Sam Chatmon
(本名:Sam Chatman)


1897年1月10日 - 1983年2月2日
故郷: Bolton, Mississippi

Sam Chatmonの家族はMississippiのブロード・ミュージカル・タレント一家として知られている。
Chatmon一家はストリング・バンドで、若い頃、Samも時々、メンバーで、1900年代初期に、白人の観客相手にレギュラー演奏していた。
最初期のブルース世代であると共に、Samのバンドは 流行曲やバラッド、ポピュラーなダンス・ナンバーも演奏した。
Samの2人の兄弟、フィドル・プレイヤーのLonnie ChatmonとギタリストのBo Carter (Armenter Chatmon)もまた、有名なブルースマンである。
LonnieとBo Carterそれに、時には、Samも、しばしばギタリストのWalter Vinsonと一緒に、Mississippi Sheiksとして演奏した。
Bo Carterは1930年代からブルース・シンガーとしてソロ・キャリアもスタートさせていた。

Chatmonはギター以外にもピアノ、バンジョー、ベース、マンドリン、ハーモニカを演奏した。
当時の他のブルースマン達のように、SamはパーティーやMississippiの道端でわずかな給料やチップ目当てに演奏した。
1930年代には、彼は、兄弟のLonnieと一緒にやるように、Sheiksと共に演奏した。
Chatmonは、1940年代初めにMississippi州Hollandaleに定住し、プランテーション地域で働いた。
彼は、1960年に再発見され、フォーク・ブルース・アーティストとしての新たなキャリアを築いた。

1960年、Samは、Arhoolieレーベルでレコーディングし、また、他の多くのレーベルとも60年代、70年代にレコーディングをした。
彼は、この20年間程の間に、広範囲に渡って、ツアーを行い、フォーク界で起った、ブルース・リヴァイバルに乗じた。
彼は、多くのよく知られたフォーク・フェスティバルに出演した。
その中には、1972年にWashington, D.C.で行なわれた"Smithsonian Festival of American Folklife"や1974年にTrontoで開かれた"the Mariposa Fest"、1976年の"the New Orleans Jazz & Heritage Festival"も含まれている。
Chatmonは1984年に亡くなるまで、レコーディングやライヴ活動を続けた。