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   モーツァルト


 私の印象で言うと、モーツァルトというのはクラシックファンという感じの人ではない人に人気が高い。
 ゴリゴリのクラシックファンには人気がそれほどないのだ。

 なぜだろう?と考えてみたことがある。


 まずクラシックファンではない人がモーツァルトを好む理由。
 自分の経験でも思うのだが、クラシックにあまり触れていない人がクラシックに対して拒否感を持ちやすいのが、まずその威圧感とクサみだ。
 例えば短調の和音の強打なんかで曲が始まろうものなら、クラシックに縁遠い人はそれだけでなにかうっとおしく、クサい感じを持ってしまう。
 ある意味でその代表格がベートヴェンやブラームスかもしれない。私もクラシックを知らなかった頃、ベートヴェンは嫌いだった。
 そこへ行くとモーツァルトはまず短調の曲が少なく、明るく爽やかで威圧感がない。それに知っていて口ずさめるような旋律も多い。


 ではゴリゴリのクラシックファンがモーツァルトをあまり好まない理由。
 彼らは逆に音楽が深刻さを増すと価値が高いように思う節がある。そういう素人が敬遠するような音楽を聴いている自分に、やや特権的なものを感じていたりする。
 私が昔職場で、あるクラシックファンの人と話した内容で、忘れないことがある。
 大学時代にオケを多少かじったという彼が、「モーツァルトは好きではない」と言ったので、何故だ?と訊ねると、彼は「僕は説教臭いのが好きなんですよ。モーツァルトは軽くて安全無害な何もない音楽に聴こえる。最低ジュピター辺りがギリギリ許せるライン。やっぱベートヴェンとかブラームスでしょう。なんか説教臭くて背筋がのびるような、精神的に高まるような感じがするじゃないですか?」と答えた。
 私は、早々にその場を立ち去ったものだ。



 モーツァルトにはあまりに多くの形容句が付着してしまっていて、少々私は辟易としている。
 その形容句の始まりであり終わりであるのが「天才」という言葉だろう。
 特にほとんどモーツァルトの音楽を理解していない人間ほど、簡単に彼を「天才」という非常に安易な言葉で修飾したがる。
 彼が天才的な作曲家であったことはおそらく間違いないだろう。が、私としては彼が優れていると思われる部分を、もう少し具体的に挙げてみたい。


 まず彼は、最も少ない音と操作で最大の音楽的効果を得る術を非常によく知っていた、ということだ。
 それは具体的に言えば、内在する拍節周期や小節周期に対する対位法ということになるかもしれない。
 彼は内在する拍に対してほんのわずかにアクセントをずらしたり、内在する小節周期に対して合致しないフレージングをすることで、非常に万人向けの外貌をまとった音楽に、非常に繊細な深みを与えることに成功している。

 こういう操作にかけて、彼の右に出る人間はいない。
 例えばベートーヴェンやブラームスが行う上記のような操作はもっと恣意性に満ちている。こういう操作をやっているぞ、面白いだろう、という感じが聴者にすぐに伝わるタイプのものだ。音もより多く動員され、激しいアクセントでそれらは強調される。

 モーツァルトのは全く違う。彼の操作はもっと水面下で行われる。表層に見えるものは一見人畜無害なものだし、何より音が少ない。
 逆に言えばそれだけの音の少なさで音楽的な高さを実現できるのも、上記のような技術と不可分なのは言うまでもない。


 もうひとつ彼の音楽の優れている部分を挙げるとすれば、その即興性だろう。
 彼の音楽を論理的に分析することはある意味で無意味だ。
 彼の最も優れた楽曲では、魅惑的な旋律が次々ととめどなく出現しては消えていく。
 もし彼がもう少し計画的に論理を以って作曲していたならば、このように一見無関係に見えるような旋律が次々と並べられることはありえないだろう。ベートーヴェンの音楽がそうなように。
 (ベートーヴェンの音楽では、常にその出現した楽想に対する論理的正当性が確保されている。どんなに遠い楽想でも、だ。逆に言えばだからこそベートーヴェンは遠い関係にある楽想を並置することができたのだが)
 本来これだけ多くの旋律を出現させてしまうと、音楽的な端正さや統一性は大きく失われる。ましてやソナタ形式では・・・。

 しかし彼はギリギリのバランス感覚でそれを破綻させずに聴かせてしまうことができる。
 それはある意味で名人危うきに遊ぶの極致だろう。
 彼は自分が、止まらず一気呵成に作曲するならば、本能的にそれらをバランスさせ、統一した一つの曲として聴かせることができることをよく分かっていたのだ。
 よく言われる彼の作曲の早さは、彼の作曲の質と密接な関係を持っているように私には思える。
 あれだけの作曲の早さがなければ、あの音楽は作れない。
 (余談だが、似た作曲家にR・シュトラウスがいるだろう)


 以上のことから、私が思うのはモーツァルトというのは人が考えているよりもひょっとしたらずっと難解で繊細だ、ということだ。
 しかし彼は自分の曲に、狡猾にも分かりやすい外貌を与えていた。それは彼の人間性によるものかもしれない。
 音楽を専門家だけのものに貶めるような、無粋なことは彼は考えなかった。

 彼のように全ての音楽理解レヴェルの人間に対しても訴える可能性のある作曲家はいるだろうか?
 私には全く他に思いつかない。


 モーツァルトの音楽を楽しめない、それはなんともったいないことだろう。
 だってここには本当の音楽の神秘が詰まっているのに。





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