Z. Z. Hill
(本名:Arzell Hill)


1935年9月30日 - 1984年4月27日
故郷: Naples, Texas

1980年代のほかのアーティスト以上に歌手・Z.Z. Hillは、南部の黒人オーディエンスやレコード購入者のブルースへの関心の復活に重要な役割を担っていた。
とりわけ、彼のアルバム"Down Home"は、1980年代初期に、2年近くもブラック・ミュージックのチャートにとどまっていた。
当時、Hillの人気は、白人のリスナーには殆ど知られていなかったが、B.B. Kingやその他、ベテランのブルースマン達よりも上だった。
不幸にも、彼は絶頂期の1984年に、自動車事故の怪我がもとで亡くなった。

彼は、1980年代を代表するブルース・ソングとなった"Down Home Blues,"以外には、驚く程の新しいブルース・サウンドもトラディッショナルな南部ブルースの録音も残せなかったわけだ。
Hillの音楽は、ソウルとブルースを混ぜたもので、Bobby "Blue" Blandと強く結びついている。
Down Homeは、"まさに今!"といったタイミングで"まさにこれ!"といった完璧な録音がなされ、Robert Crayの"Strong Persuader"やStevie Ray Vaughanの"Texas Flood"と同様、1980年代のブルース・リバイバルの最重要アルバムとなった。

Hillの最初期の音楽経験はゴスペルであった。
若い頃、彼は、教会の合唱団で歌っていた。
1953年にDallasに移動した後、Hillは、地方のクラブで、バンドで演奏し始めた。
1960年代初期におけるソウル・ミュージックの隆盛で、Hillは、Sam Cookeに多大な影響を受けた。
彼はソウルとブルースを融合し、United Artists や CBSを含む、多くのレーベルでレコーディングを行なったが、商業的には殆ど成功しなかった。
1970年代後半、Hillは、興味本位でディスコにも挑戦した。
それは、彼が1980年にMalaco labelと契約する以前のことで、この契約から彼のキャリアは一気に花開いたのだ。

Hillの最初のセルフ・タイトルのアルバムは、彼のことを黒人クラブへのワン・ナイト出演により知っていた黒人のレコード購入者からのみ好評であったが、Malacoからのセカンド・アルバム"Down Home"は、彼を一躍、トップ・スターに伸し上げた。
この成功は、Malacoを財政的に自立させ、Malacoを(Alligatorと白人のように)黒人ブルース・ファンのために、ブルース・レーベルの領域に拡大することに貢献した。
結局、Hillは、1980年から1984年の間に、Malacoで5枚のアルバムを発表した。
彼は49歳で亡くなった。



閲覧者のお声

このページにおける解説にはミスがあると思います。
Hillの墓石には、"AZELL HILL"ではなく"ARZELL HILL"と書いてあります。
彼の墓石の写真を添付しておきます。
Arzellは、Malisia WOODSとMatthew Welton WOODSの息子で、有名なお兄さん達、Matthew, Jr、Lemuel、 Ofrie Lee、Arell. Z Zは、Texas州のCass CountyにあるGethsemane共同墓地に埋葬されています。
Texas州Naplesから南東におよそ3マイルほど行ったところが、彼の生誕地です。



( J Lloyd Heardさん)