理科実験を楽しむ会
もっぱら ものから まなぶ石井信也と赤城の仲間たち 
 英国旅行        08年4月5日
 
 もう10年以上も前のことですが, 1995年に英国へ行った記録が出てきましたので. 一部, 添削し、一部, 書き加えて掲載してみます。 固有名詞の英語の綴りに誤りがあるかもしれません。
 
3月25日(土)
  山口さんが自動車で,3人を成田まで送ってくれる. 9時集合, 12時発. 飛行機は二階席でこじんまりした雰囲気.
  機内で飛行機の加速度の測定をする. 用意しておいた紙をセロテープで壁に貼る. 5円硬貨を重りにした糸を単振子にして紙の中央にセロテープで吊す. 糸の線を紙に印する.
(1) 飛行機が離陸するまでの糸の位置を印する. これは加速による角変位であり, 測定の最大値は18度であった. この間は加速度運動である。
(2) 飛行機が上昇するときの糸の位置を印する. これは上昇による角変位であり, 測定値は12〜15度であった, この間は等速度運動とみた。
(1)と(2)の価はほぼ等しいと見てよさそうである.
  加速度はおよそ  g・tan18=9.8×0.325=3.18(m/s2) ということになる.
 パーサーは仲村桂子, スチュワデスは Cathrin  Davies. "東京でお勉強しました"という彼女の日本語はなかなかのもの. スチュワデスを3年勤めるとアシスタントパーサーになり, 更に7年勤めるとパーサーになれるという. 大変なものだ.
  Altitude 12000m, Around speed 800km/h で巡航.
  19時ティー, 22時45分夕食, 映画2本. 3時54分英国ヒースロー空港着. 晴.
  レイト1£154円で3万円両替する.
  4人乗のタクシーでオリンピア・ヒルトン・ホテルへ. タクシーは一見それとわかるもので, 6人は乗れそう. 車は四角いオースチンの車体にロールスロイスのエンジンを積み込んだものだという. 朝生さんの話によると, タクシーの資格を獲得するのは非常に困難で, 取得したら一生食いはれぐれがないという.
  チェックイン後, パブ Harvey-Floorbagers(<ハーヴェーさんちのはしけのデッキ>程度の意味か)で軽食とビール.料理の量の多さに驚く.
 英国との時差9時間. サマー・タイムが明日から始まるので, 時間差は8時間.
    外国の旅始まって夏時間
 
3月26日(日)
  パッケージされたパン, バター, ジャム, 小さい青いりんごが, ドアの前に無造作に置かれていて, これがコンチネンタルという朝食であった.
  ニュートンの国のりんごは青かった
 俳句には, 季語を入れる, 17字に述べるなどの作法(ルール)があり, 理屈や説明を避けるという傾向がある. しかし, 私は理科系なのでどうしても理に走るのだ. そして, それを, それほど忌避すべきものではないと思っている.
  私が俳句をつくる原則は, 短い語句によって多義的に事柄をーしかも事実をー述べることなのだ. 俳句は詩であることは認めるにしても, 詩が情念であるから俳句に於いても観念的表現を是とすることには同意しない. 観念にはとかく非科学, 反科学がつきまとうからだ.
  上の句は, 初めてニュートンが意識した地球に落ちるリンゴと, 初めて地球に向かって「落ちている」宇宙船の人の感想 "地球は青かった”をドッキングさせて表現してみたものだ.そして, 英国の朝食を語り種(グサ)とするために.
  アッという間の出来事であった. フロント前で児玉谷さんのザックが盗まれたのだ. やるとは聞いていたがやるもんだ. これで旅が緊張した.
  また, 部屋のペイ・テレビを誤ってスイッチオンしたために, 小沼さんは19£を請求された. 意志の有無ではなくて, 呈示された契約(読もうが読むまいが, 分かろうが分かるまいが)通りに処理されるというのが, ここでの方式であることを納得, 出発前に聞かされてはいたことだが. 
  本体と別れて, 私たち3人組はケンジントン・パレス・ホテルに荷物を預けて出発. ケンジントンガーデン, ハイドパークを横切って Hertz で自動車の手配をする. パーチに停まって軽く朝食.
