「邦楽ジャーナル」2008年3月号掲載

[特集] 長澤勝俊氏を偲ぶ

青春時代を蘇らせる響き

倉橋義雄(尺八演奏家)

 激しく盛り上がった学生闘争が急速に収束し、政治の季節の終焉とともに虚脱感を味わっていた1970年、私は初めて「現代邦楽」というものに出会いました。と言っても、そのとき私は現代邦楽の流れの中では「後進地」だった大阪の大学生でしたから、みずから演奏するわけではなく、すでに輝くような演奏活動を展開していた東京や京都の同年輩の若者たちを眩しく眺め、「よく理解できないけれど、何か凄いことが始まっている」という感想を持つだけでした。
 そんな私が衝撃を受けたのは、ある大学の学生たちが演奏した「子供の為の組曲」の第一楽章を耳にしたときでした。時間が止まったと言うか、未知の世界を垣間見たと言うか、身体が浮き上ったような戦慄を感じたのです。
 あるいはもっと単純なことだったかもしれません。指揮者を見つめ凛として箏を弾いていた女子学生たちの表情に、それまでの女性像を覆すような美しさを見たのかもしれません。それは悲しいような「一目ぼれ」でした。つまり、初めて「子供の為の組曲」に接したときの感動は、ほとんど「恋心」と同じものだったのです。
 「ぼくも仲間入りしたい!」と、痛切に思い、同じ線上で「長澤勝俊」という名前も、甘く凛とした感情とともに記憶されました。それは、私の心の中では、政治的人間からの決別でもありました。
 私事ばかり書いてしまいましたが、「後進地」の若者たちは、大なり小なり、私と同じような経験をしていたと思います。そして、齢を重ねたいまでも「長澤勝俊」という語の響きに、それぞれの青春時代のときめきを蘇らせているものと思います。
 後年、初めて長澤先生と出会ったとき、その古武士的なお人柄の中に、別種の「凛」を感じました。私の人生の各場面を飾らせていただいた先生の諸作品を思い浮かべつつ、いまはただ悲しみにひたるのみです。
 
(了)