IRISH HARP by 坂上 真清

 アイリッシュハープと呼ばれているハープがある事は、多分知っている人も多いと思います。アイルランドへ行った事がある人なら、例えば日常使われているコインの図柄とか、ギネスビールのシンボルマークとして覚えているのではないでしょうか。私が以前演奏の仕事でアイルランド大使館に伺った時に、出て来た皿やカップすべてに金色のハープがデザインされていたのにとても感動した覚えがあります。現在ではアイルランドの公式紋章とされているハープは、古代ケルトの時代よりケルト民族にとって特別な楽器であり、象徴的な意味合いを持つと共に魔法の力があると信じられていて、ハーパー達はバードと呼ばれ、大変高い地位におかれていました。但し、最近エンヤなどのヒットでよくケルティックミュージックと言う言葉が使われるようになりましたが、そおれはあくまでもイメージ的なもので大昔のケルト人達がなにか楽譜の様なものを残していてそれを演っている訳ではないので、幻想的=ケルティックというのはレコード会社が作り上げたものだという事を頭の隅に入れて置く必要があります。(現代テクノロジーであるシンセサイザーと自然崇拝者だったケルト人とじゃねぇ・・・)一般にCDなどで聴くことが出来る曲は18世紀以後のものですし、古いとされるハープの曲でもせいぜい17世紀あたりのもので、それ以前の音楽というものはほとんど残されていません。当時の器楽演奏者達は自分のレパートリーを書き留めておくような習慣など無かった様ですし、自分の演奏家としての地位を守るために他人に真似される危険があるようなことをしなかったのは当然の事でしょう。
 古代ケルト人達が現在のアイルランドに行き着いたのは紀元前6〜7世紀頃と言われています。当時すでに彼らの間には、ハープに似た楽器を抱えて歌ったり作曲をしたりするバード達が大勢いたそうです。でもケルト人達にとっては、のちにハープと呼ばれる様になる楽器と何ら変わりのあるものではないのでしょう。8世紀のアイルランドには現在で言うハープが存在していたということが文献で確認されていますが、ハープの歴史はその他のケルト地域にも渡っているのでそれ以前から存在していたとしても少しもおかしくはないと思います。古代ケルト神話にもハープは登場してきますが、中でも有名なケルトの神ダグダ坂上さんはハープの神で、彼が所有していたウィーネと名付けられたハープは戦いの中で彼の命により、敵を殺して自分の所へ戻って来るというような話もあります。しかしケルトから古代アイルランドにかけて繁栄を極めたハープとバード達の時代もその後のキリスト教の伝来や北方からののヴァイキングの侵入そして国内での反目による混乱などが続き、バード達も衰退してゆきその地位を失っていきました。でも10世紀末にヴァイキングを破りアイルランドに強大な権力を誇った王ブライアン・ボルーの時代になると再びハープは復興紙、以後700年に渡ってその伝統は途絶える事は無かったのでした。先述したアイルランドの紋章になっているのは、この王の名からとったブライアンボルー・ハープと呼ばれるもので、アイルランドに現存する最古のハープといわれていてトリニティーカレッジに現在も保管されていますが、これは本人が所有していたものではなく14世紀に復元製造されたものです。しかしその後に始まるイングランドによる絶え間ない侵略行為が、古くからの社会組織や伝統文化に打撃を与え続け、再びハープの伝統も衰退していってしまいます。
 18世紀末で本来のアイリッシュハープの伝統は一度終わりを迎えますが。長いハープの歴史上おそらくもっとも有名なハーパーであるトゥアロウ・オ・カロラン(1670〜1738)もその最後期を生きた人です。彼は盲目で(当時のハーパーには多かった)従者と馬を従えて国中を回り、その土地その土地の貴族や地主達のために歌を作りハープを演奏して生涯を送りました。カロランはむしろ演奏家としてよりも作曲家として優れていた人で、現在までに200曲あまりの作品が残されていて、それらはハーパーのみならずアイリッシュ・ミュージックを演奏するものにとって重要なレパートリーとなっています。生前からすでに彼の名声はアイルランド中に響きわたっていて、ダブリンでも曲集の楽譜が出版されたりしていました。これは当時のイングランドによる政治、文化的弾圧が続いていた中ではまったく異例な事でした。何か盲目のハーパーが旅から旅への人生を送ったなどと言うと結構悲惨な感じがしますが、実は彼はとても陽気な大酒呑みだったそうで、愉快なエピソードも曲に負けず、ずいぶんと残されています。