  Natural History Museum と Science Museum を見る. 英国には Museum が多い. 略奪してまでも世界から<もの>をかき集めたこと, 地震によって壊れることがなかったことが,  "よくも, まあ, かくも, …”というほどの、もののオンパレイドとはなったのだろう.
  不格好で大きい<ニューコメンの大気機関>が感動ものであった.摩擦の固まりのようなこの機関は, チョット見には作動するとも思われないが, そこは大気圧のこと, ピストンの断面を大きくして「面積勝負」したところが<みそ>である.
  N・H・Museum で昼食, 本とお土産の買い物. 朝生さんはディアストーカーを買う.シャーロック・ホームズが被っているアレだ.
  夜, 地下鉄に乗ってみる. ピキャデリー・サーカス近くの<はみね>で中華の夕食.
 
3月27日(月)
  8時50分発, 車はトヨタのエスティマ(1500cc)で, メーターを見ると新車らしい. 雨だが気分は上々. ちなみに仕事の分担は, チーフマネジャー朝生, 会計鎌形, 記録石井.
 そうそう,この旅行の目的は理科教育の視察と化石の採集と, それに私にはもう一つ…. 
  私が記録を希望したのは次のような経緯による. 江国滋とう作家がいる. 彼には海外旅行の連作があって<英国こんなとき旅日記>(新潮社)のようなタイトルで,米・独・西その他の国々を, スケッチと俳句を交えて紹介している. それが実に楽しい. 絵は描けないが, 俳句を添えた文のまねごとでもしてみたい, という思いがあるからだ.
  ドライヴァー鎌形, ナビゲイター朝生で,  Cardiff へ向かってM4を「下る」. 高速道路が無料なのが嬉しい. 鹿に注意の標識が珍しい.
  10時17分 Membury で休憩. 11時20分 Leigh Delamere SA(Service Area)でUnleadedを給油, 12£, 21.08l. 11時50分 Severn の SEVERN VIEW PAVILION で昼食.
  Severn の古名は Subrina で, 年配者には, オードリー・ヘップバーンの<麗しのサブリナ>を思い出させる.ちなみに, 機中で上映されたハードボイルド映画の主役の女性はサブリナであった.
  Severn橋は有料, ウエイルズ人はこの橋を渡ってウエイルズに入る時には, 帰郷の思いに駆られるという. "風が吹くと橋は弓なりに撓むのだが, 橋は細身で美しい. この橋を渡るときには, ふわりと浮き立つような興奮を覚えずにはいられない" レスリー・トーマスはその著作<イギリスの田舎へ行こう>の中でこう述べている.
  12時33分発, A30-A48-A4232-A4161と辿って Cardiff へ, ウエイルズ語ではこれを Caerdydd と綴る. 13時40分着.
  National Museum of Wales の Dr. Owens を訪問して博物館内を案内してもらい, 論文を頂戴する. ここの地学部門は内容も展示も優れている. ここは曾て小泉斉(ヒトシ)さんが来たところだ. 小泉さんは世界的な三葉虫の採集者で, 今回の旅には多くの助言をくださった.
  Cathedral Hotel にチェックインしてから, 街の散策に出るが, 夕方早くから閉店している所が多くて, 暗い感じだ.  National Rugby Stadium の巨大なマスが異様である. カージフ城は4月1日から特別公開されるという.
  旅館で夕食. ステイキをミーディアムで頼んだら, 出てきたものは, スーパー・ウエルダンで, 大袈裟にいえば刃も歯もたたない.
  スコットランドの Jura島 でつくられる Jura Whisky の紹介をNHKの番組で見ていたので聞いてみたが, ここにはないといい, 知らないという.
 
3月28日(火)
  朝生さんはフレンチ・スタイル・ブレイクファーストを注文し, あとの二人は イングリッシュ・スタイルにする. しかし, 待てども待てども, 朝生さんの分はパンだけしか来ない. "オニオン・トースト"を "オンリー・トースト" と聞き取ったのだ.
  ちなみに, イングリッシュ・スタイル・ブレイクファーストのメニューを記載しておくと, Cereal/FruitJuice/GrapefruitSegments/Prunes/Bacon,egg,sausage,tomato,mushrooms/Scrembled egg/Toast & Marmalade/Coffee.
