ルーン文字 |
北欧神話では主神オーディンが自分を逆さまに吊って考え出したという文字。
そしてウルド、スクルド、ベルダンディーの三人の女神が
この文字を使って世界樹に運命を刻み込んでいるとされる。
実際には古代ゲルマン民族が1世紀ごろから使っていた文字だといわれている。
「ルーン」とは秘密を意味し、魔除けなど呪術的な意味で指輪や墓石などに彫り刻まれた。
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ゾロアスター教 |
ゾロアスターが、イラン北東部で創始した宗教。
火を神聖視することから拝火教とも呼ばれている。
善神アフラマズダと悪神アーリマンとの二元論的な教えはユダヤ教、キリスト教、イスラム教など
さまざまな宗教に影響をあたえた。
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グノーシス主義 |
グノーシスは知を意味するギリシャ語で、
紀元1世紀〜3、4世紀頃まで地中海世界において流布した神秘思想。
世界は邪悪に満ちているので正しい知識を持って魂を開放するべきだと説いた。
原始キリスト教は、このグノーシス主義運動を
最も危険な異端の一つと目された。
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ヘルメス学 |
エジプトの神トトと、ギリシャの神ヘルメスが融合し、
この世の全ての知識を司る偉大なる賢者とみなされ、
ヘルメス・トリスメギストス(3倍偉大なヘルメス)と呼ばれるようになった。
彼は古代のさまざまな思想,宗教,知識を統一し、それは「ヘルメス文書」として
伝えられ、錬金術の基礎を築いたとされる。
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新プラトン主義 |
古代ギリシャの哲学者プラトンは、我々の属する物質世界の上にイデア界をおいた。
プロティノスなどの古代ギリシア末期の哲学者たちが唱えた新プラトン主義は、
この思想をさらに発展させ、イデア界以上の究極の原理を求めたため神秘主義的な
色が濃くなっていった。 グノーシス主義の影響を受けたとされている。
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カバラ |
ヘブライ語で「受け継がれてきた伝承」という意味。
ユダヤの神秘主義は新プラトン主義やグノーシス主義などの影響を受け「カバラ」へと終結した。
教えの1つ「数秘術」は占いなどで有名。
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フィオーレのヨアキム (1135-1202) |
修道士だった彼は幼い頃から備わっていたとされる幻視能力で
独自の歴史神学を構築するようになり山奥にこもって著述活動を行った。
ヨアキムは楽園が天国でなく、地上に到来すると考えため危険思想とみなされた。
彼自身は反教会の思想は持っていなかったが、後の「千年王国思想」に利用されるなどして、
ロジャー・ベーコンにも影響を与えた。
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ルルス術 |
キリスト教の修道士ライムンドゥス・ルルス(1235?-1315)が考案した、
アルファベットと記号を記した円盤を回転させることで
知識など神の属性のあらゆるパターンを結合する術。
占星術的な概念も組み合わせの対象とされるので「魔術」と見なされた。
しかし、ルルスの術によってカバラ神秘主義がキリスト教世界にも影響を与えた。
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ロジャー・ベーコン (1214-1294) |
フランシスコ会の修道士で、キリスト教のみならず
アリストテレスなどの自然哲学などにも造詣が深く「驚異博士」と呼ばれた。
その才能は凄まじく、飛行機、潜水艦、プロペラ推進式船舶、馬なし車、
双眼鏡、永久に消えない灯火、などを構想していたと言われている。
しかし、そのあまりにも時代の先を行った発想は周囲の疑惑をうみ、異端とみなされて投獄される。
その後、ほそぼそと執筆活動をするも、再び投獄され、悲運の生涯を閉じる。
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アルベルトゥス・マグヌス
(1200?〜1280) |
ドイツのスコラ学者、ドミニコ会修道士でトマス・アキィナスの師匠
その博識さゆえ「全科博士」と呼ばれた。
彼はアリストテレス哲学と偽ディオニュシオスを融合させた。
新プラトン主義的な思想も持っており、錬金術の研究もしていたため、
後に魔術師と呼ばれ数々の伝説を残した。
中でも有名なのが「人造人間を作った」という話である。
彼の名が冠されている「大アルベルトゥスの秘法」という魔術書(グリモア)は
17〜8世紀に成立したものであるとされる。
