97年CD発売によせて(97年3月)

ひっくり返されてた。あらかじめ、おもちゃ箱は。
おもろい人を見るにつけそう思う。まりん!とかナスカ・カーとか
小山田くんとかナスカ・カーとか温泉とかナスカ・カーとか
宇川くんとかナスカ・カーとかガビン!!とかナスカ・カーとかDMBQ!!!とか
ナスカ・カーとかボアとかナスカ・カーとかムーチーとか
ナスカ・カーとかジョンスペとかナスカ・カーとかベックとかナスカ・カーとか
マイクDとかナスカ・カーとかアレック・エンパイヤ!!!!とか
ナスカ・カー!!!!!!!!!!!!とかホントそう思う。
ちらかし放題がベーシック。で、お片付け係も当然いるわけで、
サバビヤ?とかモンド本??とかマーシュなトレンド・ロッカー???とか
ロッカー志望のアパレルファイター????が一生懸命整理整頓してる。
ちらかし派はまだ少数だけどいずれ末端までいく。それが多分4年後。
で、国家が居直る。
「2001年ちらかってても片ずいてても、もうどっちでもいいじゃんの旅」。
その時はじめて私達は過去と未来、ビッグとミニ、ナスカとカーの呪縛から、
解き放たれるのであろう(勘)。
                  山本ムーグ(BUFFALO DAUGHTER) 

ナスカ・カーとは何物か?!(97年4月)

ナスカ・カーとは誰だッ!(新東宝の映画みたいですな)
Since 1994、月日のたつのは大変早いものでして・・・・・・
 結成してから早3年、“スパズマム”結成前の「吉田ヤスシ」にDJの「タトル」と
“グラインド・オーケストラ”加入前の「中屋浩市」の3人で初めたナスカ・カーは、
当初、トランステクノ&温泉ダブヴォーカルの構想であったはずなのだが、
(大阪に実際存在しているのかよくわからん)テクノ・シーンからは黙殺。
ライブでは異様に目立ちすぎるのかどこへ行っても邪魔もの扱いされ、
煮え湯を飲まされる日々が続いていた。
考えてもみれば“グラインド・オーケストラ”とか“スパズマム”よりも結成は
古いのだが、活動歴はまったく無いという奇妙な現象が起きているのは
こうした背景があるからであろう。
 そうこうしている内に、“ボアダムズ”を辞め、“グラインド・オーケストラ”
を本腰いれて活動を開始した「吉川豊人」に誘われ中屋は
“グラインド・オーケストラ”に加入。又、その後吉川は“ナスカ・カー”に加入。
吉田ヤスシは“スパズマム”を本格的に立ち上げ活動を開始。実にややこしい。
こんな事をしているからどれもこれも忙しくなり今の事態に至るのである。
 30才をゆうに越えた頭の悪い絶叫系の男たちに囲まれ、居場所がなくなった
タトルは無断欠勤の末脱退。
ここに黄金のラインナップが完成し。当初の構想はどこへやら、メンバー3人にして
3人が前に出てヴォーカルを取るというスタイルになってしまったのである。
 メンバーは
   中屋浩市(仕込み&監督)現グラインド・オーケストラ
   吉川豊人(唄と演奏)現グラインド・オーケストラのリーダー
   吉田ヤスシ(ヴォーカル、ドラム、ギター)現スパズマムのリーダー(自称)
の3人がフロントマンで
友情出演として“合言葉はトータル上げとけ!”の飲酒爆音PAの「前川典也」が
参加するという体制である。それで記憶して頂いて結構です。 

ナスカ・カーのジャンルは何か?

