フローリアと箱庭のうた

 公国領の南端、根曲がりの人参のような形をした半島の先っぽに、シュドメールという港町がある。海の向こうの異国から、あるいは大陸から、たくさんの人が訪れてはまた去っていく。入り組んだ海岸線に沿って無秩序に寄せ集めたような町並みは、いつだってどこか騒がしい。
 一年を通して気候は温暖で、生まれてこの方、雪というものを目にしたことがない。どんな季節に訪れても、深い青色をした空と海、そこかしこに咲く、ふわりと芳しい色鮮やかな花たちが迎えてくれる。
 そのシュドメールの片隅で、わたしは生まれた。
 かつてその美しい風景をこよなく愛し、この町へ住み着いた流れ者のパパは、だからわたしに"フローリア"という名前をつけた。海の向こうの異国の言葉で"花が咲く"という意味があるのだという。

 ママは"魔女"だった。
 かつて町じゅうの男たちを、そしてパパをとりこにした、透き通るような琥珀色の瞳と、次々と不思議なものを創りだすその指先から、"魔女"と呼ばれたわたしの自慢のママ。
 シュドメールいちと謳われたその美貌こそ受け継がなかったけれど、小さなわたしにもちゃんと"魔法"が使えた。
 町角に咲く花、通りを行き交うひとびと、ママのお手製の指輪やポーチ、お気に入りの古びた雑貨。それらのささやく"物語"が、わたしには聞こえてきた。
 たとえば、月明かりの優しいまち、星空を臨むふたりだけの秘密の丘、空から舞い降りた小さな天使。遠く東の果ての国では、はかなく美しい薄紅の花が散る。――ここではない何処かの"物語"。
 そっと耳を澄ませ、かれらのうたう風景を思い描く。それだけでわたしは、何処へだって飛んで行けた。ここではない何処かの、わたしではない誰かの物語が、手に取れそうなほど鮮やかに流れ込んできた。
 パパは冒険家で、世界一すてきな歌うたいだった。
 だから小さなわたしは、たくさんの歌をパパに教えてもらった。はるか昔にうたわれた愛のうた、どこかの町のわらべうた、海の向こうの知らない言葉のうたも。
 小さなわたしは、パパのように広い世界へ冒険に出かけることはできなかったけれど、シュドメールの町じゅうに"物語"は溢れていた。めまぐるしく表情を変える海や、うつろいゆく季節の花、訪れては去っていく見慣れぬひとびと。
 大きくなったら、わたしの"物語"を歌にして、世界中のひとびとに聞いてもらうのが夢だった。


 そんな日々も、今は遠い昔話。
 “魔女”と呼ばれた美しいママも、わたしに歌を教えてくれたパパも、もう居ない。
 十四になったわたしは、いつしか"魔法"が使えなくなった。
 たったひとり、何処へも行けないわたしには、住み慣れたシュドメールの町はひどく狭くなった。
 昨日の続きの今日を、変わり映えのない一日を重ねながら、時おりふと魔が差したように、海の向こうの広い世界を望んでみたりする。


