発表1: 見上 潤 「チャイコフスキー)《ただ憧れを知る者だけが》Op.6 No.6(1869)の分析 ――「ことば・おと・こえの三位一体理論」について――」

発表(50分) 12:50-13:40  質疑応答 13:40-13:50 ソプラノ独唱: 小川えみ(当会専属歌手)

ロシア芸術歌曲(Романс ラマンス)は、日本人にとっては言語の障壁が大きく、とりわけその文字を読みこなす困難が大きい。チャイコフスキー(Пётр Ильич Чайковский 1840-1893)の作品はかなり多くの人々に愛されているが、彼の声楽作品が日本で原語であるロシア語で演奏されることはいまだ非常に稀有な状況である。ただし、作品6、第6曲の《ただ憧れを知る者だけが Нет, только тот, кто знал》は、高校の教科書にも取り上げられるほどの有名であり、ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe 1749-1832)の原詩のドイツ語(Nur wer die Sehnsucht kennt)で歌われることが多い。
本発表は、この作品の歌詩の分析をドイツ語の原詩とメイ(Лев Александрович Мей 1822-1862)によるロシア語訳の対比において行い、ついで歌詩と音楽の関係を明らかにし、最後にこの作品が演奏に提起する問題を考察する。
メイのロシア語訳は、翻訳というより翻案と言ったほうがよく、原詩との隔たりは大きい。冒頭から Nur(ただ・・・のみ)が、Нет(いいえ)と入れ替えられているところからして、すでに大きく異なる。
この作品の旋律的特徴として、属9和音の第3転回形の上で、最大の表情音である「ラ」から始まることが特筆に値する。これによって、まさに会話の途中で、「いいえ」と答えるところを表現していると考えられる。さらに、長調におけるII度調の効果、保続音上の反復進行、再現部における細やかな変奏等、興味深い手法がこの作品を魅力あるものとしている。
声楽演奏の課題として、跳躍進行と順次進行をいかに歌うか、音高の上下の処理について考察する。
原詩は、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代 Wilhelm Meisters Lehrjahre』(1796)の中のミニヨンの語りであり、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ヴォルフを初め、多くの作曲家が手掛けている。今後の課題として、これらの「同詩異曲」の比較検討も視野に入れる。