Scrapper Blackwell
(本名:Francis Blackwell)


1903年2月21日 - 1962年10月7日
故郷: Syracuse, South Carolina

Scrapper Blackwellのシングル−弦演奏スタイルは荒いアップ調の田舎のブルースと如才ない都会的なブルースとの隔たりを埋めるのに貢献したと言える。
Blackwellと彼のパートナー、ピアノ・プレイヤーであるLeroy Carrは、1920年代後半から1930年代にかけてギターとピアノのブルース・デュエットを普及させた。
彼等は一緒に"How Long How Long Blues"や"My Own Lonesome Blues."を含む多くのレコーディングをした。

Blackwellは南部に生まれたが、人生の大半をIndianapolisで過ごした。
また、彼はそこで独学でギターを覚えた。
Blackwellはレコーディング・アーティストになるまでは、成功した酒類密造者であった。
1928年、CarrがBlackwellを説得して、Vocalion labelでの彼のレコーディングに参加させても、Blackwellは依然として音楽を自身のキャリアとして考えていなかった。
デュオでのデビュー・レコーディング("How Long How Long Blues,")に対して前向きな反応をした段階で、Blackwellはブルースを続ける価値があると思ったのだ。
Blackwellはソロ・アーティストとしても1928年後半にVocalionで録音をした。
後に彼の曲"Kokomo Blues"はKokomo Arnoldが"Old Kokomo Blues"として録音し、Robert Johnsonが"Sweet Home Chicago."として録音した。
BlackwellはBertha"Chippie"Hill、Georgia Tom Dorsey、Black Bottom McPhail等と録音したが、記憶に残るような優れたレコーディングは殆ど、Carrと共に行なわれた。

Blackwellは伴奏者としても一流であった。
彼とCarrはお互いに技量や好みを理解しあっていて、ブルースを演奏する時に、音楽的に競争しようとしたことは殆ど無かった。
事実、当時、彼等のように補い合い、成功出来たブルース・ミュージシャンは殆どいない。

1935年にCarrが30歳で死んでしまった時、Blackwellはひどく失望し、音楽を止めてしまった。
彼は肉体労働者としてIndianapolisで働き、1959年にレコーディングのキャリアを再開するまで忘れられた存在となっていた。
1962年、Blackwellはまさにカムバックしようという時に、Indianapolisで撃たれ死亡した。