理科実験を楽しむ会

KZAK報告(7)  G7  No355 201253()

 

  18  碓氷峠-峰の茶屋(1968/9/21)

  軽井沢の駅のベンチでシュラーフザックにもぐりこむ. 真夜中の駅は人こそまばらであるが, 駅前の国道を疾走する大型車の騒音が耳について寝つかれない. 時々列車が入って来て出て行った. 始発のバスが出たのをおぼろげに感じてから一眠りしたものらしい. 清水さんに起こされた時には外は明るくなっていた. 堤さんはベンチから転げ落ちてから寝られなかったという.

  私たちは毎回山行の後で反省会を持つのであるが, 前回の敗退の後, 5万図, 十石峠図幅を縦に横切るコースは水もなく, 3日間ではとても無理なことを話し合い, とりあえずこの間を抜かしておいて今回のコースを決めたのである.

  国道18号線に沿って秋色の濃い軽井沢の高原を碓氷峠に向かう.先刻,高積雲が少し朝焼けしていたのだが,次第に雲行きが怪しくなってきた.天気予報によると,今日,昼の中に寒冷前線が通過するということである.峠で軽い朝食をとり,<碓氷峠>と書かれた太い柱にNo26を打つ. 風は冷たく, 空が暗いと気持ちも暗い.

  マツムシソウの咲く峠の上の斜面を登って小道に出た. それは私たちの低木の林の中に導いて行った. 右手の樹間に空が瞥見できるところから, そこが崖になって落ち込んでいることが想像できた. そこに碓氷峠への自動車道がへばりついているのかもしれぬ. 時々自動車のエンジン音が上がって来る. 展望のない暗い道は, 細くなったり太くなったりしながら, 次第に標高を上げていった. ツルニンジンがひっそり咲いている切り開きで休憩し, コブをいくつか越えた後, 雨蝕の坂を, 両足を左右に突っ張って登りきると, 全く思いがけなくも, 立派な公園に出た. 四阿があり, 記念碑があり, 展望盤があり, 水こそ出ないが水道管まであった. 妙義山の鋸歯は指呼の間だ. この地はサンセット・ポイントなる名が与えられている旨, 説明があった.

  2,3分下ると峠である. ここは旧中山道の最高地点で熊野神社が祭られてある. 自動車はここまで登って来られるのだ. ここで水を汲み, 先を急ぐ. この頃から薄日が射して来た. 道は手入れがしてあって歩き易い. トリカブトの多い所だ. 斜面が弛みだし, 大きな松の木が見えてきた. <山頂の様相を呈して来た>が私の口癖であることを,ここで指摘されて知った.が,そこは山頂ではなかった.道は坦々と続いていた.この辺,一の字山という山の存在が地図に示されているが,どこが頂かわからぬままに道は高度を下げ始めた.そこからいくつかのコブを越える頃,次の目標の留夫山 (1591)が目の前に現れた. この登りには些か顎を出した. 強い日差しが容赦なく首筋を焼いた. 頂上から振り返ると台地状の一の字山が見えた. 間食のパンが原因で, 私が独善的であるという結論を清水さんが出した. そしてこの言葉が今回の山行の流行語になった. 清水さんが<いい湯だな>という唄を歌った. ”ゆげが天井からポタリと背中に/つめたいなつめたいな/ここは北国登別の湯/ぼぼんぼぼんぼんぼん/ぼぼんぼぼんぼんぼん”

 静寂そのものの山中では,八方破れの彼の唄には不思議な魅力があった.これも私の独善的な解釈かもしれない.喘登で歌がとぎれる頃,鼻曲山(1654)の奇妙な山容がひょっこり現れた. 一度高度を下げ,霧積温泉からの道と出会ってから間もなく, 鼻曲山は私たちの真上に位置した. これは5060mの崖であった. 視界をさえぎられていた私たちにとって, 鼻曲山の展望は<ブラボー>であった.浅間は雲の中であったにしても.

 昼食の間のラジオが<台風は太平洋を北に抜ける>というニュースを報じて来た.またしても<ブラボー>である.No27はこの地に打ち込まれた. NECは昭和4011月に22号のポールを打ち込んでいた. クジャクチョウがはでな色を見せて舞っていた. 気温の微妙な変化を感じてハアリが一斉に飛び上がり私たちは辟易した.

  チェインソーの音が近づくと林道へ出た. 手広く伐採が行われていて明るい起伏が続いている. 清水さんの腹痛は二回のキジウチとクレオソートで治り, 清水さんの靴は堤さんの技術で直った. 小高い丘の草こぎのあと, 一気に下ると国境平に着く. それが存在している中に一度は乗っておきたかった草軽電鉄は, とり残された電柱が,この広い高原を一直線に並んでいるというところに, 僅かな名残を留めていた. 長野県1000km(KZAK報告その1参照)のプレートが峰の茶屋へ7キロという道標に打たれてあった.

  浅間高原の散歩を目的として来たのならいざ知らず, 荷を背負った私たちにとって, この落葉松と白樺の長い道は閉口であった. 浅間牧場を右手にする頃, 遠い野の果てに自動車の走るのが見えて来た. 国道146号線である. 小浅間が次第に近づいて来たが浅間は頑固にその姿を隠していた. 浅間越えの国道には路上に数字が書かれていた. それは10の間隔で数を減じ, 今日の目的地峰の茶屋の前で0になった. 峰の茶屋には期待に反して水はなかった. やむを得ず私たちはバスで千ケ滝近く迄下り, 高級別荘地のど真ん中を流れる小さい沢の, ねこのひたいのような所に, その夜の宿をこしらえあげた.