  Cereal というのは, コーンフレイクのような加工穀物で, 箱に入った数種が準備されている. 大体どこでも同じパターンである. コンチネンタル・スタイルでは蛋白質はつかない.
  8時40分発. 雪もよい. オーエンスに面会するまで車中で1時間も待つ.
    片言の英語で述べる名残雪
  ミュージアムを再度見学. ここの Museum には美術品の収集もあって, 有名な<青い女>が見ものである. 印象派の絵画を多く集めているとオーエンスが言う. 彼はウエイルズ語がしゃべれないのだそうだ. この地では展示の説明などはウエイルズ語と英語の併記で, 簡単な単語を記すと, and:ac/and:a/off:ffo/of:o/the:y/water:dwr といったところ.
  11時10分博物館発. 雨で濡れた町並みが美しい.
    春雨やレンガの街を赤く染め
  オーエンスに貰った地図を頼りに, 苦戦の末, Pontypool の化石産地を探し当てて, 三葉虫(ブラキオポーダ)3〜4頭を採集する. 幸運にもこの頃雨があがる. 15時10分, Magor SA で給油, 15.01£, 26.84l.
 帰りのセバーン橋は無料(行きは有料だった!), M4からA34, Abingdon の巨大な発電所, 17時25分 Witney, OLONDISで給油, 6.00£, 11.13l. 陰鬱な雲に覆われたこの辺の景色は<嵐が丘(Wuthreing Heights)>のイメージだと鎌形さんはいう.
  17時40分コッツオルズ着. 初めての街なのに、知ってるような錯覚に陥るのは, 安野光雅が写生しているのをNHKで放映した所だからだ.
  狙ってきた B&B は休みだったが, そこで紹介された Crofters に投宿する. Dad は Peter, mam は Jean. 家族的な雰囲気の宿だ.
  近くの The Mason Arms という食堂を紹介されて夕食. ここのシェフ John は "Peter は trouble maker だが, Jean は good woman だ" という. 彼がデズニーランドの話をもち出したので, "You look like a Mickeymouse" と言うと, 二枚の皿を耳にあてがってそのまねをして見せた. エンタテイナーである. 13£のディナーは量が多くて残りを take out にする.
  朝生さんはその夜, 日本製懐炉の英訳を頼まれて苦労した模様. trouble maker を<問題人>と迷訳して Peter 本人から喜ばれていたが, 彼が日産関係の会社に勤めていて, 私たち使った自動車がトヨタ製だったのは "I am sorry" であった.
  白い猫が二匹いて, 雄をオスカル, 雌をコーベルと聞いた. コーベルは有名な映画女優の名前をとったのだと Jean がいうので, "You mean Claudette Colbert?" と聞くと "Colbert は Peter がお熱だったの" と Jean が言い, Peter が肩をすくめた. しかし, コーベルはガーボの聞き違いであったようだ. 彼女のコメントでは <Garbo as in Greta Garbo is famous film star in 1920, she used to say "I want to be alone">ということであった. ちなみに, 私は1930年の生まれで, 多分,  Peter も同じようなものだろう. 二人の女優は20世紀初頭の生まれで, 彼女らの名は, この齢のものには懐かしい響きをもつ. Garbo はストックホルム生まれであって "スエーデン人は孤独を好み, 自ら「ひとりの静かな時間」を選択したがる" と,  20年もの間, そこに住みついていた訓覇法子(クルベノリコ)が<スエーデン四季暦>の中で述べているのと, Jeanのコメントが符号一致する. 
 
3月29日(水)
  早朝, 鳥のさえずりで目覚めた.
    さえずりを to be to be とききなして
  <ききなし>というのは, ある音をそれに近い言葉で表現すること, 例えば, ウグイスをホーホケキョとするようなものだ.
  "It be, it be, it'll be, it'll be, To be, to be" という具合である.
  Shakespeare の "To be, or not to be, that is the question" というせりふは, 鳥のさえずりから発想したのではないかと思ったりした. 今様にいえば, ハムレットの苦悩なんかは, 全く "No problem" であって,  私にいわせれば, "自然が芸術を模倣する" のか "芸術が自然を模倣する" のかの方が問題なのだ.
  今日も晴, 8時40分 Oxford に向って出発し, 9時47分に到着. 時間つぶしにAshmolean Museum を見て, Blackwell で物理の本を大量に買い入れる.
