KZAK報告(1)   G-1  No349       2012/3/22()

 

  1  湯河原-箱根(1967/4/29)

  千歳川は国道1号線のすぐ近くで, 相模湾に流れ込んでいた. 烏が多数群がっている防波堤の向こう側には, 大きい波が断続的にしぶきをあげていた. 糠雨に初島が煙っていた. ここが私たちの出発点であった. <この会は関東地方の境界線を歩くことを目的とする>この会則の第1条をもう一度口の中でつぶやいてから,私は大きく息を吸った.会員は堤茂雄(22), 清水信生(ハルオ 30), そして私,石井信也(38,当年82)3名である. KUNIZAKAI WO ARUKUKAI の頭文字をとった KZAK のプレートを境界の主な地点に打つことも, 会則の何条かできめていた. ついでに会の呼称もザックとした. 早速, 近くの海光山潮音寺の大きな松の幹にその第一号を打ち込んだ. プレートは堤さんの作成になり, 厚さ2mm, 縦横が55×70mmの方形の鉄板にKZAKの文字とナンバーを彫り, 台は白, 文字は黒の塗料で仕上げたもので, 打ちつけると見栄えがした.

  昭和42429, 午前745, 私たちはスタートした. 号砲も鳴らなければ, 白いラインもない, まして観客もいないひっそりしたスタートであった. 道は千歳川に沿い, 湯河原の町に入る前に東海道新幹線の鉄橋と交叉している. そこを通るとき, 私たちの頭の上を<ひかり号>がすっとんで行った.湯河原の温泉旅館の裏道は, その表通りとは対蹠的にゴミ箱や湯のパイプやはきものなどで, 雑然としていた. そんな間から, 寝たりぬ女の顔がのぞいたりした.

  落合橋で川を左に渡り, すぐ右に折れて坂を登り小川を渡ると, 見落としそう内り口を清水さんが目ざとくみつけてこれに入る. 清水さんの読図力と方向感覚はたいしたものである. 更に道は2分し, 私たちは沢筋の道を選ぶ. 赤地に白文字の<境界見出標>という標識が私たちのコースの確実なことを示している.最初のそれには<東京営林局252>とあった.杉林の中で傘をさしながら食料を少々腹に入れる.やがて,先刻二分した道の一つに合し,それに<林班境52-53 平塚営林署>という標識がった. 雨は小止みなく降り続いている. 暗い林の中に入るとテンナンショウ属の植物が多かった. 林を抜けると霧が流れていて空は幾分明るくなった. 伐採された杉の木の小枝が道を塞いでいて歩きづらい. これを避け, 山腹をトラバースするうちに道を見失ったが, 振り返るとすぐ下のワサビ田の向こうに続いているのが見えた. 道は山腹に沿って, また大きく二本に割れた. 周囲に山は見えず, 地点の確認ができぬまま, 左手に道を選ぶ. いつの間にか沢の水は涸れてしまっていて, 水を汲みに少し戻らなければならなかった. 境界見出標がしばらく現れないところを見ると, 県境からは離れてしまったものらしい. このコースには沢蟹がたくさんいるので, 私はかんづずめの空き缶にこれを集めながら歩いた. からあげにして今夜のビールのつまみにするともりだった. 空が広くなってきた頃, 自動車の排気音が上か聞こえてきた. 登り詰めたところが箱根峠熱海線であった. 真上に新幹線用の送電線が走っている. 雨があがり視界も開け周囲の山脈が見えて来た.        

 境界は明らかであった. 床屋さんが坊主頭にバリカンを走らせたように, 竹原が幅3mほどに切り開かれ, これが緩やかな起伏に沿って続いていた. 車道から離れると缶の中の沢蟹のたてる音が耳についた. 「肝臓ジストマがいるかもしれない」私はこのことを理由に蟹を逃がし,缶を持ち続ける煩わしさから自らを解放した.110,111,112,…と境界見出標の数字に導かれた私たちはNo128の怪しげな場所に至って戸惑った. 境界見出標にたより過ぎたようだ. この境界というのは県境を意味するものではなさそうであった. No129はどう考えても方向違いの地点にあった. 私たちは境界見出標をここで捨てて, 反対側へ道を進むことに決めた. 竹の中の道は次第に細りそして終にはヤブコギが始まった. 左手に大きな池が見え, その下に自動車道が見て来た. 5万図にある野馬ケ池に違いないと私たちは即断した. 道は池の右手を回って自動車道へ降りるかに思われたが, ヤブは益々ひどさを加えた. 先頭の清水さんがうしろ向きになり, キスリングに全体重を預けて押すと, 入り組んだ竹はやっと透き間を作るといったありまさだった. 苦闘の果てやっとヤブから抜けると草地の下は自動車道らしかった.