 

  19  峰の茶屋-車坂峠(1962922)

  今日は連休の第一日とあって, 一番のバスはかなりの混みようで, 途中からの私たちは乗車を拒否された. 車掌が云う<すぐ後ろから来ますから>というバスはなかなか来ない.私はいらだってきた.やっとのことで<ガソリン代を出せばね>という豆腐屋の自動車に乗せてもらって峰の茶屋へ戻る.予定はすっかり狂ってしまった.浅間は相変わらず雲の中だ.登山客はかなりいて,みんな軽装である.私たちはそんな人達に交じってのろのろ歩いた.霧の中の登高は楽しみがない.止まっていると寒いほどだが,歩き出すとすぐに汗が吹き出した.昨夜の寝不足で歩いていても眠気がやって来て,その中に,ここで遭難した国府台高校の故城谷先生が浮かんで消えた. 820, 私たちの周囲から突然霧が消えた.霧が消えたのではなく雲海の上に出たのである.私たちの上には<これが青だ>といわんばかりの秋天と,イワダテの草紅葉の斜面があった.30分歩いて5分休みの行動を何回か繰り返した後, 私たちは浅間の頂上に立った. 富士があり, 秩父があり, 八ツがあり, 南アはその陰だが北岳の三角の頭があった. 中央があり, 北アの長い屏風があった. 四阿山をはじめ, 私たちのコースに並ぶ山々があった. 雲海は雪田のように地上の塵埃を埋め尽くし,神々の座だけがその上に突き出しているのだ. 火山は休息期にあって, 細い煙がいく筋か硫黄の香とともに登っていた. 長い間<あれが浅間だ>と, 常に一つの目安にしていたザック山行は,遂にこの浅間にNo28を打つ刻が来たのである.

  曾て火口壁であったと思われる前掛山の壮絶な壁を見ながら,これを大きく迂回して,正規の道を些か外して外輪山の底に下り, 巨大な火山弾が並ぶ三ツ石で昼食にする. この間テントを干し, 食後些かの昼寝を楽しむ. ここからJバンドへは急激な登りだ. 喘登20分で視界を再び獲得する. 虎の尾・仙人岳へは裸尾根, そこから針葉のまばらな樹林に入る. ツガザクラの間にゴゼンタチバナの実が赤く, シャクナゲの葉の緑が美しいコースが,蛇骨岳から黒斑(クロフ)山へと続く. イワインチンが可憐に咲く黒斑山へNo29を打ち込む. トーミの頭は遠見の頭であろうか. 遠くでざわめきが湧き上がったと思うと, 民放労連という赤旗を立てた230人と称する一団が歌声とともにやって来て,山の静寂は破られた.私たちは早々に下山の途についた.

 浅間の荒涼たる風景は一変して,車坂峠の緑の斜面は牧歌的だ.しかし,火山灰の弱い保水力はこの緑地にさえお水流を与えはしなかった.私たちは更に30分歩いて高峰温泉まで下りテントを張った. テントの入口にはクロツリバナが赤い花を吊り下げていた. 今日の後半, 水分をとることを控えていた苦は報いられた. 120円以下だったら…>と考えていた缶ビールが100円の安さであったからである.

 

  20  車坂峠-地蔵峠(1968/9/23)

  地蔵峠から下ることを昨晩きめたので, 今朝は朝寝を楽しみ,  535分起床. 昨日の下りを33分でとりかえし, 水の塔への登りにかかる. 霧の中ではあるが, シロモノの花が美しく, ロックガーデンと笹原の交錯したここの登りは楽しい. 塔の上で一天にわかに晴れ上がった. 美しい山は何度も見た. しかし, こんな鮮やかな色彩の山は見たことがなかったような気がする. 籠の登のカラフルな配色は絶品であった. <美術クラブにこのコースを推薦しよう>私は独善的につぶやいた.その籠の塔へは30分で到着した. 一等三角点のあるこの山頂は眺望のまた一級であった. 五万図では籠の登山とあるが, この山頂では籠の塔と書かれた標識に, 今回最後のNo30を打ちつけた. 清水さんはスケッチを始めていた. 昼食の場所とした西籠の登の眼下には湯ノ丸スキー場が見えていた. 雲が文字と通り雲霞の如く押し寄せているあたりが鳥居峠であろう. 次回のコースはスキーでやろうと清水さんが云う. 俺はわかんで登ると堤さんが云う.

  今日の日程は楽であったので下りながらのだべりも楽しい. 無名の独標には私たちで名前をつけようと堤さんが提案する. 前回, 彼が目をついた付近の独標には,さしずめメザシノアタマというのはどうか, などと話ははずむ. スキーツアーの七千尺コースを, リンドウの青さを愛でながら下ると, 地蔵峠であった. ここには豊富な水があった.

  全く何もかにもうまくいった今回の山行は最後にシッペガエシを受けた. 連休の信越線は超満員で, 身動きもならぬ窮屈な姿勢での立ちつづめを強いられた. <考える>ことがこの状態での唯一の活動であった. 私は次回の山行を思い浮かべた. そして関東国境縦走の長さを思った. 何故こんな山行を…,汽車は走り続けていた.ドクゼン,ドクゼン,ドクゼン,ドクゼン… 
もっぱら ものから まなぶ石井信也と赤城の仲間たち 
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