2001年10月17日(水)
そうだ!次のライブのタイトルは
「旗幟鮮明〜Show The Flag」にしよう!!と、急に思いついた。
ちなみに、左は私のパソコンのデスクトップに使っている写真だ。
ああ、何故か、WEBの更新をする気が起きない。




2001年9月11日(火)北米同時多発テロ勃発
 湾岸戦争ではお茶の間でまるで映画でも見るように、TV画面を通して殺戮の現場を「観戦」した僕たちだけれど、それから10余年、今度は、より鮮明な映像で繰り返し繰り返し、"グローバリズム"のシンボル=しかしそれは、同時に数千人の、家族も居れば祖国もある多民族が働く場所でもある、ワールドトレードセンターがたったの数十秒で、数万トンのがれきへ変わっていくのを目撃させられる羽目になった!
 その場所は、3ヶ月前に僕がツーリストとして立ち、「またすぐに来たい」と心に誓った場所でもあるという、驚愕。政治家も、アナリストも、警察も、軍隊も、エンジニアも、観光客も、宗教家も、それぞれに驚き、悲しんだ。
・・・・なーんて、どうやって書こうか躊躇すること1週間。全然熱心な更新をせずにいたら・・・。
 昨日(10月8日)、アメリカ軍によってタリバンとアルカイダの対空戦力弱体化に向けた空爆がおっぱじまりやがった。我らが首相は「断固、アメリカの攻撃を支持する!」なーんて言ってるけど、いったいどういう文脈だ?GPSに誘導されるミサイルにはマジックで"for NYPD&FDNY"って書いてあったヨ。「報復」を旗印にするのなら、それは、見方を変えれば、テロっぽい。(あ、こんなこと書いていると米国に「敵」扱いされるぞ。こうしている間にも、誰かがスーパー検索ソフトで「テロ」とか入力して、検閲してるかも。)
 ま、いずれにしても「法」とか「軍隊」とか、我が国の何らかの「決めごと」が、国際的な(?)見地からしてどうあるか、ということを曖昧にして先送りにはできないことがはっきりしたってことだわな。
 というか、日本は軍事的に(ということはかなり大きいよな。国の存亡そのものだからさ。)アメリカの庇護のもとにあり、所詮、アメリカのニーズにもとづいてしか行動できないっていうか、そうするのが、無難だという安易な(国会の議員さんたちには失礼!)選択をせねばならぬほど、いろんな国内の決めごとが「空洞化」の危機にさらされているって感じだ。

 とにもかくにも、今回の同時多発テロに際して日本政府のとってる妙にスピーディな決断と行動は、どうーも、うさんくさく感じられ、(だって、オウム事件のときから比べたら、あんた。)「米国への攻撃=自由主義社会への重大卑劣な挑戦=一致団結して立ち向かわなければ」見たいな言い回しが、とってつけたように思われる。「我が国の国民にも多くの犠牲があったし」くらい言えば、まだ、わかる。

 最初は自分もあまりの卑劣な攻撃による惨事を見るにつけ、「やっつけるしかない」って思ったけど、ちょっと考えれば、中東の混乱しかり、ポスト・ウォーの問題が山積しているのをみーんな知ってるんだから、「すきま産業」的に軍事的でない(あえて、人道的と言う言葉は使いたくない。誰も反論できないという雰囲気をもっていて、ある種「ファシズム」的だから)役割ってあるんじゃないか。
 その点、事件後即座に自ら演説したプーチン大統領、なかなかのもんだ。「だから、オレはアメリカに迎撃ミサイルみたいな何につかうかわからないもんより、テロ対策が今後の防衛の要だって忠告したんだよ、オレは。」なーんてね。
 もし、小泉さん、アメリカに行って「報復とか戦争、まして十字軍ってのはまともな国が言っちゃまずいよ、Mrブッシュ。」「もすこし冷静になってさ。対イスラムってムードを作ったら、あんただって随分国内のアラブ系から票を集めたんだし、後々困るっしょ。」とか、いわゆる進言・忠告のたぐいの発言をしつつ、「こちとらが、ちょっとパキスタンやら周辺イスラム諸国にうまく言ってみるから。」なんて言ったたら、どうだったか。
 ブッシュ大統領は「てめ、誰のおかげでノウノウと平和をむさぼってられると思ってんだ。安保条約やめちゃうぞ。こら。」なんて言うだろうか。そんな役回りを真っ先にしたら、「お、こいつ、なかなか国際つうもんをわかってるな。そんなら、こちらの外交的な要求も出してみようか。」って後から評価されたりはしないかなぁ?(笑)
 軍事小国・経済大国っていう分際ならば、「合目的的資金による非軍事かつ直接的・間接的援助」というのが、一番存在感を発揮できる道かな、なんて思うけど。もちろんアフガンの好戦的でない市民への援助とか、被害都市の復興とかさ。
 所詮こういう緊急事態では、「とにかく身を粉にして頑張りました」というのも美談にはなりえるけど、結果役に立たなければ、また湾岸の時みたいになりかねない。とにかく「効果的な何をやれるか・やったか」が問題ではないか。
 情報収集のための船をだすのださないのって言ってるけど、日本の船しか知り得ない情報を収集して、それを知らないアメリカに提供したり、って、実際ありえるのだろうか。ま、中止したらしいけど。所詮後方支援つったって、今回のような、わりとアメリカでさえ未経験の軍事行動では、足手まといにならないことを祈るのみ。

