KZAK報告(6)   G6  No354  2012426日(木)

 

  16日 三国山周辺(1968/8/25)

  「先生,近頃山へ行く時あまり嬉しそうに見えませんね」と山の会会計の高橋さんが云う.「そうなんだ.何となく億劫でね.それに今回はなんだか不吉な予感がしてね」出発の日の午後,学校でこんな会話がとりかわされた. 

 出発直前,燃料のガソリンを他所へ置き忘れたことに気がつき,急遽,堤さんに電話して,代わりガソリンを用意してもらう.東武電車の中で受け取ったそのガソリンを,私はご念のいったことに,柏駅のベンチに置き忘れた.金町駅で気が付き電話を入れて貰ったが,それはもうなくなっているという返事が来た.

 中央線はすいていた.若い二人は隣の座席の女の子の3人組とトランプを始めたが, 私はとても仲間入りする気になれなかった. 小渕沢で小海線に乗り換え, 信濃川上にて下車. ここでガソリンの買い入れに一苦労する. バスは難なく梓山まで入る. ここから三国峠まで車を雇おうとしたが, タクシーはなく, 村の人達は高原野菜の出荷で多忙を極めていた. しかし, 現金は威力があった. 千円の金額を示すと話に乗って来た車があった. 小型のトラックは峠まで20分で私たちを運んでくれた. ついでに, レタスを4個くれた.

  前回, プレート不足で打てなかった三国峠にNo20を打ちつけて, ここからいよいよ難コースに踏み出した. 春のスキーで清水さんが足を捻挫したため, 今回が,今年初のKZAK山行なのである. 踏み跡を辿ってコルに下り, 次のコブに登る. 次の下りで踏み跡をとり違えて,右の谷側へ突っ込み尾根に出るのに苦労する. 足場の悪さを手でカバーしようと大きな枝をたよりにすると, それがボキンと折れたりした. 立ったまま中部が腐っているのである. 漸くにして尾根筋に戻りそれを下りきると, そこにウイスキーの大瓶2本に水が入れて置いてあった. いつ, だれが, 何のためにそうしたものだろうか. 飲料水と書かれてある. 堤さんはこれを飲み, 私はこれでうがいをした. 清水さんは手をつけようとしなかった.       

 次第にヤブコギがきつくなって来た. こんな時, 清水さんがマップケースを拾い上げた.中にはこの辺一帯の5万図が収められていた.表の消えかかった文字は,徳大…と判読された.次の登りで堤さんが目をついた.ヤブは益々ひどくなり道は少しも捗らない.昼食の間に落ち始めた雨は,次第にその激しさを増していった.次のピークで堤さんは再び同じ目をついた.かなりの痛みらしい.片目のジャックは遠近感覚を失いよろめいていた.寝不足と痛みと疲労で, 彼は休息するとザックによりかかって,横になり目をつむった.私はヒコバエの葉にたまった雨水をすすった.今回の山行では水場がないので,かつぎ上げた7リッターの水は無駄にできないのだ. 独標1738mには明大WVの標識があったが, その半分が失われていて<××ナミの頭>と読めた.風が強く,全身ずぶ濡れの身体に寒さがこたえた.そんな雨の中でも堤さんはうとうと寝ていた.ここにはまた,次のようなプレートがあった.アルミ製である.

 

         長野県境地帯一周踏査隊

 マーク  −1000キロ− 踏査標識

  (略)   1965社会法人 日本山岳信濃支部     

 

  私たちもここにNo21を打ちつけた.

  下りでコースは一層悪化した. 倒木の上に草がはびこり, うかつに足をはこぶとブスリと沈んだ.次の頭がすぐ近くに見えているが,気ばかりせいて足が進まぬ.今日の予定の3分の1も消化しないのに,もう3時を過ぎてしまった.私は,この状態ではこれ以上進むことは無理と断じ,適当なところをみつけて幕営することに決めた.あしたになれば堤さんの目がなおるかもしれない.私たちが露営に選んだ所は,夜になったらゲゲゲの鬼太郎が出そうな風情があった.雨は止んだ.枯れ木を積んで焚き火をしたが,濡れた木はなかなか燃えつかず,石油を全部使ってしまった頃,やっと安定した炎が登った.衣類を乾かし,暖をとると気分が落ち着いてきた.幕営地は5万図幅金峰山の上端のあたりと思われた.   

 

  17  敗退(1968/8/26)

  堤さんの目はよくならなかった. 私は引き返して下山することを決めた.こうなれば水は不要だ.ゴクゴク飲んだ水はさほどうまくはなかった.

 歩き始めて間もなく,ヤブの中にウイスキーの角瓶の箱があった.昨日は私もこれに気がついていた.<もしかすると>と清水さんが云うのを<まさか>と私は鼻にした.<可能性を信じよう>清水さんはそれを拾い上げた.何と! 8分目ほどウイスキーが入っているではないか. 蓋を開けると芳香があたりに漂った.

  私たちはナタメを入れながら帰路を辿った. 再び雨が降り出した. 苦労は往路と大して違わない. 三国山を左手に巻いて車道に出て, 折よく下って来たコンニャク屋の小型トラックを止めて梓山に戻る. 全身が濡れて寒い. 河原で焚き火をしたが乾くより濡れる方が速い. 雨脚は次第に強くなり, とうとうドシャブリになった. 私の勘は不幸にして的中したのだった.
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