  Museum of the History of Science ではフックの顕微鏡と, レーベンフックの「アンチーク」な電気器具に興味が持てた.
  夕方, アポイントメントがとれていた University of Oxford Department of Educational Studies の Woolnough に会う.
  自然科学教育に広く関心を持つ学者である.朝生さんが, 館山でのアルケミストの学習会で出会った後藤道夫さんから, 笠耐(リュウ・タエ)さんを通してコネったのだそうだ. その引きの強さに, 気の弱い私は殆ど呆れた. ここで推薦された本は Blackwell では見つからなかった. 
 Crofters に連泊し, 例の John の店で夕食をとる. medium で注文したステイキは結構なものであったが, ステイキは raw に限るとの鎌形さんの意見に賛成だ.
  夜になって冷えてきた. 星が美しい. 地平線まで闇が広がり, 空気が澄んでいる. 北極星が高い. 拳で仰角を測って55度と見た.
     冴えかえる北極星の高さかな
  北斗七星とカシオペアが, 北極星を中心にして相対している. 千葉に於いては "倶に天を戴かざる" 星座なのでこの景色は珍しい. カシオペアは, よくW形と表現されるが, 実はW形の時には高度が低くて, 或いは, 地平線下にあって, 見ることはできない. だから, カシオペアはM形と表現すべきなのだが, ここでは, それが歴としたW形に見えるが嬉しい. 星空に向けた鎌形さんのカメラはしばらくしてシャッターが落ちた.
  「お茶」で雑談. Peter が大袈裟な身振りで "I am a reliable man!" というので, 私が "And John is an unreliable man" と言うと "Oh, yes" とご機嫌であった. はじめに自己紹介をした時に, 私は自分の名前を "Shinya means believable man" と説明した. 松田聖子の "Unbelievable" と叫ぶコマーシャルを思い出したからだ.
 
3月30日(木)
  Crofters の壁に陶器(China)のコレクションがあるので, 昨夜, お土産の漆塗を手渡すときに "This is a Japanese Japan" と説明したのだが, 今朝は Jean がその模様を示しながらクレメイチスと言う. そう言われてみれば, 模様はクレマチスの花であった.
  昨夜は冷え込んで, 車のフロントガラスにはびっしり霜がついている. 今日もlovely day だ. Peter に言わせれば, "ラヴリー ダイ"なのだ. 英国では day をダイと発音する.
  慣れるまでは運転に気を使うが, ここの交差点は合理的ともいえる. 何本もの道が集まるところでは点滅信号はとても無理なのだろう. 三叉路の中心にも小さい円が描かれているのはほほえましい. 五叉路で一句.
    桜草右に見てゴー・アラウンド
  植え込みは常に右手に見て走るのだ. 桜草が circle/saw を連想させ,  5弁の花びらを5本の道にみたてられれば申し分ない.
  この道路の方式は広場の思想に由来すると思われる. イギリスにーcircus, ーsquare という地名が目立つ. 前者は円形広場で後者は方形広場だ. その他にもーcross, ーcenterなどという場所もあって, これにも広場的な意味がありそうだ. ついでにいえば wood, stone, field, castle, pool, well, mouth, などがついている地名では, その地形が容易に想像できるが −ford, −bury, −ton, −ham なども目立ち, これらは順に浅瀬, 埋葬(する), 都市, 町などを意味する. 
  牧草地や麦畑のなだらかな起伏が続く. この地形がゴルフ, ラグビー, クリケット, テニス, 競馬などを発達させる基盤となっているようだ. 更に, 1980年頃からイギリスの, 特にロンドン西方の麦畑に出現した corn-circle(英国ではcornは小麦)と呼ばれるミステリアスな造形も, この地形からは発想が容易だ. 初期のそれは円形なのだが, 徐々に「進化」して1990年代にはかなり変形して複雑になる. これは芸術活動の発展形態なのだ. これらをひっくるめてミステリー・サークルと呼ぶ. 「芸術」なので宇宙人も登場する.