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トマス・アクィナス (1225〜1274) |
中世のスコラ哲学者、神学者で「天使的博士」と呼ばれた彼はアリストテレス哲学とキリスト教思想の統合を目指し、若くして1243年にドミニコ会士となる。その後、アルベルトゥス・マグヌスに師事。
代表作は「神学大全」。魔術師どころか、むしろ聖人として有名。
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ピコ・デラ・ミランドラ (1463年〜1494) |
ユダヤ神秘主義のカバラをキリスト教の神学に応用した自然派魔術師。
アリストテレス主義者だった彼は著書、「哲学的カバラ思想と神学における結論」で
イスラム哲学、ゾロアスター教、新プラトン主義、ピタゴラス学派、ヘルメス文書、カバラなどを論じた。
しかし、この書はすぐに禁書となった。
その後、彼は亡命生活の中でたくさんの著書を残し、ロイヒリンなど後継者をうみだし、
アグリッパなどに影響を与えた。
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コルネリウス・アグリッパ (1486-1535) |
ルネサンス期ドイツの思想家、神学者。後に魔術師として名を馳せる。
ピコ・デラ・ミランドラによってキリスト教に取り込まれたカバラは、
ロイヒリンによって体系化され、このカバラを自然魔術とは区別し、
カバラ魔術として完成させたのがトルテミウスであり、
その思想をまとめあげたのがアグリッパであり、
それが彼の代表著書「オカルト哲学」である。
彼の生涯は壮絶だった。彼は大学でさまざまな学問を学び、その優秀さゆえ神童と呼ばれた。
なかでも彼は新プラトン主義に興味を示し、これがオカルティストとしての彼の原点の1つとなった。
卒業後、1501年に神聖ローマ帝国の宮廷に書記として就職し、仕事で行ったフランスで
知り合った貴族とともにスペインで反乱軍の鎮圧に乗り出すも失敗しフランスに戻る。
帰国後1509年にドール大学で神学博士号を取得して教鞭を取るようになり、哲学やカバラを教えるも、
彼の聖書に対する自由な解釈が教会の怒りを買い追放される。
ロンドンで執筆活動をした後、ケルンへ戻り神学を講義するが、トラブルを引き起こし街を出る。
1511年からロンバルティアへで7年間を過ごすも、仏軍との戦闘に巻き込まれ財産を失う。
1518年には、メッツで弁護士となるが魔女裁判の弁護で勝利したのを恨まれ追放された。
1523年にはフライブルグで医者となり名医として評判を得てる。
1524年、フランソワ1世の母の宮廷医に任命され、リヨンへ向かうが金銭トラブルで逃げ帰る。
その後、カール5世に認められ、歴史の記録係として雇われるが、その時に執筆した
「学問と芸術の不確かさと虚しさについて」がパリ大学当局を怒らせ投獄される。
ケルンへ戻った彼は、そこで聖職者達と衝突しまたもや追放され、
向かったフランスで故皇太后を批判したために再び投獄された。
1535年、グノーブルで49歳でその壮絶な短い生涯を終えた。
アグリッパの伝説の中で一番有名なのは「人間を生き返らせた話」である。
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ジョン・ディ (1527-1541) |
1542年、ケンブリッジ大学に入学した彼は「睡眠4時間、飲食2時間、それ以外は全て勉強」
という生活を送る。ディーは当時、ヘルメス学や占星術と密接な関係をもっていた数学に熱中し
そこから魔術に興味を持った。
1551年、宮廷学者となり、占星術の研究も始めホロスコープを作成した。
1562年、ヨーロッパ大陸のあちこちを旅して周り科学者達と交流する。
1562年、天使召喚の魔術の研究を始める。
もともとディはアグリッパの「オカルト哲学」に感銘を受けていた。
トルテミウスの「暗号記法」に夢中になる。そして「モナド論」を完成させた。
1564年、モナド論の著書「象形文字の単子」を出版する。
1576年、2度目の結婚、魔術研究に熱中する。
1580年、天使召喚の魔術実験を始める。しかし彼には霊媒の才能が欠けていた。
1582年、エドワード・ケリーの協力によって実験が飛躍的に進む。「エノク語」の伝授など有名。
その後も数々の実験をするがディの最大の目的であった、
天使から錬金術の奥義を伝授されることの無いまま
1608年にその生涯を閉じた。
彼はアグリッパに続く、
近代の儀式魔術の基礎を築いた魔術師と呼ばれるようになった。
哲学者のライプニッツは、ディの「モナド論」に影響されたといわれている。
ディはモナドの概念を数学的、占星術的な論理基盤を与えシンボルで表そうとした。
その中でも「十字」マークは重要とされ、後の薔薇十字運動でも、
このシンボルは「賢者の石」の象徴とされた。
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パラケルスス (1493-1541) |
西洋オカルティズム、西洋医学の巨人。