 それと、最近感じるのは、外務省。機密費問題ってやっぱり大切だけど、その追求というのは、やっぱり「いざという時の最大限の外交手腕の発揮」より優先度高くはないのだよな。なんだか本業そっちのけで犯人探しを続けていたような。機密費問題の追求と事後の改善の結果、従来に比べてシガラミのない、決断と実行を伴う外務官僚のリーダーを仕立てて「外交小国」から脱皮します、ってところまで行けないのだろうか。
 最後は、例の「構造改革問題」が当初のもくろみどおり進むのかどうか。内心テロで「ほっと」してるやつ、いるぞ。多分。
・・・ああ、なんか、全くサイトの主旨にあわないコラムだな。(笑)
updated Oct.9.'01 in Birthday of John Lennon.

NEW YORK LOVES ME!-01:visit to New York City&Boston
"半径4km以内にGeorge ClintonとBonoとElvin JonesとYoko OnoとSteven TaylerとJoshua Redman とRyuichi Sakamoto とClaptonが同時に居る街なんて信じられる?"~akiller,PONTAWEB,June 27,'01

NEW YORK LOVES ME!-01 NEW YORK LOVES ME!-02

2001年6月16日(土)
J.F.Kennedy Airport着
Rockfeller Center

2001年6月17日(日)
Liberty Island
China Town
United Nation

Empire State Building(Jul.15)
350 Fifth Avenue
 お上りさんコースではある。
 ただ、頂上の尖塔のライトアップの色の組み合わせは18ものパターンがあり、クリスマスの時は"red&green"であるとか、6月のGay Pride Marchの頃には"labender&white"に妖しく光るとかを知っていると「通」ぶれたりもする。
 後日、World Yacht から見たエンパイアは確かに赤かった。

●Madison Avenue(Jul.14)

 日曜日はニューヨークのどこかのアベニューで歩行者天国をやっている。
今日はたまたま高級ブティック街のマジソン・アベニュー。
 写真は格好いいアラブにいちゃんのシシカバブ・バーベキュー。その他には他民族都市らしく、プレスリーやマイケルジャクソンなど、スターの顔をペイントしたマトリョーシカ(ロシア系のお店)、野外マッサージパーラーってなかんじのお店(中国系か)が沿道にびっしりと並ぶ。
 アベニューごとに商店街があって、それぞれ賑わい演出を考えている。

5th Street:Disney Store-Trump Tower-Nike Town-IBM open space

◆Shea Studium:Subway Series Mets VS Yankees (Jul.14)