  高速道路脇の露頭でチョークを採集する. 路上に白い「サークル」を描くこともできて,学校で使っているチョークに似ている.教材に破片を持ち帰ることにする. 帰ったら塩酸をかけてみたい. チョークは白亜と訳され, 白亜紀の白亜層はここイギリスの南部やフランスに広く分布している石灰質岩石をいう. CaCO3 が本来の形であろうが, Ca(OH)2 その他にも形を変えるので, 石灰というときには, それらの総称である. 石灰は英語では lime だが, 仏語では chaux なのだから紛らわしい. ちなみに, 石油工業の発達による脱硫装置の副産物である CaSO4 が白墨として使われる現在, 教室で使われているものは, 必ずしもチョークではない.
  モービルガスで給油, 15£,26.83l. 二人は代金支払いに行き, 私は記録のための地名を探していると, 紳士が近寄ってきて "May I help you?" と言う. 突然で言葉が出なくて "Gasoline OK. thank you" とおかしな返事をしてしまう. 一瞬, 怪訝な顔をしてから, すぐにうなずいていたが, 英国では gasoline ではなくて petrol なのだ. そんな訳で, 混乱していてここの地名は記録がない.
  緩やかな起伏は地平まで続く広野のど真ん中に立っている石の建造物がストンヘンジであった.
    風光る巨石の上に鳥を載せ
  ここは見学者で賑わっていた. "ストンヘンジャー, ゴレンジャー"などと馬鹿なことを言っている若者は日本人である. 受験企業Z会の生徒が10泊の英語研修で来ているのだ. 予備校の「修学旅行」で海外研修というのだから時代は変わったとしかいいようがない. 近くにウッドヘンジもあるという.
  この建造物は蜃気楼から発想したという意見があるというが, "学問でも芸術でも自由は保証される" というだけで事足りる. 人間は余裕ができると何かをやりたくなるものだ. ミステリー・サークルも同じことだ. 
  アーミーの基地でシーバリアが離着陸するのが見える. 鎌形さんは自動車と飛行機に強い.
  インフォメイションで Exeter の B&B Raffles  Hotel を3人分1部屋で予約するが, 結局は同じ値段でシングルとダブルの2室になる. この方がモア・コンフォタブルだからとオーナーが言う. チェックインしてから町の散策に出る.
  Exeter は三上さんが留学していた町で, 城塞である. 路地にはどれにも名前がついていて, 家々には花が植えられている.
  大聖堂の内部は、ステンドグラスから春の陽が透けていて, 合唱が響いていた.
    涅槃図と大聖堂の色ガラス
  夕食は外食でインド料理, インドのビールはイギリスのそれより更に弱い.
 
3月31日(金)
  町を出ると, 車数分で自然のまっただ中だ. トーキーに入る前に給油, 15.00£, 26.35l.その近くで Lynton の B&B Rockvale Hotel を電話予約する. 朝生さんの英語は電話でも通じる。
  私は自宅に電話をする. 0800-89-0087 を回すと, 後は日本語でOK. 銚子商業がPLに勝ったこと, 春場所では曙が優勝したことなど, どうでもいいことで2000円をoverした. しかし, このことが後で役にたったのだ. というのは, この旅の日付には年の記録がなく, それを調べるのに苦労したのだが, 銚子商業と曙をネットで調べて, それが1995年であったことが確認できたのだった.
  GREAT MILLS という DIY で彼らは鉱物ハンマーを購入する. DIY はガードニング, ウオーキングとともにイギリス人の趣味の上位を占めているという.
  10時海岸に出る.  10時30分 Hopes Nose.  12時30分まで採集するが三葉虫は出ない. 鎌形さんがハチノスサンゴを, 私がエチノイデスを掘り当てただけだ. しかし, ここは眺望が開けていて気分最高の場所だ. 港に戻って昼食はスカンピ, 海老のすり味のフライで結構いける. この地は英国の Riviera といわれる保養地で, 夏の混雑が思われる.
  13時30分発, デヴォン紀の名はここの地名に由来する. そのデヴォンの赤い土が目立つ. 赤い畑と段階的な麦生の緑とがパッチをつくる.
    青き麦赤きデヴォンの土に生い
  タウ川を下ってその河口の崖で,  16時30分から17時30分まで採集するが三葉虫は出ないでウミユリだけだ. ここの地名は Ashford だ. 前述したが ford は浅瀬で, 引き潮のときにはタウ川河口は広い干潟になるのだ. 引き潮であったのはラッキーであった. 上げ潮に追いかけられるように引き上げる.
