2011年10月15日「京都三曲」第66号掲載

会員の広場

セルピコ

倉 橋 容 堂

 古い話ですが、「セルピコ」というアメリカ映画があったことを、記憶されている方もあるかと思います。若き日のアル・パチーノが熱演して、演技賞を総なめにした作品です。腐敗しきったニューヨーク市警察の醜態に義憤を覚えたセルピコという青年警察官が、全く孤立無援で正義を貫き、ギャングだけでなく同僚警察官からも命を狙われて、遂には狙撃されて瀕死の重傷を負うという実話を映画化したものです。
 その、アル・パチーノではなくて実在のセルピコさんが、実は尺八の愛好家であるということは、ほとんど知られていませんし、私も知りませんでした。
 3年前、私がメーン州のポートランドという辺鄙な町で尺八を教えていたとき、一人の飄々とした老人が訪ねてきて、「尺八を教えてください」と言いました。ニューヨーク州の北部から11時間も自動車を運転してやって来たということでした。
話によると、その人は若い頃、兵士として韓国に駐留して負傷し、東京の病院に運ばれました。入院中、友人から尺八という笛を貰い、それで韓国で聞き覚えた「アリラン」を吹いてみました。以来60年間「アリラン」だけを吹き続け、私には「正しいアリランを教えてください」と希望しました。私がほどほどに指導したら、その人は何とも言えない人なつこい笑顔を見せました。その人は「パコ」と名乗っていましたが、あとで私の友人が「あの人は有名なセルピコさんだ」と言ったので、私はびっくり仰天しました。
 翌日、セルピコさんはまたやって来たので、私は「ニューヨークならラニーという尺八の先生がいるよ」と教えました。すると彼は即座に「ラニーは変人です。私は嫌いです」と言いました。わけを聞いたら、今から10年前、彼は一度だけラニーさんを訪ねたことがあるということでした。ニューヨーク中を探し回って、ようやくラニーさんのアパートを見つけ出し、そのドアをノックしたのが、2001年9月11日、まさに同時多発テロ当日のことでした。ドアが開いたので「尺八を教えてください」と言ったら、ラニーさんは目を真ん丸にして「今日はだめ、絶対にだめ」と言ったそうです。だから「ラニーは変人です」。でも、私が思うには、セルピコさんの方が「変人」ですね。
            (2011・9・11、ニューヨークにて記す)