 
すでにこの間、メジャーリーグのオールスターゲームが終わった後だ。今頃書き始めてもというのはあるShea Studium ticketが、印象的な事件があったので。
 アクセスはタクシーだからグランドセントラルから30分程度。シェアスタジアムはラ・ガーディア空港のそばにあり、試合中、離着陸の飛行機が見えることで有名らしい。
 私の知っているシェアスタジアムは1965年8月にビートルズが2度目の全米ツアー中、5万人以上の観衆を集め、このライブがアメリカ版「シェアスタジアム」に収められた場所だ。ちょうど「ヘルプ!」の頃だね。
席はホームベースの真後ろで4階建ての最上階のスタンド最後部付近。このスタンドが恐Shea Studiumろしい。おおおそ斜度は45度に感じられる。最後部にむけて階段を上るが決して後ろは振り向けない。
 座席に座ってももちろん前の下はまともに見られたもんじゃあない。慣れるまでと思い、じーっと座っている(もう、おわかりと思うが、私は高所恐怖症)。
 真正面は外野スタンドで日本の球場ならスコアボードがあるところだが、ここは真っ赤なバドの電光掲示板を光らせてライト側に位置している。スタンド席はファールラインから内側。見渡しながらもなんだか、ケツがむずむず。足はプルプル。
 まだ人が埋まっていないから怖いのだ。ま、酔えば怖さもなんとかなると思い、ビールを調達に行くが、店員に「パスポートを見せろ」と言われる。そう、日本人の年齢は全然わからないらしい。んにゃろ。しかし、つまみのポップコーンSのでかさに驚き、そんなことはすぐ忘れる。
Shea Studium photo  そうこうしているうち、どやどや客が増え、空も暗くなる。フィールドの緑と茶色がとっても鮮やか。試合開始のセレモニーが始まる。ジミ・ヘンドリックスにカバーされた、あの曲。歌ってるおっさんも腹から声を出していて、それっぽい。
 おっと忘れちゃいけない。電光掲示板は・・・・。メッツ「2番センター」そう、新庄が先発だ。
 で、お待たせしました! 試合の行方はというと、、、、。

実はよく覚えていないんですぅ。新庄の打席&守備とピアザの打席くらいかなあ、しっかり見ていたのは。むしろ、敵方がフォアボール出したときとかのブーイングが本場っぽくて印象に。Boooooooooo!
 席は丁度真ん中なので地元ファンはメッツ・ヤンキーズ半々というところ。でもバスドラムをたたいたりトランペットを吹きながら、強制的な一体感を演出するようなアホはいない。なんだ。ファンばかり見てる。
 そのうち、私は時差ぼけと酔いで4回位から時折コクリコクリ。飲んだビールは3杯。プレッツェル半分。ホットドッグを1つ。ラッキーストライクを1本に、眠気覚ましのトイレ2回。試合はさほどの動きを見せずメッツ2点対ヤンキーズ5点で7回を迎える。
 コクリコクリの私を横目に、「もう、メッツだめっぽいし、帰りの遅い時間の地下鉄もやばいから帰りません?」と元草野球選手・阪神ファンのNさんが言う。
 大歓声の中でいい気持ちになっていた私、内心、「えー?!」。皆、席を立つ。一番奥に座っていた私はねぼけつつもついていく。
 帰りの地下鉄。メッツのユニフォームを着たごついヒスパニックあんちゃんが、携帯片手に騒ぐ。「Oh! my PIAZZA ●×▲◎※・・・・,Gaooooooooo!」向かいの席に座ったヤンキーズTのちょい知的な女の子、チラリとそいつを見て「 っるさいわね。」てな感じで一瞥して本に目を落とす。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?

ホテルに戻った私たちはTVでなんとも悔しい事実を知ったのだった。
 我々が帰った直後、8、9回は打撃戦になり、なんと7回以降、メッツは大逆転の末、8対9で勝っていたのだ。野球素人の私、「野球は最後までわからん」というあったりまえのことを思い知ったという顛末。悔しいから一言。「年季の入った野球ファンの一言は必ずしもあてになるわけではない。」くそぅ。
 メッツの攻撃で新庄は出塁して得点ランナーとなったのだが、ファーストへのスライディングで「肉離れ」を起こしてしまった、そう、新庄ファンならダレでも知ってるあの有名な試合だったのさ。
 試合もライブも「混むから」などと日和って早めに帰ったりしてはいけない。
 守りに入る男達よ。反省せよ。激しく自戒。(笑)

