかった。

そして帰宅。再び親と激しく衝突。


勘当決定。


こうして大学生活が幕を閉じた。

 

つづく・・・