本名はテオフラトゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバトゥス・フォン・ホーエンハイム
1515年、イタリアの大学医学部を卒業後、放浪のたびに出る。
1525年、ザツブルクで農民一揆を煽動したとして逮捕されるも、証拠不十分として釈放される。
同じ年、チュービンゲン大学の医学教授に就任も、金銭トラブルを起こし追放される。
1526年、スイスの大学で教鞭をとるも、古典医学を全否定し、追放され放浪の医者となる。
1529年、ニュールンベルグで奇跡の医者として活躍するも、大富豪と衝突し追放される。
1530年から各地を点々としながら占星術、鉱山病の研究をしたり膨大な著書を書く。
1541年、ザルツブルクにで死去。
「パラケルスス」とは、高名な医者であったケルススをしのぐという意味。
彼は医学的な占星術を信奉しており、また、自然魔術にも強い関心を持っていた。
しかし彼はあくまで医学者であり、そのために錬金術などを学んだとされている。
チンキ剤を発見するなど、医学的な功績も大きい。
タロットカードの「魔術師」は彼がモデルと言われている。
人造人間ホムンクルスをつくったり賢者の石を所持していたりなどの伝説がある。
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フリーメーソン |
18世紀ヨーロッパの石工職人たちが結成した組合を起源にもつとされる。
現在のフリーメーソンと呼ばれている団体は世界平和を説く友愛団体だが、
悪魔を崇拝する秘密結社だとか、裏で世界を操っているとか言われている。
その実体は、秘密結社だけに詳しくはわからない。
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バルフ・デ・スピノザ (1632-1677) |
オランダの哲学者。ラテン名はベネディクトゥス。汎神論の体系を確立した。
思想的に最も大きな影響を受けたのはデカルト。「神学・政治論」を匿名で出版。
最も有名な著書「エティカ」が公刊されたのは彼の没後である。
この世に実在するものは全て神が姿形を変えたものであるとする汎神論を唱えた。
伝記によれば、彼は一生をレンズ磨きをして過ごしたという。
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薔薇十字団 |
1614年にドイツで薔薇十字団に関する小冊子が出版された。
そのユートピア思想が三十年戦争などで疲弊していた人々の間でベストセラーとなった。
その後も、2つの小冊子が発表され、それらは薔薇十字文書と呼ばれた。
しかし、そこに描かれた薔薇十字団とは架空の団体だったのである。
それらを創作したのはチュービンゲンの学者や学生たちだと言われている。
彼らはフィオーレのヨアキムや、パラケルススを信奉していたとされているが、
思想は必ずしも統一されていなかった。そして当時、
薔薇十字団と名乗る団体がいくつもできたが、いずれもオリジナルではないとされた。
そんな中、薔薇十字団の創立者であるクリスチャン・ローゼンクロイツの伝記が発表され、
薔薇十字運動はますます盛り上がりを見せ、100年に渡りヨーロッパ中で活動が見られた。
結局、このクリスチャン・ローゼンクロイツなる人物も架空の人物ということになっているが、
この薔薇十字運動は後に結成される秘密結社「黄金の夜明け」や「O.T.O.」に
多大な影響を与えた。
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メスメリズム |
18世紀、オーストリアの医師フランツ・アントン・メスメルが唱えた「動物磁気理論」に関する思想。
彼は全ての生物は体の中に磁気流体を持っていて、それは惑星運動の影響を受けていると論じた。
この動物磁気説は大評判となり彼は成功するが、1784年に行われた科学的な実験で
彼の理論が全否定され、さらにこの時期、治療中に高名なオカルティストが死亡するという
悪い偶然がかさなり、彼の名声は失墜する。
しかし彼の説は、彼の死後もたくさんのオカルティストたちに支持され、
心霊療法に取り込まれたりして発展していくことになる。
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イマヌエル・カント (1724-1804) |
ドイツの大哲学者。
「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」などの著作から
彼の哲学は批判哲学と呼ばれた。彼は自分の発想を「コペルニクス的転回」と称した。
彼はオカルティストではなかったが、彼の「経験」や「認識」についての哲学的考察は、
後のオカルティストたちにも多大な影響を与えたとされる。
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エリファス・レヴィ (1810-1875) |
西欧近代魔術の象徴的存在。本名はアルフォンス・ルイ・コンスタン
