松本 治(まつもと おさむ)
・trombone player
・作、編曲家、
・洗足学園大学講師(ジャズコース)
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1957年2月25日 1957年2月25日
大阪府にて誕生
1969年 大坂万博の建設現場に侵入するなど友達と有意義な日々を過ごしていたが父親の転勤のため鳥取県に生活の場を移す事になる、あまりの環境の変化に家出を決心するが見つかってしまい果たせずに終る。
1971年 吹奏楽部に勧誘されて入部、初めてトロンボーンにふれる。
当時はブラスロックが流行していたのでできればトランペットをやりたかったのだが却下されその反動でフルート購入にはしる。
しかし部活ではトロンボーン演奏を強制され、不承不承したがうことになる。
1972年 高校進学、吹奏楽を続けている・・・その頃はシカゴ全盛の頃でコピーバンドをやり、トロンボーンをふりまわしていた。
同時期キング・クリムゾンがデビュー、コピーしフルートソロに挑戦するが難しくてクラブのフルート奏者にソリストの座をあけわたすことになる、悔しくてトロンボーンに熱中するきっかけとなる、その後音大進学を決意。
1975年 武蔵野音楽大学へ進学、学生自治すら許されない高校以下の環境にあきれる・・・
トロンボーンを関根五郎、クルト・プチケ、坂本辰則の各氏に師事、すぐに仕事中心の生活となったためほとんど学校に行く事はなくなったが、Aオケ・ヨーロッパツアーのみ参加する。
1978年 結婚のため退学、「森敏男とブル−コーツ・オーケストラ」に就職、その後3年間の間に「原信夫とシャープス&フラッツ」「高橋達也と東京ユニオン・オーケストラ」等のBIGBANDを次々と経験していく事になるが「高橋達也と東京ユニオン・オーケストラ」のアメリカ西海岸ツアーを最後にBIGBANDから一時はなれることになる。
1982年 この頃からジャズミュージシャンとしての活動をはじめる、1年半ほどはライブ活動のみ続けるがあまりの収入の少なさにだんだんと疑問を感じるようになっていく、とにかく安いのだ・・・
1984年〜 坂田明セクステットに参加、その後の音楽人生がここで変わっていったのかもしれない。
パーカッション奏者の仙波清彦氏と知り合いになる、氏のグループハニワ・オールスターズにも参加、これを切っ掛けに色々なジャンルのミュージシャンとの交流が始まって行く
。
この間自己のグルプ「ストレス」等でツアーをおこなったりするが音楽的にはいよいよ悩みが増して行く事になる、評価されることにこだわりすぎたのだろう・・・
スイングジャーナル人気投票トロンボーンの部で2位にランキングされたりするのだがそのときはすでにレコーディングやツアー・サポートを主たる仕事として活動する状態であった。その後10年ほどはジャズの業界からは撤退していた。
この間に映画「東京上空いらっしゃい」や演劇「ピノキオ」「ティンゲルタンゲル」「黄昏のボードヴィル」などの作品に音楽を提供している。
1990年 この頃自己のグループでギターリストとして参加してくれていた今堀恒雄氏のグループ「Tipographica」に参加、刺激的な巨人的リズムバンドであった。
1994年 洗足学園にジャズ科(短期大学)が誕生、講師としての人生がはじまる。
山下洋輔氏とは以前からも交流があったのだがこの出来事をきっかけとしてさらに交流が深まる事となる。さらに再びジャズの業界へ復帰。
1999年 芳垣安洋(ds)率いるVINCENT ATMICUSに参加
2000年 富樫雅彦氏の還暦コンサートに出演
2001年 山下洋輔氏のアルバム「フィールドオブグルーブ」のNYレコーディングにコンダクターアレンジャ−・トロンボーン奏者として参加。
2002年 ファースト・アルバム「和風」をリリース、
「VINCENT T」(VINCENT ATMICUSのファーストアルバム)リリース
2003年 横浜Baystarsオフィシャル応援曲ジャズ・ヴァージョンを山下洋輔氏のプロデュースでビッグバンドにアレンジ録音する。
2004年 横浜Baystarsオフィシャル応援曲ジャズ・ヴァージョンCD化、4月に発売開始。「VINCENT
U」(VINCENT ATMICUSのセカンドアルバム)リリース
8月には新しいアルバムのレコーディングを控えている。
2005年 東京オペラシティ(タケミツ・メモリアル)で「ジャズマン忠臣蔵」構成:筒井康隆、音楽:山下洋輔、編曲/指揮:松本治、を初演し絶賛を受ける。(2006年12月に尼崎で再演予定)
7月24日にはセカンドソロ「蒼き空に身悶えて」をリリース
大竹しのぶ「恋心」~思ひは時間を超えて、今も昔も~ コンサート・ツアーにて楽曲及びアレンジを提供。
「VINCENT V」(VINCENT ATMICUSのサードアルバム)リリース
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