バンド履歴

バンド履歴でっす〜
バンド数だけは多いですが、腕は追いついてまっせ〜んヽ(;▽;)ノ

ぱじゃまバンド
基本的に高校にはテニスをするために行ってましたが、たまたまバイトで知り合った大学生に
「ぱじゃまバンド」に誘われ、一発ライブ決行。
コピーではサマータイムブルース、あとは全部オリジナル(ノリのいいロック)
バンド名の由来はVoが入院してる時にバンドを作ったから(らしい)
このドラマーは現在カブキロック○のスーパードラマーになっていたのだ!(最近知る(爆))


イントローズ
電線メーカーに就職。よく遊んでた仲間とたまたま楽器屋に行ってなにげにKbを弾いたら
バンドやることに決定。Gt以外全員初心者。Bsはこの時Bsを衝動買い。
スタジオ2時間取ってもイントロしか完成できず…。この時「イントローズ」誕生。
スタジオ代もバカみたいなのでたまたま家にあったドラム練習セット使って家で練習。
ちなみにBsの弾き方は私が教えてたのでホントにイントロまでしか仕上がりませんですた。



ビーメックス
 
会社でイントローズやってるって噂を聞いたバンドマンがちょうどKbを探してました。
Vo(Gt)は東北大、Bsは東大、Drは京大というおりこうさんバンドになんで私が紛れている
のか謎謎でした。
なんといってもVoが凄かった。(BOSTONを普通に歌ってた)やった曲はREOスピードワゴン
のコピー等。この頃YAMAHA-DX7を購入。毎日2時頃まで耳コピしてカセットデッキ1台
壊しますた。
曲が固まってきた所で会社の組合を使ってライブを企画する(一応ダンスパーティーと
名打ったが、バンドお披露会)80人ぐらい集まったので結婚式場で初ライブ。(全部会社
負担)バンド名は電線の名前から取って「ビーメックス(BX)」
Voが曲作らない?と言ってきたのでみんなで家に集まって曲作り(BGM用)。それを結婚
式場が10万円で買ってくれたので、みんなでうなぎ「八幡屋」で宴会。特別にうなぎの
「上」1つ、「並」3つ頼んでじゃんけん大会した(負けました)が、箱を開けてみると「上」も
「並」も同じなのねん。みんなで「な〜んだぁ〜」と言ってましたが。…しかし、食べていくうちに
じゃんけんに勝ったVoが「ウナギが下にもいる!」と言った一言でみんな「え゛ー!」と大騒ぎ。
ウナギがサンドイッチになってるって事をこの時全員初めて知りました。
とりあえず余ったお金で音源を購入。その後Drがアメリカに転勤になって自然消滅…。
イントローズもビーメックスが盛りあがってるうちに何時の間にか…。



バンド休憩
   
バンドが無くなったので会社のテニス部に入って朝から晩まで丸焦げになってテニスしてますた。
その後ゴルフに目覚め、オープン戦などに出たりしてハイスコア98が出た所で辞めますた。
そして平○へ転勤、退職。


ロリポップ・合同バンド
  
再び働き出して、なんとなくメン募の広告を見て「ロリポップ」に加入。
オールディーズや社交ダンスのバックバンド(お金を貰っていた)をやっていた。
シーケンサーとDrのリズムが噛み合わなくても踊っていた貴婦人達…お元気ですか?
Gtは中学校の先生でブルース好きの熱い男で、子供が3人もいるのでGtの練習はおトイレに
こもってやってたらしい…!月イチで大磯の「すとれんじふるうつ」というジャズバーみたいな所で
演奏してますた。
Drのいっしっしに誘われて「ZYX」というバンドで高中正義などやったり横浜のライブで
Zeez Brainzと出会い、その後その一部のメンバーとGFN(ギャフン)結成したり。
短い期間で色々遊ばせてもらいました。
その後、千葉に家を建てることになり、千葉で活動するバンドを探し、メン募で運命のバンド
「Loudest Ever Heard」に出会う。