1825年、神学校で「メスメリズム」や「フィオーレのヨアキム」の
信奉者だった校長と出会い、魔術に興味を持ち始める。
1835年、少女に恋をして教会を飛び出す。ショックで信心深い母が自殺する。
後に教師となったが、すぐにやめて数年間の旅に出る。
この時、知り合った社会主義者に影響を受ける。
さらに「メスメリズム」や「スウェーデンボルグ」などにも興味を持つ。
1839年、修道院に入るが1年もたたずにやめ、田舎の学校に勤める。
1841年、社会主義や神秘思想が入り混じった「自由の聖書」なる著作を発表するも、
聖書への侮辱とみなされて投獄される。出獄後、宗教画など描いて生活する。
1844年、家庭教師などしながら「神の母 宗教的人道主義叙事詩」なる著書で教会と決別。
1846年、「飢餓の声」なる著書がきっかけで2度目の獄中生活を過ごす。
同じ年、妊娠していたフィアンセと違う、教え子と結婚。
1853年、魔術師「エリファス・レヴィ」を名乗る。隠秘学などに影響されたとされる。
1856年、「高等魔術の教理と祭儀」を執筆し、アポロニウス召喚の降霊魔術などを行う
1860〜65年にかけて「秘教哲学全集」「大いなる神秘の鍵」「精霊の科学」を発表。
晩年はひっそりと暮らし教会とも和解した。1875年に死去。
彼は実践派ではなかった。その著作も事実内容より、読み物としての面白さが評価された。
いずれにしても「近代魔術の父」と呼ばれる彼の功績はあまりにも大きい。
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エマヌエル・ スウェーデンボルグ (1688〜1772) |
キリスト教の思想家でありスウェーデンの最大の学者。
スウェーデン鉱山局で鉱山学者として働きながら天文学・機械工学・数学・解剖学・生理学など
さまざまの分野で先駆的な研究をする。
50を過ぎてから幻視体験をするようになる。
1745年、ロンドンでキリストを幻視したのを
きっかけに霊界の研究を始めるようになり、霊界に関する膨大な著書を残す。
哲学者カントが彼に興味をしめし、彼の著書を
「それが霊界についてである事を除けば、これ以上理性的な本はない」と述べたのは有名。
83歳で、予告通りの日に死去。
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スーフィズム |
イスラム教の神秘主義。
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H・P・ブラヴァツキー (1831〜1891) |
ロシア生まれの霊媒師。
長い放浪の旅でチベット密教やスーフィズムの影響を受け、神智学協会を創立した人物。
1848年、20歳以上年上の男と結婚したが、家を飛び出して世界放浪の旅に出る。
1873年、渡米。1875年、神智学協会を創立し熱狂的な崇拝者を集めた。
1880年、インドに渡り活躍する。この頃「マハトマ」が人類を善導するという思想が生まれた。
1884年、心霊調査協会にインチキを暴露され失墜も、執筆活動を続ける。
1891年、病気で死去。
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黄金の夜明け |
1887年、ロンドンの牧師A・F・A・ウッドフォードが手に入れた暗号文を、
検死官W・W・ウェスコットと共に説いたことがきっかけとなり、
「英国薔薇十字協会」の会長ウィリアム・R・ウッドマンと、
同じくメンバーのマグレガー・メイザースを誘い、1888年に設立した団体。
その数々の綿密なイニシエーションや、フリーメーソンのそれを土台にしているという位階制や、
おびただしい数の教義は、後の近代魔術結社に多大な影響を与え、
現代の魔術結社のほとんどは「黄金の夜明け」の亜流だと言われても過言でないくらいである。
彼らは主にアストラル界で活動していたなどという、すごい伝説も残っている。
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神智学 |
人間の精神の内に潜む「宇宙の根元」を探求する思想。
人間の肉体はまず「物質体」があり、それに重なるように「エーテル体」があり、
「アストラル体」があり、「メンタル体」があり、「スピリチュアル体」があり、
「モナド体」があり、最後に「宇宙の根元」があるとする。
人類は7種類の段階に分かれるとされ、、
第一人種は「エーテル体」のみで「物質体」は持たなかった。
第二人種は「物質体」を持ち、地球の北に住んでいた。
第三人種は、レムリア大陸に住んでいた。この時期に性別がわかれたとされる。
第四人種は、アトランテス大陸に住んでいた。
第五人種は、現代の人類。
第六人種は、次の人種で、大西洋に現れる大陸に住むとされる。
第七人種は、最後の人類とされた。
全宇宙の過去と未来がすべて記されているという「アカシック・レコード」が存在し、
それにアクセスして知識を得ることが出来る。
また、金星より救世主が来るとされるていた。
