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   ブルガリアン・ポリフォニー


 基本的に合唱が好きだ。

 私はそもそもストリングスオーケストラなどの同族楽器の合奏が好きで、その中でも声の合奏、つまり合唱はとりわけ好きだ。
 もちろん純粋に同族である無伴奏が最も望ましいが、薄くオルガンやオーケストラが伴奏しているくらいのものでも、まあいい。

 同族での合奏には独特の抽象性が生まれる。
 同じ種類の楽器同士では、強い音色の対照を作り出すことが不可能なので、表現領域は極めて限定されざるをえない。とくにそれが声ともなれば、音域や運動性までも極端に限定されてしまう。
 エフェクティヴな要素に全く頼ることのできないそのような条件で表現しようとするならば、純粋に音楽的な内容を高めるほかないことは明らかだろう。
 さらに合奏することで音色に個的な部分は失われ、最大公約数的な音色となっていく。特に西欧の合唱は女声がファルセットなので、その傾向をより強くする。
 以上を総合すると、音楽上での直接性の要素が限りなく排除されているのが理解できるだろう。
 そのようにしてある抽象性に結果として行きつくことになる。

 同族での合奏の不利な点を多く挙げてきたが、優れた点も挙げなくてはならないだろう。
 それはハーモニーの容易さだ。
 異種混合の合奏では絶対に生み出すことができないような充実した響き、美しい響きを比較的容易に得ることができる。特に2度などの狭い音程の響きの美しさは特筆すべきだろう。
 それらはハーモニーに対してのフェティシズムを持った作曲家、聴衆には極めて魅力的だ。
 例えば私がそうだ。


 ブルガリアン・ポリフォニーと呼ばれる、ブルガリアの民族音楽は、女声のみのしか
も地声のみによる無伴奏合唱だ。
 女声のみ、地声のみということで、またさらに音域や音色という要素が限定される。

 地声の特殊な発声。一聴して誰もが圧倒されるに違いないだろう。
 多くの人間のそれまでの聴体験からみて、明らかに異質な音色に違いない。

 しかしその一聴した時のその音色の印象のみが、その後の聴取を支配しつづける訳ではない。

 民族音楽という言葉から、どうしてもプリミティヴな音楽を連想してしまいそうだが、この音楽は全くそのような印象を聴者にあたえない。
 それもそのはずで、特にハーモニーには積極的に西欧の影響を取り込んでいる。
 その西欧の影響は、ブルガリア音楽に特徴的な要素(固有の音階や2度音程を積極的に使用する和声感)と、高度にバランスされ、きわめて現代的な印象も与える。
 複雑な拍節は固有の法則性にのっとっているものの、西欧の拍節とも微妙な関係を保っている。西欧の音楽に慣れきった耳には、聴取は単純ではないが、拍節を感得できないわけではない、という微妙さ。

 これらの西欧との複雑な折衷から生まれた高度の音楽性、抽象性は、分かりやすく力強い音色と相俟って、より強い聴体験を作りあげていく。


 西欧の音楽があまりに深甚な影響を全世界に与えている中で、このような民族音楽の存在は、民族音楽の先行きにおいて、示唆する点も多いのではないか?

 しかしどちらにせよ、西欧との距離のとりかた、は簡単ではない





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