Sunset orange, Rainy blue

2.

 それから、リルの手を引いてひと通り広場を回った。時計塔の建設過程をつぶさに解説したパネルや、街の子どもたちが描いた塔のスケッチの展示など、私にとってはこれといって目を引くものはなかったが、リルが一つ一つに興味を示したので、殊更に時間をかけた。
 屋台で簡単に昼食を済ませたあとは、大学が主催する講演に耳を傾けつつ、リルが理解できるように噛み砕いて解説してみたりもした。近くに寄ろうものなら間違いなく巻き込まれるので、勿論、遠巻きに眺める格好にはなったのだが。
 どうしたわけか、リルが吸い寄せられるように広場の中心に立つ時計塔をぼんやり見上げていることが何度かあった。そのうち時計塔の方にばかり気をとられ、行き交う人とぶつかりそうになったり、なんの前触れもなくふらりと足を止めることが増えてきたため、私は閉口した。
「リル、ちゃんと前を向いて歩きなさい。人が大勢いる場所で余所見をしたら危ないだろう」
 そう声をかけると、ふいにリルがじっと私の顔を見上げてきた。
 何か伝えたいことがあるのだろうか、と思い、視線を合わせたまましばらく待ってみたものの、リルは何を言うでもなく、ふにゃりと顔を綻ばせるばかりだった。大層ご機嫌なのはよくわかったが、その理由はいまいち測りかねる。
 この小さな人形が何を感じ、何を考えているのか。最近は捉えきれぬことも増えてきた。そうしたときにふと、この硝子玉の瞳の奥には本当に一つの魂が宿っているかのような錯覚に襲われることがある。


 土産物の出店が並ぶ賑やかな通りに差し掛かる頃には、リルの興味はすっかり並べられた珍しい品物たちに移っていた。
 そういえば、と私はふと、リルの前髪についたピンに目を留めた。
 リルの前髪はそのまま下ろすと目にかかってしまう長さなので、いつも何かしらの髪留めをつけさせている。非合理このうえないこの状況は、あの助手の採寸ミスにより生じたものであるのだが、どうも最近はそれがわざとだったのではないかと思えてくる。
 何せ彼女ときたら、五日と置かず新しい髪飾りを持ってきては、楽しそうにあれやこれやと付け替えているのだ。リルが今身に着けている小さな花飾りの付いたピンも、彼女が与えたものだった。
 そのリルは先ほどから、店先に並ぶきらきらと光る装飾品の類いに興味を示している。このところ性格と呼べるものもはっきりしてきたし、何かしらの嗜好が育っているのだろう。その確認も兼ねて、リルに買い物をさせてみるのも面白いかもしれない。
「リル」
 ちょうどリボンの並べられた屋台に目を奪われているリルに声をかける。
「一つだけ好きなものを買ってあげよう」
 リルは一瞬きょとんとした表情を見せたあと、ぱっと顔を輝かせた。
「いいの?」
「ああ。一つだけだから、よく考えて選びなさい」
そこからは私が先導するのをやめ、リルが興味を示す方へついていく形をとった。
 なんというか、これが想像以上に骨が折れた。リルは一つの店をじっくり眺めていたかと思えば、予想もしない方向へ歩き出しては、不規則に足を止める。品物を手に取ったかと思えば、じっと考え込んだ末に元に戻すことも数知れず。
 そうこうするうちにすっかり日は傾き、気づけば広場のはずれまで辿りついていた。
 歩き疲れなどまるで縁のないリルに、ぐいぐいと引っ張っていかれた先は、華やかな屋台の連なりからぽつんと離れた、地面に敷物を敷いただけの素朴なたたずまいの店だった。
 店主の男は殊更に客引きをするでもなく、並べた品物の真ん中に腰を下ろし、のんびりと真鍮の針金を編み上げている。手元に差した影でようやく客に気づいたらしく、おや、と顔を上げた。
「これはこれは、ルフ博士にお立ち寄り頂けるなんて、光栄です。君は……そうだ、リルちゃんだったね。こんにちは」
「こんにちは、はじめまして」
 愛想よく挨拶をし、ぺこりと頭を下げるリルは、今日一日だけで随分と他人慣れしたように見える。
 リルは店の前にしゃがみ込み、敷物の上に並べられた品物を一つ一つ眺め始めた。並べられているのは髪飾りやブローチといった装飾品や小物類が主で、そのほとんどが針金だけで作られた素朴なデザインだった。普段リルが身に着けている、つまりは助手が買い与えたものと比べ華やかさには欠ける。
 これまで足を止めて悩んでいた店が軒並み色鮮やかできらびやかなものばかりだったのを思い出しながら、おそらくここではリルの琴線に触れるものはないだろうと予想した。
「これ、時計の針?」
「そう。おじちゃんはあの時計塔が建った頃からの大ファンでね」
 リルが手に取ったのは、細い針金を複雑に組み合わせて編まれた、時計の針を模したヘアピンだった。
 リルはそれを、興味深そうにさまざまな角度から眺めたり、遠くの時計塔と並べて見比べたりしている。
 その様子をぼんやりと眺めているうちに、ふっと瞼が下がってきた。おやおや、と店主が笑う。
「お疲れですね、博士」
「こう人の多いのは苦手なんだ」
「でも、最近は外からのお客はめっきり減りましたよ。今の季節なら、あそこの花壇なんか満開になったものなのに、こう寒くてはね」
 等間隔に設けられたレンガ造りの花壇には、ぽつぽつとまばらに開いた花が、どこか寂しげに揺れる。
「何年かすれば氷樹ひょうじゅの枝で溢れかえるかもしれないな」
「……笑えないですよ、博士」
 投げやりに言った言葉に、店主は力なく笑った。
 氷樹。遠い海の底から突如として生まれ、地上を覆いつつある、青く透き通った樹状の氷。街の中にこそほとんど見られないが、街を囲う外壁にはびっしりと氷の枝葉が蔓延っている。このところの季節外れの寒さの主因がそれだった。
 実際、そう遠くないうちに街の中にも氷樹が及ぶだろう。海から陸へと至った、その驚異的な浸食速度に鑑みれば、想像に難くない。
「時計塔が建ったとき、年甲斐もなくワクワクしたんですよ。久しぶりに街が活気づくって」
「あの頃は、よもや海が凍るなどとは思いもしなかったからな」
「それでも、あの塔はこの街の希望なんです」
 男は編みかけの針金細工を私に示し、柔和な笑みを浮かべた。時計塔の尖塔を模した、小さなメモスタンドらしい。
「私にはこんなことしかできませんが、少しでもこのラトポリカを盛り立てられたらって。生まれ育った街が寂れてしまうのは、やっぱり悲しいですから」
「ルー」
 ふいに、リルがひょこりと立ち上がった。
「私、これがいい」
 ちょうど沈み始めた夕日の光がリルの真後ろから差し、眩しさにひととき目を細める。
 その光と同じ橙色の硝子玉の瞳をきらきらと輝かせて笑うリルの前髪には、いつの間にやら、あの時計の針が留まっていた。

