『母の1つの認識』


 ずいぶん前の話ですが、なんとなしに思い出したので書いときます。

 私に対する母の認識は、 『とりあえずオタク』 みたいな微妙な感じでして、私もそれに対して否定をする訳でもなく、かと言って普段の会話にそういった類の話題を持ち出す訳でもなく、まぁ普通に過ごしてる訳ですよ。
 そんな訳で、母はオタクに対して深い知識や認識があるはずもなく、なんとなくかわいい系の絵柄が描いてあれば、即ちそれはオタクのものであると思うらしい。

 そして、とある冬の昼下がりに事は起こるのである。
 バイトから帰ってきた母が、

 「兄ちゃん、はい。 あげる!
  バイト先からもらってきてあげたよ。」


 と差し出したものは、





乙女ロードクッキー





 ・・・!


 母さん、それ、・・・あれなんだよ!
 なんてか、こう、根本的なベクトルが違うから!

 あぁ、もう!
 どんな顔して受けとりゃいいんだよ!
 つか母さん、同僚に何を話してるんだ!?



 みたいな事が頭の中を駆け巡った挙句、


 「あぁ・・・ サンキュ」


 と、とりあえず取り繕った笑顔で一言返す事しかできなかった。
 なんかその後の会話で、 「乙女という文字に引かれた」 とか 「なんか好きそうだったから」 とか 言われた気がする。





 ・・・
 べ、別にこんなの好きなんかじゃないんだから!
 か、勘違いしないでよね!





 なんて事があった、去年の冬の出来事でした。

 そういえば、この時もらったクッキー・・・
 食べてないけどどこいったんだろう?



2007/10/1




『恩師とバッタリ!』


 最近またもや行きだしたサークルへ、今日も今日とて行ってきた、その帰りでの事。
 始発駅ですから電車の出発を待っていると、8人ほどの集団が車内に入ってきました。 飲み会だったようで、それも結構出来上がった状態のようで、皆さん上機嫌。 出発直前にも関わらずドアの前で冗談を飛ばして笑いあってました。
 何やってんだかなぁ とか思いつつも集団を見ていると、見覚えのある方が1名・・・


 中学校時代にお世話になった I先生 に間違いない!


 いやぁ、中学校卒業から8年が経つというのに、変わっておられない若々しい先生の姿にビックリでした。 そして何よりバッタリ再会できたことにも驚きを隠せません。
 しかし、先生は他の先生方と話しておられるのでなかなか声がかけられません。 間違えてて気まずくなるのも嫌だしなぁ・・・
 なんて事を考えつつ、すぐ脇の先生をチラリと見てみると・・・


 同じく中学校でお世話になった K先生 でした!


 中学校の先生の集団、飲み会、そして近くに大学生くらいの若い男の人が1人いる事から、ちょっと時期がずれているが 教育実習の終了の打ち上げ と予想。
 結局真相は聞いてないのでわかりませんが、十中八九 実習関連だとおもう。

 話がそれたので戻りますが、I先生とK先生で間違えないだろう思いつつも、確信がない上に先生方で話をしておられる中で話しかけるのは気まずい・・・
 ここは頃合を見計らって話し掛けるしかない!と思い、待つこと10分。
 他路線との乗継がある駅で I先生,K先生,知らない先生,おそらく実習生の4人以外がみなさん降車。

 よし、チャンス! とばかりに、すぐ脇の席に座られたK先生に、
 「あの、すいません。 K先生ですよね?」
 と、思い切って話し掛けてみたところ、

 「えぇ、そうですよ。」


BINGO!!!