    侵略の速さで寄せる春の潮
  フット・パスという散歩道が小川に沿ったり, 私的な庭園を突き抜けたりしていて, ベートーベンの田園交響曲のメロデーが口をつく.
    フット・パス春の小川に添うて行く
  霧が出て道を失う. 道の両側には垣があって, 周囲の地形はムーア状だ.
    霧の中ムーアの犬が現れて
はホームズの<パスカビル家の犬>の本歌とりだ.
  採石場に人影を認め, 道を確かめてから, 食堂をみつけてホテルに電話する. 19時ジャストに Lynton の Rockvale Hotel に着く.
  Hotel Card には<Proprietors: Judith & David Woodland>とあった. valeはvalley の詩語, 経営者が Woodland だから, 云わば, 自然がいっぱい, といったところだ. 名の通り, 谷合の美しい町であった. 海が近くでカモメが飛んでくる. 屋根裏部屋の窓が開いていて<魔女の宅急便>そのもの.
   魔女の子が箒で飛んで日永かな
  夕食はここのフルコース, 数種のチーズが taste できて, しかも日本円で5千円もしないのは驚きだ. 夏時間なので7時といっても明るい. 
 
4月1日(土)
  朝, 娘の Nichola と写真を撮る. ちなみに, 香港にいるもう一人の娘の名は mam と同じ Judith であるという. She is nice looking girl. と David が言うだけあって, 写真の娘は Diana によく似ていた.
  マーマレイドとドライフラワーを譲ってもらう. マーマレイドに Dorothy's と書かれてあるのは Davis のお母さんの手作りだからだ. 草花いっぱいの前庭に forget-me-not をみつけた.
    一宿を忘な草の谷の宿
  Davis の世話でインフォメイションから今日の B&B を予約する. confirm に時間がかかるというので, 海岸を駆る. この辺り一帯を Exmoor というそうで、 丘を登ると霧のムーアであった.
  半島の幅は100kmもないのに, 南部のトーキーの明るさと比べると, ここ北部のリントンには渋さがある. 芭蕉が<奥の細道>で "松しまはわらふがごとし 象潟はうらむがごとし" といったのを思いだした。 
  ここムーアはシャーロック・ホームズの舞台の一つで, 作者のコナン・ドイルは言う. "ここは誰でも, 長く留まるほど, 次第に憂鬱な気分になってくる所である. この沼地は, 限りない, つかみどころのなさと, 気味悪い一種のひきつける力とを持っている"
  一台の車が止まり, 運転手が降りてきて "あの崖は昔, 地滑りでできたのだよ" と言う. 彼にとっては, 崖崩れを起こさせた地震は珍事なのだ. そういえば, Torquay の quay は岸壁で, tor は岩山の意味だ.  遠く海の向こうにウエイルズらしい影が見える.
  Leigh Delamere SAで給油, 20£,34.53l.
  13時45分から14時17分まで Membury で昼食. 私が食べた皿には<KIDDY DISH>とプリントされていた?! 
  M4から LONDON ORBITAL のM25に続いて, M11で Cambridgeに入る. 雑多な人種の学生たちで活気に溢れた町だ. カレッジは草花いっぱいで, 構内の水路では水遊びが始まっている.
    剣大の若さとボートレースかな
  ケンブリッジを<賢文理>と音訳してみた. しかし, ムード訳は<剣橋>だ. 後で, 広辞苑をみたら剣橋とあったので, "やった"と思ったものだ.
  上の句でボートは春の季語だが, 同時に, レースは race で人種を表し, ボートは vote で投票とか決議とかの意も含ませたいと思っている. 俳句は, 私流には言葉遊びなのだ. しかし, 俳句の自己解釈ほど<白ける>ものはない.独りよがりでいい気なものだ.
 Heffes Booksellers の一軒で, またまた, 本を購入する. しかし, ここにも Woolnough 推薦のテキストはなかった.
  曜日と時間の大当たりで, 博物館は閉館している. お手洗いに行きたくなったので toilet の表示に沿って行くと to let という看板にぶち当たって引き返す. 
