「邦楽ジャーナル」1994年5月号掲載

[特集]世界の中の邦楽

大阪市大邦楽くらぶの米演奏旅行

倉 橋 義 雄

■現状打破!のはずが・・・

 夢が浮世か浮世が夢か、醒めて悔しき、ああニューヨーク・・・・いやはやニューヨークという町は、私たちに醒めてほしくない夢を見せてくれます。今なお夢の余韻に惑わされ、当分は仕事になりません。何度か訪れた私ですらこの有様ですから、初めてあの摩天楼の森をさまよった学生たちはいかばかりか。
 いったんつぶれた大阪市立大学邦楽クラブを私が再建したのが7年前、まだ歴史浅く、部員の数は増えてもレベルは下の下、規律はゼロで練習なんか休み放題、クラブらしいのはコンパだけ、いったい何するクラブや? そこで思いついたのがアメリカ演奏旅行という大冒険。キャツラには無理なことは百も承知、だが現状打破にはこれっきゃない。
 さっそく提案してみたところ、学生さんたち目を回してビビるかと思いきや、「うわーい、ニューヨーク、ルンルン」とパックツアー気分のはしゃぎよう。何だか変だなァと困惑しながらも、私は老骨に鞭打って準備作業を開始しました。幸いニューヨークのセルディン氏、ボストンのダンカベッチ氏から全面協力の約束が得られ、大学の後援や同窓会の補助金も頂戴できて順風満帆。
 ところが、やがて、やっぱり、恐れていた通りになりました。学生たちが練習しないのです。いつも半数以上が欠席して練習にならず、もうめちゃくちゃ。出発1ヵ月前でもまだこの有り様。仏の倉橋といわれ、誠実清潔温厚無比のこの私が、とうとう正義の怒り爆発、
 「何考えとるんじゃーオドリャー!」。
 さぞかし学生たち震え上がったろうと思いきや、まるで何事もなかったようにキョトンとしているしたたかさ。かく言う私も、女子学生から甘い声でセンセーと呼ばれたらたちまち怒り消え失せる情け無さ。もうあかん、こんなん30点や、どうしよう。

■ニューヨークの奇跡

 かくして、1994年3月15日、総勢30名の旅行団は曇天の大阪空港を出発、エンジンが落ちないかとビクビクしながらノースウェストに乗って、ニューヨークは凍結事故で有名なラガーディア空港に着きました。
 第1回公演はニューヨーク郊外クイーンズ・カレッジにて。開幕前はハラハラドキドキ緊張の極み、因果応報ざまあみろ。
 美麗な音楽堂は観客でいっぱい。来賓席にはケニー学長や総領事館の大久保主席領事、国際交流基金の偉いさんも坐っている。えらいこっちゃ、こんな晴れがましい演奏会になるなんて、どないするねん、しゃあないやんけ・・やるっきゃない、と度胸きめて演奏始めたら、ああ奇跡か、舞台から素晴らしい音楽が聞こえてくるではありませんか。嵐のような拍手、ブラボーの声、涙止まらぬ4回生、30点どころか、学生たちは150点くらいの演奏をしてしまいました。
 やられたー、またしてもニューヨークにしてやられたー、と私は思いました。5年前、関西学生邦楽連盟の練習せん学生20名引率して来た時も、コロンビア大学で同じような奇跡が起こりました。
 ニューヨークの奇跡、世界でも超一流の観客たちの魔術、アブラカダブラ、テレパシーで演奏者に催眠術をかけるのです。それにしても、演奏者の練習不足まで補ってしまうとは・・・・催眠術にかけられた学生たちもさすが。私の如きいやらし中年男がとっくに失ってしまった豊かな感性の勝利。

■邦楽って面白い

 ボストン郊外ハーバード大学での第2回公演はさんざん。練習不足モロに露呈。客の反応が無い! めちゃシビア! でも皆な一所懸命観客と対話しようとして、いい顔していた。日本では見せたことがないような顔。
 再びニューヨークに戻ってソーホーはテンリ・ギャラリーでの第3回公演。大成功。観客との見事な対話。いい演奏すればいい反応があると、当たり前のことを初めて実感して、「ああ面白かった」「邦楽って面白いもの何やなァ」・・・・そう思ってもらって私も嬉し涙。
 それにしても、どうして我が日本国では邦楽が面白くないのでしょうか。

(了)