<サケとば・イン・グランドハイアット~Shake-Toba in Grand Hyatt,New York>
 さて、この日に限らずホテルに戻っては誰かの部屋に集まって、毎晩酒盛りをするわけだが、帯広のSさんは焼酎派であり、肴はサケとば派であり、乾物に詳しい。5日分の肴を地元から持参いただいている。
 アメリカのホテルなんてのは"No Smoking Room"を設定しているし、仮に我々の部屋が"Smoking Room"だったとしても、シングル・ルームでヘビースモーカーが5人、床の絨毯に車座になって3時間余りもひっきりなしにスパスパやり、その上、サケとばをはじめとして乾物を広げて酒盛りなどやった日にゃ、その部屋はもう、使えたもんじゃあない。(ルームサービスのおばさん。ごめんなさい。)

 成田の出発ブースに免税店があって、洋酒やらタバコやらを買えることはみんな知っていると思うが、焼酎や地酒があることまでは、思いつかないのではないだろうか。我々はそこで「バランタイン16年」と長崎の焼酎とスミノフを、かの地のナイトキャップ代わりに買っていったのだ。もち、自分たちのタバコ2カートンも。ニューヨークはふざけていて、マールボロが4ドル80(600円!)もしやがる。どおりで随分とタバコをねだられたもんだ。酒だってミッドタウンではそうそう手に入るもんじゃない。酒屋件数の人口比は異常に低いのだ。ビールなら注意して探せば手に入れられる。

 コリアン系の人々が経営する"DELI"つまり食料品店だが、ここではきちんと冷えたビールだったり、サラダや豆の煮物などがそれこそ「おかず屋」のようにテイクアウトできたりして、ちょっとした食事ができたりもする。おまけに清潔ぽく、24時間営業なんてところもある。全部の店の経営者を確かめたわけではないが、少量他品種の食料品店のマネージメントなんてのは、勤勉きまじめなコリアンにあっているんじゃないか?
 そんなこんなで、部屋では全く日本のホテルで男団体がやりそうなスタイルを持ち込んだわけだが、せっかくニューヨークに来たんだから、という向きの人におすすめしたいのが、道ばたの屋台にあるシシカバブ・ドッグ。
 焼いてあるから衛生上も問題ないし、鶏肉か鳩肉かわからないが、しっかりローストされていて、味付けもくどくなくて、う・ま・い。値段も2ドル程度だ。

2001年6月18日(月)
Natural History Musium of America [Rose Center]
Central Park
Metropolitan Museum of Art
South Street Seaport
World Trade Center-Battery Park City
Greenwich Village

Grand Central Station-Michael Jordan The Steak House
メジャーなところにある、ベタなネーミングのものに対して「どうせ、大したことない、観光客ずれしたレストランだろ」と、斜に構えた見方をする癖があるようだ。私は。
 それが、2度も行くことになるとは思ってもみなかった。それもそのはず、ここはNew York Timesで1998年のトップ10レストランに選ばれているし、他のグルメ系サイトでもそこそこの扱い。
 グランドセントラルステーションのメゾナイン(中2階)にある。入り口はバーになっていて、階下のひっきりなしに人が行き交う駅のホールや星座の天井画を見ながら呑める。奥は50席ほどのレストラン。
 アペリティフはゴルゴンゾーラチーズがかかったキャンプファイアーの薪のように積み上げられたガーリックトースト、2つ割のレタスと赤ピーマンのアイスバーグ・サラダ、これまた2つ割の野菜(不明)にパルメザンチーズがかかるシーザーサラダ、ポークのスペアリブなどなど。
メインはフィレミニヨン、ニューヨークステーキ、リブ・アイ、ボイルド・ロブスターなど。
 ステーキはいずれも4、500グラムはあろうもの。焼きは、オーブンか何かで表面こげこげ、中やわらかーでバーベキューの丸焼きみたいな風情。
 私はニューヨークステーキ。15cm×10cm×7cm。上から見ると「楽勝」。ソルト&ペッパーであっさり油ぽくなく、いける。ただ、いくら喰っても減らない!
 凄いのがサイドディッシュ。各自一品ずつ頼んだのがいけなかった。
 どれも旨いのだがとても喰いきれる量じゃない。
 サイドディッシュがメインの量なのである。マッシュドポテト、ハッシュブラウンズ、クリームスピナッチ、マイケル・マカロニ&チーズ、クリスピー・フライド・オニオン。ちなみに私はS氏と同じフライドオニオンを頼んだのだが、1つの!半分を二人で食べるのがやっと。もう一皿は手つかずで撃沈。(笑)