1998年6月15日「京都三曲」第26号掲載

会員の広場

キリストと尺八

倉 橋 義 雄

 ある秋の日、私は生まれて初めて幽霊に出会い、人生観が変わりました。
 その日、私は友人のH君、R子さんと3人で、北アルプスを歩いていました。美しい雲ノ平の草原から、黒部谷を下ることにしていました。黒部の最上流は、大小の岩石で埋めつくされた歩きにくい谷でした。登山道は、岩石だらけの谷底を避けて、右手斜面の中腹についていました。
 そのとき、私の足が、なぜか勝手に動いて、登山道から外れ、どんどん谷底めざして進んでいったのです。私の目は、確かに、右手斜面の中腹についている登山道を眺めていました。R子さんも私のあとをついてきました。
 遠くからH君の声が聞こえました。「おーい、道を間違えてるぞー」 あれっと思って振り返ると、H君はまだ山の上に立っていて、私とR子さんを見おろしていました。私はキョトンとしました。「僕はどうしてこんな所を歩いているの?」
 R子さんの顔が真っ青でした。
 「どうしたの?」
 「私のうしろで、足音と衣ずれの音がしていました。だから私は、てっきりHさんが私のうしろを歩いているものと思っていました。それなのに、Hさんの声が遠くから・・・・、振り返ってみたら・・・・」
 「振り返ってみたら?」
 「白くてボヤーッとした人影のようなものがあって、フッと消えました。」
 これだけでも不思議な話です。しかしそのときの私自身の反応の仕方が、もっと不思議でした。私は思わず手をたたき、R子さんにこう言ったのです。
 「そうか、幽霊が僕達を押していたのか。なーんだ、そんなことやったのか。」
 それまでの私は幽霊の存在を絶対に認めない人間でした。それなのに、その時の私は、当然のこととしてそれを認めたのです。その瞬間、世界が豊かで奥深いものになりました。
 さて、ひとたび幽霊の存在を認めたら、それからは、見える見える、幽霊の姿がウジャウジャ見えるようになってきました。中には身の毛もよだつほど恐ろしいものもありましたが、その話はまたいずれ。
 結婚直後の怪奇譚をひとつ。
 妻の実家を訪問した帰り道、深夜の国道を京都に向かって走っていたら、助手席の若妻が、しきりに身震いしました。
 「誰かに見つめられているみたい」と、当時まだ可愛かった妻は私に訴えました。妊娠中でしたから、私はきっと体調のせいだろうと思いました。
 さて、自宅に帰ってウトウトしていたら、突然、坪庭からガサゴソ物音が聞こえました。私は驚きました。ネコさえ侵入できないわが家の坪庭に、一人の見知らぬ老人が立って、じっとこちらを見つめていたのです。私は老人の顔をはっきり見ました。
 私が「ドロボー!」と叫んだら、老人は横向いてどこかへ歩いて行きました。私の全身に鳥肌が立ちました。どこにも出口がないその坪庭で、老人は忽然と姿を消したのです。
 1週間後、私達はまた妻の実家へ行きました。そして、そこの奥座敷の鴨居に飾ってあった写真を見て、私はとても神聖な気持ちになりました。さっそく妻を呼びました。
 「この人は誰?」
 「去年亡くなったお祖父さんよ。」
 「先週、僕はお祖父さんにドロボーと言ってしまった。」
 さて、次の話は怪奇譚ではありませんが、やはり不思議なお話です。もちろん実話です。
 数年前、私はものすごい緊張癖にとらわれました。どんな舞台でも、私は極度に緊張して、苦しくて、満足に尺八が吹けなくなりました。本当に苦しみました。
 東京のabc会館でのこと、やはり嘔吐しそうな胸苦しさに襲われた私は、生まれて初めて、神仏に祈ったのです。
 「もうダメです。助けてください。神様でも仏様でもどちらでもけっこうですから。」
 さて出番、苦しさをこらえて、私は舞台に座りました。神仏は本当に助けてくれるのか? 助けてくれるのはどちらか? 神か仏か?
 私は、霞む目を凝らして、客席を眺めました。そして目を見張ってしまいました。2階席の最前列に、白装束をまとった巨大な人が座っていたのです。その人は慈悲深いまなざしで私を見つめていました。私は感動して、思わず平伏したい衝動にかられました。見間違うはずがありません。その人は、思いもかけなかった人、イエス・キリストだったのです。イエス・キリストが私を守るために姿を見せてくださったのです! これは本当です。本当の話なのです。
 その日の演奏は、イエス・キリストの加護もむなしく、やはりサンタンたる結果に終わりました。しかし、その次の日から、私は緊張のキの字も知らない人間になってしまったのです。それはそれで困ったことだなと思っています。