  *  *  *

「わぁ、リルちゃん新しいヘアピン、可愛いねー」
 翌日。いつものようにリルを連れて研究室へ赴くと、助手がいの一番にリルの変化に気づいて寄ってきた。
「昨日のお祭りで買ってもらったの」
「ってことは博士が選んだんですか? へぇ意外。こういう微妙な女子の好みを博士が理解してるなんて」
「私じゃないぞ。リルが自分で決めたんだ」
 前日の疲れが抜けきらない私は、最低限の返答だけを放り投げ、自分の席に腰を下ろす。
「ああ道理で……って、じゃあリルちゃん、初めてのお買いものだったんだね」
「そうだ、リル。そのことなんだが」
 机の上に時計塔型のメモスタンド――昨日の店主に、リルのヘアピンのおまけにと渡された――を置き、私はリルを近くに呼び寄せた。
「君がなぜあの店でそのピンを選んだのか、詳しく聞いておきたい」
 休日の貴重な時間を割いて、あれだけの人混みを歩き回ったのだ。何かしらリルの変化を表す手掛かりが得られればと、私は意気込んでいた。
 手近な丸椅子にちょこんと腰かけたリルは、迷いなく口を開いた。
「ジョシュさんが、あの時計塔はルーが作ったんだって教えてくれたの」
「……それで?」
「うん」
 続きを促したはずが、何故か曇りのない笑顔で頷かれてしまい、私は低く唸った。
「全然答えになってないぞ、リル。そもそもあれは私が造ったのではなく設計したというのが正しいが、それはともかくだ。私が時計塔の設計をしたということがなぜ、君がそのピンを選択した理由になる?」
「ここ、時計の形になってる」
「ああ、それは見ればわかる。リル。私が聞いているのは、君がそのピンのどういった意匠に惹かれて……あー、どの辺りが可愛いとか綺麗だとか興味深いとかそういうことを思って、ほかに数多ある同種のものから選びとったのかということだ。私が時計塔の設計をしたという事実はなんら答えになっていないだろう」
 いくら言葉を連ねても、リルは首をかしげるばかりだった。
 つい語調が荒くなってしまったためか、途中から叱られているような気になったらしい。終いにはしょんぼりと俯いてしまった。
 どうしたものかと頭を抱えていると、頭上から笑い声が降る。
「簡単なことですよ、博士」
 なだめるようにリルの髪を梳きながら、助手は語った。
「リルちゃんは博士が好きなんです。リルちゃんは博士が好き、博士があの時計塔のデザインをした、だからリルちゃんはあの時計塔のデザインされたそのピンが好きだと思って選んだ。ほら、証明できたでしょう?」
 助手の説明に次第に表情を明るくしたリルは、こくこくと力強く頷いている。三段論法としては多分に不完全だが、どうやらそれが正解であるらしい。
「しかし、好き、といってもな。あれか……刷り込みのようなものか?」
 普段何かと私の後をついてくるリルの姿を思い起こす。
 雛鳥が初めて目にした動体を親と思うように、リルが一番最初に視認した他者である私に、なんらかの特別な認識を抱いたというのだろうか。
「違いますよー。RiL‐23がそんな単純な思考回路をしていないことは、博士ご自身がよくご存じでしょう」
「しかし、どういったことがきっかけで私に好意的な感情を抱いたのか、それがわからない」
「博士、それ本気で言ってます?」
 なぜだか助手は、今にも吹き出しそうに口元を押さえている。
「いいんですよ、わからなくたって。そんなの、リルちゃん本人しか知らないことなんですから」
 ちらりと視線を向けると、何を思ったのか、リルは嬉しそうに小さな手をこちらへ伸ばしてきた。
 その手をとりながら、ふと、名伏しがたい衝動がよぎり、私はリルの茜色の瞳をじっと覗き込んだ。
 ――あるいは此処に、本当に一つの魂が、命が宿っているのだとしたら。
 らしくないな、と小さく首を振る私を、いとけない人形は不思議そうに見上げていた。
  
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