 あとは I先生も巻き込んで、昔話や近況報告をしてました。
 もう偶然の再会に興奮しっぱなしで、自己紹介の順序は滅茶苦茶だわ、会話は支離滅裂だわで自分は少々パニック状態でした。

 しかし、先生方は凄い!
 K先生は全く教わったことがなく、弟が部活でお世話になっただけにも関わらず、ちゃんと覚えていてくださった。 むしろ、私の存在に逸早く気づいておられました。
 会話の中で、「なんか見覚えあったんだよなぁ」 と、おっしゃってたので。 視線も感じたし。
 I先生は顔もしっかり覚えていたようで、私のあまりの変容に、事態を飲み込めていないようでした。
 ただ、部活でお世話になったことや、下の名前を覚えておられたのは、流石というか見事というか、先生ってやっぱり先生なんだな って。



 思えば、中学校時代になりたかった理想の教師像と言えば I先生だったなぁ。
 落ち着いた話し方、一生懸命な活動、思いやりある対人、時に見られる愛嬌・・・
 中学校2年の時に異動になったため3年では教われなかったけれど、部活に勉強に相談に、いろいろなところで1番お世話になった先生。


 もしかしたら、教師を志し始めたのは I先生がきっかけだったかもしれない。



 そんなこんなで教師への憧れの増した、偶然の再会ストーリーでした。
 ただ、I先生の私が中学生だった頃のイメージに 「すごくまじめで」 という件があったのだが、



さすがに今の成りでは真面目に見えませんよね!



 なんか、髪伸ばさなきゃよかったな と、初めて 後悔しました。



2007/10/4




『夢・・・ そして その変遷』



掲示板の書き込みも一種の著作物である。


 という思いから、あまり掲示板からネタを引っ張ってくることはしないようにしてるんですが、今日の朝に赤城氏より書き込みがありまして、その内容が ゲンさん、あんたの夢は なんやねん! って事だったので、それについてお答えしたいと思います。
 流れと言うかトピックとしては、子供の頃の夢とか 今の夢とか 夢と職業とか そんな感じ。 内容の雰囲気は決めてるけど実際の流れは決めてないので、いつも以上に支離滅裂な文章ができあがる可能性が大です。 悪しからず・・・。

 さて、実際の書き込みを掲載させていただいた方が話の飲み込みも早いと思いますので、以下の斜体太字文が赤城氏の実際の書き込みの一部です。



   最近のゲンさんの日記やコメを見てると、教職志望のようだけど
   それは間違えないですかね?

   だから、どうこうって訳じゃないんだけど、
   確か昔は航空エンジニアだったような気がしたもんで

   (以下略)



 この話の背後には、高校時代の後半(3年生あたり)から現在にかけて、「なりたい職業は?」みたいな事を聞かれたときの答えが 航空関連(エンジン)か整備士 であったことがある。
 というのは、幼稚園の頃から飛行機などの空を飛ぶ物に対して強い憧れがあり、それが現在でも基礎となっている事や、大学の専攻が機械工であることも相まって、現実的で具体的な職業を上げると上述のような答えとなっていたのです。

 ここで重要なキーワードとなっているのが 「現実的」 と言う言葉。
 つまり、 「夢」 とは異なり、多少の努力とそれなりの才能があれば実現できる目標なので、「なりたい職業」に対する答えとなっていた訳です。
 もちろん、航空エンジニアだって生半可な努力や才能でなれるような職種ではないし、夢としてもなんら問題はない。 けれども、これは自分にとって夢であって夢じゃないと言うか、本当に目指したい夢じゃない。


 じゃぁ、お前の夢はなんなんだよ!? と聞かれると、それは今も昔も変わらず 宇宙飛行士 である。
 これを夢として抱き始めたのは小学校5年くらいだっただろうか? きっかけは 毛利衛さんの宇宙飛行のテレビ放映。
 あれ? 時系列がおかしくない? と思われた身内の方々。 確かに毛利さんが宇宙飛行したのは自分がまだ幼稚園くらい(いや、小2だったかな?)の頃ですから、小5というのはおかしな話。 数年間のブランクはなんなんだ? という話になります。

 というのも、宇宙飛行士になりたいという事が夢だという認識を、自分がしっかり記憶している範囲が小5あたりからで、それ以前がはたして夢として捉えているかどうか、自分でも自信がないので、小5くらいな訳です。
 実際、毛利さんの映像を見てから 宇宙に行きたい! と言い続けていたし、小学校の文集のプロフィールに夢として「宇宙飛行士」と描いた記憶があるので、小5くらいには確実に 「夢としての宇宙飛行士」 という認識は出来上がっていたと思います。