虫の好かない彼のライバルだった他のハーパーに自分の曲をけなされて、そいつの髪をつかんで部屋中引きずり回したとか、ある地主の家へ行った時、ウィスキーのあり場所を嗅ぎとる事に長けていた彼はかってにずけずけとそちらへ歩いていき自分のもののようにウィスキーをがぶ飲みしたとか、ある日妖精のいる丘の上で昼寝をした時、妖精の歌を聞いたので素晴らしい曲が作れる様になった、などなどまだいろいろありますが、こういう本当か嘘かわからないような逸話がたくさん残っているという事自体、いかにカロランが有名人だったかがわかります。もしアイルランドにいく機械があったら、50ポンド札にカロランが描かれているので興味があったら見てください。
 1792年今の北アイルランドの首都であるベルファーストで、失われつつあるハープの伝統に危惧を抱いた人達によって、ハープフェスティバルが開催されました。しかし、呼びかけにより全国から集まってきたハーパーはアイルランドから10人、ウェールズから1人の合計11人だけでした、しかもその中で昔ながらの伝統的なスタイルで演奏したのは、そのときすでに97歳であったアイルランドの伝統的ハーパー、デニス・ヘンプソン(1695〜1807)ただ1人だけだったというのだから、ハープの伝統はまさに風前の灯だったのです。でも彼の、中世のバードから脈々と受け継がれた華麗なテクニックは、若いハーパー達や観客を魅了し喝采をあびたそうで、現在に至るまでその名はアイリッシュハープの歴史上先述したカロランと並んで伝説的な存在となっています。ただ現在の我々には添えrがどういうテクニックだったのかはわかりません。はっきりしているのは弦が今とは違い金属の弦が張られていたこと、ハープを乗っける肩も今とは逆の左肩で、左手のほうで高音を弾き、左右3本ずつの指で長く伸ばした爪を使って演奏した、というような事ですがそれだけでも現在日常聞かれるクラシックハープとは全く趣が違うものだということがわかると思います。
 19世紀になると当時のロマン主義の流れの中でのアイリッシュへの目覚めや興味と相まって、アイリッシュハープへの感心が高まります。しかしそれはまったく間違ったロマン主義的スタイルでおこなわれ、皆当時一般的であったクラシック様の強い張りのガット弦を張った、大きなグランドハープを使用していました。過去のそれまでの伝統は全く失われてしまい、これらのクラシックスタイルの楽器や演奏法、そして歌唱法はアイルランド独特の複雑で華麗な音の装飾や敏速な演奏ぶり、踊りの音楽に必要なノリを失ってしまい、まったくのセミクラシック音楽となってしまったのです。しかし年月の経過と共に音楽の面でも、また楽器の面でも少しずつ改善されていくようになり、特に張りの弱いナイロンやガット弦のハープが作られるようになったのがとても大きな変化で、現在でも多くのハーパー達が使用しています。特にここ20年位の間にケルトの復興をうたって登場したアラン・スティーベルを始め、多くの若くて才能のあるハーパー達が出てきており、クラシック的ではない過去の忘れられた伝統的なスタイルを復活させるべく活動をしていて、第二のアイリッシュハープリバイバル又は第一のケルティックカルチャーリバイバル的な様相を呈しています。

はみ出し情報
2002/12/21発売『灰羽連盟 soundtrack 羽音
パイオニアLDC ※アニメ『灰羽連盟』フジTVにて水曜深夜放映中。
坂上さんがハープで作曲&演奏したケルティック風の1曲が、アニメのサントラに入るそうです。ご本人も満足のゆく出来だそうですので、聴いてみたいですね♪ でも深夜アニメのサントラは一年後には入手困難かもしれないので、お早めに!
坂上真清ソロアルバム『CLARSACHbiosphere recodes
残念ながら現在在庫切れで入手困難かもしれませんが、1999年に発表された1st albumです。各方面で評価も高く、坂上さん独特の繊細な音で奏でる美しいトラディショナル曲の数々。Edward Buntingが収集した曲を中心に、O'Carolanの曲やBrian Boru's Marchといった名曲を聴くことが出来ます。

関連LINK-->>A&K Corporation Welcome to Irish harp
名古屋で青山ハープでのレッスン-->>M.G Company

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