LOUDEST EVER HEARD
「Loudest Ever Heard」(=以降ラウエバ)ってバンドの練習CDRを貰った時の衝撃は今でも
覚えています。VoのRoyちゃんの歌う「BURN」の、何て凄いこと!歌い始めを聞いた時いても
たってもいられず鍵盤に向かいました。弾きまくりました。もー運命の出会いでした。
このVoと一緒にやりたい一心で2週間後に8曲合わせるという荒業をこなし、ネットの募集
だったので、千葉駅で落ち合う時は合言葉を言い合う約束をしました。「ラウエバ!」と
向こうが言ったら私が「はー!」と言うのです。DrのコージーとBsのおさちんと会って、
合言葉を言い合いました(アホだ!(爆))
Voはホントに凄かったけど、Voのアレンジはあまり気に入りませんでした(ヤバ)。しかも
絶対的地位の人だったので文句を言っても聞いてもらえませんでした。(ヤバ)
引っ越すまで2ヶ月ぐらい平○から千葉まで2時間かけて電車で通ってましたが、
みんないい人だったし、迫力あるバンドだったから全く苦になりませんでした。
引越しする時お別れ会でロリポップ、Zeez Brainz、ラウエバで平○「RAIN」でライブ決行。
この時のヘルプのDrがこれまたスーパードラマーのMr.Emett氏(後にMTM社長)。
苦しくても絶対笑顔を絶やさない男。叩きながら「へーい♪」とか「あ゛〜!」とか叫んでいた(爆)
ラウエバでは3回程ライブし、その後Voがアメリカに移住し解散。


ゴレンジャ
最強のバンドと思ってたラウエバがあっさり無くなって腑抜けになってた時 ラウエバBsのおさ
ちんが一緒にやんない?と声かけてきた。
僧侶も一緒でショルキーバンドならやるって事で、Drにアフロを加え、ネットでsinちゃんを
捕獲し、「ゴレンジャ」結成。
ゴレンジャGtがイラストに専念するって事で脱退(後にライブハウスZXの看板デザインをする)。
2代目Gtに「おーじ」加入。その後みんな色々目覚め、HR&歌謡曲合体型の路線に変更。
これが自分的に爆発的ヒット。衣装もどんどんエスカレート。そしてこれがバンド史上最高の
面白バンドとなる。(2006.9月に諸事情で引退)

ZX
ゴレンジャは当初普通にコピーやアレンジしたのをやって余裕があったのでそれと平行して半年後
「ZX」(最近はオリジナル志向気味)に加入。DrとGtが親子。
Voのasちゃんのハイトーンはこれまた衝撃だった。これもVoで加入を決めた。
コピーだけでは飽きる事を何となく知り、オリジナル路線へ変更。
詩が浮かぶ時と全く浮かばない時があり、いつもメモ帳を持ち歩き、思いついたら書き留めてました。
よしさんがライブハウス作ってくれたから後半の練習はライブハウスでライブみたいに練習して、
みんなに(スタッフにも)お弁当作っていったりしてなんか楽しかったなぁ。(笑)

yoshiokai一発BAND
2004.12月にZXセッション企画冬の陣で作った一発バンド。
セッションでCOZYに誘われて歌いに来たVoのyoshioka君が、どうしてもバンドを作ってみたい
との事で、じゃぁ誰とやりたいか指名しなさいと言うと、「おーじさんかクラシカルな長髪の方
(Kachiさんの事だった(笑))」って事でギターが決まり。その他のメンバーもみるみる決まった。
yoshioka君はセッションに一回しか来なかったけど(汗)元気でやってるでしょーかヽ(;▽;)ノ

リッチーズ
ライブハウスZXのオープンも一つのきっかけに、バンドZX活動停止。
そんな中、ZXのasちゃんからお声がかかり、「ザ・リッチーズ」にkbで参加。
絶対弾けないだろ!って曲を与えられ(笑)、私は絶対試されてると思ったヽ(;▽;)ノ
(ただ立地ーがやりたいだけだった(爆))
毎回メンバーチェンジがあるドキドキバンド(笑)クビになりたくないじぇ!!ヽ(;▽;)ノ
(しかしそのキャラはどんどん強面になっていく…ヽ(;▽;)ノ)
ドラマーはなんと、カブキロック○のドラマーのお兄ちゃん♪(谷中兄弟とバンドをやってしまった〜!)

TKC
リッチーズがやったりやらなかったりなので、立地ーの所属するオリジナルHRバンド
「TKC」 にゆる〜くでいいならって事で加入。Bsがリーダー。
しかし。やっぱりバンドっていうのはそんなもんでは済まないような空気が
漂ってくるものですヽ(;▽;)ノヒェ〜
kbとしての力量が試されてるような、こわこわヒヤヒヤなプレッシャーを感じまっするよ(笑)
スタジオはゆるいけど。
みんなナニゲに努力して臨んで来てるっていうのが物凄く伝わりまっする。
オリジナルの楽しさがわかってきたバンド!

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