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マクレガー・メイザース (1810-1875) |
「黄金の夜明け」の魔術体系を築きあげた重要人物。
1854年ロンドンに生まれ、独学でオカルティズムを学ぶ。
フリーメーソンに入団し、英国薔薇十字協会にも入会した。
1885年、母の死をきっかけに「黄金の夜明け」の設立者ウェスコットの家に居候。
1887年、「ヴェールを脱いだカバラ」を翻訳する。
1888年、「黄金の夜明け」の設立にたずさわる。
1889年、「ソロモンの鍵」を翻訳、編集する。
1890年、哲学者ベルクソンの実妹と結婚。
1891年、パリ滞在中に「秘密の首領」の一人と接触したのをけっかけに団の改革を行う。
徹底した実践主義と実力主義の魔術結社を作り上げて行く。
1897年、創立者ウェスコットの退団をきっかけに「黄金の夜明け」の独裁的な指導者となる。
1900年、クーデターが起こり追放される。心機一転、新たな魔術結社を設立し執筆活動をする。
1903年、「ゲーティア」、「アルマデル奥義書」を翻訳。
1918年、悪性インフルエンザで他界。
メイザースはマルチな才能の持ち主で、軍学、文学にも感心を持ち、ボクシングも強かった。
後世の人々から天才魔術師と言われながらも、反面教師的な存在とも見られている。
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タントラ |
インドの性魔術。
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ユングの心理学 (1810-1875) |
ドイツの精神医、カール・グスタフ・ユング(1875-1961)の心理学。
彼はエディプス・コンプレックスで有名なフロイトの弟子で、後に決別する
ユングは集団的無意識が存在すると主張した。
奇跡のような偶然(シンクロニシティ)を研究したり、
男性の中の女性性(アニマ)女性の中の男性性(アニムス)を研究するなど
ユニークな研究が目立つが、その思想はオカルティズムにも通じるものがあった。
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人智学
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ブラバツキーの死後、ルドルフ・シュタイナー(1861〜1925)が1912年、ほか幹部が
クリシュナムルティを世界教師としたことに反発して神智学を脱退し提唱した思想。
人間をアストラル体、エーテル体、物質体の三層構造とするなどオカルト的な学問として
異端視されているが、現代にも哲学、医学、芸術などの一部に影響を与えている。
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アレイスター・クローリー (1875-1947) |
20世紀最大の魔術師。登山家。詩人。東洋マニア。獣666。
1875年、イギリス生まれ。本名Edward Alexander Crowley。両親はキリスト教原理主義者。
1898年、G・C・ジョーンズと出会い、GDに入団。
1899年、A・ベネットに師事、上級魔術を伝授された。悪魔ブエル召喚。
1900頃、メイザースとロンドン幹部との関係が悪化する中アメリカへ逃避。
メキシコ、セイロンへとわたり、ベネットと再開。ヨガを学ぶ。
1902年、ヒマラヤのK2初登頂を試みるも失敗。
1907年、G・C・ジョーンズと2人で魔術結社AA(銀の星)を設立。「法の書」授かる。
1909年、最初の妻ローズと離婚。機関紙「春秋分点」を発行。
1910年、儀式のことでいろいろあってメイザースと訴訟沙汰も勝訴。調子に乗って評判をおとす。
1912年、OTOのイギリス支部のMMMを設立。性魔術に興味をしめす。
1914年、アメリカへ渡るも第一次世界大戦が勃発。けっきょく5年滞在。
1918年、愛人ロディ・マイナを霊媒としてアマントラに接触。「アレフの書」著書。
1920年、イタリア、シチリア島で「テレマの僧院」の設立。
1923年、弟子の一人が食中毒で倒れ魔術失敗で死なす。これが原因でイタリア追放。
1925年、OTOの三代目の首領に就任。
1928年、ジェラルド・ヨーク、イスラエル・リガルディに出会う。
1929年、フランスにてマリア・テレサ(略と結婚。「魔術−理論と実践」出版
1930年、ハンニ・イェガーというドイツ人の若い女性画家を愛人にし、マリアとは離婚。
1931年、ビリー・ブッシュという愛人をパートナーに性魔術を実践。
1933年、2件の裁判を起こし勝訴、敗訴し、評判をおとす。
1939年、フリーダ・ハリスと「トートのタロット」の作成。「トートの書」の執筆。
1947年、心筋退化及び慢性気管支炎で死去。享年72歳。
あらゆる分野に功績を残しつつも、堕落王などと呼ばれ恐れられた。
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