1995年12月15日「無住庵通信」No.1 掲載

[映画を見て]

大江山酒天童子
(1960・大映京都・田中徳三監督)

倉 橋 義 雄

 川雷蔵フェスティバルで見た久しぶりの大映時代劇。映画の内容はともかくとして、懐かしい顔が次から次から出てきたので、嬉しくて仕方なかった。
 ず大江山の酒天童子が長谷川一夫。さすがに貫禄はあるし気品もある。それでいて、たまらない色香が漂ってくるのだから、やはり長谷川一夫という人はただならぬ大スターだなと思った。とくにラストシーン、頬かぶりして馬で立ち去る場面、そのまま絵になるような美しさで、その場面を見ただけでもこの映画を見た値打ちがあった。
 天童子のライバル源頼光が市川雷蔵。いまのスターにはない様式美をちゃんと身につけているけれど、長谷川一夫と比べると、少しばかり性格を感じさせる写真的なスター。だから現代劇にも違和感なく出演できたのだろう。しかし、凛々しい人である。
 死にするということは、あるいは幸福なのかもしれない。この映画では美剣士ぶりを発揮していたにもかかわらず、その後不本意に齢を重ねてしまったのが、渡辺綱を演じた勝新太郎。私の大好きなスターである。のちに美剣士ぶりをかなぐり捨てて、「悪名」とか「座頭市物語」で個性を出したのに、晩年はかわいそうだった。しかし長谷川一夫は長生きして、しかも死ぬまで色香漂う大スターだったから、やはり本人の心がけということか。
 田金時が本郷功二郎。この人はあまり強そうな人ではない。だから金太郎さん役というのは完全なるミス・キャストなのだが、そんなことはどうでもいいのが往時の日本の時代劇。美しい人は必ず心正しくて強い。
 しの貴婦人にぴったりの山本富士子。私はこの人のことを美しいと思ったことがないのに、それなのに、日本映画の代表的美人スターは誰かと問われれば、迷わず「山本富士子だ」と答えてしまう。なぜだろう。
 村玉緒。この人もまた美しいとは思わないけれど、勝新と結婚する前の玉緒さんは、みずみずしくてういういしくて可憐で、しかも芯の強さを感じさせて、私の大好きな女優の一人だった。
 ろしい茨木童子を演じたのが左幸子。左幸子と言えば、「飢餓海峡」や「にっぽん昆虫記」が圧倒的に印象的だけれど、茨木童子みたいなつまらない役をやらせても、やっぱり凄いと思ってしまう。彼女はどこにでもいそうな人なのに、ときどきキラリと光るような美しさを見せる。庶民的な親しみを感じさせながら、決して本心を見せない。つまり何かありそうな人なのである。だから左幸子にとって茨木童子というのは、つまらない役だけれど、正に打ってつけのはまり役だと思った。童子が渡辺綱の伯母に化けて訪れてくる場面は、この映画の中でも極めつけの名場面。鬼気迫る無気味さがあり、しかも芸術的な気品もあった。
 まらない役といえば、いやらしい悪関白藤原道長役の小沢栄太郎、清廉潔白大和守役の先代中村雁治郎、盗賊袴垂役の田崎潤などなど、どうでもいいような役に名優がぞろぞろ出てくるので、私としては胸ワクワク、本当に嬉しかった。しかしこのような人たちは他にちゃんと自分の実力を発揮する場を持っているから、片手間のバイト気分で出演していたのだろう。名優にしては何となく影が薄かった。その点、いつもつまらない映画のつまらない役にしか出演しない人たちは、やっぱりギラギラ輝いていた。例えば盗賊袴垂の手下の役の上田吉二郎。この映画でもまた、ちょっとしか出ないのだから、そこまでがんばらなくてもいいのにと同情してしまうくらい、がんばっていた。主役を食ってやるぞという反骨精神が物凄かったのかもしれない。
 対に実にひょうひょうと演じていながら、それでいて忘れられない印象を残したのが、気持ち悪い土蜘蛛役を演じた沢村宗之助。それにしても、この沢村宗之助という人が演じる役といったら、どれもこれも、箸にも棒にもかからないつまらない役ばかり。それなのにいまだに名前を覚えているくらいだから、きっと実は凄い演技力の持ち主なのに違いない。この人の弟が伊藤雄之助で、これは有名な性格俳優。黒澤明の名作「生きる」に出たかと思えば「少年探偵団」で怪人二十面相を演じ、「眠狂四郎」に出たかと思えば文芸大作「橋のない川」にも出ているという猛烈に個性的な怪俳優。その人の兄だから、本当はこれまた個性的な人なのだろうけれど、沢村宗之助という人は映画の中ではひかえめで、あたかも「ひまつぶしに映画に出ています」と見える人だった。実際は決して気楽だったわけではないと思うが、映画を見ている限り、そうとしか思えない。これは、つまり、与えられた役柄があまり気に入っていなかったということだろうか。気に入らないけれど、仕方がないから、まあ適当に演じておきましょう。適当なギャラをもらえば、それでよし。主役になりたいとも思わないし、主役を食ってやろうという気もない。まあまあ適当に適当に・・・
 たちだって、与えられた仕事というのは、実は気に入らない仕事である場合が多い。だから、「自分の実力が正しく評価されていない」とか思って、欲求不満になりやすい。でも、どんなに実力があっても正当に評価されることは稀だし、どんなに努力しても必ずしも報いられるわけでない。それが世の中。いちいち欲求不満になっていたら、身がもたない。だから、まあ適当に。不必要にがんばりもせず、さりとて落ち込みもせず、何事も遊び心で楽しめば、私たちだって沢村宗之助になれる。銘記すべきは、そのようにしていても、光る人は光る、ということだ。

(終)