 ちなみに、幼稚園の夢は パイロット だったと思います。 空を自由に飛びたいと言う願望と飛行機のかっこよさに惹かれたという単純さ。 ホント昔から変わってねぇな。
 さらに、ちょっと こういう職業もいいかな とこれまでに思ったことがある、単純な夢としては 警察官・化学者・医者・研究員・作家 etc ・・・ それぞれにすばらしいところがあるので、そういう事に触れるたび いいな と思ってしまう。


 で、書き込みの中の 教職 についてですが、これも実は 「夢の一つ」 でした。
 教師になりたいと思い始めたのは小6の頃。 そのときの担任の先生がすごく熱心な人で、小5から2年間お世話になっていた事や児童会の推薦とか面談とかをやってくれたので、それまでの自分を変えるきっかけを与えてくれた先生だったと思う。 教師と言う職業に憧れを持ち始めたのもその頃だったし。
 しかし、なぜ 「夢の一つ」 という表現かというと、

   1つに、強い憧れがあるので夢には違いないこと
   1つに、けれども宇宙飛行士という大きな夢があること
   1つに、自分には他人を教えられるほど知識がないこと
   1つに、中学校時代のトラウマがあること

 まぁ上の三つは説明するまでもないと思いますが、最後の一つはちょっと補足しときますと、
 中学校1年生の時の話。 道徳の時間で「あなたの夢は?」みたいな授業があって、宇宙飛行士と書いて出したのです。 そして、後日の道徳での授業中、先生が前回の課題を見ての感想を述べていたのですが・・・

 「みなさんすばらしい夢を書いて出してくれました。 中には、宇宙飛行士という少し現実的じゃないものもありましたが・・・」

 みたいな事を言われまして、クラスがドッと笑ったんですよ。
 まぁ今になって考えてみれば、もしかしたら課題の内容が「なりたい職業は?」だったのかも知れませんし、中学生になったんだからもう少し現実を見た方がいいんじゃないの? って事だったのかもしれませんが、ピュアなあの頃の自分にはかなりのショックで、正直いうと泣きたかったです。
 そんなトラウマがあってから、宇宙飛行士という夢は心の中にしまっておいて、人前で話す時には 夢は教師 となった訳です。
 もう今となっては思い出話ですが、子供心はどこで傷付いてるかわからないので、自分が教師になった時には夢を笑ったりしないように気をつけようを思います。


 さて、大分長くなってしまいましたし、自分の過去の話も大体出揃いましたので、そろそろ結論に持っていきましょうかね。
 ここまで長々と書いてきましたが、じゃ 今はどんな感じに夢を持っているかというと、
 一番の夢は、今も昔も変わらず 宇宙飛行士   二番目といって良いのかわかりませんが、二番目の夢は 教師   そして、人前で答えるなりたい職業が 航空エンジニア
 そんな感じです。


 と言う訳で、赤城氏の書き込みにレスをつけるとすれば、
 教職志望という見方は間違えじゃありません。 まぁ考え方によっては間違えですが、厳密に突き詰めてくと訳わかんなくなってくるので、私は教職志望だと思います。
 最近になって教職がどうのこうのと言っているのは、大学で教職課程を履修し始め 教師を現実の職業として捉えはじめた事、さらには就活の時期が近付いてきたため 教師というものが 夢 ではなく 就職先 として視野に入り始めた事。 それらによると思います。

 昔、航空エンジニアと言っていたのは、既述のような理由からです。 今でも職業としては考えていますが、研究室を流体ではなく伝熱の方にしたので、就職は厳しいかも。
 まぁ、自分でも何になりたいのかはっきりしない部分があるので、自分らしく まったりのんびり考えていこうと思います。


 はい。かなりの長文でしたが、最後までお付き合いありがとうございました。

 えっ?オチ!?
 そんなのつけてる余裕なんてある訳ないでしょ。
 ま、最近、システムエンジニアなんてのにも興味あるんだけどさ。(軽っ



2007/10/6





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