  TO LET を TOILET(トイレ)と見たる四月馬鹿
鎌形さんの名誉のために, toilet は更に先方にあったことを記録しておく. それにしても to let は何の意味だろう. i が消えたらどうなるの? 
  18時23分, Arundel Hotel にチェクインする. 始めての3人部屋である.
  夕食はインド料理, 前回のカレーはものたりなかったので, 今回は mild, medium, fairy, に続く very hot を注文する. これはなかなかなもので, 辛さは後からやってきた. なお, この先には very very hot と terrible hot があるようだった. 次の機会があたら, 次の, 或いは, 次の, 次の段階のものを選択するであろうことは疑うべくもない. 科学は段階的に progress するものだ. 芸術との相違であろう.
  夜, 第一次会計整理.
  この宿はカレッジの庭のすぐ外にあり, 夜遅くまで学生の騒ぎが聞こえていた. 
 
4月2日(日)
  抜けるような青空で, 早朝, 学内散歩.
  9時発. あるコレッジが開放されているので "ニュートンの像を見たいのだが"と尋ねると, ここの教会の中にあるというので, その St. Joho's College に入る. そこには手にコンパスを携えた Gilbert の像はあったが, Newton のそれはなかった. 通りかかった人に尋ねると, 多分, 隣の Trinity College にあるのだろうという. そして, そこへ行くと Not be allowed to visitors. とあった.
    チャーチともコレッジともがなおぼろなる
  キャッスルとチャーチとコレッジは殆ど区別がつかない. これらはそれぞれ, 政治と宗教と学問の拠点であって, それらが合体することで権力が集中したのだ. というよりも, 三者は本質的には区別されないもので, いわば三位一体というところだ. これを英語でいえば Trinity であり, その中心が Trinity college であるのは偶然ではなかろう.
  10時47分発, M11で Greenwich に向かう. 車中話が弾み, ガスメーターが0を指しているのを見逃していて, 高速を降り Ilford SSで給油, 25£, 47.25l.
  高速を降りると, そこは桜が満開の下町で, ここでも Go-around と取っ組み合いをしながら, 道を失ったり拾ったりした末に, Thames に近いブラックヒールという公園に着く. ここでも親切は人が "Follow me" と目的地まで案内してくれる. 全く, イギリスは親切ムードに溢れている.
  13時20分, Greenwich着.  3人ともポンドの金欠で, 昼食はソーセージバーガーとオレンジュース, グリニッジの経度0線を両足で跨いで写真を撮ったが, 記念館には入らない.
    東西をまたに掛けたる弥生尽
 この辺は上野公園に近いムードで, 銅像のある高台から Thames が見下ろされる. 大勢の人々が芝生に寝そべっていて, 待ちに待った太陽を満喫しているといった情景である. 女性は薄着になり, 裸の男性もいる.
    麗らかや行く街ごとに美女ありて
  ここはトラファルガーの海戦でフランス軍を撃ち破ったネルソンゆかりの地で, その恋物語<美女ありき>の美女は Vivien Leigh であった.
  今日行われたロンドン・マラソンのスタート地点がここだったそうで, 町は賑わっている. 最後の帆船カティー・サークを見て帰途につく.
  疲労も蓄積してくると会話もギスギスしてくるものだ. 道を選ぶ段においても, 1:1:0の表決ではきまらない. 普通は, チーフマネジャーの朝生さんの意見が優先されるが, オリエンテーションに<動物的な感>を持った鎌形さんは, 道の選択に関しては容易に譲らない. 私はオンブにダッコの傍観者なので, 後部座席で聞いているだけだが, それでも幾分は気疲れする.
    春愁やおんぶだっこの旅八日
  実をいうと, 私はビッグ・ベンを見たかったのだが, 時間的にも無理かと思われて, 希望を言い出さなかった.
  私の父は独身の頃, 欧州航路で働いていて, 幼い私の中には<川の向こうの大きな時計塔>の絵葉書の絵がすりこまれていた.それがビッグ・ベンであった.父には紳士気取りのところがあって, 自動車を運転し, 洋画を見, 洋食を好み, 犬を飼っていたのもイギリス仕込みだったのだろう. 父の死んだ年齢に近づいた現在, 父が浸った息吹に触れてみたいということも, 今回の旅に参加する理由の一つではあった.
