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   ビル・エヴァンス


 ビル・エヴァンスを好きな人というのは、基本的にスコット・ラファロがベースの時代が好きなようだ。
 それは主に批評家がそのいわゆるリヴァーサイド四部作に対して非常に高い評価を与えていることや、「ワルツ・フォー・デビー」のような代表作が存在していることにも起因していると思われるが、それだけではないだろう。
 やはりこの時代は演奏に安定感があるのだろうと思う。
 そして彼の音楽には演奏の安定感が重要なのだと思う。

 もちろん私にしてもリヴァーサイド四部作は好きだ。
 基本的にこの時代の彼の作品には端正さが感じられる。


 あくまで基本的には、なのだが、彼にはキース・ジャレットなどと違って過剰な演奏が似合わない。

 割とコンセプションのしっかりとした作品、つまりリヴァーサイド四部作や、チャック・イスラエルズ時代の「ムーンビームス」、エディ・ゴメスの時代の「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング」、ジム・ホールとのデュオによる「アンダーカレント」などはビル・エヴァンスの最も良い部分、つまりリリシズムやその独特の孤独感のある音色などが際立っている。

 そういえばマイルスと残した唯一のアルバムである「カインド・オブ・ブルー」もコンセプションが高い作品であり、ジャズ史上でも最高の部類に属する作品だ。



「カインド・オブ・ブルー」を美しい例外として、彼の作品は常に箱庭的な、密室の音楽、ということができるかもしれない。

 彼はサイドマン達の選定に常に苦労していた。
 そして気に入ったメンバーが見つかると極端に長くそのメンバーとプレイした。
 彼のジャズは衝突を好まない。

 似た色彩の糸を丁寧に織り合わせていくようにして、彼は音楽を紡ぐ。
 取り上げる曲も非常に限定されていた。幾つかのスタンダードと自分の演奏のための自分の曲、それらを晩年までしつこくやり続けた。



 彼にとって、音楽とは非常に様式的なものなのだったのではないだろうか?
 密室の中で、似たタイプのやりなれたメンバーと、いつもの同じ曲を、箱庭のようにしてやり続ける。そこから生み出される濃密なインタープレイ・・・。
 微細な差異が彼らの喜びだった。


 これらはマイルス・デイヴィスのような衝突を好むミュージシャンとは、およそ対照的なことがわかる。

 だからこそ「カインド・オブ・ブルー」は特別なのかもしれない。
 あのアルバムにおける彼の居心地の悪さ、オープンスペースに自分の箱庭を持ってきてしまったような居心地の悪い感じは、ジャズ史上でも例がない、独特な音楽を生み出す結果になった。
 あのアルバムは事故みたいなものなのかもしれない。

 以降、彼は自分のグループに戻り、箱庭を作ることに執心した。



 彼の演奏は、常に端正で様式を踏み越えない範囲で冷たく燃える必要があったのだ。
 安定感を欠き荒い演奏になったり、端正さを踏み外しホットになったり、タイプの違う演奏家と個性を衝突させたりしたときには、箱庭から音楽が飛び出てしまい、結果として非常に中途半端なジャズになった。
 そういったもので優れたジャズは他にいくらでもある。
 彼でなくてはならない何かには程遠いものだ。

 様式を常に守り、箱庭にこもり、その精度を徹底的に高める姿勢、それが行き着いた所に、初めて彼の最高の何かが生み出された。
 またそこで初めて、彼の演奏、タッチ、楽曲、インタープレイ、それらに必然性が与えられた。
 これはジャズという音楽の性質を考えると珍しい例かもしれない。
 ある意味でそれはジャズの本質と離れているからだ。



 このような活動が決して幸福なものではないのは想像に容易い。
 箱庭にこもり続けることの不健康さが、彼を蝕んだろう。
 彼の音楽の持っている独特の悲しみ、暗さ、冷たさ、閉塞感は、このように自分を閉じなくてはならなかった者の必然だったのかもしれない。


 広がりのないジャズ。だが、だからこそ極端に異質で美しい箱庭の中のジャズ。

 それは彼の中で完結されてしまい、技術的な意味を除いては、後継者を生むことはありえなかった。





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