小ネタ

大村益次郎@その時歴史が動いた



 2002年にNHK「その時歴史が動いた」で取り上げられた、近代日本の軍隊の礎を築いた人なんですが、番組内では言葉として出てこなかったんですが、「軍師」という言葉がぴったりするような人だったんだなあと思いました。軍師といえば中国での諸葛孔明等や、日本では江戸時代以前の人を思い出しますが、この人たちと同列というか、どう違うのかと思うのは僕が「軍師」という言葉をちゃんと理解していないからなのでしょうか?(本来は戦での儀式や占い等を取り仕切る人のことらしいですが)

 近代的な戦法を使っていましたが、第二次長州征伐でも戊辰戦争(彰義隊との戦い)でも予め敗走路を設定しておくなんていうところは、敵を四方から囲んでしまっては「窮鼠猫をかむ」でかえって敵は死に物狂いで向かう事になる、といった中国の孫子等の話に出てきそうな考えですし、双方とも犠牲者を少なく抑え、場を制する事を第一とする考えは正に孫子の「戦わずに敵を屈服することを最善とする」考えに近いものがあります。特に第二次長州征伐の際には幕府軍は4隊がほぼ直線状に陣を敷いてた訳で、敗走路を後続の陣の更に後ろに作っておけば前方の部隊が敗走してくるのを見て後続の戦意を次々と将棋倒しに削ぐことになり効率的に幕府軍を撤退させることができるというのも実によく考えたなあと思いました。

 しかも戦場での大村のいで立ちというのが、浴衣に草履に団扇という、何の防具を付けてないところが実に痛快ですねえ。過去の天才的軍師に一人ぐらいは出てきそうな、いで立ちではないかと思います。よほど自分の戦法に自信があったんでしょうねえ。もっとも団扇というのは軍配という形で武田信玄を初め多くの武将に使われていたし、諸葛孔明も羽根でできた団扇を使っていたという「必携アイテム」だったわけで、この辺も軍師と呼ぶにふさわしいんではないでしょうか?

 そして彰義隊との戦いでの大村も鮮やか。まず高札などで上野で彰義隊を撃つと
予め宣言しておいて相手側に脱落者を出させる(犠牲者を少なく済ませる)というのも軍師としての鮮やかを感じますし、
「1日で終結させる」というまるで関が原の合戦みたいな計画を立てて、
「われわれは正義の軍だから」と夜襲ではなく午前7時頃に火蓋を切り、
勝敗がなかなか決しないので伝令が大村のところに駆けつけて指示を仰ごうとした時に大村は何もせず佇んでいた(居眠りしてた?いずれにしても本当なんでしょうか?)ところとか、
指示を求められて、のそっと懐中時計を見て、
「あ〜、もうこんな時間か〜」と「呟き」、
「大丈夫、戦はもう終わりますよ。」と告げたり、
上野方面から火の手が上がったのを見て
「皆さん、これで始末がつきました。」と鮮やかに「1日で終結させる」計画通りに事を運ばせるところなんかも「天才軍師」を思わせますね、僕には。
もし本を読む機会があったら読んでみたいと思います。

 ところで変換ミスをして気が付いたのですが、敵を殲滅することより場を制する事を戦で優先した大村にとって「バトル」とは「場取る」だったのである!(敗走・・・・・)



         

HOME