  今夜の宿, オリンピア・ヒルトンに荷物を降ろし, 私は荷物の整理を. 後の二人は自動車の処理をすることになった.
  チェック・インの後, 町に出る. ロンドンのビルの谷間から2日の月が覗いていて鎌形さんはこれの撮影にこだわった.
    ビルの端に鎌より細い春の月
  <Stick & Bill>という中華飯店でビールとラーメンの夕食. 同席のカルフォルニアの若い夫婦は屈託がない. 毎晩のビールで, 朝生さんもすっかりアルコールに強くなった. 鎌形さんも結構やる.
    ワンラガー・ハーフビターの春の宵
  もうこの時点になると, ロンドン市民が道を横切るのと同じ方法で私たちも道を横切った. つまり, 赤信号でも車が来なければ道を渡るという「合理的」な方法である. Do at Rome as the Romans do.式にいえば, Do at London as the Londoners(Cockneys)do.であって, 酔いのなせる業ではない.
  打ち合わせで, 三上さんから市内バスツアーがあることを知らされ, 即刻参加を決める. ビッグ・ベンを見るために予定の大英博物館を捨てた. 
 第二次会計整理
 
4月3日(月)
  又々晴れ. ハイドパークを通って, ピーターパンの像を見て…, 日本でロングランを続けているピーターパンの役は誰だったっけな…エート?
  以下は帰国後の妻との会話, "家庭ヴィデオを紹介する番組の司会をしていた太った男の子は誰だっけ?" "渡辺徹でしょ" "そうそう, その女房は何というんだっけ?" "榊原郁恵" "それから, 曙と婚約するのしないのっていったのは" "相原勇でしょ" "ああそうだ!" 榊原郁恵と相原勇だったのだ, ピーターパンを演じていたのは! ざっと, こんなものなのである.
  昨日の, ロンドンマラソンの優勝者の名前は, 夕方のテレビで見たのだが, たちまち忘れてしまって, もう思いだせない. Stick & Bill でビールを飲んだ瞬間, <セロン>と出た!! 酔いの効果である. 酷い失語症で, このため, アルコールが残っていないときには言葉が出ないから、寡黙なのだ. 何かを思い出したいときには飲まねばならない.
  マーブル・アーチの脇が, 日本語の案内がつくバスの発車地点である. オープン・エアーの二階バスは涼しさを通り越して寒かった. しかし, ロンドンの景観を一掴である. 斜陽といえども, 流石の大英帝国の首都で, 活気があり, 雑多であり、何でも大きい.
  一昔も二昔の前, 多分, この界隈をぶらついたであろう父を彷彿させて, 些か感傷的になった. 絵葉書の絵のビッグ・ベンは大きかった. この時計が, その昔から鳴り続けてきたのだろうと思うと….  
    春昼を鳴り響いてやビッグ・ベン
  残された時間, 一人になってベーカー街を北上し, シャーロック・ホームズの事務所のあったとされるベーカー街221B番地を見に行く. 入り口には警官がいて, ホームズファンの撮影のモデルになっている. ヴィデオを回している青年に, "Are you a Sherlockian?" と聞いたが通じなかった. Sherlockian とは Sherlock  Holmes「お宅」という程の意味だ. これは世界的な組織で, そのためのツアーが組まれる程である.
 先ほど, バスがウエストミンスター寺院の北側を通ったときに, 旧スコットランド・ヤードの場所(1890〜1967年)の説明があって, それが, ホームズの "ヤードに忠誠で且つ無能なレストレード警部" や, モンキー・パンチの "ルパン3世に踊らされる銭形警部"を思い出させた. 連想は時空をワープする. 
 ハイドパークの昼下がりはもう春爛漫であった.
    蜉蝣と犬引き連れて老夫婦
  ホテルに帰ってから最後のビールを、あの Harvey でやって, ツーリストのバスでヒースローへ, 20時08分離陸の JAL-Big Ben Express はジェット気流に乗って,  2時51分,予定より早く成田に着いたのであった.
  日本の桜は3分咲きであった. さて,さて,日本の鰻でも食らうとするか.
    平仮名のうなぎの う の字鰻に似せ
  そして, 明日, 4月5日は父の命日である.  3日の翌日が5日とは…  
    1日がどこかへ失せて父の忌に
 
 
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掲示板 石井信也