フローリアと箱庭のうた


 港町シュドメールの朝は早い。朝日も顔を出さぬうちから、市場にはたくさんの人が集まってくる。
 けれど、わたしの朝はいつだってのんびりだ。起きる時間は、部屋にひとつだけある小さくな窓から差し込む光に任せている。曇りの日やとびきり寒い冬の朝なんかは、少しだけゆっくりしてしまう。
 その日は朝から気持ちの良い快晴で、窓から覗く空は、秋らしい澄んだ青色をしていた。
 眠い目をこすりながら一階のキッチンへ降りて、薄切りのチーズをのせたバゲットと、少し濃いめの紅茶を一杯。それから、漸く"お店"を開ける準備にとりかかる。
 住居も兼ねているうちの雑貨屋は、繁華街からゆるやかに続く、つづら折り状になった坂道の一角にある。そのまま道なりにくねくねと昇っていけば、辺り一帯を一望できる丘に出られる。シュドメールを訪れる旅人たちは、絶景と評されるその景色を目当てに、この長い坂道を登っていく。帰りがけに、あるいは休憩がてらに立ちよってくれる彼らが、うちの主要なお客さんだ。
 かつて”魔女”と呼ばれたママが開いた小さな雑貨屋。一年前の冬にママが死んで、今はわたしのお店。
 ママの頃と違って、開店時間は気まぐれだ。観光目当ての旅人たちが坂を登ってくるのはもう少し日が高くなってからだし、さしせまって生活に必要なものを扱っているわけでもないので、町の人々が訪れることはそんなに多くない。
 お店のドアを開けると、ハーブと雑多な花の香りの混ざり合った匂いがふわりと鼻腔をくすぐる。裏庭で育てた花や、町はずれの野や森で摘んだ花が、そこかしこに吊るしてあるのだ。乾いたら、木のつるに編み込んでリースを作ったり、香りのよいものはポプリにしたりする。
 薄暗い店内には、まだ昨日の気配がぼんやりと残っている。カーテンを開け、外へと続く扉を開け放てば、まぶしい日差しとつめたい潮風が一気に舞い込んできた。
 わたしは、すっかり朝らしくなったお店の床を箒で掃き清め、かたく絞った布巾で商品の並べられた棚やテーブルをひとつひとつ拭いていった。
 一通りの作業を終えると、カウンター代わりの小さな机の下から、お店の名前の刻まれた掛け看板を取り出した。外へ出てこの看板を吊るせば、いつでもお客さんを迎えられる。もっとも、いつもの通り、お昼頃までは閑古鳥で暇を持て余すのだろうけれど。
 掛け看板を手に、まだ人通りもまばらな通りへと出る。そのまま看板を軒先にぶら下げようとしたわたしは、ふと、伸ばしかけた手を止めた。
 ポロン、と。楽器の音色が風に運ばれてきたからだ。
 キタラの音だ、とすぐに分かった。
 坂の中腹にあたるうちのお店の前は少し開けた空間になっていて、道脇に並ぶ花壇をベンチ代わりに、丘へ登る人々がしばし足を休めて行くことがある。
 その花壇に浅く腰かけ、飴色のキタラを抱く一人の男のひとが居た。
 キタラ、あるいは遠い国のことばでツィタラとも呼ばれるそれは、丸っこい胴と細長い柄に、太さの異なる何本かの弦を渡した楽器だ。
 傍らには、使い古された様のナップサック。潮風になびく深い黄金色の髪と、浅く焼けた肌。歳の頃は、わたしよりいくらか上だろうか。
 彼はキタラの弦をひとつずつ爪弾き、響く音色にそっと耳を寄せている。音合わせの途中なのだろう。
 ――海の向こう、遠い南国からやってきた歌うたい。頑なな想い人の心を開かせるために、世界にたったひとつの"うた"を探し旅をしている。
 ふと、そんな"物語"がわたしの中に流れ込んできた。
 小さな頃はこうやって、通りを行き交う見慣れぬひとびとに色々な"物語"を与えたものだった。このごろはすっかり忘れ去っていた感覚だ。どうして今そんなことを考えたのだろう、と不思議に思うくらいに。
 ふわ、とひときわ強い潮風が髪をなぶっていく。それで、わたしは漸く外へ出た目的を思い出した。きゅっとつま先立ちをして、看板を軒先へ吊るす。
 異国の刺繍のほどこされた外套、精悍な横顔、潮風にゆるく弄ばれる短い髪。慣れた手つきで構えたキタラと、その向こうに覗く、シュドメールの明るく澄んだ海。まるで、子どもの頃に好きだった冒険譚の挿絵のよう。物語の生まれそうな光景だ。ひどく久しぶりに"あの感覚"が蘇ったのも、きっとその所為なのだろう、と思う。
 奏でられる音色は、きっと美しいものに違いない。
 そんなことを考えながら、わたしはお店の中へ戻った。机の下から、編みかけのカゴを引っ張り出す。これを仕上げながら、今日の最初のお客さんを待つことにしよう。あの歌うたいの奏でる音に耳を澄ませながら。
 やがて――風に乗って流れ込んだのは、なんとも調子っぱずれな音だった。
 曲にのせられた歌声こそ伸びやかな良い声であるのだけど、奏でられるキタラの音の出来は、はっきりいって、酷い。調和のとれていない音の重なり、がたがたのリズム。随所でぷつりとつっかえては、また何事もなかったかのように演奏が始まる。
 わたしは、軽くため息をついた。
 期待するんじゃなかった、などと胸中にぼやきながら、作業にとりかかろうとしたわたしだったけれど――どうしたわけか、怒りにも似た苛立ちがむくむくと身体の中をせり上がってきた。
 きっと、下手くそながらもそれが、わたしの知っている"あの曲"だと分かったせい。
 意を決したわたしは、編みかけのカゴを机の上に放りだすと、ふたたびお店の外へ飛び出した。



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