1992年6月15日「京都三曲」第8号掲載

会員の広場

イスラエル・メモワール

倉 橋 義 雄

 もう5年も前の事なのですが、イスラエルを訪問した時の事が、最近妙に思い出されてなりません。たった1人の孤独な旅でしたが、かえって人々のホンネの声を聞く機会に多く恵まれて、印象が心の奥深くに強く刻み込まれているのかもしれません。
 イスラエルのある政党の活動家が私の耳元で囁きました。「私はイスラエル政府の政策を支持しているが、実はPLOの意見の方が正しいと思っている・・・・・・」大胆な発言に私は驚きました。そして彼等はホンネとタテマエを相当厳しく使い分けているのだなと思いました。
 私の演奏について言えば、当地で古典尺八音楽を本格的に紹介したのは私が最初という事で、想像以上の反響があり、8回も公演を依頼され、日本大使公邸にまで招待されたのは光栄の至りでした。イスラエルの人々がそれほど尺八に興味を示したのは、彼等のアイデンティティの問題に関係があると思います。ある新聞の女性記者が私にインタビューした後、オフレコでこんな質問をしました。
「日本人の貴方にとって、イスラエルは中東の国ですか、それともヨーロッパの国ですか・・・・・・」私が正直に「まるでヨーロッパに来たみたいな印象です」と答えたら、彼女は淋しげに苦笑しました。
 ユダヤ人はアジア起源でありながら、ヨーロッパ文化を育ててきたという自負心を持っています。音楽でも、メンデルスゾーンからバーンスタインまで、彼等はヨーロッパ音楽発展の為に重要な役割を果しましたが、同時にワグナーに対する強烈な生理的嫌悪感が象徴するように、彼等の憎しみの対象もまたヨーロッパなのです。
 この辺で彼等のホンネとタテマエが複雑に錯綜しますが、彼等の尺八への興味は「我々はアジア人なんだぞ」という切実なタテマエの表明ではないかと、私は思うのです。
 しかし、それでもなおホンネの部分を崩そうとしない所に、彼等の凄さがあります。ある公演の最中のこと、客席の若者が1人突然立ち上って、大声で私にこう言いました「私には貴方の音楽が全然理解できない。全く退屈だ。一体私はどうしたらいいのか・・・・・・」隣の客が「帰ればよい」と言ったので、その若者は出て行きましたが、私は絶句してしまいました。面白くないのなら黙って帰ればよいのに「どうしたらいいのか」なんて聞いても仕方ないだろう、と思いました。おそらく、それは嫌がらせではなくて、彼の心中でホンネとタテマエの激しい相克があり、ホンネを表明しないではおれない衝動にかられての発言だったのでしょう。
 臆面もないくらいタテマエを貫くくせに決してホンネを隠そうとしない彼等の生き方の中に、私達がこの邦楽冬の時代に生き残る為のヒントがあるのではないかと、最近の私は考えています。