 3人が前へ出てヴォーカルを取るというスタイルが災いし、“ビースティ”みたい
なものだろうとか、“電気グルーヴ”みたいなものだろうとかいわれるので、
正体不明にますます輪がかかり誰も真剣に受け取ってくれず、冷や飯を喰わされる
日々は合いも変わらず続いた。
 以前に、マーク・スチュアート(電子音をバックに怒鳴る)+スイサイド
(ひたすら怒鳴る)+ノイ!(それをくりかえす)+ビースティ
(それを3人でやる)と書いたが、
誰もそういう意味だとは気付いてはくれなかった。惨めだった。
 ジャンルに分けにくいという音楽性もそれにますます拍車をかける。
1回のライブでトリップ・ホップやファンク、トランス系テクノにドラムンベースに
8ビート物を一度には普通やらないでしょう。でもうちは敢えてやるんだよ!
 ライブでもトランス系で踊っていた人がドラムン・ベースで凍り付いたり、
トリップ・ホップの後に変拍子の曲をやって固まらせるのはざらである。
 あらゆるものを思い付きでミクスチャーにしてどぶろくで割っているというのが
ズバリなのだが、
ジャンル分けがめんどくさい人達は西の電気グルーヴと言ったりもする。
多分、真面目に電気グルーヴが好きな人にそんな事言おうものなら、直ちに粛正
される事は間違いないでしょう。
 敢えて言うならばパブ・テクノというところか。
つぼ八で結成され、練習の後には必ず打ち上げがある我々に正にふさわしい
ジャンルではないでしょうか。
 飲み過ぎの為、中屋は1年で20kg太って、ヤスシにいたっては完全に顔が変わって
クレクレタコラになってしまった。
余談はさておき、プラモデル感覚であれこれくっつけて、ミーハー感覚ですぐ
そのジャンルを取り入れるのが我々の方針である。
言ってみれば駄菓子屋みたいなものですな。おまけも多いし。 

今後の活動とCDについて(97年5月現在)

 ライブ活動年4回のペースはとりやめ、もう少し回数を増やす方向でいきます。
ただ、掛け持ちが多いのでなかなかスケジュールが合わずご迷惑をおかけ
いたしますが、どこでも呼んで下さい。面白かったら何でもいいんです。
ライブを滅多にやらないのはただ単にスケジュールが合わなさ過ぎるからと誰も
誘ってくれないからと言う訳で、活動を停止している訳ではありません。
作品の方はなかなか手堅い内容になりました。
何でも有りの居酒屋みたいなもんです。
今回は、宇宙とカラテ(地獄変)をイメージしましたが、どう聞いても円谷系に
なるのは仕方がないのでしょうか?(しまいに告訴されるのでは・・・)
 今作は、今まで発表した曲をメインにしてレコーディング中に思い付いた曲を
それに5曲ほど加えているものですが、解かりやすさがウチの売り物なので
良く出来ていると思います。
前川典也の、酒を抜いた状態での音へのこだわりも聞きものです。
 本当いえばタイトルは「典也は今」(何かどこかにあったな)にしようと思った
のですが、へたに滑って、ある筋より訴えられても困るので、
現タイトルに変更しました。ちまたに溢れる電波系の人達とは一線を画した
解かりやすいものですが基本的にあんまり考えてません。
タイトルの英訳は吉川が考えました。
とりあえず付録の事のみ考えておりましたので、どういう経緯でこのタイトルに
したかは覚えがありません。
歌詞は一部を除けばひたすら無意味ですがそれは今に始まったことではありません。
たぶんタイトルとは関係がないのでしょう。
 本当の事を言えば3枚組にするくらいのストックは余裕であるのですが、
「それは余りにも無謀な試み」と却下されました。
 次回アルバムはエンドレスな戦いをイメージしたものになります。
タイトルも「ULTRA FIGHT」(仮題)です。(おいおい・・・)
 

という感じでCDは発売された。(97年6月現在)

