1920年代のアトランタ・ブルース界に影響を与えたブルース初期のギタリストであり歌手である、Peg
Leg Howellは、レコードを作った最初期の人物でもある。
彼のデビュー・セッションは、1926年で、Columbia Recordにより、カントリー・ブルース市場をターゲットに売り出された。
Howellのブルースは、カントリー・ダンスとフォーク、それに時折、流行歌も土台にしていたが、ストレートなブルースを録音することもあった。(こういったストレートなブルースでは、彼のギター・スタイルの随所に、フィンガー・ピッキングやスライド・ギターのテクニックを垣間見ることが出来る)
Howellは、Georgiaの田舎で育ち、独学でギターをマスターした。
1916年、法律上の兄弟との口論の際、彼は足を撃たれ、その結果、切断、"Peg Leg."というニックネームがつくことになった。
農夫として働くことが不可能となり、Howellは、生計を立てるために音楽を演った。
1920年代初期、彼は、Atlantaに漂流し、そこで稼ぐ為、道端で歌うようになった。
Howellは、この時、ブートレグ業にも関わったようだ。
1925年、密造酒販売のかどで逮捕され、1年間、牢獄暮らしをした。
釈放された後、Howellは、Atlantaに戻った。
1926年、Columbia Recordsは、Howellをスカウトし、レコーディング契約を申し出た。
最初のレコーディング・セッションで、Howellは、監獄で覚えた"New Prison Blues,"を録音した。
この曲はよく売れ、Howellは、翌年も再びレコーディングをすることになった。
Howellは、1929年までレコーディングを続けた。
ソロでの録音に加え、Howellは、セカンド・ギタリストのHenry Williamsやフィドル奏者のEddie Anthonyを含む、彼のストリート・バンドのPeg
Leg Howell and His Gangと共に録音した。
1927年に録音されたアップ・テンポなダンス・ナンバー、"Beaver Slide Rag,"は、グループの唯一のヒットとなった。
Howellのレコーディング・キャリアが終わると、WilliamsやAnthonyとAtlantaの有名なブルース演奏のストリート、Decatur
Streetでチップを求めて演奏するようになった。
Williamsの投獄後(彼は結局、牢獄で亡くなった)、そしてAnthonyが1934年に亡くなった後、Howellは、しだいに都会のブルース・シーンから姿を消し、
1952年、糖尿病のため、もう片方の足も失った。
Howellは、人知れずひっそりと暮らしていたが、1963年に再び見出され、Testamentレーベルで録音した。
彼は、1966年に亡くなった。
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