1997年6月15日「京都三曲」第23号掲載

会員の広場

尺八を聞く子供達

倉 橋 義 雄

 私は10年くらい前から、ギターやバイオリンなど洋楽器の仲間とともに、小中学校などでの子供のためのコンサートに参加しています。これはボランティア活動ではなく、プロダクションが企画する営利活動です。だから評判が悪ければ容赦なく切り捨てられてしまうのですが、最近尺八の評判がすこぶる良くなって、注文が増え、けっこう忙しくなりました。
 この傾向は5年ほど前から現れてきたのですが、喜ぶべきことか悲しむべきことか、実はどう評価していいのか分からない事態なのです。
 それ以前なら、私が尺八を持って舞台に現れたら、客席のあちこちから子供達のクスクス笑いが聞こえたものです。尺八が何となく滑稽なものだったのでしょう。NHKが「お母さんといっしょ」という番組の中で尺八と三味線を笑いもののギャグとして利用したのも5年以上前の話です。
 しかし今は違います。尺八を見て笑う子供は一人もいません。今たいていの子供は、尺八を見たこともなければ、「尺八」という言葉を聞いたことすらないので、笑うこともないわけです。子供達の「邦楽離れ」も来るべきところまで来てしまったみたいで、「今が最悪」と言っても過言ではないと思います。
 ところが、だから、かえって、今の子供達の目に尺八は新鮮に映っているようなのです。笑うどころではありません。徹底的に無知だからこそ、変な先入観を持つこともなく、きわめて純粋に尺八の音を受け入れる耳を、今の子供達は持っています。
 そのような子供達は、生まれて初めて尺八の生演奏を目の当たりにしたとき、「かっこいい!」と嘆声をもらすのです。「尺八でもうまくやれば子供達に聞いてもらえる」というようなレベルの話ではありません。時として熱狂的ともいえる反応を示すこともあります。
 今、最悪だからこそ、逆に百年に一度のチャンスに巡り会っていると考えることもできます。このチャンスを逸したら、もうおしまいかもしれません。
 このチャンスを生かすために私達演奏家が心がけなければならないことは、次の2点だと思います。
(1)面白くない演奏は子供達に聞かせない。(かえって、せっかくの興味をなくさせてしまいます。)
(2)せいいっぱい「かっこよく」演奏する。(上手下手は問題ではありません。とにかく、かっこよく、かっこよく、かっこよく!!)