プレスからのインタビューの申込みも「MARQUEE」、「フールズメイト」、
「プレイヤー」、「オリコン」、「モア・ベター」と軒並み東京発の雑誌ばかりで、
大阪の雑誌といえば、いつ発売になるか皆目見当がつかない「G-スコープ」のみ
である。
 また、レコ評も
「ムーグが表紙のグランドロイヤルマガジンのような感じ」(GROOVE)、
「作り込んでいるが、ちまちまとした計算を感じさせない変形ロック、考えるまでも
なく楽しめるサウンド」(ASAYAN)
「バンドで行われている破天荒な実験をデジタルに置き換えた、掟破りオンリーの
クレージーなサウンドを聞かせる電子過激派。強烈なお笑いのセンスと斬新な音の
アイデアが奇蹟的に噛み合った、ちょっと他にはないオモロイサウンドを
聞かせてくれる」(SPA by 佐々木 敦)
「楽曲としての構成は驚くほどしっかりしていてクォリティも高い。
ただ単に各々が好きなことをやっているバンドではない。」
(プレイヤー by 岡村詩野)
「本当に西の電気グルーヴかと疑ってかかったら、おつりが来るほど大笑い。
アホ・ジャンプのK点越えに命をかけている感あり」(TVブロス)
と言う具合にほとんどが音楽専門誌ではなく、若者カルチャー雑誌中心の高得点評価である。東京なんてまだ一回しか行っていないのに・・・・・・・・。
 前もって東京では各種グッズを某カルト系レコード店「ロス・アプソン」
においていたのだがさっさと完売してしまい、こともあろうに当店の売れ筋商品
として定着してしまったらしい。(まあ安いからしょうがないか)
 東京・大阪で行われたCD発売記念ライブ
(大阪:ファンダンゴ、東京:恵比寿MILK)も信じられないくらいに盛り上がり
(ほとんど強要されたようにアンコールの嵐であった。あの盛り上がり様は
メンバーも、また同行したTAG RAG 前川典也も呆気にとられていた。)、
渋谷のタワーレコードでは平積みで尋常ではない置き方がなされていたり。
東京のHMVから「大阪ではさぞ盛り上がっているんでしょうねえ」などと言われて
TAG RAG 小谷を絶句させている始末である。
 ところがどっこい大阪では片隅にぽつねんと置かれていたり。いいとこ試聴器の前
に置かれている程度で扱いが異様に低いのが印象的である。まるで別の国にきたよう
な感じを受けるのだ。ほとんど、“ここはどこ?私は誰?”状態である。
 テクノ界から抹殺されたなどと書き続けていたらほんとに関西テクノシーンから
抹殺されてしまった。いらんことは言わないほうが身のためである。
動ける限りやり続けるのでよろしく。商品はこまめに出していくので要CHECK!!..。
グラインド・オーケストラ関連の商品も出ている可能性大。 

つー感じで1年たって・・・・

まーそうこうしているとやっぱりいろいろあるわけで、ガンガンといっていた訳だが、
あまりのゴーインかつハイスピードな展開に、まず吉川豊人が
「これではグラインドが進まない」と悩み出し、気が済むまでという期限つきで
97年12月25日より休業。
この時点で結成当時の2人に戻ったわけです。
当然、遅々として続かないスパズマムのレコーディングとのダブルパンチで
吉田ヤスシは弱気になった訳だが、もともと「ライブの窓口」「ボーカル」以外は
全て中屋浩市がやっていたので「まあしょうがない」ということでこれを機会に
柔軟な方向でいくことに決定。
98年1月にはロス・アプソン企画で再度東京へ、スパズマム吉田(Dr)、宇津(G)
キリヒトけん(V&G)のゲストを入れてバンド形態の「東京ナスカ・カー」として
再度みるくでライブ。酒の勢いと正月のめでたさでなんとかカバー、
続いてはダブ・ナルコティックサウンドシステムとの共演、
ビデオ映像も駆使して吉川抜きのライブも大成功。
こういう方向でやることが確定し、吉田ヤスシは大部分をイスに座って必要な時のみ
ボーカルをするというスタイルに落ち着いた。
まあ、楽器が出来る訳ではないのでこれもしょうがないだろう。
音源ではオフマスク00のリミックスを担当。はっきり言ってほぼオリジナルと
いうべき内容で「変態的」とか「チープ極まりない」と評価を受ける。
(同シングルについてはレコ評が少ないのでこれ位の評価しか確認できませんでした)
いまさらみんながやるようなことや同じ様なことやってもしょうがないだろう。
常に金を払うお客様の立場にたった上で考えればこうなってくるのだよ。
はっきりと宣言しておこう、ナスカ・カーはサービス業である。
そうじゃなきゃあんなにTシャツプレゼントだの、シールを全員に配布だの、
ど派手なチラシだの金のかかることはやらないよ。だが、男だったらやるんだよ!!!!
まあ、そんな姿勢や、空飛ぶ円盤研究や、テレビの見すぎというポジションに
興味を示してくれたトランソニックレコーズの永田一直氏
(セカンドアルバムの推薦文は彼の手になるものに確定している)の依頼により
『衝撃のUFO』のリミックス盤に参加。
それに連動して5月8日3度目の東京はトランソニッックのレーベルイベントで
リキッドルームへ、又翌日はバッファロードーターのサポート&接待係として
名古屋のクラブクアトロへいくことになっている。

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