  ひどい霧だ. その霧の中から上がってきた自動車を止めて尋ねると湯河原から来たという. これは湯河原からの有料道路だったのだ. そうすると私たちの考えていた方向は逆だ. 先刻の池は野馬ケ池ではないことになる. まあよかろう. 私たちは有料道路を歩き出した. トルゲートで詰問されて理由を説明する. 霧が晴れると忽然と建物が現れた.それは鞍掛山のロープウエイの駅であった.建物の中にも霧が流れていた.従業員の話によれば,鞍掛山への登りは悪いという.下りのコースはゴルフ場になってしまったという.例の池はアモリが池とかいうそうな.4時近いので今回は鞍掛を止めにして又自動車道を歩き出した. 自動車はフォッグランプをつけ警笛を鳴らしながら濃霧の中に数珠繋ぎにつながっていた. 私たちはこの「荘厳」な雰囲気の中で, 排気ガスと, 自動車の中の人達の怪訝な視線の洗礼を十二分に受けた. 箱根は歩いて来る山ではもうなくなったようだ. 道は自動車に奪われ, 山はゴルフ場とロープウエイに占領されてしまったのだ.

  箱根峠は外国の景色を思わせた. 私たちだけが異国人であるように思われた. 何と場違いのところに私たちは踏み込んでしまったのだろう. この夜, 芦ノ湖が見える海の平という小高い丘の上で私たちはテントを張った. 霧が下界から私たちを遮断してくれた.

 

  2  箱根-駿河小山(1967/4/30)

  丘を下ると芦ノ湖スカイラインのトルゲートであった. まだ人は起き出していない. 私たちはここにNo2のプレートを打ち, 水筒を満たした. 霧のために芦ノ湖もスカイラインも見えない. ゴルフ場が近いと見えてゴルフボールを3個側溝の中で拾う. この辺り, , アセビの花盛りである. 富士見下で思いがけなく富士が出たが清水さんがカメラを取り出す暇もなくすぐに消えた. 霧が濃いので, 県境が走っている三国山への道を諦めて, 専ら自動車道を歩く. 途中, 水場があった. 日本武尊御東征のみぎり云々の水はうまかった. 某尊や某々法師はよく水場をあてるものらしい. また, , 芦ノ湖の水を田にひくため, 農民の手で掘られたという深良用水なるものがあった. こちらはノンフィクションである. 湖尻峠紅茶を湧かす. 気持ちのよい草原だ. 周囲はすっかり晴れて, モーターボートが湖に白線を引いて行った. 双眼鏡をのぞくと駒ヶ岳のロープウエイがのろのろと移動し, 湖畔にはビーチ・パラソルの花が咲いていた. この地点にNo3を打ち込んだ.

  登りの草原ではウグイスがながい囀りを聞かせてくれた. おそらく, この山のチャンピオンであろう. 小さいコブを二つ, 三つこす. 右手には仙石原が広がっていることだろうがガスで見えぬ. 長尾峠へは近い将来自動車が入りそうだ. 旧長尾峠で私たちはショッキングなものを見つけた. それは立派な

1本のモニュメントであった. そしてこう書かれていた. <関東分水連嶺踏破 No32 昭和41 NEC玉川事業所開所30周年記念>

  関東地方の境を歩くというアイデアは, 私たちだけのものであると思っていたのに! 関東分水連嶺? 名前も私たちのそれよりスマートではないか. オーバーな表現をするならば私たちは落胆のあまり暫くは腰が上がらなかった. 個人が完歩(?)したのではあるまい, という勝手な解釈がせめてもの慰めであった.

  丸岳の尾根は潅木の桜が満開で快適に進んだ. メギの多い所だ. 乙女峠にはかなりの人が登って来ていた. 売店でコーラを1本やって一気に金時山へ. こう景気よく書いたものの, 私は 若い二人に遅れてのろのろと登って行ったのである. 金時山頂の賑わいは大層なものであった. やっと狭い場所をみつけて昼食にあてる. 例の金時娘に話をしてコース案内板にプレートのNo4を打たせてもらった. 彼女は絵本に描かれた金太郎のような男の子を負ぶっていた. 一緒に写真を撮っているハイカーもいた.

  石ころの坂を少し下ると広い道でバイクが私たちを追い越して行った. だらだらした道は足柄峠に達していた. この峠は一見して, 交通の要地であったろうことが理解できた. 新羅三郎笛吹の地という石碑を清水さんは写真にした. 歴史の好きな彼の思いは遠く戦国時代に飛躍していたことだろう. 小高い丘の上が公園になっていて, 足柄城址の説明があった. ミツバツツジが満開だった.

  ここからの下りを, 県境に忠実に歩くことはかなり困難であることはわかっていたので, 峠で教えられた通り, 切り開かれた草地の道を私たちを辿って行った. 日当たりのよい草地にはヘビイチゴ・スミレ・クサボケ・リンドウ等の花がかなりの密度で咲いていた. この道は上ったり下ったりしながら高度を下げて行った. 次回の山はあのあたりかなどと話をしながらチンタラムードで下っていくと, 切り開きは突然左手の杉林の中を沢を目がけて落下していった. どうやら山火事防止の切り開きであるらしい. 20分の時間をロスして道を見いだすと, あとは一気に小山の町へ下った. 電車は出たばかりであった.

  この夜, 常磐線の電車の中では, 世界タイトルマッチの藤のKO勝ちを, トランジスターラジオの中の興奮したアナウンサーが報じていた.
理科実験を楽しむ会
もっぱら ものから まなぶ石井信也と赤城の仲間たち 

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