Rosco Gordon

1934年 -
故郷: Memphis, Tennessee

1940年代後半から50年代にかけてのメンフィス・ブルース・シーンに欠かせない存在であるピアニストRosco Gordonは、才能溢れる、しかし、同時にエキセントリックなブルース・アーティストとみなされている。
彼はむせび泣き、うめき声をあげ、奇妙な言葉遣いと発音をする歌唱スタイルを強調し、ブルース・ピアノの影響が強いブギ−を演奏した。

195O年代初頭、Gordon、Johnny Ace、Bobby "Blue" Bland、Earl Forestを始めとするアーティストはよくBeale Streetersと呼ばれた。
この非公式のMemphisのベスト・ブルース、R&Bミュージシャン達は、共にレコーディングし、放送した。

Gordonは、1951年にプロデュ−サーのSam Phillipsと共にレコーディング・キャリアを開始した。
彼の曲"Booted"は、Chess、RPM (Modern)の両レーベルよりリリースされ、1952年のR&Bチャートのトップ10ヒットになった。
Phillipsは、Gordonの他の音源もDuke Recordsから発売した。

契約に関して、RPMとChessの間に起った、誰がGordonのレコーディングの権利を持っているか、という口論にけりがついた後、彼は1950年代初頭をRPMでのレコーディングに費やした。
1952年にR&Bチャートの3位になった"No More Doggin',"を除いて、Gordonは、50年代に"Booted"と同等の成功を収めることは出来なかった。

1955年、Gordonは、RPMを去り、PhillipsのSun Recordsと契約した。
彼は、R&B・ロック風の"She's My Baby,"、"I'm Gonna Shake It,"、
"Let's Get High,"から"Do the Chicken"、"Cheese and Crackers."といった奇妙な曲まで沢山の曲を録音した。
Gordonは、PhillipsとSunとの関係を1958年に終わらせ、翌年、Vee-Jayレコードと契約した。
彼の曲"Just a Little Bit"は、1960年のR&Bチャートとポップ・チャートでヒットし、彼のキャリアが復活するかに見えた。
しかし、Gordonの成功は、短い間であった。
1960年代初頭にリズム&ブルースが下火になったことにより、彼自身のキャリアも終わりを告げた。
彼は、1962年に、New Yorkに移り、少しの間、Columbia Recordsでレコーディングしたが、1曲もリリースされなかった。

Gordonは、次に(これも短い期間だったが)ABC-Paramountと契約し、その後、Old Townレーベルと契約した。
1969年、Gordonは、Bab-Rocというレコード会社を自ら設立したが小売店に彼の曲を置く程度に留まった。
その後もGordonは、70年代を通じて、時折、シングルをリリースしたが、結局、ブルースやR&Bシーンから消え去った。